さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

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全体を見渡すと景色が必然性に変わる:資本蓄積と相対的過剰人口についてのメモ

1 地球をおおっている資本主義から個人をとりだしてみよう。この個人は、孤立した個人としては、自由な人間として、自分のことは自分で決め、誰と連結するのも自由で、契約を自由に取り結ぶ。契約相手も自由に変えられる。いやになったら変えればいいだけ。
2 しかし、孤立した個人は実態としては、利己的な個人であって、他人を手段にすることで、自分自身の本質を手段に貶めている疎外された存在である。この物象化された関係は、資本の関連として実在している。

3 この個人個人は、私的な自分のなかで自由に自分勝手にいろんなことを感じ、考えているけれども、こうしたばらばらなあり方は、すべて資本主義全体という社会全体からしたら偶然的なものである。

4 資本主義全体を生みだす資本の蓄積に目を転じる。資本の成長よりも一般的に、労働力需要の成長は低い。生産力の上昇は、成長において、労働力を資本に吸収するよりも多く、資本から流出させるからだ。労働力は労働者家族を基盤に、学校から、海外から、没落した資本家や自営農から供給される。この差が資本主義で恒常的に存在する過剰人口をなす。資本の蓄積を支える条件としての過剰人口である。

5 蓄積は、直接搾取される労働者を再生産するだけではなく、搾取を搾取される、つまり遊休を強制される、過剰人口の再生産である。労働者のこの分割は、資本の労働過程に貼り付けられた労働者をその過度労働、低賃金の監獄に押し込める。彼らの労働は彼自身のものではなく、貧困である。労働力の貯水池に脱落した労働者ももちろん貧困の檻に閉じ込められる。

6 孤立した個人はこの全体のなかでは強制法則に囚われており、必然性に屈服している。これは彼らの主体としての自由な人間としての感性、自覚性、社会意識に浸透する。孤立した個人は、連帯する個人に陶冶される。孤立的な視点に戻れば、労働で自己実現している、自由競争万歳と思い込んでいる人もいる。偶然なのだから。

7 資本主義における全般的過剰生産・恐慌や(「非自発的」)失業、貧困を否定するイデオロギーは、基本的に、孤立した個人の自由に固執することで成りたつ。経済学の歴史では、端的に、シスモンディに対するジャン・バティスト・セイ。単純化していえば、売ることは交換であり、生産物が交換されるのなら、すでにそれと交換されるものは生産されている。供給はそのまま需要である。だから、全般的な恐慌はおきない。労働の需給も一致。失業は、労働者がよりよい契約条件を求めているか、労働を提供しないでもいいからで、自発的な行動。

by kamiyam_y | 2018-01-24 23:50 | 資本主義System(資本論)

『資本論』の時代が始まった

あけましておめでとうございます。
年末年始の廃人生活から抜けましたか、皆さん。と書こうと思って変換したら「俳人」と出てきた。
今年は俳人になろうかな。全然思ってないですけど。
本年もよろしくお願いいたします。

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新宿区 SIGMA DP2
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『資本論』の2018年がやってきた:150周年へのメモ

第1部初版刊行からの150年は、『資本論』として自己を表出した現代社会システムが、『資本論』こそが現代社会システムの根底からの自己認識なのだということを明白にするくらいに、自己を成熟させるための回り道であった。

『資本論』が書かれているとき、ビルマルクのアメとムチによる労働者階級に対する支配は近づいていたとはいえ、福祉国家を自称する資本主義国家が労働者階級を一国主義や大国主義に吸収しようとする現実はまだ訪れていなかった。

国家間の帝国主義戦争も、遅れた資本主義の地域から自称社会主義国家が生まれ、崩壊した20世紀の経験も、そこには反映されていない。

しかし、それを書いた個人の手を離れ、『資本論』は不死鳥のようにその生命力を発揮している。

「社会主義」と資本主義という体制が対抗しているとする体制間競争の幻想が消滅した現在、『資本論』がつかむ世界は、不透明なベールを脱ぎ捨てた。資本主義の外部の問題としてごまかされていた諸問題は、資本主義の内部の問題であることを鮮明に見せている。

パクス・アメリカーナの崩壊、冷戦の崩壊は、世界市場としての資本主義による無政府的な人類の統合を推し進め、その無政府性の限界を超えようとする国際社会を形成した。環境も労働も人権も、情報公開も国際的な取組の課題として自覚されているのが新世紀の現代である。

『資本論』が現代社会システムの自己認識として最高のものであること、この秘密は、中期マルクスによる『資本論』の草稿の作成が、若き日の経済学ノートに対する詳細なレビューにほかならないことにある。このノート類を作成した1844年パリ時代の『経済学・哲学草稿』はすでに現代社会システムの原理を労働の自己対立として把握している。『経哲』を葬ろうとするあらゆる学術上の試みは、廣松であろうと、廣松批判のポーズをとるものであろうと、反動である。

by kamiyam_y | 2018-01-09 23:10 | 資本主義System(資本論)