さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

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Ricoh GR1v
by kamiyam_y | 2013-07-27 22:14

ある日のとりとめない会話―貨幣

みかん:これから食べられちゃうの。

布:食べられちゃうね。すてき。

机:これで使用価値として天に昇れるね。

みかん:食べる欲求をみたしてあたしは自分を全うだぜぃ。

布:私はこれから雑巾になって別の生産物に生まれ変わるの。ラブリー。

机:待ちに待った消費だね。多様な欲求をみたして消費される多様な使用価値としての僕たち。他人の消費のなかで使用価値が実現。

みかん:ほんと店頭にいたときは早く買って~と心のなかで叫んでたよ。

布:私も。布づくりされてるときから叫んでたかも。

みかん:店先では早くしないとあたし腐っちゃうよって、超焦りまくり。

机:商品として僕たちは使用価値。持ち手来て~と僕も叫んでた。消費したい人あらわれろ、って念じて汗びっしょりさ。

みかん:あたしが売れたら一段落、あたしをつくったみかんづくりも、みかんをつくった人の欲求をみたせる労働一般になれる。あたしを価値物にした抽象的人間的労働は、あたしがおカネに変って購買力発揮すればおしまい。あたしをつくった有用労働もあたしが売られて食べられたらミッション完了ね。

布:つくってくれた人とはほんとは無関係ってさびしい。私はただの未来のおカネとしてつくられてたんだ。

みかん:さびしいけどね。魂こめた作品とその制作者っていうような結びつきも、つくった人が自分で使う愛着もないね。それがでもあたしたちが社会全体に流れ、労働の世界をひろげていくのか~。

机:まあ、そうやって私的労働は商品交換で私的利益を実現するてわけ。それが社会的でもあるよね。僕たちの私的行動が私的労働の社会的実現で、全体の部分。

みかん:使用価値であるあたしたちは社会的分業を代表してる。あたしたち商品がいろんな使用価値としてあることは、いろんな労働があって絡みあいおぎないあってることをしめしてる。

机:そうそう。使用価値は社会的欲求をみたすべき社会的分業があることを意味してる。

布:私的労働はじつは具体的有用労働として依存しあっているけど、それは私たち商品の依存関係としてあるんだもんね。

みかん:あたしたちって、しかも等価交換で動かないといけない。使用価値として多様で、価値として同一。

机:だね。僕たちは価値としてみんな同じ。ってことは、僕たちの使用価値っていうちがいをはぎとったら僕たちはただ労働の産物であることだけが共通。価値という僕たちの共通のありかたは、いろんな労働からその具体性をはぎとって、多様な商品生産労働を、具体性を捨象した一般的な労働というか、労働そのものに還元してる。価値って、あれこれの労働でなくて、労働そのものの対象化。逆に、あれこれの労働はあれこれの使用価値に実を結ぶんだ。

みかん:あたし1コは机くん1台と交換価値がちがううけど、これって量のちがい。

布:質として無区別だ~、私たち、みんな同じ。使用価値としてばらばらだけど価値として一体。

机:価値に結果する労働としてはどの労働も同じ労働。

布:私たちをまとめる価値ってなかみはなに?

机:僕たちをつくる社会的労働の要請だろう。社会の存続に絶対不可欠の支出。費用。もちろん僕たち商品は同じ一族の代表見本だし、社会が要する費用、負担だから平均的なもの。基礎にあるのは人間の活動という根源的な必要。神経や筋肉の生産的支出という根拠がなくちゃ僕たちはこの世にいない。

布:おたがいに連絡もなく弾きあってる私的労働でも、社会的な労働力の支出なんだ、客観的に。

みかん:あたしたちが価値として質的に同一で量的にだけ異なるのも、抽象的人間的労働が実体としてあるから。価値っていっても、ほんとは人間労働力の支出一般があたしたちの共同の関係に映しだされてるだけ。人間たちはばらばらだから知らない。あたしたちの価値は、社会の労働の絶対必要な発揮のあかしなのよ。社会にとって絶対必要な労働というコスト。私的労働の体制で。

布:価値法則だね。物の交換で社会的労働と生産物の配置・配分。

机:社会的労働のコストが反映してるんだ。物という客体の世界で価値というみえない存在として、感覚的な物というみえる形で。

布:うん。価値の量はその商品をつくるのに社会的に、平均的に必要な人間的労働の量にかかっている。社会的必要労働時間による価値の大きさの規定。

机:社会的総労働の配分が、交換で事後的になりたつ。社会的自覚によらずに、人々の主観のうらがわでひっそり。

布:人間が生産ではばらばらだから全体は人間が制御できない。でさ、憎たらしいのは貨幣。私たちの価値って、使用価値のためのなかだちのはずだったのに。

みかん:ああ、ほんとだぜ~ぃ。あたしたちの消費じゃなくて、価値が、価値が目的。あたしたち使用価値は価値の奴隷。なんで価値の塊のあいつ、貨幣にひれふさなきゃいけないの。あいつがあたしの魂を抜いてあたしたちの外に独立。

布:しかも、あいつがいないと私たちも消えちゃう。あいつなしでは生きていけない。

みかん:ばらばらに引き裂かれてくあたしたちと巨大化してく貨幣の力。

◇◇◇

(以上の記されたノートをみて)

那弥子:ってここまで書いてめんどうになっちゃった。

美菜子:なみこ、勉強のために商品・貨幣論をまとめるなら、なんで対話?普通の文章で書いた方がコンパクトだよ。

那弥子:まあいいじゃん。

美菜子:わかるといえばわかるしね。チョコ食べた~い。チョコといえばこなみ、こなみといえば勉強。呼ぶべ。

(恋奈美登場)

恋奈美:チョコどころじゃないよ。うちの頭はいま貨幣論だよ。

那弥子:じゃ、まずべんきょしよ。商品から生れた貨幣が、商品世界の王になる、って書きたかったんだけど、めんどうでやめたんだ。

恋奈美:ちょうどよかった。商品から生れた貨幣の最初の姿は?

美菜子:ねだん。価値の尺度として働く。

那弥子:金銀以外のあらゆる商品の価値が金銀という自然素材におきかえられ、ってやつ。

恋奈美:価格。価格はでも交換の前提だよ。

那弥子:そこで流通手段なんだよ。

美菜子:流通手段ってどういうの?

那弥子:商品W-G-別の商品W。ここで出てくるの。

恋奈美:価値尺度と流通手段の図解はテキストであとでみよっ。

那弥子:でね、貨幣のこういう最初の2つの規定だけど、これってね、商品から独立して価値が自然素材と結びつくっていう貨幣の展開からするとまだまだなの。

美菜子:どういうこと?

恋奈美:ここでの金銀のありかたをかんがえてみようよ。価値尺度では?

那弥子:そこにはないけど、価値をしめす金銀。表象された金重量。観念的な金銀。

恋奈美:そう。金銀という物体が存在していることが不可欠だけど、それはそこに物としてあれこれの商品の隣にあるようなもんじゃないよね。

美菜子:そっか~。流通手段は?

那弥子:流通手段は金銀そのものじゃなくて、金銀の代りのもの。

恋奈美:一定量の価値を代弁するような物ね。物があれこれの商品と交換されるけど、金銀の実体はないの。

美菜子:それで、どう発展すんの?

那弥子:価格の材料になって、それから価格実現して、流通手段になって交換の全体、つまり流通をおよぐ。そこで終り?

美菜子:ちがうべ。

恋奈美:つぎは金銀そのものだよ。

那弥子:価値の自立化。観念的金でも金の代理物でもなくて、金銀そのものがふさわしいような物質化した価値っていうか。

美菜子:わかった~。貯メコミ。

那弥子:そうそう。貨幣蓄蔵。

美菜子:貨幣は蓄蔵貨幣として本来の貨幣なんだっけ?

那弥子:貨幣ってさあ、一般的価値形態、自分以外の全商品の価値をしめす一般的等価物。

恋奈美:一般的等価物は固定化されるようそれが1つの商品におちつく。

美菜子:で、それが価値という質的に均質でいて量的にだけちがってるものをしめすように貴金属におちつくんだね。

那弥子:自然の性質がふさわしいからね。均質で分割も合成も可能。

恋奈美:一般的等価物の地位を金銀が独占してそれが貨幣。

那弥子:そうやって、一般的等価物という役割が癒着した自然物金銀が貨幣ってわけ。

美菜子:そっか。それでさっき那弥子が言ったみたいに、最初の2つの機能だけだと金銀っていっても観念的だったり、代理物だったり。

恋奈美:金銀は価値尺度だと観念化、表象化されてるし、流通手段だと代理物におきかえられてる。

美菜子:そこで金銀が流通から飛び出す。

那弥子:流通から独立して金銀の結晶。価値が物の姿で自立化。

恋奈美:流通にいつでも戻れるしね。価値の材料でもあるし。

美菜子:流通の外で貨幣そのもの。流通にかかわらないと意味はないけど、独立。金銀が流通の外で蓄積して、富が蓄積してく。

恋奈美:流通の外に価値が結晶化してく。金銀がそのもので価値の自立化した姿。

美菜子:この金銀を求めて世界が流通に巻きこまれた。スペインの侵略。

恋奈美:うん、貨幣が脱共同体的な本性で動く。

那弥子:金銀は、あれこれの使用価値じゃなくて、まさにザ・価値。つまりすべての使用価値と交換可能な力。

恋奈美:抽象的な富一般ね。金銀に結晶し集約される。

美菜子:だからいいかえれば抽象的人間的労働の化身なんだ。

那弥子:一般的労働の対象化・結晶化ともいえるよね。一般的富の対象化。

恋奈美:あれこれの使用価値は商品で、これはすべての富。他の商品の価値の表現材料だったり、他の商品の流通のなかだちだったりという商品の下僕であるのはやめて否定して、富の普遍的代表、富であることの物質化。

那弥子:金銀がそのままでこういう力。

美菜子:物神崇拝だ~。

恋奈美:で、古代や中世でも権力者がこれを独占しようとするけど、これは殺戮の結果でしかなくて、生産の発展のなかで自己増殖する貨幣は産業資本だし、現代の蓄蔵貨幣はその媒介なの。

美菜子:ちょっとむずかしいけど、現代こそカネのためのカネよね。

那弥子:なみこがおもうに致富欲ってのもキーワードかも。富の一般的な集約である貨幣が、致富欲を生みだす。特定の使用価値への欲求なんかじゃないの。

恋奈美:こなみもおもうに突如商品の主君になった貨幣だけど、流通から生れて流通の外に自立化した貨幣。

那弥子:流通に否定的にかかわって自立的。

美菜子:どういうこと?

恋奈美:流通がなかったらどうなる?

美菜子:蓄蔵貨幣の意味がなくなるべさ。

那弥子:金銀を山に埋めて場所がわからなくなったらアウトだし。

恋奈美:貨幣は流通に依存しているけど、流通を否定して自立的となってる。

那弥子:ミミズは土のなかだけど、生きていないと土に還元されちゃう。海のなかでくらす生き物は、海に依存しているけど、海そのものから自分をたえず区別してる。

美菜子:生きていないと海そのものになっちゃう。

恋奈美:そんなとっかな。まっ、産業資本が生れる前提だよね、蓄蔵貨幣。

那弥子:労働力買って資本になってやろうっていつでも待ちかまえているのがGだから。

恋奈美:G-W-G'が資本の一般的定式だもんね。

那弥子:流通は等価交換だからさ、価値の量全体は、だれかがだましあいで儲けても、増えたりしない。

恋奈美:だから貨幣の自立化は資本として実現するんだ。

美菜子:それって、貨幣の話の先だよね。

恋奈美:うん。この先のうちらの研究。

那弥子:じゃ、チョコ食べよ。

美菜子:やっぱビアガいかね?

恋奈美:勉強のあとの1杯はうめ~よな。いこっ!
by kamiyam_y | 2013-07-26 21:11 | 資本主義System(資本論)

ある日のとりとめない会話―商品・貨幣論

かずとも(以下K):『理論劇画 マルクス資本論』(門井文雄原作、紙屋高雪構成・解説、石川康宏監修、かもがわ出版、2009年)(Amazon.co.jpをみていたら「労働日」に出てくる過労死の話が載っていて(79頁以下)、おもわず「脱法ハウス」を思い出したよ。横になれる最小限の間仕切りされた非人間的空間でしか寝られないなんて。正規雇用的現役軍から追い出された個人が生きることが社会基準上の最低限を下回って有効需要と使用価値供給が合致すること、資本の一部分がかれらからさらにまた吸血するのに用いられることになってる。

ともかず(以下T):うん、交換価値のための交換価値が眠りに配慮するのは交換価値のためでしかなく、貨幣増大のために貧困がつくられては動員されるというわけか。産業予備軍の絶え間なき創出と現役軍の絶え間なき消耗が価値増殖による資本蓄積が自ら生み出すその前提、生活環境なんだ。

K:そうだね。で、今日これからの勉強会、テーマは交換価値の形成で。

T:商品・貨幣論。ええと、貨幣という支配力。これがいってみれば資本主義把握という変革のモメントの核心で、これって「ユダヤ人問題によせて」の最後に市民社会の疎遠な力として出てくる。この疎遠な力を労働という存在世界総体の原点の自己疎遠性においてつかむことが市民社会の解剖学、経済学批判といっていいとおもう。

K:貨幣の魔力だけど、まず貨幣って一応モノだよね。モノがどうして社会の力なんだろう。物理的でも化学的でもなくて社会的な力。

T:まさに謎だよ。超感覚的な社会の力が自然物の属性なんだから。自然的な素材形態がそのままで、目でみえない社会的な力としてあらわれてくる。では貨幣はどうしてそうなんだ?駅員が切符の代わりに千円札を配ったり、大学教師が出席カードの代わりに一万円札を配ったらどうだい?俺は切符買いに行くし授業に絶対出るぞ。まっ、誰でもだけどさ。

K:買物をしたら包装紙が一万円札でできているなんてのもいいな。

T:こういう空想上の喜びは、俺んちのチワワとは共有できない資本主義的人間だけのもの。この社会の外にはないし、動物にはない人間特有の社会現象だからね。かかわっている人間だけに妥当する社会関係っていうか。

K:うん、ミミズに貨幣は存在しない。貨幣はそのものを感覚的にみればモノでしかなくて、でも感覚的でない社会力。金はそれ自体欲求をみたす有用性が飾りに使えるとかしかなくても、交換価値の代表で、その金を代理するのが価値標章だっけ。まあ、メロンを包むのも紙だし、お札も紙だ。紙という似たようなものが購買する力であったり、なかったり、不思議だね。

T:じゃ、直接的交換可能性といったこの驚異の力って政府が決めたから生まれたものなのかな。貨幣が妥当していく力は法律の力の発揮。

K:いやいや、政府がたとえば君、ともかずを貨幣にしようと決めても俺はそんな貨幣は使いたくない。ともかず4分の1と何を交換すればいいんだか。

T:俺は貨幣にはならないって(笑)。商品として価値物として大量生産され交換可能なものでないと。で、結局政府や法律が決めてもそれが通用するのは実際の人間を通してだから、そう政府じゃない。価格の単位確定や鋳貨製造は法律的なものだとしてもそれはいわば形でしかない。中身は経済がつくる。貨幣の力は人間から独立して人間を制御する経済法則だからね。

K:経済法則の力って何だ?

T:社会的生産過程の力。労働の自然的人間的社会的諸力さ。

K:生産によってまとめられている生きた全体の力かな。

T:うん、そんなかんじだね。まあ、直接には商品。商品の力。貨幣は商品から生まれるからね。そして貨幣を生みつづけて商品が存在し、労働生産物が商品となって再生産されている。貨幣と商品、この運動の全体が生きているわけだけど、商品と貨幣が絶えず生まれ出て経済法則の力がリアル。1つの商品が関係していく起点で、商品から貨幣が生まれ、商品の力が貨幣によって実現し、貨幣の力が商品によって息を吹き込まれている。社会全体の力が商品に担われていて、商品はなにものにも優位する必然性なんだ。

K:商品の交換価値として、商品が貨幣を生む。価値形態論だな。商品の価値を統一的にその使用価値で表現する等価物ってやつ。

T:そうそう。一般的等価物であることは、あらゆる商品に対する直接的交換可能性だ。それは流通手段になって、買う力となり、流通から独立して、なおかつ流通に戻って、増殖する価値という力になる。

K:ちょっと難しくなってきた。

T:そういえば、『哲学の貧困』(高木裕一郎訳、国民文庫、55頁)によると、商業はあらゆるものを使用価値と交換価値との対立に還元したってシスモンディが言ったらしいぜ。

K:使用価値と価値との内的対立を外的対立に対象化する、だっけ。価値形態論は商品の二要因を分離する。

T:そして交換過程は商品が、商品と商品と並ぶ貨幣という二重化することで媒介されている。

K:平たくいえば、あれだね、労働はばらばらで、労働では人が結びついていない。代わりにモノが結びついて社会的分業が成り立つ。人の関係がモノの関係としてつくられ、モノの関係が社会的労働総体という生きた社会全体のまとめる力になる。交換が労働を社会的にする。モノの多様な依存関係が異なる労働の依存関係。

T:そのとおりだ。共同体的な労働の反対。

K:私的な労働。共同体的な労働では個々の労働が社会的労働としてあらかじめ立てられていて、労働がそのまま現物の姿で社会的なものとして妥当しているけれど、私的労働ではそうでなくて、商品それぞれのもととなるばらばらな私的労働って相互に異なっていて非社会的に隔離されていて、それらの抽象的な同一性、連続性に、商品の価値関係のもととして人間労働力支出という同一性に還元される側面に普遍性がみとめられる、とでもいうのかな?

T:まあ。

K:私的労働として労働が相互に断ち切られているから、その連関は交換される客体の連関だ。まったく孤立しあっているわけで労働の有用性、特定の生産物をつくる合目的的活動も、それへの社会的労働力の支出もまったく相互に隠されている。

T:うん。それで、客体である諸商品が能動的に連関しあって社会的労働を実現する。諸欲求をみたす有用物を適切な量つくる私的労働の相互の依存ってのは、諸商品が使用価値として実現することであって、また、異なる諸労働の形をとる人間労働力の支出という社会的費用ってのは客観的に価値に反映している。他人のための使用価値として実現することがその背後の労働を具体的有用的労働として社会的分業の一分肢として実証し、価値として実現することが人間労働力の支出一般に還元された抽象的人間的労働を実証する。こういうわけだ。

K:価値量として、労働は社会的総労働時間の一部として社会的必要労働時間として実現する。抽象的労働は価値という形をとるけど、その大きさは継続時間、社会的に平均的な生産条件、労働の強度・熟練度のもとで必要な時間によって規定されている。

T:ついでにいえば私的労働として労働が相互に断ち切られているからこそ、市場が拡がり経済法則をつうじて生産力発展が自己目的化してるね。

K:共同体を超えて流通へと同化していく商品の本性と、飽くなき価値増殖による事後的な生産力発展っちゅうことやね。私的労働だけど単純にいえば、まあ、生産した商品が売れれば、その背後の労働は自分を全うしたことになり、また労働を繰り返せる。売れなければ労働は死す。

T:ゆえに商品は人々を突き動かして交換されねばならない客観的要請なんだね。人々の交換行為の実体はかれらの意思にではなくてまさに商品にある。客体の側に社会形成の力がある。商品所持者の目にはこれはこのあるがままの姿で、つまりモノに本来交換力があるかのようにみえてしまい、事態の全体の連関が消え去ってしまう。この実体の力は人間が支配する自然素材、客体に重ね合わさって、というかこの自然物の姿であらわれるからね。

K:物神崇拝による正当化だっけ。

T:だな。商品として社会的力が自立するには、交換者の立場では交換者が主人公という法的抽象が維持されていなくちゃいけない。商品の力は商品の自然な属性で、よって交換する人間も交換を自然として了解しているっていうのかな。

K:まあそういうことだべ。で、繰り返すけど、そういう社会的な力のある商品って、ばらばらな労働のその社会的な力となるような紐帯なんだってことが重要だよな。労働は私的利益に分解し、その社会的統一は商品の交換がなしとげる。労働で人は関係せず、商品の交換が労働を事後的に無自覚に社会的労働として実現する。

T:そう。生産における人格どうしの関係であるはずのものがモノとモノとの社会関係としてあらわれる生産関係の物象化ってまとめられる話だね。社会を排除し他者を排除し私的利益の計算で私的利益のために社会的合意や計画なしに見込みで行われる私的諸労働、これって物象的にのみ、物象の関係としてのみ社会的総労働の生きた器官として関係しあう。私的労働は物象化を通した社会的編成の起点、といっても商品流通がその外部にあるとしているその根拠なんだ。商品は自分を生み出す理由を流通の外にもっていてそれに依存していけれど、ここではそれはそれがあることを商品から指示されるものでしかない。私的労働は商品にとっての前提だけど、商品が商品として自分の足で立つ、商品がこの前提を自ら生み出すのは単純な商品にとどまってではなくって、資本に移行してなんだよね。実際の労働の中身は資本の過程に包摂されている自己否定的な疎外された労働、自己疎外する労働で、あくまでもここでは私的労働は商品が流通の外に前提しているもの。商品がそれを確保するのは資本としてのことだ。賃労働が商品生産者の自己労働を実現する。

K:そういう流れを予想しつつも、ともかくここでは商品を生み出すのは、私的労働という社会的労働なんだよね。商品論におけるそれを生み出すものとしての私的諸労働。商品流通という全体からみた労働。商品流通によって全体を生み出すもととなっている孤立した労働。孤立しているからモノの流通として連関するほかない疎外された労働。商品を主体化させる労働。

T:社会的労働である私的労働。交換という社会的労働とそれが想定する私的労働。私的労働は商品交換によって私的利益を実現する、つまり私的労働として実現するけれど、それは社会的労働としての実現なんだ。社会的総労働が私的諸労働へと分解していて、私的労働は社会的労働としての潜在的な普遍性を現実化することによって自身を実現する。

K:生きた矛盾!

T:まさに、私的なものというのが、範疇を展開する原動力となる矛盾した存在なわけ。

K:私的労働の社会的性格を商品が体現していて、この商品が自分の世界の連関を自分の運動によって展開する、これが資本論の以降の展開といえそう。

T:商品の徹底が資本ともいえそう。商品という単純なものが難しいとマルクスが念を押すのも、商品の運動に徹する重要さゆえだろう。一見空理空論にみえる商品論こそじつはすごくラディカルで、『資本論』に結実するマルクスの研究は現代システムの細胞としての商品範疇に半端なくこだわっているかんじがするよ。商品の内的矛盾は『資本論』以外では「経済学批判要綱」『経済学批判』あたりが読めればといいとおもうけど、一人では難しいから商品世界の理解には『マルクス自身の手による資本論入門』(ヨハン・モスト原著、カール・マルクス加筆・訂正、大谷禎之介訳、大月書店、2009年)の商品論の記述が参考になるのでお薦め。
by kamiyam_y | 2013-07-23 21:40 | 資本主義System(資本論)

言葉の中身

既得権益を壊せとか、頑張った人が報われるようにとか、その言葉自体はなにやら革新めかして威勢よくみえたり自由平等の表明のように聞こえますけどね、問題は具体的な中身なのだよ。ってことを私たちの多くは知っているはず。

封建的諸権利の位階秩序を破壊する大工業は労働者を封建的共同体窒素から引き離して解放し法的抽象的に自由にしますが、その政治的解放は法的に等価な人々として抽象化して人々を同一化し市民社会の実体から分離した共同体の一員、人権主体にします。社会はみんなのものということが実体から分離して一応成立しました。この実体つまり社会的生産過程こそみんなのものなのですが、まずはこの政治的解放は資本家も労働者も封建的支配階級に対する「みんな」として同一化したうえでの解放、資本家を軸とする市民革命なのでした。しかし、現在は労働する諸個人にもとづく人権の具体化の時代。社会的生産過程の発展が、抽象化された普遍的な人間に実体を与えるからです。

単なる既得権益打倒論は、労働者が勝ち取ってきた人権である社会保障の権利を壊せとか労働者に低賃金をおしつけ「効率的に」利潤増大をしなければならないという資本の主張として用いられ、それは資本の私的所有という既得権益によって労働者をその増大の道具にせよという要求となります。フランス革命の自由の精神が労働者を弾圧する「団結禁止法」に転回したことを想起しますね。

労働者の自由か、企業による搾取の自由かは正反対です。頑張った人がというならそれは賃労働者を中心とする諸個人の人権の実質化、権利拡大・福祉向上・生活向上を意味すべきであって、特定の敵を想定してバッシングし扇動するための言葉として使うのは全体主義の1つのモメントをなすというべきであり、人民主権、人権尊重、平和主義という体制を裏側から全体主義に捻り変えようとする反革命的心情に親和的でしょう。

ブラック企業を頑張ってつくった人が報われるようにとか、労働法を守らない経営努力や搾取する頑張りに多くの報酬を、といえば誰でもそのばかばかしさには気づきます。

政治的解放の中身であった大工業の発展は労働者を世界史的個人にすなわち人類に転化し、労働者の眼前には「ローマの民衆はパンを買うのに必要なものにもこと欠き、ローマの貴族たちはウツボのえさにする奴隷にこと欠かなかったのである」(『哲学の貧困』高木裕一郎訳、国民文庫、89頁)というがごとき「進歩」の「敵対関係」(88頁)という実相があらわに示されつづけているのであります。
by kamiyam_y | 2013-07-19 05:49 | 企業の力と労働する諸個人

カウンターの重要性

ヘイトスピーチが新聞でもとりあげられるようになりましたけど、新大久保で起きていることをめぐる実情の正確な理解にはやはりまだ不十分。次のブログが端的にまとめています。

清義明のブログ Football is the weapon of the future REDUX くさいものにはフタをしろ!-初心者でもわかる在特会一派とカウンター活動-

「欧米だと、人種民族差別に対するカウンター運動は日常的にある」と書かれているように、放置することによっては差別主義の暴虐非道はなくならない。差別主義を抑えることは自由で民主的を標榜する体制にあって普通に公共的かつ倫理的な行為です。
by kamiyam_y | 2013-07-15 23:07 | 自由な個人の権利と国家

いらないもの

自由とは労働する諸個人を中心とする人民の自由であり、民主主義とは労働人口の多数を占める労働者階級の民主主義であるのだから、これを認めることなく自由や民主という言葉を標榜してはならねえべ。

認めないなら大企業の自由な搾取の党とか人民を犠牲とする経済成長の友とか、国家全体主義党とか、多国籍企業の私的所有を守る党とか、封建的領主階級下級部類による王権復権の会でよろしい。ブラック企業のための自由民主ではなく、労働者を軸とする諸個人のための政策を競いあう自由民主の知恵の出し合いが現代の政党政治であるべきですから。
by kamiyam_y | 2013-07-07 23:10 | 民主主義と日本社会

ヘイト中止

やったじゃん。くそレイシストを撲滅しよう!

レイシストをしばき隊 OFFICIAL: 祝・デモ中止!
by kamiyam_y | 2013-07-04 00:41 | 民主主義と日本社会

蓄積せよと至高の実体は命じ給ふ-スミスとマルクスの蓄積論から(2)

3 スミスの蓄積論

以上前置き。やや話は飛びます。スミスの生産的労働と蓄積です。

『国富論』第2編第3章冒頭でスミスは生産的労働と不生産的労働をとりあげます。スミスによれば、生産的労働は「特定の対象または販売しうる商品に、固定し、実現する」労働。

「投下される対象の価値を増加させる」商品に価値を対象化する労働ですね。同時にまたその価値は利潤をもふくむものでなければならないとされます。「材料の価値にかれ自身の生活維持費の価値とかれの主人の利潤の価値とをつけくわえる」。つまり賃金プラス剰余価値であります。

しかも賃金も結局労働者がうみだす価値であり、資本家にとっての賃金前貸し費用は見せかけ的(労働ファンドとしての可変資本)。「賃金を、かれの主人から前ばらいしてもらうとはいっても、じっさいは、かれは主人にとって少しも費用がかからない」(水田洋訳、河出書房新社、1974年、281頁)

製造工などの労働、「価値を生産する」生産的労働に対して、スミスが不生産的としてまずあげるのは「家庭の召使の労働」で、さらに「主権者」「司法官僚」「軍将校」「陸海軍全体」、「聖職者」「法律家」「文筆家」「道化師」「俳優」「オペラ歌手」「踊り子」などをあげています(281-282頁)

召使いの労働に支払う部分が大きいほど浪費的であり、対して生産的労働を充用するほどに生産物価値が増大していくことになります。スミスは資本の回収と収入(利潤・地代)を区別したうえで、不生産的労働者、労働しない人が収入によって維持されること、富裕な国々では資本と収入の割合において資本の方が大きいことなどを論じます。「資本が優勢なところでは勤労が普及し、収入が優勢なところでは怠惰が普及する」(287頁)

「資本の増減」が「生産的労働の人手の数」を、「生産物の交換価値」を「増減させる」のであるから、富増大には収入を貯蓄し資本に蓄積することが必要であるとされます。「勤労ではなく節倹が、資本の増加の直接の原因である」(同上)。資本主義的生産関係が命じるものがスミスを介して、収入を浪費するな、資本に蓄積せよ、と表現されます。スミスの頭は蓄積の命じるところを素直にその内容としています。

ここで『資本論』第1部第22章「剰余価値の資本への転化」第2・3節が参照されねばなりません。

「アダム・スミスは、蓄積をただ生産的労働者による剰余生産物の消費として説明すること……をはやらせた」(岡崎訳S.615.)。スミスは再生産、蓄積の把握において「重農学派に比べて……明白に後退してさえもいる」(S.617.)


節約が富増大と生産的労働者の増大を導く資本の説く調和とでもいえましょうか。蓄積って剰余価値の資本への転化であり、労働者が剰余労働の産物によって再び剰余労働を資本に吸収されること、労働者階級のうみだした剰余価値によって、資本から遊離していた労働力の一部分を資本に合体するということ、その際には労働の新たな吸収のための素材となる追加の生産手段も必要ですね。スミスは価格を賃金・利潤・地代からなるとしてしまい、不変資本(設備・原料の価値)がぬけていて、それともかかわってこういうとらえかたになってしまいます。

「倹約せよ、倹約せよ!……すなわち、剰余価値または剰余生産物のできるだけ大きな部分を資本に再転化せよ!」(S.621.)
「ブルジョア経済学にとって決定的に重要だったのは……資本の蓄積を市民の第1の義務として告げ……収入の全部を食ってしまったのでは、蓄積することはできない、と飽きることなく説教することだった」(S.614-615.)


スミスにおいて、資本家は社会発展のためのネジでありベルトであり歯車であってかれは収入の浪費ではなく、資本の蓄積のよき下僕にならねばなりません。資本主義の発生において、倦むことなき蓄積の布教の学的姿が市民的経済学でした。

剰余価値は資本家による消費ファンドをなすだけでなく、資本に転化してさらに労働を吸収するという使命があります。蓄積の進行においては、この相反する2つの衝動が、剰余価値を収入と資本に分割する資本家の内部で葛藤となります。これに対してスミスの説くモラルは収入の浪費ではなく資本の増大であり、ひたすら蓄積を説くわけです。

「蓄積のための蓄積、生産のための生産、この定式のなかに古典派経済学はブルジョア時代の歴史的使命を言い表した」(S.621.)


土地所有が富を浪費する封建的なシステムに対立する資本蓄積の飽くなき推進を課題とするスミスにおいて、資本家は蓄積拡大を遂行する資本の人格化としてのみ社会的な意義のある存在であり、資本家は蓄積しなければならない。自己目的化した蓄積という資本主義の存在理由が古典派経済学に表出されています。

「価値増殖の狂信者として、彼〔資本家-引用者〕は容赦なく人類に生産のための生産を強制し、したがってまた社会的生産力の発展を強制し、そしてまた、各個人の十分な自由な発展を根本原理とするより高い社会形態への唯一の現実の基礎となりうる物質的生産条件の創造を強制する」(S.618.)


「交換価値とその増大」(S.618.)は、社会的生産力の発展を人類に押しつけ、対立的に強制的に、社会的労働・社会的生産手段・世界市場を蓄積運動として形成させ、もって諸個人の自由な発展にもとづく1つの自由な人類社会を創出する通過点をなします。資本主義黎明期の古典派経済学が冷酷に定式化した蓄積のための蓄積に、通過点的運動をなす現在の運動の1つの表示を私たちはみることができます。
by kamiyam_y | 2013-07-01 23:14 | 資本主義System(資本論)