さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

<   2013年 06月 ( 6 )   > この月の画像一覧

Anti Racism

7日もな。

レイシストをしばき隊 OFFICIAL: 7.7 やつらを取り囲め!@大久保公園
by kamiyam_y | 2013-06-29 23:11

Anti Racism:No Hate Speech Movement

6.30カウンター情報。集結を。

6.30 大久保公園包囲 - UT Anti-Racism Front
6.30 大久保公園包囲 | People's Front of AntiRacism

弁護士も全国から結集。告訴状読んでください。

6月16日新大久保排外デモ参加者の傷害・暴行事件について告訴 - 川崎市中原区の法律事務所 武蔵小杉合同法律事務所トピックス
by kamiyam_y | 2013-06-27 22:12 | 民主主義と日本社会

「経済表Tableau Économique」(ケネーQuesnay):ケネーとリカードQuesnay and Ricardo

このまえ「経済表」について書いたもの(フィジオクラシーphysiocracy)に補足をしておきます。

「経済表の範式」に描かれた世界について、需給関係をまとめるだけでなく、剰余価値率や利潤率を考えるのも一興かと。「経済表」が単純再生産であるのも、当時の生産諸関係のありようか。もし拡大再生産ならどうでしょう。ケネーがアンシャンレジュームにおける重商主義政策による農民の貧窮という問題を解決しようとしたのであるならば、彼にあって農業における蓄積、拡大再生産は肯定すべき事態。

リカードであれば、耕作地の拡大はより劣等な耕作地への拡大であり、生産力の最も低い最劣等地における農生産物がこの農生産物の価格を規定し、より優等な耕作地では超過利潤、差額地代が発生することになります。資本主義発展とともに耕作地が拡大することは、リカード的には、地代の増大を意味し、地代・賃金に対して利潤率は低下することになります。蓄積にともなう利潤率の低下って現代のグローバル化を考える上でも重要。

ケネー『経済表』(戸田正雄・増井健一訳、岩波書店、1933年)の範式をワープロソフトの描画機能をもちい手でうつしてから、それに書込みをして画像ファイルに変換してみました。「経済表」の雰囲気をそこはかと残しつつも緑と赤の彩りあざやかな作品です。

c0064668_16315199.gif


フィジオクラシーの把握基準は、生産物から始まる商品資本循環。生産物の流れの絡みあいを想定する商品資本循環をイメージして経済表を振り返ると、こんな感じ。50の価値の生産物(30の費用+20の剰余価値)がどのように持ち手変換し、生産資本の補填を導くのかを「経済表」は示します。あくまでも自然から生産物を得る農業だけが生産的というのがミソです。

生産階級(借地農民)による社会的総生産物50。この生産には、用具など固定資本100の価値移転分10(原前払の利子)と、種子や食糧など流動資本20(年前払)が投下されています。言いかえれば、用具や種子など生産手段に20(不変資本)、農民が消費する食糧(可変資本)10です。

他方、地主、主権者及び10分の1税徴収者が収入として前年得た20の貨幣を、商業・手工業に従事する不生産的階級が10の貨幣を前払として購買準備にあてています。

課題は、生産物50が流通と徴税、不生産的階級による消費(加工)を介して、農民に30の生産資本、支配階級の消費ファンド20の貨幣と不生産的階級の貨幣資本10に、価値的、使用価値的(素材的)に補填される流れの確定です。

剰余価値20を支配階級が取得しつづけると単純再生産が繰り返されます。剰余価値のすべてが消費ファンドに消えるのが単純再生産。

これに対して、表式からすれば、拡大再生産による富の増大は支配階級に向けていた剰余価値を、生産階級による生産的投下に振り向けることを意味しましょう。絶対主義の重商主義政策のもと地代と税に苦しむ農民を解放するという実践的帰結を、絶対王政の足下で彼ケネーは密かに正当化していたのです。働く平凡な人間が社会を再生産においてまとめあげるのであり、消費だけする階級がじつは非自立的存在であるという把握がすでに発生しているというべきでしょう。

市民革命、産業革命へといたって生誕した現代システムは、アンシャン・レジーム(旧体制)のうちにすでに最愛王ルイ15世の寵姫ポンパドゥールが机上においた『百科全書』のうちに萌芽として存在しています。むろん古い社会は十分に発達しなければ新たな社会に移行できない。しかしまた、その絶頂にまで達した古い社会は、その胎内に新しい社会をすでに妊んでいます。蛹のなかに蝶が準備されているように。
by kamiyam_y | 2013-06-17 01:10 | 資本主義System(資本論)

蓄積せよと至高の実体は命じ給ふ-スミスとマルクスの蓄積論から(1)

1 資本主義

資本とは、自己増殖する価値の運動体で、貨幣G-商品W-増大した貨幣G'と表され、形態を変えながら循環、増大する自己目的化した、有機的に運動する生産関係です。資本主義とは、この資本の蓄積運動が客観的に(人々の社会的合意から独立して)社会総体を貫く自己目的と化することによって、事後的・無自覚に(社会的制御なしに)、急激な生産力の発展を実現するシステムを指します。

貨幣G-商品W-増大した貨幣G'は実際には、流通は等価交換ですから、その実現には、価値を原材料に付加することをその有用性とする独自の商品、すなわち労働力が包摂されねばならず、貨幣G-商品W(労働力Aと生産手段Pm)・・・P生産・・・剰余価値をふくむ商品W'-増大した貨幣G'として存在します。交換価値の増大が生産過程における価値増殖を手段として不断に発生しているのが資本主義。

資本主義をそのエネルギーの素材として支えるのが私たちの賃労働で、それは、生産手段、生産物、商品、貨幣という自己の対象的世界、環境を他人の富としてうみだす自己分裂的な労働です。賃労働、これを吸収し燃焼することによって、他人の所有の富の運動が実現し資本主義という生きた総体が存在しています。

他人の富の制御されない運動である資本は、労働を社会的に結合し生産手段を社会的に使用するものへと高度化し、個別的生産過程を社会的過程へと連結しながら増大することによって、事後的・結果的に生産力の、かつてなかった急激な発展をもたらします。

資本主義の存在意義は生産力の発展を自己目的化したシステムであることにあります。この自己目的化、G-G'の悪循環的螺旋(らせん)運動は、自然・社会・人間の安定した存在と相容れず、限界に達します。有限な自然に対する無秩序な収奪、個人に対する社会の力の独立化、労働する人間への容赦ない搾取において、資本主義という無秩序な発展に対して、生産力の管理された発展が課題として明確化してきます(たとえば「持続可能性」など)。自己目的化した生産力発展は、生産の発展の目的が生産そのものにあるのではなく人間にあるという発展の本体をあらわにせざるをえません。諸個人の自由な発展の基盤が諸個人に外的な疎遠な力として形成されてきたが、それを諸個人の側に包摂すること、これこそが現代という矛盾の運動の意味です。

物にゆだねた無秩序な発展から諸個人による民主的共同管理へと移行することが現代の私たちに課されている大きな転換です。現代の問題群は、労働過程における諸個人が資本蓄積の道具として存在しなければならないという主客の転倒を解消せよ、という課題を諸個人に提起しつづけている現代システムの自己否定運動です。利潤追求による資本蓄積という目的運動貨幣G-商品W-増大した貨幣G'が潜在的に産出しているのは、私たち諸個人が生き生きとして活動するはずの諸個人自身の労働過程、人間の自然に対する合目的的活動の発展、自由な人間の社会的結合の発展であるにもかかわらず、これが他人の経済の力として諸個人に対立的に実在している。

現代の問題群は資本のもとに私たちがつくりだした私たちの世界を、まさに、私たちが自由に個性をのばしあい自己実現するための私たち自身の環境へと変えること、そのようなものとして奪還することを要求しているといえましょう。諸個人の自由な発展の基盤を急激に対立的に創出するのが資本主義であり、現代世界の展開とは、他人の力としてつくりだされたこの基盤を自己のものとして制御しようとする試みの展開以外のなにものでもありません。利潤追求の手段に転倒した労働過程を私たちが自覚的に制御する共同的存在条件として、私たち自身の労働過程として管理することを課題として私たちに提起しつづけているといってもよい。

現代世界は利潤追求する富の力に動員された分裂的、対立的な発展であることによって逆説的に私たち自身の環境世界としての本体をあらわしています。課題として意識される世界の対立性は、私たち自身の自然と社会の力がとる姿であって、資本主義において諸個人は社会・自然の対象的形成を強制され、それに即して主体としての社会的・世界的人間(「民主主義」)の成長を強制されています。

2 商品

他人の私的所有の富の世界の運動である資本主義は、商品大量の運動する循環において実現しています。他人の所有が総体をなす資本主義は、私的労働という社会的に規定された労働を基準に商品の運動する世界として再把握されます。そして、飽くなき利潤追求・剰余価値の取得による資本維持増大を起点とするようなシステム、G-G'が社会の諸要素を包摂し自己の要素へとまとめあげる有機的システム、その秘密は商品にあります。貨幣にかわらねばならないが貨幣にとどまることもできずたえず大量生産されたものとしてあらわれつづけている商品。

この商品がそれを産出する根拠として想定している社会的形態にある特定の労働の姿、それが私的労働です。私的交換主体の背後に想定される労働は、他者を排除しながらも、自己利益を目的として他者に依存する労働。交換者は、客観的には己の物の力として関係しあい、人間を、自己を手段化する転倒におかれた存在です。

私的労働は直接的な共同体の世界を解体した社会的労働です。個別的労働が共同体内の社会的労働としてあらかじめたてられている共同体や、血縁地縁で分業を形成するカーストなどが商品の反対の世界として表象されます。

私的労働は、他者を排除する私的空間において私事として営まれる。しかし、直接に私的というのは、じつは潜在的には社会的ってことです。他者の労働の産物を自己の労働の産物で獲得するべくおこなわれる私的主体の労働はそもそも他者に依存していますし、生産物の交換によって事後的かつ客観的にかれらの労働は社会的労働としてまとめあげられていくのであり、商品流通の不断の再生産において私的労働は社会的労働として存在しているのです。

私的所有の客体である生産物の交換の運動が、私的労働を社会的労働として事後的に実証します。私的労働において生産される労働生産物はすでに交換者主観から分離して独自の意味、目的をもつ存在です(交換者の欲求から市場の調和を導くのが原子論的社会観)

商品が帯びるミッションは、第1に任意の他人の労働生産物に転換することであり、第2に欲求する他人に持ち手を変えること。第1に対価との交換可能性、交換比率として示される交換価値であり、第2に他人の欲求を満たす物であるという社会的な関係にある有用物ってわけです。

商品は有用物、使用価値という自然的基礎でありつつ、交換価値でもある。ここでは任意の生産物に変わりうるという交換可能性である交換価値が手放すべき使用価値をその手段としています。自己増殖する価値が使用価値を手段、己の制約としていく資本主義の展開の細胞がまさに商品。

多様な使用価値総体は、労働の有用性産出としての側面、有用的労働の相互依存、社会的分業を意味し、交換価値として現象する価値は人間労働力の支出としての労働、労働とはいってもそのような支出一般である共通性としての人間的労働をじつは表現しています。
by kamiyam_y | 2013-06-12 03:39 | 資本主義System(資本論)

価値相対主義からの脱却

磯部涼編著『踊ってはいけない国で踊りつづけるために』(河出書房新社、2013年)を買い、部分的に読みました。ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文はそのインタビューにおいて3.11以降の自身の変化・体験を踏まえて「考えよう」って若い世代特に30代に投げかけてます。野間易通「社会の変革を妨げるものは何か?」は「出る杭を打つ」「正義フォビア」の背景に「価値相対主義」をみてとり、そうした「正義への怖れ」への批判とそこからの転換として「反レイシズム」運動に貫く意味をつかんでいます。それに続いて、のいえほいえ氏の論考は、生活保護へのバッシングに対して意見広告プロジェクトを立ち上げた経験をまとめ、サラリーマンこそその仕事のスキルを転用してスピード感ある市民運動を展開することが可能であると論じています(「サラリーマンこそ異議申立てを」)。平凡な普通のサラリーマンが悲壮な自己犠牲なしに民主主義発展の主人公になりうること、資本主義的生産過程が資本蓄積のために強要する諸個人の社会的開発が人間解放の自覚的運動の基盤になりうることの1つの興味深い実例が示されており、大変面白かったです。
by kamiyam_y | 2013-06-06 23:08 | 民主主義と日本社会

Aislamiento y origen

c0064668_0232379.jpg

GR Digital Ⅱ
by kamiyam_y | 2013-06-01 00:19