さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

医者と経済学者

資本主義社会の生誕と発展が経済学という上部構造を産み出す。講義で古典派経済学に触れました。

ジェームズ・スチュアート(『経済学原理』1767)の「巧みな手腕」とアダム・スミス(『諸国民の富(国富論)』1776)の「見えざる手」の対比や、スミスが子供の頃近くで見た工場では、賃金を製造した釘で払っていたというエピソードを交えつつ、労働が富を生むという古典派における大発見を話したつもり。

人間が手を加えてつくりだすことは、Bildung(形成)とドイツ語で言う。Bildungとは、教養とか陶冶という意味もあります。労働が富と人間をつくりだし鍛えあげる。古典派経済学における労働価値論はマルクスにおいてドイツ観念論の批判と完全に結合します。

話したことでわりと印象に残ったみたいなのは、ケネーが著名な医者だったという話だったかな。

経済学がなぜ近代資本主義の生誕とともに始まるのか。というと、封建制社会は科学も経済学も必要としない生産体制・社会システムだったからでしょう。単純化していうとですが。

習慣や掟や命令で、生産手段と労働力の社会的配分ができているのですから、生産・分配という労働の流れが人間の外部の研究対象になったりするわけもない。自給自足が生産の土台であれば、神話的権威によって共同体が維持されていればよく、個人の法的自由も科学的知識も社会関係として定着しえない。

これに対して、市場を生きたシステムとしている資本主義においてはどうか。市場とは、生産物を商品として交換しあう空間であって、それは、社会的生産を私有財産によって分断し、世界を私有財産によってばらばらに分解しきってしまうことを前提としています。いいかえれば、近代社会とは、自然と人間社会とが私有財産によって無数の原子に解体されることを前提している。共同体的な共通の神話、社会と自然の説明神話は存在しえない。

このばらばらで利己的な活動態への分解は、社会的紐帯を、生産物の商品としての交換として、貨幣の力として、つくりだします。社会にとって必要な生産費用としての労働は、そのようなモノとして社会的に認知されることなく、モノの性質として「交換価値」として現れます。貨幣は商品の交換価値を体現する商品。

この「交換価値」の運動の世界は、まさに国家(共同体)から分離して独自の巨大な社会的土台として現れてくる。「交換価値」の展開としての「経済法則」として、人々の生産の社会関係が妥当することになる。生産の社会関係が、人々にとって意識されないモノの関係が経済法則として、外部の自然のように人間に対して対峙します。

経済学の生誕は、そもそも、このように、人間の外部の法則として、彼等の生産の関係が実現することに根拠があります。

まずは、富の増殖という共同的目的が、この経済法則の研究を社会のなかの個人に命じる。

さらに、現代では、この法則がもたらす人間の犠牲を解決すべき課題とするため、経済学が普及します。たとえば現代における環境破壊は、まさに「交換価値」の自己目的化が原因であり、労働問題も「交換価値」の増殖が企業の権力として人々に対立することです。破壊をもたらす法則を解明すること。現代では、物象的関係と人間社会・自然との対立をとおして、人々を社会の主体へとbilden(形成)するべく、批判的な経済学が発生しています。

前資本主義では生産における個人の労働と社会の労働との転換が物象化(不透明化)せず、労働の配分も習慣や掟といった非物象的な人格的な関係をとったのでした。これに対して、資本主義では、労働の諸関係が直接には非人格的な関係となり、人間にとって外部のモノの世界として現れます。人間に疎遠な研究対象です。

そこで、「土地は富の母、労働は富の父」と述べたウィリアム・ペティ(『政治算術』1683)。この人は、統計学と古典派経済学の誕生に位置し、古典派経済学の完成者とマルクスが表したリカードにまで発展する労働価値論を最も早い時期に説いた人です。

彼はもともと解剖学を研究していたのでした。

で、フランソワ・ケネー。彼は、『経済表』(1758)を発表してフランス重農学派を始めたわけですが、医者として有名でした。大月書店の『経済学辞典』の表現を借りると、「パリ大学医学部」で学んだ「著名な病理学者、外科医」。「1749年に、ルイ15世の寵妃ポンバドール婦人の侍医」になり、その後、「皇太子治療の功により貴族に列せられ、ニヴェルネに土地を購入、長男に農場を経営させ」、「百科全書派」と交流し、経済学の研究をしていくことになったんです。

細胞や血流を研究するように、商品や貨幣や流通を研究する、という比喩は凡庸すぎて誤解を生じそうですけど、人間自身とその環境を人間が知的に解明しようとすること、人間に疎遠な対象を知において奪還しようとすることは、まさに現代の当為にほかなりません。封建社会からの資本主義の形成は、部分的には人間解放ですが、人間がその対象世界を喪失することであって、人間疎外です。しかし、この喪失は即座に奪還を人間に命じるのであり、部分にとどまる解放とはいえ即座に人間解放の進展です。人間の疎外、対象の喪失こそが経済学の生誕と発展の基盤にある。

経済学者が医者でもあった。このことの面白さは、身体の研究と社会の研究との共通性に気づかせてくれる点が第一。

第二に、現代における分業の進展、専門化、細分化からすると、まだ医学も経済学も現代ほどに細分化していないがゆえに一個人においてそれら諸学がともに修得・発展させられえた点。近代の初期の知的巨匠たちがそれぞれ人類社会のパノラマを描こうとした点も興味深い。知的細分化以前の巨匠たちの面白さというか。

第三に、固定化された分業に人が犠牲になるのではなく、人間個人が普遍的に全面的に発展する可能性についても考えさせられる点。

この全面的発達の可能性は、本格的な意味では、人間がマニュファクチャー(工場制手工業)的な固定化から解放される大工業においてもたらされるもの。大工業を包摂・獲得した資本主義では、労働者が何でもさせられる自由な労働力でなければならないと同時に1つのことに固定化されるのでした。人間の全面的な発達を、資本主義は否定しながら必要とする。

「『靴屋は靴以外のことには手を出すな』……この、手工業的な知恵の頂点……は、時計職人ウォット〔ワット―引用者〕が蒸気機関を、理髪師アークライトが縦糸織機を、宝石細工職人フルトンが汽船を発明した瞬間から、ばかげきった文句になったのである」(マルクス『資本論』第13章、大月書店、S.512-513)


言ってみれば、人間なんでもやってみることが法律上の能力としてできるようになったのは近代社会になってから。封建社会とは異り、資本主義社会では、移動と職業選択の法律上の自由が認められます。この自由は労働者が生産手段を失うことの反面なのでしたが、生産手段から切り離されることで実現するこの自由があったからこそ、何でもじっさいにできるという実質的な自由を、産業革命はその可能性においてもたらしたのでした。

スミスは基本的には工場制手工業(マニュファクチャー)に感動した人。ワットによる蒸気機関の発明は、『国富論』の数年前の話。
by kamiyam_y | 2008-05-17 01:52 | 資本主義System(資本論)