不信にもとづく信としての国家
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なぜこうもいかがわしい商法が絶えないんでしょうかね。テレビの影響もあるかもしれません。資本主義という生産のありかたでは、当然だます土壌もだまされる土壌もあります。
カネを儲けるということのなかに含まれる人間への不信を拡大すれば、だまして儲けることですし、資本の側に人間の集合力が従属することからすれば、金をもつ側がいわば知識をも代表し、もたない側はバラバラの個人として、折伏の対象となりましょう。
現実に人間が不自由かつ不平等である以上、国家という形での空想のなかでの自由平等は現実を隠す働きをします。
おなじように、現実に人間が不幸である以上、空想を信じるという形で空想のなかでの幸福を求めようとする人間のふるまいも絶えることはないでしょう。
生命とは、環境の物質の連鎖反応が循環しつづけることであり、物質の発散と収束のなかで自律的に目的となっている存在ですが、人はこの循環を物質から切り離してそれ自体モノとして表象し、霊などとして崇めます。人間はオカルトにおいて自分の生命性を崇拝してます。
現実から反転した不合理な世界を信じこむことによって、心の中にしかないような幸せをつかもうとする庶民のふるまいは、現実の不幸を埋め合わせるだけではなく、それ自体不幸な疎外状況でしょう。
だます・だまされる土壌があるとともに、それを超える社会的な協同の智恵もやっぱり発展しています。「霊感商法」として「詐欺」として国家による取締の対象になるんですから。
それにしても神奈川県警がニュースに出ると「またか」と思ってしまいますよね。
もう1つ。年金です。
まさに国家による二次的収奪以外のなにものでもないのではないか、「消えた年金」は、と思います。
衆議院厚生労働委員会が「旧台帳」を補完する倉庫に視察に行った模様を保坂展人が伝えています(どこどこ日記)。
今朝、「旧台帳」年金倉庫の扉が開いた
旧台帳・倉庫は長い間、年金記録の「墓場」だったのか?
大衆から巻き上げるときは巻き上げておいて、何も言ってこない爺さん婆さんには払わないままでおこう、とする国家の姿勢を感じますねえ。まさに搾取の派生的形態です。
国家は幻想の協同社会であり、かつ社会的な規制を行う共同の機関であり、搾取者でもあるというわけです。