さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

協業と機械-スミス『国富論』とマルクスの《資本の生産力》(6)

現代産業は、人間の豊かな成長に土台となるべきものを与える一方、人間の生命を容易に奪うような危険なものとしても存在しています。

ステンレスの原料をつくる八戸の工場で爆発事故がおき、3人が犠牲となりました。現代産業の基盤をなす金属生産の労働現場における大惨事というべきでしょう。もっと報道されていいんではないだろうか。

この会社です。
施設見学ガイド・大平洋金属(株)

ネットのニュースを探してみました。
工場の爆発で2人死亡 青森の大平洋金属 | エキサイトニュース
金属工場で爆発火災、2人死亡1人けが 青森・八戸(朝日新聞) - goo ニュース

場所はここ。
青森県八戸市大字河原木字遠山新田5-2 - Google マップ

日経産業新聞11月7日号の関連記事によると、大平洋金属は、ステンレスの原料となるフェロニッケルの日本最大の生産拠点だそうです。

デーリー東北新聞社 Online Service
主なニュース:今年既に労災6件/村井社長が謝罪(2007/11/07)(http://www.daily-tohoku.co.jp/news/2007/11/07/new0711071101.htm


 …[略]…同社では今年に入り、既に六件の労働災害が発生している。九月二十日には同社で初めての「非常事態宣言」をしたばかりで、安全操業の徹底に力を入れていた直後の惨事だった。…[略]…
 村井社長によると、事故のあった電気炉は高温状態が続いているため、炉内部の詳細調査の開始まで十日ほどかかり、原因や再発防止策の取りまとめは約三週間先になるという。…[略]…
 同社では、一九九〇年に作業員が大やけどで死亡して以来、約十七年間死亡事故が起こっていなかった。しかし今年に入ってからは休業を伴う事故が四件、休業に至らないものが二件と、相次いで労災が発生。三月にはけが人こそなかったが、焼却灰・ホタテ貝殻リサイクル工場で水蒸気爆発事故が起きている。
このため、八戸労働基準監督署から数回、作業上の安全性を向上するよう行政指導を受けていたという。…[略]…


17年死亡事故が起きなかったとはいえ、今年には労災が6件も起きており、労基署からの指導も入り、非常事態宣言をしていた矢先。高温のため調査もできないということですが、真相究明に全力をあげ公開すべきです。電気炉という危険な機械を管理している私的生産者の公共的責任です。

三月のリサイクル工場の水蒸気爆発事故の記事をみてみます。

大平洋金属水蒸気爆発 電気炉の管理に不備(2007/04/14)(http://www.daily-tohoku.co.jp/news/2007/04/14/new0704141103.htm

 青森県八戸市河原木海岸の大平洋金属「焼却灰・ホタテ貝殻リサイクル工場」の廃棄物溶融炉(電気炉)で発生した水蒸気爆発について、同社は十三日、炉の温度を十分確認しなかったことや、決められた期間内に全体補修を実施しないなど管理面で不備があったことを明らかにした。…[略]…
 電極部分周辺には温度測定装置が設置されず、温度管理が不十分だったほか、県への産廃施設設置許可申請で「二、三年に一度行う」としていた全体補修については〇三年の施設設置以降、実施していなかった。…[略]…


全体補修を実施していなかったとか、管理体制に整備されていない点があった、というのですから、今回の事故も起きるべくして起きたのではなかったのか、だれもが疑問におもうはずです。正確な究明が求められます。

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安全環境管理室がちゃんとあります。私企業という形で存在している社会的管理とでもいえましょうか。

関連諸法があり、労基署があり、私企業内部には私的な規則やら管理体制が存在しているのです。それは資本主義システムの成熟を示しているといえます。

と同時に、こうした事故は、働く人が犠牲になっていく悲惨な現実を極限的に悲惨な形で垣間見せているのではないでしょうか。

四季の移り変わりにも似た規則正しさでその産業死傷報告を生みだしている密集した機械設備のなかでの生命の危険は別としても、人工的に高められた温度や、原料のくずでいっぱいになった空気や、耳をろうするばかりの騒音などによって、すべての感覚器官は一様に傷つけられる。・・・[略]・・・フリエが工場を「緩和された徒刑場」と呼んでいるのは不当だろうか?(マルクス『資本論』岡崎次郎訳、大月書店、S.448-450.)


資本主義における機械の発展は、「産業死傷報告を生みだしている」ほどの人を犠牲にする形で進行してしまいます。

生命に対して重大な影響を与えうる機械・大工業の発展は、しかしまた、資本主義国家に、労働上の安全に対する規制をつくらせざるをえません。資本に対して社会の立場からの強制が必然化します。科学を応用した大工業の発展は、労働過程に対する社会的管理を求めます。

危険な機械にたいする保護のための法律は有益に作用した。(同上、S.450.)
工場法拡張法が規制するものは、熔鉱炉、製鉄所および製鋼所、鋳造工場、機械製造工場、金属加工工場、グッタペルカゴム工場、製紙工場、ガラス工場、タバコ工場、さらに印刷工場および製本工場、また一般にこの種の工業作業場で年間に少なくとも100日間50人以上を使用するもののすべてである。(同上、S.517.)
要するに、この1867年のイギリスの立法で目につくことは、一面では、資本主義的搾取の行き過ぎにたいしてあのように異常な広汎な処置を原則的に採用する必要が支配階級の議会に強制されたということであり、……。(同上、S.519.)


当時のイギリスの工場主の非人間的な発言。

ここでは工場監督官レナード・ホーナーの公式報告からの引用だけで十分であろう。「私は、いくつかの災害について工場主たちが許しがたい浮薄な態度で語るのを聞いた。たとえば、指をなくすくらいは些細なことだというのである。・・・・・・」
(同上、S.450.)


いまの日本に当てはめれば、「サービス残業で心身が健全でなくなることくらい、たいしたことない」とかげで言う人はいるかもしれない。企業の発展があってこその人間なのだから、犠牲になったっていいじゃないか、誰かが犠牲になるのは仕方ない、とか。

資本主義は犠牲を生みだしますが、犠牲を生むシステムの正統性を批判する関係も存在します。資本主義は、社会を運動する矛盾において存在させています。

印象深い理解のために、マルクスがギリシャの詩人を引っぱってきて、資本主義システムにおける機械の利用の転倒性を皮肉っている箇所を引用しておきます。

また、キケロの時代のギリシアの詩人、アンティパトロスは、穀物をひくための水車の発明を、このすべての生産的な機械の基本形態を、女奴隷の解放者として、また黄金時代の再建者として、たたえた。・・・・・・ことに、彼らには、機械が労働日の延長のための最も確かな手段だということがわからなかった。彼らは、一方の人の奴隷状態を他方の人の十分な人間的発達のための手段として是認したかもしれない。しかし、何人かの粗野な、または半開の成り上がり者を「えらい紡績業者」〔“eminent spinners”〕や「大きなソーセージ業者」〔“extensive sausage makers”]や「有力な靴墨商」[“influential shoe black dealer”〕にするために大衆の奴隷化を説教するためには、・・・・・・(同上、S.430.)


ギリシャでは、水車は奴隷解放の手段にみえ、機械が労働時間を延ばすなんておもいもよらない。ギリシャでは、人間的発達が、他の人間が奴隷となることでもたらされた。現代では、大衆の奴隷化は、粗野な人間を「紡績業者」にするが、もちろん、ギリシャの人々はそれを正統化する言葉をもたない。

機械は人間を解放するようにみえて資本主義的利用においては労働時間を延長させ、労働者を失業させ、労働者の健康を破壊する。労働者は他人の富をつくりだし、自分の貧困をつくりだす。富の産出が人間疎外であるような状態の完成が資本主義です。
by kamiyam_y | 2007-11-09 00:59 | 資本主義System(資本論)