さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

カビをおさえる桶はなかった(補足)

排除命令が22件は少ないのでは、ときのう書きましたが、「注意」が239件あることを思うと、それなりに仕事しているのでしょうね。

消費者をだます企業は、従業員をだます企業でもあります。先日朝日新聞で、ミート社の従業員の声が紹介されていましたが、従業員に対しても横柄で、労働法も守られていなかったよう。

消費者をだます生産者は、生産者をだます生産者でもあります。別の生産者のふりをして生産してるわけですから。

たとえば、S産の雲丹というブランドがあるとして、産地が全く別のHなのに、S産と偽って売るのは、Hの雲丹に対して失礼です。もちろん、S産でもないのにS産とウソとつくことですし、S産の生産者の利益を損なうことになります。

Hにすむ貧しい一家が、このウソ表示のおかげて仕事にありつけ、子供におやつを食べさせることができる、ということもあるかもしれませんが。

あらゆる生産者がこのようにだまそうとするならば、全体の利益は低下します。より一般化していうと、万人による万人の足の引っ張り合いにおいては、社会に媒介された個人の幸福は、引っ張り合いがなければ達成したであろう水準にとどかない。

他人を欺くことは、自分を否定することです。相手を否定することは人間を否定することであり、人間を否定することは自分を否定すること。だれもが相手の否定によって自分の肯定をしようとしたら、だれもが否定しあうことになります。

絆を引き裂かれた人間が、自分のためにすることが、全体として自分たちの首を絞める。これは企業もそうですが、労働者もそう。労働者が給与獲得競争に利己的に邁進すれば、給与は実質切り下げられ、全体の利益が低下する、というように。かといって、公正な給料というのは、公正な搾取というに等しいのですけど。
by kamiyam_y | 2007-11-01 23:57 | 企業の力と労働する諸個人