さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

協業と機械-スミス『国富論』とマルクスの《資本の生産力》(1)

紀元水。藁をもすがる思いで信じる人もいれば、もっと軽い人もいるのでしょうが。

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ありとあらゆる病気を治癒させる水らしい。こんなん霊感商法や新興宗教では、陳腐すぎるくらいのアイテムなのでしょうね、きっと。

これに対して、おかしいと感じたり、笑ったりしてしまうのは、それがただの対象(=物)である水だと喝破しているからからです。しかし人間は個別的な物のなかに不可視の関連があるのだと想定したがりますから、これを信心するビリーバーは、ただの水ではないのだ、水ではないなにか、なのだと言うでしょう。彼等は、水ではないものとして崇拝しています。彼等が崇拝しているのは、水ではなく、病気を治す力です。彼等が水に託しているのは、病気を治す力という彼等の希望でしょう。

彼等が信じているのはじつは、治したいという彼等自身の願望なんです。つまり、彼等は水を見ているようで、そうではなく、そこに、病気が治りますようにという彼等自身の願いを、そうとは知らずに、あたかもそれが対象であるかのようにして、崇拝しているのです。

そう、彼等は、自分自身の祈りや願いを、祈ったり願ったりしている。自己分裂と、分裂した物の間の堂々巡りなんです。

彼等は祈りを祈っている。つまり彼等は対象(=物)において自分の願望を、自分自身を、拝んでいる。こういう自己回帰構造はありふれたものです。誰もが陥る可能性をもっています。人間であるがゆえに。

このありふれた自己回帰構造は出口のない観念の堂々巡りです。これを信じる諸個人の間のつながりも、信者の小さな共同体を越えて拡がることはありえません。現代は貨幣が支配する世界だからです。この世界では貨幣が普遍的であり、小さな共同体をつくる自由は、「売買の自由」の派生項目に落とされています。

資本主義システムにおいて普遍的に崇拝することは、貨幣となった普遍的なものを崇拝することです。崇拝する対象である貨幣とは、私的諸労働の産物を商品として交換しあう世界の媒介項であり、社会的労働を媒介するその姿です。

貨幣を自己の生存のための手段にすることは、社会的労働という、自己の外に拡がる自己の世界を手段にすることです。

社会的労働過程の形成を、労働による世界形成を、手段にすることです。貨幣は、本質的に、小さな共同体にとどまることができない。いってみれば、貨幣は、全世界を形成します。

しかし、この自己の世界とは貨幣の世界です。貨幣の世界は、じつは、貨幣の世界の自己否定としてしか存在しようがありません。

なぜなら、貨幣は、社会的生産過程の世界をその中身としてつくりだすことによってのみ、増殖しうるのだからです。貨幣が社会的生産過程という、過程でありかつ実現した社会的な労働そのものであるような世界にまで展開することで、貨幣は貨幣である。つまり、貨幣は物として人々の眼前にあらわれますが、物なんかではなかったという真理を現します。

貨幣という物を崇拝することは、貨幣がその中身を展開することによって、突破されるのです。

物を崇拝するこの崇拝だって、社会を再生産するような展開力、総括力のある活動ではありません。狭く閉じたものです。これとは異なって、自己再生産を行うことで社会的諸関係を自己の姿態に位置づけるような運動は、労働以外にはありえません。

労働は、交換において貨幣とそれへの崇拝を生み出しますが、社会的労働として実現することによって貨幣崇拝を否定します。この否定によってのみ、逆説的に、貨幣増殖を労働は実現しています。ここに資本主義の展開と崩壊の鍵が隠されています。

社会的労働は、大工業、すなわち労働手段の絶えざる変革とそれに命ぜられる労働の社会的組織の形成として実現します。ここで、社会的生産過程は、労働者の外で、労働者に敵対するような、資本の力としてあらわれています。

しかし、このことは、同時に、貨幣という私物のなかで、私物としての貨幣が否定され、社会的生産過程が顕在していることを意味します。

このような分裂の構造が資本主義です。資本とは、社会的生産過程の外皮です。社会的生産過程が社会的生産過程として完成した姿態をもつことによって自ら突破していく、社会的生産過程の蛹(さなぎ)です。

資本主義では、水を拝むのであろうとなんであろうと信心は、社会全体の紐帯にはなりえず、私的な売買の位置に落とされたものです。選択の「自由」として表象される自由の、1つの恣意的な対象にすぎません。

拝む心も、そうです、貨幣増殖の手段なのでした。信心はそれを禁止することによって乗り越えられるというように存在していません。それは人間疎外の顔でしかないからです。信心的転倒からの解放は社会の主題ではなく、資本からの人間的解放の従属函数でしかありません。
by kamiyam_y | 2007-10-18 23:00 | 資本主義System(資本論)