さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

物象化する世界 住民投票の民主主義的正統性

インリン様のブログを拝見していたせいではないが、中国茶を飲みたくなり、「きたえーる」近くの「楼蘭」というところに入る。とりもつそばで有名な蕎麦屋・叶庵のある通です。
狭くて静かな店内は、一見さんにはやや気まずい緊張が走る(笑)。おまけに仕事の電話がかかってきたら、「携帯電話のご使用はご遠慮下さい」の張紙が。

中国の市場で店主が交渉して買い入れた茶は本物です。☆☆☆


ローカルな話はこれくらいにして・・・

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岩国、意思表示した人の9割が反対でしたね。

政治・裏切られるか地元の悲願|JANJAN

まちにいきなり戦闘機130機がくるのですから、大変なことです。

一般的にいえば、議会が民意を代表をするのだから住民投票より議会の在り方を変えることが重要だともいえるでしょうし、独裁的で自己陶酔的な政治家が人気取りのために、あるいは議会に対する腹癒せを正当化するために住民投票を使う危険性もあるでしょう。単発の投票や、アンケートは継続的な議会に変わることはできないでしょう。

しかし、議員選挙時になかった緊急事態は発生します。緊急の1つのテーマで議会を解散するのも議会の総合的機能に傷をつけます。議員は元来市民の代理人ですから、代理人が市民の声を絶えず聞くこと、市民自らが絶えず声を上げることは、民主主義の活性化にとって歓迎すべきです。代理人が市民の声から乖離しているときは、市民の声を直接制度的に表明することが必要です。

民主主義は柔軟でなければなりません

市民の直接の声を聴くシステムとして、民主主義の1つの実験的道具として、住民投票は制度化されてきたはずです。住民投票一般に対してけしからんという人は、少し昔だったら、女性に参政権を与えるなんて女性の陰謀だとか、貧乏人に参政権を与えるとは階級エゴだ、とか言っていたに違いないのですから、およそ自由と民主主義を主張する資格を持ちません。ブルジョア・エゴとか、収奪する「自由」の提唱者(そんな自由はないんだが)、古い共同体の亡霊やファシストや権威主義者と名乗るべきでしょう。

戦闘機130機を押しつけられた街の人に対して、お国のために我慢せよ、といいのける人がいるとすれば、人間として何かが欠落している畜群的世界の住民(餓鬼ともいう)にちがいありません。共感する心がないのか、国という大きな自分を想像して酔っているのでしょう。おかわいそうに。

「誠意を持って説明する」という役人用語の方が暴力的とはいえ、常識的な大人の米国追随主義者であれば、基地周辺住民に我慢を感謝し頭を下げるのが普通です。私が小泉氏だったら歩く米国の世界戦略になったつもりで、住民に対して爽やかに頭を下げて、強行します(笑)。利権で儲ける人とはなるべく接触しないようにして。

もちろん、米国追随主義者でなくとも「大変だよな~」と思うのがふつうの市民の友愛心、連帯感情です。お国のために奉仕せよ、と大きなものの立場で説教をする人がいるとすれば、犠牲になる同胞に対して、権威の立場から威張ってみたいだけの人でしょう。

米国に対して軍事面では自己主張することなく日本の代表を名乗っている人たちが、住民投票の結果を見て、地方の時代といっている手前、無視できず、やりにくくなったなあ、とお困りであろうことには同情いたします。米国にとって日本内部の地元調整は関係ないので、日本の代表も悩める中間管理職でしょうか。武部氏を見るかぎりそんな高尚な悩みは感じられないのですが(武部氏を例に挙げるのも与党に対して失礼ですけど)。

基地賛成か、反対か住民投票やったらどこでも反対で、地域と国全体の問題は難しい、という趣旨の小泉首相のコメント(→Excite エキサイト : 政治ニュース)は正直です。住民投票を否定する安倍晋三のコメントは古くさすぎてお話になりません。政治の舞台から引っ込んで教育勅語でも読んでいればよろしい。

「基地がやってくると君たちは幸せだ、日米同盟を支えるからだ」なんていう説教は聞いたことありませんが、「基地が来ると国から支援もらえるぞ」とか「基地誘致で利権とビジネス・チャンス、経済振興を」といった決まり文句が市民の平均値を捉えることができにくくなるところまで日本は豊かになった、といえるのではと思います。

「お国のためには誰かが我慢しないと迷惑だ」という戦前風の論理も通用しない。

基地反対と意思表示した人のなかには、罪もない子供を殺す体制を憎み、平和を祈願し現行の軍事政策に批判的な人ももちろん多いでしょう。それだけではなく、日米安保は日本経済のために必要なので賛成だが、自分の街に基地が来るのは勘弁してほしい、という感情をもつ人もいるはず。総論賛成、各論反対は人間として普通の行動です。あるいは国際警察体制は必要だが、住民蹂躙の基地政策には反対する、という見解もありえます。地価が下がると嫌だと墓地建設に反対するノリで、うるさいのは嫌だと自分の要望を表明する人もいるでしょう。金儲けのチャンスとして考える人もいれば、軍事政策の問題、平和の問題として考える人もいるでしょう。

生活者としての市民の世界、生活者としてのリアリティあふれる日常の世界と、米国を中心とする経済の流れとが齟齬を来し、米国一体路線をどう掴むかという全体的問題が、住民の福利という憲法的正統性と齟齬を来す。軍備増強・再配置という幻想的な共同利害と、住民の福利の保障という共同利害とが衝突する。

住民の日常世界に対して米国の国家意思はあたかも天災のように襲いかかり、全体利害の代表である政治家や官庁がそれ自体1つのエゴイズムの存在となる。防衛庁の立場、というのも対立しあう諸利害の1つとしてはエゴです。国際競争のための賃下げも、労働者の正当な権利と衝突し、経営者のエゴです。当然、米国の利益だってエゴです。

自由は収奪する自由に転換し、公共性も収奪する権力に転換します。全体利害も1つの特殊利害になってしまいます。利害の衝突する世界では平均的利害を名乗る力が諸個人を犠牲にして、共同利害を強制していきます。

これに対して、諸個人が市民として社会を制御するための智慧あつめを求められる。軍事力の管理と地方自治とをともに同一の民主主義のテーマとして諸個人が考える時代にきているのではないでしょうか。

生活者の立場を主張することが大きな関連を制御する問題を提起する。米軍基地は必要なのか。誰のための基地なのか。テロの標的化、治安悪化、騒音被害、環境破壊などは、米国覇権の負の遺産ではないのか。米国の軍事覇権を促進するようなことが、GDP世界第二位の経済大国のとる道なのか。米軍再編への強力を、地方自治を無視して約束してしまう国の代表とは何か。中東での大義なき戦争による殺戮のために、日本の土地を使うのか。米国債を買ってアメリカ経済を支えている日本がなぜ国内福祉を悪化させても米国の戦争に協力するのか。一人一人の生活者の生活そのものを防衛しないで民主主義社会といえるのか。

住民投票システムには、近代民主主義の精神が凝縮されています。大衆を政治参加させ、社会に自覚的に関わらせる教育システムとしての民主主義を住民投票はまさに体現しています。

利害の衝突についていえば、それは概念的に表せば、《社会関係の物象化》といいます。地域と地域、国家と地域、帝国主義的な力と地域、都市と農村、地方と国、国と国、企業と企業、企業と業界、業界と業界、労働者と会社、等々。個別の利害が分裂し、個別の利害と全体の利害が分裂し、全体の利害が分裂している状態は、人間の社会関係が脱人間化した関係として、制御されない自然力の衝突として妥当しているので、これを人間ではない物の世界だ、ということで資本論は《物象化》と名付けています。

個別利害と社会的利害とを調整する仕組みが、近代議会制民主主義であるとすれば、それは、現実の利害対立、利害の抗争、利害を否定しあう「万人による万人の闘い」(ホッブズ)をなくすことができず、政治のなかで決着させるだけ、幻想的な共同利害として、政治的共同体のなかで解決するだけです。議会制は現実の利害対立の運動形態となります。資本のシステム(利害対立)が政治を自己の姿態とするわけです。

民主主義は始まったばかりです。それは、現実の世界の発展した諸関係に適用されていきますが、現実の対立をなくすことはできず、利害調整もできず、現実の対立の拡大によって毀損せざるを得ない。

しかし、そうした毀損も民主主義発展の契機であり、そうした対立を経て、《自由》と《民主主義》は平凡な人々の現実の生活のなかに浸透していくのではないでしょうか。市民が素人として自己主張していくことが時代を切り拓いていくのではないでしょうか。


◇ 追記 3.20 ◇ 

自民党の新憲法案は多くの問題を含んでいますが、なんと住民投票制度も潰そうとしているのですね。「情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士」の分析から。
住民投票結果に改憲の決意新た?!~政府関係者の本音
住民投票が骨抜きに~新憲法案の問題点

住民投票を憎悪する政治家は、権力の自己保存の顔でしかなく、住民大衆を蔑視、敵視しています。住民投票を骨抜きにすることは、住民大衆の社会参加を否定し、地方自治を否定することです。

基地関連で続きを少し(こちら)書きました。
by kamiyam_y | 2006-03-17 19:32 | 民主主義と日本社会