さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

協業 Kooperation

相対的剰余価値の生産は生産力の発展によって成立しますが、そのような生産力とは資本が単に封建制から受け継いだものではなく、資本自身が産出するもの。ではそれは端的にどのようなものかといえば、大工業であり、これこそ資本にふさわしい生産のあり方です。

大工業に先だって、労働力を買い消費する資本はすでに社会的な力、貨幣の集合力であって、資本主義はまず大勢の労働者が時空的に同一に働くこととして、封建的同職組合とは異なっています。計画的な協働が組織され、個人の力を本質的に超える労働の類的諸力が対象化されます。社会的に実現する目的意識的な対象変革が協業です。

協業において労働者は合成された1つの労働者を形成し、例えば、多数の身体器官がもつものとして、巨大な対象に同時に働きかけたり、決定的時期に活動をしたり、多方面から対象に着手したり、労働対象を早く通過させたりして、その類的諸力を発現させます。

個人の労働はここでは全体の労働の平均部分として存在し、社会的平均的質の労働に転化しています。建物、倉庫、容器、用具等の労働手段も共同で使用され、規模が拡大するとともに節約的になります。

資本の運動の養分は、単に孤立的諸個人の労働からではなくその結合から、社会的労働から吸収され、社会的労働の生産力は資本の無償で得るところとして実現するんですね。資本家は労働力の買い入れでは孤立的に労働力の価値を払うだけであり、労働過程における社会的力の代価を払うわけではありませんから。

社会的労働には全体の調整活動が必要です。社会的労働に必要なこの指揮活動は、ちょうど裁判権という社会的管理が土地所有者の機能になるように、資本の機能として、搾取のための労働者監督において実現します。指揮調整という社会的労働の機能が資本の機能となることでそれは対立的な司令として、剰余価値生産のための労働の取得の推進として実現せざるをえません。諸個人の社会的統一は資本の指揮に移転して実現し、諸個人は資本のもとの社会的労働に統合されます。

資本の目的に、労働者を従わせ、生産手段の消費を監督するこの資本の機能は、その実質的な担い手を生きた資本家個人から分離します。担い手が資本家個人である必要はなく、誰が担おうともそれは資本の力として妥当し、資本の力として効力を発揮しますから、これは賃金労働者により代行されます。所有と労働の分離が形態化する株式会社においては、協業におけるこの分離が必然化し、資本のあらゆる機能は労働者組織が担うところとなります。

疎外された労働者の社会的一体性、労働の精神的力(目的・計画・知識)がこうして資本の力に体現され、社会的組織が諸個人と対立するかたちで労働における矛盾が顕在化します。

協業の発展は資本主義にとって必然的であり、人類史的に重要な意義をもちます。それは、私的所有のなかの社会的労働という矛盾によって、未来の社会の土台を創出することといえましょう。孤立している労働者は協業によって規律と団結の基礎を獲得し、工場内には人権主体である市民からなる社会が現出しています。物象として労働力において結合されながらもそのことによって、自由な法的人格としての諸個人は私的生産の内部に創出された公共空間を実体として獲得します。私的生産のなかに、共同体による人権保障の客体が成立するのであって、社会を排除する私的壁の内部に社会そのものが存在しているのです。協業以降私的労働という矛盾が私的利潤追求と社会的生産組織との対立にまで先鋭的に展開しているのが現代。まさに企業の社会的責任論に示されるように、生産組織の公共性が私的所有に疎遠に実質的に承認されています。

補足。協業では、生産手段の共同使用は節約的であり、不変資本減少による価値低下を招きます。また、労働力の集中が可変資本増大を、生産手段の集中が不変資本増大をもたらし、資本の集中をすすめます。協業は資本主義的生産の基本形態ですが、分業や機械をともなわない単純協業が歴史上現れたのは、初期マニュファクチャーや大農業においてのみのことでした。
by kamiyam_y | 2013-12-25 06:42 | 資本主義System(資本論)