さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

蓄積せよと至高の実体は命じ給ふ-スミスとマルクスの蓄積論から(2)

3 スミスの蓄積論

以上前置き。やや話は飛びます。スミスの生産的労働と蓄積です。

『国富論』第2編第3章冒頭でスミスは生産的労働と不生産的労働をとりあげます。スミスによれば、生産的労働は「特定の対象または販売しうる商品に、固定し、実現する」労働。

「投下される対象の価値を増加させる」商品に価値を対象化する労働ですね。同時にまたその価値は利潤をもふくむものでなければならないとされます。「材料の価値にかれ自身の生活維持費の価値とかれの主人の利潤の価値とをつけくわえる」。つまり賃金プラス剰余価値であります。

しかも賃金も結局労働者がうみだす価値であり、資本家にとっての賃金前貸し費用は見せかけ的(労働ファンドとしての可変資本)。「賃金を、かれの主人から前ばらいしてもらうとはいっても、じっさいは、かれは主人にとって少しも費用がかからない」(水田洋訳、河出書房新社、1974年、281頁)

製造工などの労働、「価値を生産する」生産的労働に対して、スミスが不生産的としてまずあげるのは「家庭の召使の労働」で、さらに「主権者」「司法官僚」「軍将校」「陸海軍全体」、「聖職者」「法律家」「文筆家」「道化師」「俳優」「オペラ歌手」「踊り子」などをあげています(281-282頁)

召使いの労働に支払う部分が大きいほど浪費的であり、対して生産的労働を充用するほどに生産物価値が増大していくことになります。スミスは資本の回収と収入(利潤・地代)を区別したうえで、不生産的労働者、労働しない人が収入によって維持されること、富裕な国々では資本と収入の割合において資本の方が大きいことなどを論じます。「資本が優勢なところでは勤労が普及し、収入が優勢なところでは怠惰が普及する」(287頁)

「資本の増減」が「生産的労働の人手の数」を、「生産物の交換価値」を「増減させる」のであるから、富増大には収入を貯蓄し資本に蓄積することが必要であるとされます。「勤労ではなく節倹が、資本の増加の直接の原因である」(同上)。資本主義的生産関係が命じるものがスミスを介して、収入を浪費するな、資本に蓄積せよ、と表現されます。スミスの頭は蓄積の命じるところを素直にその内容としています。

ここで『資本論』第1部第22章「剰余価値の資本への転化」第2・3節が参照されねばなりません。

「アダム・スミスは、蓄積をただ生産的労働者による剰余生産物の消費として説明すること……をはやらせた」(岡崎訳S.615.)。スミスは再生産、蓄積の把握において「重農学派に比べて……明白に後退してさえもいる」(S.617.)


節約が富増大と生産的労働者の増大を導く資本の説く調和とでもいえましょうか。蓄積って剰余価値の資本への転化であり、労働者が剰余労働の産物によって再び剰余労働を資本に吸収されること、労働者階級のうみだした剰余価値によって、資本から遊離していた労働力の一部分を資本に合体するということ、その際には労働の新たな吸収のための素材となる追加の生産手段も必要ですね。スミスは価格を賃金・利潤・地代からなるとしてしまい、不変資本(設備・原料の価値)がぬけていて、それともかかわってこういうとらえかたになってしまいます。

「倹約せよ、倹約せよ!……すなわち、剰余価値または剰余生産物のできるだけ大きな部分を資本に再転化せよ!」(S.621.)
「ブルジョア経済学にとって決定的に重要だったのは……資本の蓄積を市民の第1の義務として告げ……収入の全部を食ってしまったのでは、蓄積することはできない、と飽きることなく説教することだった」(S.614-615.)


スミスにおいて、資本家は社会発展のためのネジでありベルトであり歯車であってかれは収入の浪費ではなく、資本の蓄積のよき下僕にならねばなりません。資本主義の発生において、倦むことなき蓄積の布教の学的姿が市民的経済学でした。

剰余価値は資本家による消費ファンドをなすだけでなく、資本に転化してさらに労働を吸収するという使命があります。蓄積の進行においては、この相反する2つの衝動が、剰余価値を収入と資本に分割する資本家の内部で葛藤となります。これに対してスミスの説くモラルは収入の浪費ではなく資本の増大であり、ひたすら蓄積を説くわけです。

「蓄積のための蓄積、生産のための生産、この定式のなかに古典派経済学はブルジョア時代の歴史的使命を言い表した」(S.621.)


土地所有が富を浪費する封建的なシステムに対立する資本蓄積の飽くなき推進を課題とするスミスにおいて、資本家は蓄積拡大を遂行する資本の人格化としてのみ社会的な意義のある存在であり、資本家は蓄積しなければならない。自己目的化した蓄積という資本主義の存在理由が古典派経済学に表出されています。

「価値増殖の狂信者として、彼〔資本家-引用者〕は容赦なく人類に生産のための生産を強制し、したがってまた社会的生産力の発展を強制し、そしてまた、各個人の十分な自由な発展を根本原理とするより高い社会形態への唯一の現実の基礎となりうる物質的生産条件の創造を強制する」(S.618.)


「交換価値とその増大」(S.618.)は、社会的生産力の発展を人類に押しつけ、対立的に強制的に、社会的労働・社会的生産手段・世界市場を蓄積運動として形成させ、もって諸個人の自由な発展にもとづく1つの自由な人類社会を創出する通過点をなします。資本主義黎明期の古典派経済学が冷酷に定式化した蓄積のための蓄積に、通過点的運動をなす現在の運動の1つの表示を私たちはみることができます。
by kamiyam_y | 2013-07-01 23:14 | 資本主義System(資本論)