さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

蓄積せよと至高の実体は命じ給ふ-スミスとマルクスの蓄積論から(1)

1 資本主義

資本とは、自己増殖する価値の運動体で、貨幣G-商品W-増大した貨幣G'と表され、形態を変えながら循環、増大する自己目的化した、有機的に運動する生産関係です。資本主義とは、この資本の蓄積運動が客観的に(人々の社会的合意から独立して)社会総体を貫く自己目的と化することによって、事後的・無自覚に(社会的制御なしに)、急激な生産力の発展を実現するシステムを指します。

貨幣G-商品W-増大した貨幣G'は実際には、流通は等価交換ですから、その実現には、価値を原材料に付加することをその有用性とする独自の商品、すなわち労働力が包摂されねばならず、貨幣G-商品W(労働力Aと生産手段Pm)・・・P生産・・・剰余価値をふくむ商品W'-増大した貨幣G'として存在します。交換価値の増大が生産過程における価値増殖を手段として不断に発生しているのが資本主義。

資本主義をそのエネルギーの素材として支えるのが私たちの賃労働で、それは、生産手段、生産物、商品、貨幣という自己の対象的世界、環境を他人の富としてうみだす自己分裂的な労働です。賃労働、これを吸収し燃焼することによって、他人の所有の富の運動が実現し資本主義という生きた総体が存在しています。

他人の富の制御されない運動である資本は、労働を社会的に結合し生産手段を社会的に使用するものへと高度化し、個別的生産過程を社会的過程へと連結しながら増大することによって、事後的・結果的に生産力の、かつてなかった急激な発展をもたらします。

資本主義の存在意義は生産力の発展を自己目的化したシステムであることにあります。この自己目的化、G-G'の悪循環的螺旋(らせん)運動は、自然・社会・人間の安定した存在と相容れず、限界に達します。有限な自然に対する無秩序な収奪、個人に対する社会の力の独立化、労働する人間への容赦ない搾取において、資本主義という無秩序な発展に対して、生産力の管理された発展が課題として明確化してきます(たとえば「持続可能性」など)。自己目的化した生産力発展は、生産の発展の目的が生産そのものにあるのではなく人間にあるという発展の本体をあらわにせざるをえません。諸個人の自由な発展の基盤が諸個人に外的な疎遠な力として形成されてきたが、それを諸個人の側に包摂すること、これこそが現代という矛盾の運動の意味です。

物にゆだねた無秩序な発展から諸個人による民主的共同管理へと移行することが現代の私たちに課されている大きな転換です。現代の問題群は、労働過程における諸個人が資本蓄積の道具として存在しなければならないという主客の転倒を解消せよ、という課題を諸個人に提起しつづけている現代システムの自己否定運動です。利潤追求による資本蓄積という目的運動貨幣G-商品W-増大した貨幣G'が潜在的に産出しているのは、私たち諸個人が生き生きとして活動するはずの諸個人自身の労働過程、人間の自然に対する合目的的活動の発展、自由な人間の社会的結合の発展であるにもかかわらず、これが他人の経済の力として諸個人に対立的に実在している。

現代の問題群は資本のもとに私たちがつくりだした私たちの世界を、まさに、私たちが自由に個性をのばしあい自己実現するための私たち自身の環境へと変えること、そのようなものとして奪還することを要求しているといえましょう。諸個人の自由な発展の基盤を急激に対立的に創出するのが資本主義であり、現代世界の展開とは、他人の力としてつくりだされたこの基盤を自己のものとして制御しようとする試みの展開以外のなにものでもありません。利潤追求の手段に転倒した労働過程を私たちが自覚的に制御する共同的存在条件として、私たち自身の労働過程として管理することを課題として私たちに提起しつづけているといってもよい。

現代世界は利潤追求する富の力に動員された分裂的、対立的な発展であることによって逆説的に私たち自身の環境世界としての本体をあらわしています。課題として意識される世界の対立性は、私たち自身の自然と社会の力がとる姿であって、資本主義において諸個人は社会・自然の対象的形成を強制され、それに即して主体としての社会的・世界的人間(「民主主義」)の成長を強制されています。

2 商品

他人の私的所有の富の世界の運動である資本主義は、商品大量の運動する循環において実現しています。他人の所有が総体をなす資本主義は、私的労働という社会的に規定された労働を基準に商品の運動する世界として再把握されます。そして、飽くなき利潤追求・剰余価値の取得による資本維持増大を起点とするようなシステム、G-G'が社会の諸要素を包摂し自己の要素へとまとめあげる有機的システム、その秘密は商品にあります。貨幣にかわらねばならないが貨幣にとどまることもできずたえず大量生産されたものとしてあらわれつづけている商品。

この商品がそれを産出する根拠として想定している社会的形態にある特定の労働の姿、それが私的労働です。私的交換主体の背後に想定される労働は、他者を排除しながらも、自己利益を目的として他者に依存する労働。交換者は、客観的には己の物の力として関係しあい、人間を、自己を手段化する転倒におかれた存在です。

私的労働は直接的な共同体の世界を解体した社会的労働です。個別的労働が共同体内の社会的労働としてあらかじめたてられている共同体や、血縁地縁で分業を形成するカーストなどが商品の反対の世界として表象されます。

私的労働は、他者を排除する私的空間において私事として営まれる。しかし、直接に私的というのは、じつは潜在的には社会的ってことです。他者の労働の産物を自己の労働の産物で獲得するべくおこなわれる私的主体の労働はそもそも他者に依存していますし、生産物の交換によって事後的かつ客観的にかれらの労働は社会的労働としてまとめあげられていくのであり、商品流通の不断の再生産において私的労働は社会的労働として存在しているのです。

私的所有の客体である生産物の交換の運動が、私的労働を社会的労働として事後的に実証します。私的労働において生産される労働生産物はすでに交換者主観から分離して独自の意味、目的をもつ存在です(交換者の欲求から市場の調和を導くのが原子論的社会観)

商品が帯びるミッションは、第1に任意の他人の労働生産物に転換することであり、第2に欲求する他人に持ち手を変えること。第1に対価との交換可能性、交換比率として示される交換価値であり、第2に他人の欲求を満たす物であるという社会的な関係にある有用物ってわけです。

商品は有用物、使用価値という自然的基礎でありつつ、交換価値でもある。ここでは任意の生産物に変わりうるという交換可能性である交換価値が手放すべき使用価値をその手段としています。自己増殖する価値が使用価値を手段、己の制約としていく資本主義の展開の細胞がまさに商品。

多様な使用価値総体は、労働の有用性産出としての側面、有用的労働の相互依存、社会的分業を意味し、交換価値として現象する価値は人間労働力の支出としての労働、労働とはいってもそのような支出一般である共通性としての人間的労働をじつは表現しています。
by kamiyam_y | 2013-06-12 03:39 | 資本主義System(資本論)