さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

ヘイトスピーチ根絶へ(続々々々):企業と差別

新大久保のコリアンタウンで外国人を「殺せ」などと叫んで人間以下的な嫌がらせ、蛮行・恫喝をくりかえすくそヘイトチキンども「在特」などレイシスト集団は、ネットの動画を用いて腐敗した扇動を行い自らの愚劣さぶりをひけらかしたりしてます。排外主義者のこの手の動画をたまたま目にしたりすれば精神衛生上よくないことはいうまでもなく、ネット世界ももはや愚劣さ垂れ流しを許さず住みやすくすべき(削除依頼出しましょう)。というだけではありません。妄想に自閉する集団がネット内から飛び出して腐臭を放ちこの社会の病巣を押しひろげて見せているのですから私たちはこれをしっかりと切除してやらねばなりません。私たちの社会はこうした愚行を私たちの恥ずべき病根として自らの責任において死滅させる義務があります。

こうした差別主義による妄動、人間侮蔑の蛮行に対しては当然私企業もまた自らにゆだねられた社会的力の責任ある行使を自覚して厳しく対処すべきです。企業という組織もこの社会の市民から成り立っており、企業自体市民社会の倫理から逸脱してはならず、企業も市民道徳、市民的理性をまもるのはあたりまえなのてすから。公共性をふまえた行動が私企業にとっても大前提でなければならないことはいうまでもないでしょう。企業は人権尊重を踏みにじる行為に荷担してはなりません外務省: OECD多国籍企業行動指針人権 | 国連グローバル・コンパクトの10原則 | グローバル・コンパクト・ジャパン・ネットワーク

『毎日新聞』のやや古い記事ですが、新聞がすでに取りあげているのでとりあえず事情をご存じない方はまず読んでみてください。
ヘイトスピーチ:「殺せ」… デモ、目立つ過激言動- 毎日jp(毎日新聞)

『朝日』の記事。より切り込もうとしているようにみえます。
朝日新聞デジタル:新大久保の反韓デモ、救済申し立て 「身に危険の恐れ」 - 社会

動画サイトを運営しているのは株式会社ドワンゴです。この会社がヘイトスピーチを放置しないようにと呼びかける署名がChange.orgで開始されました。

ドワンゴは「差別につながる民族・宗教・人種・性別・年齢等に関する表現行為」を利用において禁止しているのですから、毅然とした態度をとるべき。
ニコニコ生放送-利用規約-

ドワンゴは人権尊重という企業市民としての社会的責任を踏まえて禁止しているはずです。これに則ってレイシズムに対してきちんとした対応をとってもらいたい。

ちなみに、表現の自由というような基本的自由は無限定に抽象的なものではなく、現実的諸関係に着地し浸透していくさいには、社会的公共的諸関係における調整を経て実現しています。たとえば性表現については一定のルールを設けるというように。念のため。

署名はこちら。
キャンペーン | 株式会社ドワンゴ: 民族差別などのヘイトスピーチがみられる動画、コメントの削除を徹底してください。 | Change.org

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追記 4/28

昨日の『朝日新聞』の社会面にけっこう大きく記事が掲載されていました。

朝日新聞デジタル:(敵がいる:1)在日攻撃、牙むく言葉 「みる・きく・はなす」はいま - ニュース

レイシスト(差別主義者・排外主義者)集団から脱出した人に取材。自分を客観的に見る視点を得て妄想から目が覚め決別宣言を動画サイトで行うと、コメント欄での誹謗中傷という形で、過去の自分の亡霊たちが甦って現れる。

『朝日新聞』では昨年「風」という欄でヨーロッパ総局長沢村亙が2度ほど欧州の差別問題を扱ってます。

「ユダヤ系学校銃撃事件」(2012年4月2日)、「EUの意義 逆風に抗し和解築く国境の町」(12月31日)

後者はドイツのレクニッツで国境を越えてポーランド人を受け入れている学校について。北東部では失業率も高くポーランド人に対する偏見やネオナチ活動もあるにもかかわらず、レクニッツでは共生が成立している。

前者はとくに反ネオナチ活動家へのインタビューが興味深い。この人は貧しい家庭に育ち10代でネオナチに関わるようになるが脱却した、という経歴の持主なんですが、貧困のなかで安易な解答を与えようとする非人間的勢力に取り込まれてしまう危険性を語っています。

「ボナパルティズム」(≒ファシズム)を支えた一要因がルンペンプロレタリアート内にあるとしても、そして現在においても貧困が沈殿する諸階層の一部分に醜さと愚かさ、人間としての貧しさが集中的に表出される場合がありうるとしても、諸個人の国際連帯こそが、また労働者階級における現役群と産業予備軍との連帯こそが社会変革の重要な鍵であるとするならば、〈民主主義徹底的(人権的・自由な個人相互の承認にもとづく)=労働者的(大衆的人民的人間的)=国際主義(開かれた健全なナショナリズムといってよければそれをも包摂する開かれた健全な民族的諸個性の承認を包摂する諸個人の国際的協同)的〉な諸党派によって、こうした病理に感染してしまう人々は包摂されねばならないはずではとも考えられます。

念のため。市民的自由としての諸権利が、利害分裂し不平等が実質である現実的諸関係においては、抑圧的なものに転化してしまう。このことに対して、社会的正義・公正の確保という共同利害に即して自由を実質化するべく、制度化の進展、運動の蓄積が要請されます。差別主義スピーチによる差別抑圧の姿勢は、差別を否定する現代社会の理念の否定であって、ヘイトスピーチ、レイシズムを野放しにするのは私たちの社会の正義や実質的自由を否定することを意味します。
by kamiyam_y | 2013-04-13 21:37 | 民主主義と日本社会