さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

解散権は総理にあるのかな?

政治に期待されるのは何かって?そりゃ、余計なこと、変なことしないことにつきるでしょ。

この世の中を回しているのは、会社員や会社経営者なんであって、勇ましいこという戦争したがりの政治家、対外的危機をあおって偽の統一を強行しようとする亡霊どもではない。人権と民主主義の否定が、改憲右翼の本質なので、小池百合子にだまされないようにね。

人権と民主主義と国際主義のために軍隊を保持すべきか、民主主義的国際主義的な管理としての軍隊保持の是非なら議論する土俵はありますが、この人たちは人権と民主主義よりも国家、なので全然ダメ。こういう連中に軍事を任せたらおしまい。そもそも憲法を遵守しない政治家って、「朕は法律は守らない、なぜなら朕が法律だからじゃ」とのたまうのと同じ。憲法を無視していいとする政治家は、人権と民主主義をいつでも否定しようとするのと同じですから、何があろうと絶対に信用してはならない。小池百合子は安倍の強力な助っ人でしかない。

# by kamiyam_y | 2017-09-18 23:31

アベノミクスの行方

15回も会っていて信じられないよな。前川氏と総理=首相補佐官とウソをついているのはどっちかな。

さて、合衆国のイエレンFRB(連邦準備制度理事会)議長が資産の縮小を打ち出し、ECB(欧州中央銀行)ドラギ総裁も緩和縮小の方向を発表し、リーマンショック後の金融緩和の流れからの出口を探る動きが欧米で模索されつつあります。

記事にあるとおり、マネーの急激な移動による混乱を避けるため、慎重に進めていく必要があります。日本銀行はどうなんでしょう。キャリートレードやサムライ債の反省の上に国際的に歩調を合わせなければいかんでしょうし。

で、日銀総裁は6度目の目標実現の延期を表明。6度目の敗北ですね。いい加減敗北宣言すべし。

東京新聞の21日朝刊の一面記事の見出しがずばり「アベノミクス限界」でした。

日銀が国債を大量に買い続け、市中銀行の日銀当座預金残高を増やしても、その一部にマイナス金利を課しても、貨幣量が価格を規定するという考えがそもそも倒錯しているので失敗しつづけるでしょう。

経済は「心理」の問題じゃないっちゅうに。

金融政策で資本主義の基本的諸法則を止揚することはできません。

財務省のサイトから「平成29年度末(見込)の国債・借入金残高の種類別内訳」を見てみましょう。

2017年度末(見込)の内国債の発行残高は965兆円。GDP2年分ですね。日銀の「営業毎旬報告」もチェックしておきます。

すごいなあ~。日銀の資産の膨れ方。2017年7月10日現在で428兆円の国債を保有し、総資産は503兆円。政府が国家紙幣を直接発行するのではなく中央銀行が銀行券発券を独占し中立的に金融政策を行うという建前を破って、政府が日銀を国債発行のための国債発行の、財政赤字のための財政赤字のツールに利用している実態がうかがえるように思えます。

# by kamiyam_y | 2017-07-25 23:09

Women's March

国会における籠池証言に対する反論で終っている(4月2日時点)昭恵のFBはこちら。証人喚問に対してFBで反論することが卑怯であり、与党議員がこの反論を予告したのもおかしいことはもはや言うまでもないとして、雲隠れ前のこの文章が昭恵本人の手によるものではないことはほぼ確証されています。知らない人は調べるように。

今回の国有地払下げ等をめぐる事件について昭恵に絞って言えば、問題は私人の事実上の政治システム化にあります。普通の言い方をすれば権力私物化。総理の身内でしょ、ただの。勘弁な。妻が関与してたら辞めるとか言った総理以下総辞職もんだっぺ。権力の腐敗は戦前の軍国主義にも共通しますから甘く見ないように。これを追求しきれないメディアも野党も、命かけてここは踏ん張ってくれればと切に願うところです。

また、昭恵における脱原発と国粋主義の併存は進歩と反動の併存にみえ一見不可思議ですが、これも神秘主義的なエコロジーと前近代回帰のロマン主義との親和性と考えれば分かりやすそうです。無防備な文明批判、自然賛美が、過去にあったと想定される共同体の崇拝に転換してしまうわけで。戦前回帰の腐敗したロマン主義、それは現代日本の基礎的フレーム、進歩と発展(と矛盾に潜む未来)の根源を否定しようとする幻想ですが、それに共感してしまう。

この点は、中島岳志「ナチュラルとナショナル 日本主義に傾く危うさ」『中日新聞』(3月28日)が参考になります。Web版はもう消えているため、読みたい方はお探しください。

もう一つ理解に有用なものとして紹介したいのはテレビ東京の3月17日の「夕方サテライト」の解説で、こちらは今でも観られます。今回の事件を右派運動にまで踏み込んできちんと解説しているので、「日本会議」なんて聞いたことないという人はぜひご覧になるといいかと。

山口弁護士らによる抗議書です。偽証罪の意味を知らない人たちが権力を握るなんて法治国家を壊す恐怖ですね。「スラップ証人喚問」という言葉が与党が証人喚問を行った意図の本質を突いていると思います。最後の付言が効果的な締めになっています。

突然キスを始めたカップルが見る間に服を脱いでいきます。


他人の車のボンネットの上で髭のおじさんと太めのおばさんが、コインランドリーで女性カップルが、オフィスで黒人男性と白人女性が、最後にバスのなかで高齢者カップルが体を求めあって周りの人を驚かしています。私が一番気に入っているのは、どれもいいんですけど、あえて言えば、ビアンカップルかな。LGBTQの他のカテゴリーも出てきた方がよかったのではと思ったりもしましたが、MVという数分の映像ですから、女子同士のエッチで、男女の境界を越えもするような個人個人の多様性を象徴させたと考えておきましょう。

アリアナ・グランデAriana Grandeの新MV"Everyday"が、多様性を否定する動きへの批判となっていることは言うまでもありません。アリアナも燃えるプロテストのメンバーです。



ウィメンズ・マーチにももちろん参加。これはインスタですが、まとめ記事はたくさんあります(こことか)ので、関心がある方はどうぞ検索してみてください。

差別と闘うアメリカ合衆国人のデモにこそ人間の類的な自由な本質が鮮やかに生きています。入国禁止令に対して間髪入れず抗議行動を実施したことについて、ティモシー・スナイダーが『世界』臨時増刊号に掲載されたインタビューで「すばらしかった」と評価しており(聞き手マティアス・コルプ「アメリカ民主主義の防衛に残された時間は長くて1年」三浦元博訳、『世界』2017年4月臨時増刊、46頁)、私も同じ見解です。ホロコーストの第一級の研究で知られる歴史学者の識見は傾聴に値します。

# by kamiyam_y | 2017-04-02 01:31

無罪再審

今朝の新聞でとくに丁寧に読んだのは、道警のおとり捜査の犠牲になったナバショーラフ氏の無罪確定の報道でした。拳銃を挙げよという組織の命令のもとで実行されたおとり捜査によって逮捕され、服役までさせられ人生の大切な時間と名誉を奪われ、97年11月から19年を経ての再審無罪判決、よかったです。権力における組織の病理は個人の人生をおしつぶす威力。

UHBのニュース。テレビ番組を見たのは久しぶり。テレビを持っていないので。
ホッカイドウニュース:UHB北海道文化放送

地元北海道新聞が一番詳しかったように思いますが、WEB版はあっさりしていて、紙媒体の方が図もあって充実していました。

『毎日新聞』は、再審開始を導く証言をした稲葉元警部補に取材しています(2017年3月8日13版北海道、29面)

最後の段落に「当時を知る人は葛藤を抱えている」とありますが、関わった人たちは組織の力に服し違法な捜査に手を染め、罪なき人を生け贄にしたのですから、内面において引き裂かれ、罪悪感と「葛藤」に苦しまされましょう、まともな人なら。続けて、稲葉氏は「逮捕」はされたが、「ある意味で幸運だった」と振り返っています。不正を暴露し、いわば赦しを与えられこの「葛藤」から解放されたのですからね。

# by kamiyam_y | 2017-03-08 23:25

Respect for Diversity and Individuality : Universal Human Rights

BiSHのニューシングル"プロミスザスター”のCDを予約してあるのですが、すでに2日にMVが公開されたので聴いてしまいました。歌詞を読みつつ何度か真剣に観ました。「楽器を持たないパンクバンド」BiSHとしてはやや大人しめと最初思ったんですけど、実はオーソドックスで物語性に満ちていて、完成度が高く、聴き込むほどに魂を激しく揺さぶられます。大画面で暗い部屋で見るのがおすすめ(たいていの曲はおそらくそうかもしれませんけど)。中年も学生も老年も泣かせる場をつくりだせているアイドルシーンに人類の大進歩を感じます。何度聴いても涙こぼれそうになります。

付け加えておくと、同じWACKの新旧のBiS(Brand-new idol Society)もギャンパレ(GANG PARADE)もむちゃくちゃ好きです。

他にここ数日間よく聴いていたのは、水曜日のカンパネラWednesday Campanella の新アルバム"SUPERMAN"です。歴史上の英雄や神をタイトルにした曲は、「しつこい汚れやさびも」「モンプチカルカン」「脇の下サラサラ」「江古田」といった私たちのなじんた消費資本主義、都市資本主義の日常の言葉の用いて構成されていて面白い。ありふれた世界こそがスーパーマン的なものに結晶しながらそれを分解するとでもいえましょうか。とりわけ気に入ったのは、"Genghis Khan"で、「締めにうどん食う」には心が和みます。"SUPERMAN"については次の記事。「一休さん」のMVの解説があります。私はこのMVをこれまでぼーっと観ていたため、この解説を読んでからもう一度鑑賞しなおしました。

01:29あたり壁に「快速豊胸」というチラシが二枚。危険そう。

このアルバムではないのですが、「桃太郎」という曲があり、半年前に夢に出てきました。「きびだん、きびきびだ~ん」というフレーズを口ずさんでいると、まわりにいる人たちが怪訝な顔で私を見ます。メロディーがおかしいかなと不安になったら目が覚めました。ニューアルバムも聴きこめば夢に歌詞が再現されるのでしょうか。期待。

こちらはコムアイのインタビュー。「桃太郎」についても語っています。

「次の時代」は「多様性」。「白一色」でなく「多様性」。コムアイに手錠で歌わせるのが戦争であり、完成したファシズム。「多様性」は戦争と全体主義をその最大の敵として批判するのです。

1月27日の『毎日新聞』の「余録」で、自由の女神の台座に刻まれたエマ・ラザルスの詩が取り上げられていました。これこそは生まれた土地に拒まれ絆を失い苦悩する諸個人individualsを受け入れる普遍的な「自由の国」アメリカの偉大な世界精神というべき。「多様性」diversityを否定しようとする矮小で不寛容、排他的なアメリカは、アメリカとしてその精神を表した人類にとって自身を否定する苦痛であり、破壊にほかなりません。

アップルのクックも、フェイスブックのザッカーバーグも、友や家族の心を引き裂き、愛を引き裂く大統領令を批判しました。個人の尊厳、人権を守るというグローバル企業の社会的責任からしても、諸個人のグローバルな出会いと陶冶、多様性の尊重が経済のグローバルな成長に、世界的生産発展に不可欠であることからしても、先進的な企業のあるべきリーダーは、自国の大統領の恣意よりも普遍的universalな正義を遵守しなければなりません。人権human rightsは権力に優位します。

国益主義、自国第一主義は何よりも平和的生存権にとっての最大の脅威です。3月5日の『毎日新聞』「時代の風」欄で「歴史に学ぶ姿勢のない」「自国中心主義者」が「自国中心主義が20世紀前半の世界でどれだけの人命をあやめたか」知らないと藻谷浩介氏が述べていますが、まさにその通りだと思います。

「権威主義」「排外主義」「安直な保守」は「社会を自壊」に導くのであり、保守ではない、「消去法」で「リベラル」を選択するというこの小文の最後の箇所については、この文章の大筋は賛同するので触れなくてもいいかなとも思うのですが、敢えて言っておけば、この論理は保守として自分を規定する人まで説得する論理ではありますが、積極的な展望のない不満な選択の永久化のようで、物足りない感じを受けます。保守に徹すればリベラルに転化するというように単純に対立する二項はそれぞれ徹すれば止揚されます。保守の立場に立ちながらリベラルに徹することも可能ですし、リベラルの顔をしながら内実は反動でしかない知識人もよくいます。現代システムの展開は対立項の相互浸透を鍛えあげ、単純な対立を現実はすでに超えているともいえます。とはいえ、重要なのは、それだけではなく、現代システムにおける基本的対立の止揚が、実態的な国家主義に対する追認ではなく、自由な個人のもとに実態を否定的に包摂することでなければならないということです。この点を踏まえ、自由主義Liberalismを個人を原点とする現代の社会原理とすれば、まさにそれは「消去法」で選ぶような「安直な保守」の否定にとどまらず、社会形成の積極的な力として構築していき、内容を豊かにしていくべきものでなければならないでしょう。

リアーナRihannaも早速"an immoral pig"と呼び、侮蔑と嫌悪を適切に表現していました。

"プロミスザスター"のMVにも「豚野郎」って看板が出てきたな。

マドンナの"Fuck You"に感動したと前回書きましたが、リリー・アレンにはタイトルがずばり"Fuck You"という曲があります。偏見にとらわれた差別主義者を軽蔑する内容です。

サウンド的にはこちらのほうが好きですけど。3:02に出てくるステージ背景のバルーンをよく見てください。

"LILY ALLEN HAS A BAGGY PUSSY"ですね。

文学に関心のある方は、次の『日経新聞』の記事を参考にして、「マイノリティ」に焦点を当てた作品を読むといいかも。

トランプを批判する自由で開明的なアメリカの裏面に浸食していたトランプを生み出すアメリカの方は日本では見えてきません。伝統的に民主党が支持されていたにもかかわらずトランプの支持基盤に転換した工業地帯、ラスト・ベルトRust Beltに入り込んだルポはゆえに貴重で、興味深い。

Rust Belt(錆びた地帯)はかつて、鉄と自動車の生産を軸とする資本が、労働組合と協調し、高卒のブルーカラー労働者に住宅をはじめとする生活手段を保障してきた地帯。世界経済におけるアメリカの圧倒的な力を土台にしたパクス・アメリカーナと、労働者階級の消費拡大を資本蓄積に取り込むフォーディズムとが崩壊し、この地帯を容赦なく資本主義的蓄積の一般的法則(資本蓄積は貧困の蓄積)が作用しているというのが抑えておくべき文脈でしょう。

この本には、オバマが好きだが今回はトランプにという人も登場します(94-95頁)。こういう人がトランプに期待するものとトランプ政治の現実は一致しないでしょう。金権政治批判という正しい感性も、トランプ旋風のなかの反エリート主義においては反知性主義に吸収され、形成されるべき変革への期待も破壊への渇望という堕落形態に落ち、労働者の統一性は、政治的圏域のなかで、反エリート、反エスタブリッシュメントの非合理でヒステリックな激情と脱真実post truthの反文明的な言説をまとって、排外主義という反動的で非現実的、非人間的な偽の統一性に解体して現れています。著者が言うようにヒラリーの方が貧困問題解決に積極的であり、トランプがブルーカラー労働者の味方とは考えられません(116頁)。民主主義国家の統一性にふさわしくない野蛮で堕落した下劣な個性を、貨幣の力の人格化が一部の人々の目に改革者の姿に反転し、大統領にふさわしいと取り違えさせているにすぎないのであって、この哀れな不動産成金が献金からの潔白を標榜するのは、自己労働による所有という聖なる標語をあまりにねじ曲げた悪い冗談でしかありません。この取り違え、幻想を介してそれに埋没した人々がねじれた力のなかに吸着しあい、非永続的な偽の友情にまとめあげられているにすぎません。

大統領令に対して連邦地裁差し止めを命令したのも当然といえば当然ですが、さすがだなと思いました。地方自治と三権分立という権力抑制のしくみが働いています。池上彰も2月20日の『日経新聞』の「池上彰の大岡山通信 若者たちへ」で三権分立の「見本」と言ってました。

オバマがシカゴで行った退任演説farewell speechはやはり格調が高く、理性的で魅力的、胸を打つスピーチでした。

04:40あたりをご覧下さい。この箇所は、こちらのテキストの方が正確。

邦訳もいくつかあります。

We, the People, through the instrument of our democracy, can form a more perfect union.

"We, the People"という呼びかけは、日本国憲法前文の原理(人民主権)ですね。デモクラシーによってuniteし、社会をつくる。

For 240 years, our nation’s call to citizenship has given work and purpose to each new generation. ・・・・・・It’s what pulled immigrants and refugees across oceans and the Rio Grande. It’s what pushed women to reach for the ballot. It’s what powered workers to organize. It’s why GIs gave their lives at Omaha Beach and Iwo Jima; Iraq and Afghanistan — and why men and women from Selma to Stonewall were prepared to give theirs as well.

Citizenship(市民権/公民権)は生きた個人の社会的能力です。この相互承認における能力が諸個人をその追求に突き動かし、移民と難民を海を越えて引き寄せたことを述べています。エマ・ラザルスの詩そのもの。

演説全体を通して重要なことが多く語られていますが、ここで注目したいのは「セルマからストーンウォールまで」の箇所です。セルマはキング牧師の率いるデモを弾圧した「血の日曜日事件」。

ストーンウォールはLGBTの解放運動の歴史的起点とされるストーンウォールの反乱のこと。オバマはこの抵抗運動が行われたストーンウォール・インを昨年ナショナル・モニュメントに指定しています。

再びストーンウォールに人々が結集。TSの生徒のためにオバマ政権が出した通達をトランプ政権が撤回したことに対する抗議運動です。

Citizenshipを軸とする民主主義的諸関係を現代の社会システム総体はその自覚性のモメントとしています。しかし、現代システムは、その土台において分裂という統一であって、このことが、民主主義的諸関係がそのままでは現実総体を貫かないことを明らかにし、民主主義的諸関係を担う諸個人に課題を与えるのです。民主主義的諸関係が有機的な生き生きとしたものであるならば、それは路上での主張であれ、議会での討論であれ、NGOの活動であれ、個人の自由と人権を発展させる諸モメントを連結し、過程を通過する統一性に発展せざるをえないのであって、排外主義の空気は決して民主主義の「自筆の遺言状」(註)を書き終えたことを意味するわけではないのです。

 「諸民族は、小心な不機嫌な時代には最も声高な扇動家たちによって内心の不安をまぎらわせようとしたがるものだ・・・・・・普通選挙権は、全世界の目の前で自筆の遺言状を作り、人民自身の名において『生じてきたいっさいのものは、滅びてさしつかえのないものだ』と宣言するためにだけ、つかの間生き延びたにすぎないように思われる」(『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日[初版](平凡社ライブラリー)』植村邦彦訳)

# by kamiyam_y | 2017-03-05 23:59