さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

学問に王道はない

「王道」とは近道、楽な道のことです。

「学問には平坦な大道はありません。そして学問の険しい坂道をよじのぼる労苦をいとわないものだけに、その明るい頂上にたどりつく見込みがあるのです」(マルクス「フランス語版序文および後記」『資本論』大月書店)

あ~、やっぱりほんと、学問は面白いですよ。続けててよかったと何度でも思います。

学問がないと、ついちっぽけな自分にとらわれて煩わしい気持ちになったりする。しかし、学問にもどると、そこから解放される。事物を深く捉え、広い視野で見る。この歓びがあればどんな不幸にも耐えられる。そう思ったりもします。

なんか宗教みたいですね。きっと好きなことって一番の宗教なのかも。

人を知り、自然を知り、宇宙を知り、それらにかかわって自分を生き生きとさせることを、「自由」と定義する。と、まさに学問とは、自由な鼓動なんですね。

自由な精神とは、よーく考えると、「労働」なんです。そんな苦しいことが、と思うかもしれませんが、労働こそ、人と環境とを自分と同じ存在と認め、それらに関わって、自分を変えていく自由で偉大な営みなんですから。

労働するってことは、呼吸すること、つまり命が宿っていることの、人間的なありようなのです。この労働の大きな武器が知性です。つまり、理論って人間的な呼吸なのです。

というわけで(どういうわけで?)、学問の面白さは、簡単にわかるものじゃありません。

と同時に、やはり環境。その道の専門家から直に学べるってすばらしいことです。

さて、

できあいの安手の「癒し」ならそこらじゅうで売られてます。そうした癒しのなかには、私たちの目をふさぎ、耳をふさぐさまざまな威力が隠れているかもしれません。私たちをもっとも抑圧し疎外している大きな力が、そうした癒しを私たちの目の前にぶらさげているのかもしれません。

こうした障碍とたたかうこと、社会に参加しかえていくことによって自分を、自分に続く諸世代をより解放すること、真実を見つめ、真実を主張する勇気をもつこと、これもまた学問なのです。
# by kamiyam_y | 2005-02-25 22:41 | 学問一般 | Trackback | Comments(0)

凡例(マルクスからの引用)

マルクスからの引用する場合。

『マルクス=エンゲルス全集』大月書店、からであれば、原典のMEW(Karl Marx-Friedrich Engels Werke,Diez Verlag) の頁を、資本論草稿集翻訳委員会訳『マルクス 資本論草稿集』大月書店、および『資本論』第3部第一稿であれば、MEGA(Karl Marx-Friedrich Engels Gesamtausgabe)の頁を、引用文の後に括弧で閉じ附記する。訳文は文脈に合わせて多少変更する場合があることを断っておく。原文の強調は省略する。……は引用者による中略を、〔 〕は補足を示す。『資本論』はD.K.、『経済学批判要綱』は『要綱』あるいはGr.などと略記する。

このようにするかもしれないし、しないかもしれません。
# by kamiyam_y | 2005-02-21 19:22 | このブログについて | Trackback | Comments(0)