さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

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重商主義 Mercantilismの経済学Political Economy

現代社会の存立原理は、資本主義という生きた運動体です。労働する諸個人の労働は現在、資本主義というありかたをとっています。資本主義が労働の原理としてなりたつためには、労働がある特定の状態になければなりません。それが、労働する諸個人が生産手段・生活手段・生産物・貨幣を失うことです。生産手段などは人間が向きあうその外のもの、つまり対象です。それらは労働する諸個人が生きていくために絶対不可欠なものですから、それらは労働する諸個人にとって自己の対象的諸条件にほかなりません。労働する諸個人が自己の対象的諸条件から排除されること、疎外されること、これが資本主義の大前提です。

資本主義が歴史のなかで生まれた過程は、資本の本源的(原始的)蓄積といいます。それゆえ、この軸をなすのが、対象的諸条件を労働する諸個人が失うことです。15世紀末からの土地囲いこみ(エンクロージャー)のような、農民からの土地収奪ですね。これによって、労働する個人に対して、かれらの世界が独立する(青年マルクス風にいえば疎外された労働に対立する「私的所有」)のです。

こうして、労働する個人は、労働力を商品として売る以外に生きるすべのない賃金労働者になります。

労働する個人が失う対象的なものには、社会という、目ではみえませんが存在するものも重要です。労働する諸個人は、かれらを包んでいた共同体という社会的対象もなくしてしまいます。

労働力を売る労働者は、その対価で生活必需品(生活手段)を取りもどし、それを消費して労働力を再生産し、労働市場に引き戻される存在です。

古い共同体が壊れたことで、万人が商品の交換で生きるばらばらの、孤立した点となります。しかし、これによって、人類が社会的分業を強力におしすすめる体制に入ることを忘れてはいけません。

労働者は、こうして、商品を交換する法的な自由をもつ存在でもあります。労働者の個々の契約は法的に自由なものです。自由な契約を介して、資本は労働力を自分のなかに集中することができます。というわけで、労働力の商品化は、このような法的自由と生産手段からの「自由」という「二重の意味で自由な労働者」の存在を想定します。

資本主義の前の社会は、典型的には封建制ですね。資本主義の誕生は封建社会の解体ですが、この過程で、封建的に分散した権力構造を破壊して、巨大な共同体にまとめあげること、国家としての統一があらわれます。

この統一的国家、絶対王制とは、封建的支配階級とブルジョアジーとに足をのせた過渡的な体制というのは、世界史の教科書的説明のとおりです。その政策は、プロレタリアの創出、統一的な市場圏の形成を背景とした貨幣制度の整備、中央銀行と租税を通じた資本家への富の移転、植民などです。

最初の経済学は、この絶対王制の時期に生まれた「重商主義」の経済学でした。3人ほどみてみましょう。

まず、トマス・マン(Thomas Mun, 1571-1641)。邦訳の解説によれば、1615年に東インド会社の取締役=理事に選ばれた人です。
『外国貿易によるイングランドの財宝(初期イギリス経済学古典選集1) 』渡辺源次郎訳、東京大学出版会、1965年。
http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-044051-6.html
A Discourse of Trade: From England Unto the East-Indies, 1621 - Thomas Mun - Google ブックス

第4章で彼は「商品貿易において貨幣を輸出するのは、わが国の財宝を増加する一手段である」という主張を行っています。

かれらは、貨幣が少しでも国外へ持ち出されるのをみると、手ひどく批判し、あげくにつぎのように断言する。すなわち、われわれはそれだけの貨幣を失ってしまったとか、……スペインさえもが……その輸出を禁止している、とかいうようなことである。(上記訳書、31頁)


マンが貿易の利点として強調しているのは、金銀貨幣を船積みして航海に出るところだけみると、イングランドの財宝を減らしているようにみえるが、遠隔地から買ってきて、それを売り時に近隣諸国に売れば、トータルで金銀貨幣が増える、ということです。マルクスはこれに関連してつぎのように書いています。

……トマス・マンは、『イギリスの対東インド貿易論』で、「重商主義」の基礎づけをおこなったさい、一国がもつことのできる唯一の真の富は貴金属であると認めながらも、同時に、国際収支が輸出国民にとって順調である場合には貴金属の輸出を許してもさしつかえないと、強調せざるをえなかった。この意味で彼は、東インドからの輸入品はおもに他国に再輸出されるものであって、そこからインドで支払に要したよりもはるかに大量の金銀地金が獲得されると強調したのである。……(マルクス「東インド会社-その歴史と成果」大月書店『全集9』146頁)


資本主義が世界史に登場する大きな前提の1つが、貿易による世界貨幣の獲得、貨幣の貯めこみでした。

つぎは、ウィリアム・ペティ(William Petty,1623-1687)
The Economic Writings of Sir William Petty, 2 vols. - Online Library of Liberty

『政治算術Political Arithmetick』の訳書で松川七郎がこう述べているのは注目に値します。

市民社会における富の真実の状態ないしはその実体の認識……という究極の目的に焦点をあわせるならば……政治的解剖は、そのための市民社会の解剖学として、その基本構造の分析を志向する方法であり、また政治算術は、市民社会の諸現象の数量的観察(計算)・比較にもとづくすぐれて実証的な経験的・帰納法的方法である、といえるであろう。そしてこのばあい、「政治的尾(poiltical)」とは、「社会的(social)」というのと同義と考えてさしつかえないであろう。(松川七郎「解題」『政治算術』大内兵衛・松川七郎訳、岩波書店、1955年、163-164頁。引用に際して、旧字体を変更した)


大谷禎之介『図解 社会経済学』(桜井書店)のⅢ頁に、なぜpolticalが社会なのか、説明されていますが、それを補強しているといえましょう。

『租税貢納論』はペティそのものとは関係ないですけど、大内兵衛の「序」が面白い。戦火で大原社研から逃げ出して、戻ってみたら土蔵のなかで訳稿が無事であったが、もちろん出版どころではなかったという話。

ペティは労働価値論の提起者として知られますが、関心のある方は上記岩波文庫で。

3人目は、ジョン・ロック(John Locke, 1632- 1704)。いわずとしれた社会契約説の古典『統治二論』。
統治二論
Locke: Two Treatises of Government | Texts Political Thought | Cambridge University Press

「前篇」はロバート・フィルマーの王権神授説に対する批判。資本主義が自分をあるべき姿としてみせるなら、それは商品生産です。王権神授説が古い共同体的世界のイデオロギー(社会的意識)であるのにたいして、社会契約説は、商品生産の理想化であり、古い共同体の解体から出てくる理論です。個人が社会をつくる主体として認められたという人類史の偉大な一歩。交換する個人という限界のなかでの解放とはいえ、個人が共同体の付属物である状態が商品交換によって破壊されてはじめて法的にではあれ、個人は自由になります。

「後篇」の第5章が「所有権について」です。「共有状態」にたいする「労働」の「投下」が「所有権」を成立させる「自然法」を論じています。

……自然が供給し、自然が残しておいたものから彼が取りだすものは何であれ、彼はそれに自分の労働を混合し、それに彼自身のものである何ものかを加えたのであって、そのことにより、それを彼自身の所有物とするのである。(『完訳統治二論』加藤節訳、岩波書店、2010年、326頁。傍点は省略)


スミスを思わせるところがありますね。市民的個人が理想の時代。

資本主義は資本それ自体の本性を肯定するようなイデオロギーをもちません。資本主義の基本的な上部構造は、交換に由来する自由で自立した個人の社会的意識であり、ここにおいては、搾取による蓄積という資本主義の本体は、合意されるものではないからです。資本主義が自己の理想を述べる自己認識は、社会契約論にまでこの意識を高めたジョン・ロックにおいては、個人的労働による個人の所有として成立しています。絶対王制を批判する社会契約論者ロックと経済学者ロックは一体です。
by kamiyam_y | 2016-05-21 00:40 | 資本主義System(資本論)