さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

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札幌豚カツ屋事情

びっくりドンキーの話をこの前書きましたが、最近よく行くのは、とんかつです。札幌の中心をなす駅前通には、さっぽろ駅、大通駅、すすきの駅と三つの地下鉄駅があります。さっぽろ駅は南北線と東豊線とを地下で結び、大通駅は、併行して南下してきた南北線と東豊線を東西線により串刺しに、南北線すすきの駅は、2ブロック東に東豊線豊水すすきの駅を従えています札幌市営地下鉄路線図

これら3駅のうち、とんかつ屋はなぜかさっぽろ駅に集中しているんですよ。大通パルコの平田牧場が撤退し、ラフィラのとんかつ屋もなくなったので、とんかつ定食が食いたくなったら札駅に行かにゃならん。

まずは東から、エスタの10階の「とんかつ玉藤」外食事業 | 株式会社どうきゆう 営業案内ですね。料理場がオープンで揚げている姿を見られるのが魅力。味噌汁3種類、ご飯3種類お代わりできます。味噌汁は赤出汁の浅蜊、ご飯はホッキ飯が私の好み。カツはいろいろありますが、今回は「棒かつ」を推しておきましょう。140グラムと、280グラムの2種類があります。擂り鉢と擂り粉木で胡麻を挽き、甘辛2種のタレのどちらにしようか迷いつつ待つのが楽しい。ここのとんかつは、大きめのものが用意してあって、肉好きにはうれしい。といっても、とんかつは小さくてもけっこうボリューミィで胃にもたれますから、甘く見ない方がよい。

とんかつのチェーンといえば、やはり「和幸」。川崎で創業したんですねとんかつ和幸|和幸商事株式会社。道理で神奈川県にたくさんあるはずです。

ステラプレイスセンター6階の「とんかつ和幸」は、落ちついた内装でゆったりと心地よく食べられます。若者向けファッション店の多いステラの上のためか、客層が比較的若い印象(あくまで印象)。ここは胡麻は挽かず、タレを小皿にとります。私はよく、「やまぶき」や「しょうぶ」と名づけられた盛り合わせの定食に、エビフライ1本をつけたりして頼みます。「とんかつ和幸」はパセオ地下1階にもありますが、この近辺は私にとっては酒を飲むためのエリアなので、こちらの和幸にはまだ入ったことがありません。三越と丸井今井の地下には弁当・総菜を扱う売店もあり、こちらは昼ご飯を買うのに重宝してます。

ステラ6階はほかに、とんかつ専門店ではないのですが、黒豚しゃぶしゃぶの「いちにぃさん」で、とんかつを食べられます。こちらのお店は鹿児島発のチェーンですから、酒は焼酎です。私はもっぱらきびなごの刺身などに麦と芋の焼酎です。

大丸8階レストラン街8F 大丸 フロアガイドの「とんかつのたづむら」J.フロントフーズも上品な雰囲気。ここでは、私はギネスの生をまず飲むことが多い。隣の姉妹店「讃岐うどん讃兵衛」とは厨房で連続していて、そこのバイトさんからこちらの店で挨拶されたことがあったような気がします。って、うどん屋もよく行ってるってことですけど。

地下歩行空間を少し南に進んで、日本生命ビルの地下にもとんかつ屋があります。NOASIS 3.4 日本生命札幌ビル | フロア情報。旭川の「とんかつ井泉」の系列の「かつ伴」北海道内に店舗展開するとんかつ・カツサンドのお店|とんかつ井泉。旭川からはラーメンの梅光軒も同じフロアに。大戸屋でもとんかつのメニューあります。

安いのは、大通ですが、市役所の食堂。23日の「時計台定食」は「豚ロースかつ和風おろしソース」でした(札幌市役所地下食堂☆美味しい日記|札幌大通、中心部ランチの穴場!大きな窓から光が差し込む、地下でも明るい食堂☆)。
by kamiyam_y | 2015-02-24 18:50

国境を越える人権と未来のアソシエーション社会-人権の国際化と自由な諸個人のアソシエーション

2月11日、ヒューマンライツ・ナウ、SACOM(Students and Scholars Against Corporate Misbehaviour)、 LAC(Labour Action China)という3つのNPOが、ユニクロとその中国下請工場に労働条件・労働環境の改善を求める共同声明を発表しました。
【共同声明】 短期的改善策を超える抜本的解決をファーストリテイリング社とその製造請負工場に求める |ヒューマンライツ・ナウ

企業が労働環境を改善するための行動計画の制定・実行・検証に対して「市民社会」が「知る権利」をもつという点が重要です。資本主義企業の私的排他的行動は、市民をそこに結合し、市民の社会的共同的空間を内包していくがゆえに、私的消費過程を社会的生産過程として実現するがゆえに、民主的共同管理の運動に対して企業の私的内部を公開する結果を導きます。私的所有的正当化と無媒介に企業は日々公共化しているのです。公共的というのはウソでほんとは私的だろ、という幼稚な批判ではなく、企業自身がつくる企業の実体によって企業が自己批判する運動を自覚化するのが理論です。

市民という普遍的性格において工場内の労働者は社会的に連帯しています。人権によって企業を制御することが、人間の尊厳が尊重される人間らしい社会づくりの基本にほかなりません。

民主的な労働組合の設立を勧告している点も見逃せません。働く人々の農奴的根性を払底し個人を主体化するためにも、組合において諸個人が自覚的にアソーシエイトすることが重要であり、民主的な新しい協同は自然発生的共同体や企業の再封建化された位階秩序に埋もれることからは生まれてはきません。市民のアソシエーションが社会的生産過程を包摂していく過程に、結社の自由の実現も含まれています。

この3NPOは先月、広東省のユニクロ下請工場の労働実態を調査し、報告書を公表していました。
ユニクロ:「残業月134時間」NGOが中国での問題指摘 - 毎日新聞

次の頁からpdfファイルを入手できます。
【声明・報告書・記者会見@15日・16日】ユニクロ中国国内製造請負工場における過酷な労働環境 NGOが潜入を含む調査報告書を公表|ヒューマンライツ・ナウ

NPOによる記者会見。
【イベント・記者会見】1/15・16・17開催!ユニクロ:中国製造請負工場における労働環境問題~調査団体の来日・記者会見・イベントのご案内�|�ヒューマンライツ・ナウ
ユニクロ"残酷工場"で何が起きているのか | トレンド | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト

関連記事の一覧が同サイトにあります。
【メディア】ユニクロ記事掲載|ヒューマンライツ・ナウ

報告書は、ユニクロの生産物の生産過程を担うPacific Textile Ltd.およびDonguang Luenthai Garment Co. Ltd.を調査し、できるかぎり少ない資本とできうるかぎり最大の生きた労働を交換しようとする資本の衝動がひきおこす惨状が両工場においてどのように過酷に現れているのか、描き出しています。労働力の低い買取(低賃金)、労働力の長時間の酷使、そして、多数の罰則制度など人格否定的な私的専制の支配や、排水のフロア漏洩、高温、埃にみられるような、労働者の身体的健康・精神的健康・命・安全に配慮しない工場内の環境が具体的に伝えられています。

ここで確認しておきたいのは、資本がグローバルに搾取すれば、それに対する対抗もグローバルになることです。労働者の国際主義なんてありえないと悲観主義に酔った眼差しでは決してみえてこない現実です。資本を単に外部としてしかとらえない疎外された意識でしかない一国主義的共同体主義からは理論化できない現実です。私たちの自覚的社会関係に先行して無意識的に資本の諸連関として形成される労働過程の国際的諸連関があるがゆえに、私たちはそれを自己の対象として制御しようとするのです。

この工場がまったく孤立して運営されているのなら、そこで何が起きても私たちには関係ありません。ユニクロのサプライ・チェーンに束ねられているからこそ、労働者としても消費者としても学生としても研究者としても中国の工場に関心を寄せる。広東省の南沙区と東莞市にあるこの工場は、諸個人の労働が対象化する普遍性の分肢体をなし、私たちの共同の環境に位置しています。

市民的人権として抽象的だが産出された人間の普遍的な個人性は、労働する諸個人の人権の展開として生産的内容を再獲得して内容的に発展させられねばならず、この発展を着実に遂行すること以外に、未来の協同体が生みだされることなど断じてありえません。

やや硬い表現で恐縮ですが、端折って説明するとこうです。資本主義的生産諸関係の成立は、貨幣がまとめあげていく圏域を政治的権力としての共同体から分離させ、政治的国家から、人格的諸関係から経済を自立化させ、政治的権力から宗教的装飾を洗い流して宗教的権力を世俗的なもの、世俗的利己主義の形態に転換し、国家を宗教から解放し、経済を国家から解放し、人間を利己的排他的諸関係に解体され貨幣化された利己的物象的存在と、抽象的な人類、抽象的な人格的存在、抽象的共同体の幻想的な成員(自由平等な公民)とに分裂させます。神的権力であった共同体の権力を公民の幻想的共同体に、近代的政治権力に転換するこの第一の変革、市民/ブルジョアによる民主主義革命は、即座に、資本主義の確立によって、政治権力の本体に、自己に関係する貨幣、運動する貨幣を見いだし、この運動を制御しようとする変革に転換します。

資本主義の成立は、人間の個別性と普遍性の神的なものとしての調和の試みを、人間の分裂を前提する市民社会のなかでの恣意、利己的行為、選択の対象に縮小する一方、政治権力を人間が意図して契約したもの、人間個人が(抽象的に)主体として現れる領域になりたつものに転換し、公的世界を無差別的に普遍的な自由平等な人間を主体とする領域としてつくりだします。国家の正当化は社会契約論という人間の自己認識においてなされ、市民社会のあらゆる組織も自立的個人の合意の産物、アソシエーションとして正当化されるようになります。この第一の変革に対して、国家は絶えず個別性を押しつぶす普遍性として現れようとし、社会契約論的正当化が、絶えず現れてくるこの全体の論理に対して諸個人が闘う唯一の拠点として鍛えられていきます(註1)

第一の変革に対して、第二の変革は企業が労働する市民に対して正当化されざる全体として現れることによって必然化します。これを論じるのが、『資本論』第1部第7編第22章「取得法則の転回」論(=「所有法則と取得法則の分離」論)および第3部第5編第23章・第27章の「所有と機能の分離」論です。この議論は、搾取の露出を直接には主題化しているわけですが、最初期のマルクスの「政治的国家と市民社会の分離」論からの徹底として読まないと、おそらく、このようには理解できないでしょう。

諸個人から自立した全体の力がその真相を明かすのは、企業に形態化した運動する貨幣においてです。資本は、国家を抽象的に個人の集合体に還元しつつ、真の社会統合力は我にありとして振る舞いますが、その現象、現れ出ることが、諸個人にとっての対象としての現出を意味します。諸個人は、自己の社会的労働の力を資本という他者に見いだす。自己の共同の環境を他人の所有の向こう側の私企業の連関に見いだす。

他人の所有の力において、労働する諸個人の普遍性の対立的自立化が媒介され、諸個人に対して、彼ら自身の自己の社会的労働が対立します。

科学を体現する自動機械体系が連動しあう社会的労働のシステムを資本が収奪することにおいて、労働する諸個人の、自由な人格一般の、市民一般の社会的空間が実在化しながら、この社会的空間が他者の私的な領域でもあるという矛盾が生きています。私的労働、私的所有という前提の内部でこの前提を資本は止揚しています。この資本の自己解体的運動は、私的領域とされた資本の内部に見いだされた現実的な公民の世界に対して、この協同性にふさわしい民主的な社会的ルールの網をかぶせていく運動として実現します。

政治権力の制御にとどまることなく、企業の権力を諸個人が社会的共同的に制御することが現実の課題となるのです。労働する諸個人が自己の普遍性を自己の普遍性として自己の対象とすることが、私的諸前提の対立性のなかで出現しています。労働する諸個人の自己疎外は労働する諸個人が産出した対象をみずから獲得する運動に転回します。人権を発展させる主体としての諸個人(註2)が、資本という物象的な自立化の運動に対して、共同的な制御を試みるのは必然的です。

人権が抽象的な交換の自由から、社会的労働における諸個人の人権として具体化することなしには、また、社会的労働が自由な搾取から搾取に制限をかける社会的労働へと陶冶されることなしには、この過程を通過することなしには、人間の自由な個別性と自由な普遍性とを媒介するアソシエーションが成立することはけっしてないでしょう。第一の変革である市民革命による自由な民主的諸個人の形式の成立と資本主義における彼ら諸個人による民主的管理を徹底する以外に未来が実在するわけではありません。「資本主義的発展のもっとも民主主義的な『形態』のための闘争のほかに、どこか純粋な『社会革命』のための闘争があるわけではない」(山口正之『社会経済学 なにを再生するか』青木書店、1994年、267頁)のです。

註1 「国家からの」身体的・精神的自由として表象されるブルジョア的市民的権利・基本的人権もまた内容的に労働する諸個人を中心的担い手として擁護されねばなりません。このことは、労働者の民主的連帯から逃亡した落伍者と、反知性主義・排外主義・差別主義の温床であるこれらの社会的屑を親衛隊にする専制とが表現の自由を圧殺しようとすることに対して、それと闘う国際的な連帯が高まる現在、とりわけ強調されねばならない論点の1つです。表現の自由を抑圧するファッショな動きを許容すれば、民主的で先進的な労働者を弾圧する道が築かれることになります。労働者としての人権の発展は、国際的な工場法の形成はいうまでもなく、第一の革命をも徹底する包括的で総体的なものでなければなりません。
註2 人権・民主主義をブルジョア的と嘲笑したり、それを西洋の普遍主義と侮蔑してすませる左派の一部分は、人権を国家の恩恵に解消する反動派、軍国主義的黴が脳髄に密集する憲法改悪派と変わらない学習能力に欠ける人々にちがいありません。

by kamiyam_y | 2015-02-13 21:50 | 資本主義System(資本論)