さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

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『資本論』第1部第7篇の一論点に関して:資本蓄積における原資本の剰余価値への転換について(メモ)

あけましておめでとうございます。

年末年始は忙しかったです。本も読めず、食ってばかりいました。それはbusyとはいわないのかもしれませんが。「食って太った」というとなぜかたいていの人はすごく喜んでくれます。

最近気になった記事など。

学生バイト労組:西日本初結成へ 「ブラック」許さない! - 毎日新聞
日本の大学生は大変です。労働者としての人権の前進のためにも、学ぶ権利を実現していくためにも、頑張ってほしい。

プレカリアートユニオン : セクシュアルマイノリティ労働相談始めました!
労働する空間を、人々が多様性を受容し人権を尊重しあう場に変えていくうえで、LGBTQの人権保障はますます重要性を増していくにちがいありません。社会的包摂の実現において労組がこういう取り組みをするのは、多様な労働する諸個人の自由を社会的に実現するために大切。

アップルのCEOによるカムアウトも現在の社会では大きな意義があります。
[FT]ティム・クック FTが選んだ「今年の人」:日本経済新聞

LGBTQに関してはこの本がなかなかいいです。
ケリー・ヒューゲル『セクシャルマイノリティのためのハンドブック LGBTQってなに?』(上田勢子訳)
LGBTQってなに? - 株式会社 明石書店

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ちょっとメモです。

メモ
 『資本論』第1部第7篇第21章「単純再生産」では、資本家が剰余価値をすべて消費し、同一の規模で生産が反復されるとされた。
 1回の生産では剰余価値の生産をとらえたが、その更新の繰り返しは、交換をその契機に落とし、1回の交換で妥当する法的・意識的諸関連を、外観として示してしまう。
 流れの全体では、労働者が自分自身の産物に雇われること、必須生活手段を資本家階級から得た証文を返還することで取り戻していること、可変資本が労働者の生活ファンドの歴史的形態にすぎないことがあらわれる。
 資本家の自己労働の産物としてあらわれた総資本も、資本家が消費した剰余労働の産物の物質化となる。200ポンドを毎年労働することなく食う資本家が、彼のもつ1000ポンドを資本として投下するなら、彼は5年後にも存在しているであろう。このとき1000ポンドは、彼が食い尽くした剰余価値の堆積である。
 労働する諸個人と彼自身の生産の客体的諸条件からの分離も、外的事実ではなく、システム自身が必然的に産出したものとしてあらわれる。資本の再生産は、労働者が労働力を売らざるをえない強制連関の再生産である。
 『資本論』第1部第7篇第22章「剰余価値の資本への転化」第1節は「取得法則の転回」を課題とする。剰余価値が追加資本に転化し、資本が蓄積する。追加資本も剰余価値取得し、他人の剰余労働の所有がさらなる剰余労働の取得の前提となる。所有は「資本家の側では他人の不払労働またはその生産物を取得する権利」に、「労働者の側では彼自身生産物を取得することの不可能」に旋回する。
 ここでは、限定された課題に即して、剰余価値の追加資本への転化の運動だけが問題である。ゆえに、資本家が消費する剰余価値は問題とされず、剰余価値部分が転化した追加資本を、原資本を投下した資本家が引き続き用いるのか、他の資本家に渡すのかは、「さしあたりはわれわれの関心事ではない」とされる(MEW.Bd.23,S607-608)。
 これに関して、補足的に少し考えてみよう。もし、蓄積運動を媒介する資本家が1人にとどまるとしたらどうであろうか。彼は、原資本が生みだす剰余価値を消費して、その消費額の物質化に原資本は置き換わる。彼が追加資本が生みだす剰余価値をも食べるとすれば、原資本の剰余価値への置き換わりは早く進行しないだろうか。あるいは、1人にとどまるならば、剰余価値の消費ファンドと追加資本への分割において、消費ファンド部分よりも追加資本部分の比重が高まるのではないだろうか。
by kamiyam_y | 2015-01-07 23:39 | 資本主義System(資本論) | Trackback | Comments(0)