さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

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夏の蠅 冒険する無限性

蠅が寄ってきて、私の周りを回ったら、突如、口の中に入ってきました。

話をしている最中だったので、話は「うぇっ」と中断。

私の口蓋に突撃してからすぐ出てきました。

「すいません。今口の中に蠅が…。一瞬ですから3秒ルールで大丈夫。お茶飲んで殺菌します」

3秒以内なら床に落ちたものも食えるって話。ペットボトル飲んでいたので、それで流せば蠅についていた細菌なんてへいちゃらさ。蠅に好かれて一瞬ショックを覚えましたが、笑いをとれたので、ラッキー。話を続けました。

教室に冷房ないですから窓から紛れ込むやつがいるんですよ、講義中の一瞬でした。
by kamiyam_y | 2012-07-26 01:08 | Comments(0)

国家と市場。ケインズ主義的・国家独占資本主義的国家と新自由主義的国家

金曜デモの拡がりはめざましい。札幌の参加者にも様子を聞きました。北海学園関係者では本田さんがマイクを持ったそう。

政党でも旅行代理店でも何でも、各地の金曜デモに参加するツアーを組んだら面白いのに。

本題。エコロジカルフットプリントという考えがあります。

ウィキ

廃棄物の浄化と資源再生に要する面積が、すでに実際の地球の面積を超えているという話。

何が興味深いのかっていうと、資本のシステムが環境と両立しない点をイメージできること。

地球という私たちの根源的生存条件を維持するためには価値増殖のための価値増殖に進歩を委ねた疎外と孤立のシステムを止揚せい、ということを感覚的に示す一つの表示です。

環境維持の責任はとりあえず資本主義的国民国家にあったわけですが、この力はすでに資本の前にボロボロです。

20世紀の資本の国家を大恐慌に対して一般化した経済介入国家のように表象してみましょう。

と、これの中心って、私的資本の利潤低下に対して国家が経済活動によって肩代りして恐慌を先送りする方策ですね。 相対的過剰人口(不安定雇用・半失業・失業)という労働力価格押さえ込みと労働者の反抗を押さえる資本の生存条件を維持し、労働力再生産・供給という資本の生活条件を確保する、という福祉国家の裏の意味もありますけど。

先進資本主義システムが戦後高度成長を果すなかでのこの国家に対して、私的資本(民間企業総体)の振舞は、労働者を搾取しながら、かつ自分の利益を促進する国家にも価値を振り向ける、というものかな。成長、利潤蓄積によって税収が増えれば、国家による肩代りという方策が機能します。ビルトインスタビライザーの中身はこういうことでしょうね。

しかしながら、高成長によって大工業が普及して社会の実体的な土台が形成されれば、利潤率は低下するほかありません。

安価な労働力を求める海外直接投資の展開がすすむわけですが、これまた産業空洞化をすすめてしまう。

かくして私的資本の振舞は、国家に依存しない実体・公共物を自認して、自信ありげにあるいは余裕なく、税を納めず労働者を搾取するという精神に劇的に転換。この経済的内容の転換こそが国家の新自由主義的編成替えにほかならない、ようにおもえます。

ところが、資本主義的グローバリゼーション・新自由主義は、社会保障等を危機に陥れるがゆえに、一本立ちできる正当性根拠をもつことができません。持続可能ではないことがあらわです。

同時に、一国ケインズ主義は資本の矛盾を解消できず、新自由主義に転換しまた陰でそれを支えた自分自身を批判することに。ケインズ主義の破綻はそのまま新自由主義の破綻ですし、その逆もまたそう。

社会保障という人権と対立して、人々の幸福を支えずして、何のための経済なのか。おふざけでないよ。経済のための人間でなく、人間のための経済じゃないか。口先だけ、建前だけでなく、真に人間個人個人のための社会経済へ。あらためてわれわれは覚醒せざるを得ない。

地球環境問題は、個々の産業やどこかの企業の問題ではなく、地球資本主義を全面的に制御することを求めています。労働問題もまた、資本のシステムの根源を批判しつづける問題。グローバリゼーションの展開は、局限された共同体的なものとの摩擦によって、あるいは大工業・科学を用いた戦争等々によって、逆説的に人権の発展を国際的に課題とします。資本の経済国家・一国ケインズ主義の破綻、および、世界市場の資本・新自由主義の破綻は、資本主義という現在自己を解体しつつあるシステムの表現としてこのシステムの限界を露呈し、国際主義的/地域的/人権主義的な解決をこれらの破綻を乗り越えるものとしてますます必然化していくにちがいありません。
by kamiyam_y | 2012-07-23 04:03 | 現代グローバリゼーション

ロープの巻かれた欄干



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豊平区豊平5・6条2・3丁目付近(南7条米里通)。
豊平区豊平6条9丁目(東光ストア駐車場前)。


GR DEGITAL Ⅲ.
by kamiyam_y | 2012-07-20 22:55

デモする理性の戯れに

脱原発集会:「17万人」参加、最大規模に 代々木公園- 毎日jp(毎日新聞)

デモに実在する人間本質、その行動によって日本社会は変革を希求する感性を表出しています。

この列島でも多様な表現の自由として実践的な労働的人間本質が開花している。札幌にもデモの波がやってきましたが、今回代々木は警察発表ですら7万5千人、すごい。

「電気のために子どもの未来を危険にさらすべきでない」という坂本さんの言うのもその通りで、次世代にツケを残す振舞いは非倫理的です。まあ、著名人の言葉が流通するのも一種の物神崇拝でしょうけどね。

写真を見て。

第1に、いろんな人が来てるのがすばらしいように思えます。動員された的な人もいそうですけど、まあ。

第2に、代々木公園のなかの方にいたらウンコしたくなってもトイレに行けなさそう。トイレ近い人には、空間的時間的に放散しつつ収斂するようなデモないしムーヴメントの運動形態が必須でしょうね。
by kamiyam_y | 2012-07-17 06:35 | 民主主義と日本社会

再生可能エネルギー

子供も大人も、老いも若きも、愚者も賢者も、紫陽花革命に集う。デモに自由に人々が結集するそのことのなかに社会が実在し、デモを自由におこなうことが社会の変化そのものだ。

7月になり固定価格買取制度が始まりましたね。再生可能エネルギー事業に資本を参入させることは大きな力となります。社会的制御を欠く資本の力が環境を破壊するとともに、現在不可欠の智慧は制度的方向付けにおいてこの力を利用する戦略です。

http://bit.ly/N9wsIm(毎日新聞)

安全な環境をつくるという公共的目的のために、社会的生産の力を集約している私的諸資本を参加させるのです。再生可能エネルギーの政策的な開発は、現在貨幣の力の有意義な発揮を土台にして実現するほかはありません。われわれの共同体は疎外され貨幣として実在するのですから。再生可能エネルギーへのシフトは、安全で安心しうる環境をえようという国民的合意によって生産過程に国民的介入を行う試みであり、諸個人の生活の安全な基盤を計画的につくりだす試みにほかならない。この買取制度もこの人類史的試行錯誤のなかで有意義に作用してほしいものです。

大島堅一がこの制度の肯定的な可能性についてつぶやいてました。紹介しているレポートは読んでないですけど。

http://twitter.com/kenichioshima/statuses/60618432705601536

風やら水やら土やらからエネルギーを得るというと、なにか歴史に逆行しているかのような印象をもたれる人もいるでしょう。けれども、たぶんちがいます。

作業機は……しばしば馬などによって運動させられ、もっとまれには不安定な風力によって運動させられました。しかしだんだん水が利用されるようになりました。けれども、水力の使用もさまざまの不便と結びついていました。こうした不便は蒸気機関の発明によってやっと取り除かれました。そこで工場の所在地はもう、激しい水流という立地に縛られていることがなくなりました。それまで既存の自然事情に依存していた動力の程度が、その後はまったく人間の統制に服せられ、それからは同じ動力機できわめて広範囲にわたる伝導装置ときわめて多数の作業機とを駆動することができるようになりました。
(ヨハン・モスト原著、カール・マルクス加筆・改訂『マルクス自身の手による資本論入門』大谷禎之介訳、大月書店、2009年、90頁)


資本は労働過程を包摂し、協業、分業という労働の社会的組織化を実現します。しかしそれは資本にとって限界となり、変革は労働手段の変革に旋回します。「産業革命」ですね。

発展した機械は、原動機、伝導機構、道具機/作業機という3つの部分からなっていて、産業革命を導いたのは、このうち道具機の発展です。道具機は労働対象を変化させる部分。道具が機構化されて道具機に転化することで、労働手段は「人間の器官の数と規模」から解放され、それが独自の伝導機構とふさわしい原動機を獲得する。

道具機/作業機を運動させるための動力の源としては、気まぐれな馬や、不安定な風ではなく、安定した燃焼を利用した蒸気機関が、安定的に制御できどんな道具機にも適用できる汎用的な原動機をなすものとして定着します。これにより工場が動力のために川の近くになければならないといった場所的制約も資本は解除。

このことは、発展した社会的生産であれば必ず蒸気機関を動力機として用いるものでなければならないとか、蒸気機関による生産を大工業と呼ぶ、という意味ではありません。水力や風力から蒸気機関へと動力の歴史的流れからみると、再生可能エネルギーは過去への復帰にみえますが、それは皮相な見方というもの。

再生可能エネルギーの利用はじつに高度な制御能力を求めるのであり、これも蒸気機関同様に科学の適用による協働という場面のなかでの技術の具体的姿態です。再生可能エネルギーの利用もまた、人間に対して疎遠であった自然が、その潜在的な人間との同一性を科学として顕在化し、技術形態として新たな形態をとることです。
by kamiyam_y | 2012-07-03 03:27 | 成長主義と環境