さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

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権力の公開へ

取調べにおいて菅家さんがはっきりと否認しているのわかります。元検事は菅谷さんが否認しているという事実は無視。

足利事件再審:聴取テープを再生 菅家さん3件すべて否認 - 毎日jp(毎日新聞)
足利事件:許すことはできない、永久に…菅家さん怒り込め - 毎日jp(毎日新聞)

取調べ可視化は早急に実現すべきですね。冤罪を防ぐための1つの方法として。

日本国憲法
第38条  何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
2  強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
3  何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。


取調べ以外の時間にも脅迫が可能なことは、元福島県知事佐藤栄佐久氏がこう述べています。「検察の恫喝には抜け道がある。弟は拘置所に向かう車中で『中学生の娘が卒業するまで出さない』と脅かされました」(日刊ゲンダイ「元福島県知事佐藤栄佐久氏が語った 検察の暴走と恐怖」1月28日号2面)。

昨日『朝日新聞』と『毎日新聞』で小沢氏不起訴の検察方針が伝えられていました。この間の新聞の小沢氏関連報道の記事本文に目を通すかぎり、いくら読んでも小沢氏を起訴すべき材料が具体的に書かれていなかったので、起訴されるわけないだろうとは思ってました。

たとえば検察内部の不正を検察関係者から公益性のある情報として引き出して調査と検証を重ねて報道するのであれば、メディアの権力監視機能は果されています。しかし、検察に都合のよいと判断できる断片が「関係者によると…」「…ことがわかった」という文章とともに流されてきた今回のようなばあいではどうでしょうか。材料のともなわない検察の描いたストーリーを流しつづけてきたといっていい(このストーリーはだんだんしぼんでいったのですが)今回のばあいはどうでしょうか。

見出しを含めた紙面が読者に感覚的に与える印象が、報道する立場の主観的判断や報道の裏側のプロセスを反映して読者をある方向に導く役割を果していたことも明らかなように思えます。

検察の裏金を告発した三浦環氏の語るところによれば「リークは検察内の隠語で『風を吹かす』という。国民世論を味方に付け、容疑者を逮捕・起訴する頃に『大悪人』に仕立て上げる彼らの常套手段です」(日刊ゲンダイ「小沢捜査を斬る!元大阪高検公安部長三井環氏」1月30日号2面)とのこと。逮捕されるまで派手な報道がなされ、釈放されたら小さな記事という事件があったら、こういうことなのでしょう。

『東京新聞』「私説・論説室から」の長谷川幸洋「『小沢疑惑報道』の読み方」(1月18日)などもありましたが、新聞と検察とのもたれあいを批判する声は大新聞の論調からは外されていました。ネットにはいろいろな意見がありましたが。がんばれ小沢一郎: ホームレス編集長日記

『週刊朝日』がよくがんばってますよね。「暴走検察」シリーズは、新聞にほとんど見られなかったといってよい切口で興味深く、今週号も、上杉隆氏や青木理氏の文章が面白い。

週刊朝日[2010年02月02日発売]見出し一覧 | エキサイトニュース
暴走検察/子ども<人質>に。女性秘書「恫喝」10時間 | エキサイトニュース

女性秘書の事情聴取についてはムネオ日記の1月27日にも記述があります。

ムネオ日記

人民の意思を代表する立法府が貨幣の権力によって歪められるのは資本主義社会に内在する問題であり、貨幣による政治の簒奪は資本主義の発展とともにますます巨大になる問題。政治家の金権の暴走を監視することはいうまでもなく重要です。生きた個人が主体であるという民主主義の理念とは逆に集合貨幣の権力が政治の内容を形成するという実態がますます批判されるようになっているのが現代。しかしまた、このことが、捜査権力による人権侵害的な活動を見逃してよいということを意味するわけでもなければ、共同体の執行権力が人民から独立した官僚の力として暴走していないかをメディアが監視しなくてよいということを意味するわけでもないことは、これもまたいうまでもないというべきでしょう。権力行使は慎重かつ冷静でなければならず、司法のルール、国家権力の行使のルールは厳格でなければなリません。

「すべて権力は人民に存し、したがって人民に由来するものである。行政官は人民の受託者でありかつ公僕であって…」(「ヴァジニアの権利章典」(2)高木八尺・末延三次・宮沢俊義編『世界人権宣言集』岩波文庫109頁)。


『週刊朝日』の前々号では、上杉隆氏が、ガサ入れ映像のちょっと笑える裏側を暴露しています。検察のガサ入れの予定が記者クラブに落とされ、テレビ局は検察官がよく映るようにカメラの位置取りをしておくのだそうです。NHK職員が語ったこととして紹介されてます(上杉隆+週刊朝日取材班「検察の狂気」『週刊朝日』第115巻第4号・1月29日号・発売1月19日・20頁)。権力とマスコミの合作。

検察の狂気-これは犯罪捜査ではなく権力闘争である | エキサイトニュース

ダイヤモンド・オンライン週刊・上杉隆 も参考になります。

第110回:2010年01月21日
小沢問題で検察リークに踊らされるメディアへの危惧

上杉氏のインタビューでニューヨークタイムズのファクラー氏が「…自民党の政治家は法律上問題のある献金を受けていないのか、といった視点から独自の取材、分析を行う(記者クラブ)メディアはなかったように思います」と語っています。自民党政治家についても検証するのは手続として常識的な感じがしますけどね。やらないのでしょうか、できないのでしょうか。

「法は、保護を与える場合でも、処罰を与える場合でも、すべての者に同一でなければならない」(「人および市民の権利宣言」第6条、前掲『世界人権宣言集』131頁)。


第111回:2010年01月28日
検察という国家権力にすり寄る記者クラブメディアの醜悪2頁の「報道の5原則」って重要です。3頁4頁で引用されている河野太郎の言っていることもなかなか面白いですね。自民党であるにもかかわらず、言うべきことは畏れず言っているという感じを受けます。

厚労省元局長、検察と全面対決へ 公文書偽造事件 - 47NEWS(よんななニュース)

厚生労働省の村木厚子局長のこの事件については、神保太郎が「五ヶ月以上も当局に拘束され」た点を特に問題としています(「メディア時評 第26回」『世界』第801号・2010年2月)。神保氏は、フランス人権宣言、日本国憲法をあらためて引用しながら、国連人権委員会の審査報告書をとりあげ、報道と人権の問題を論じています。

推定無罪の原則は、世界人権宣言(1948年)でももちろん謳われています。

「何人も、刑事犯罪の追訴をうけたものは、自己の弁護に必要なすべての保証を与えられた公開の裁判において、法によって有罪が立証せられるまでは、無罪の推定をうける権利を有する」(「世界人権宣言第11条(1)」前掲『世界人権宣言集』404頁)。世界人権宣言(外務省仮訳)


拘束して苦しめて捜査権力に有利な言葉を補足しようというのは、まったくもって野蛮。

「…裁判に付される者を抑留することが原則であってはならず…」(国際人権規約(B規約)第9条)。


個人が共同体の器官にすぎないという生産のありかた、土地所有の人格的形態である古い共同体の権力に個人が従属し、共同体に埋もれているという生産のありかたを解体して近代は始まります。身体の自由は自由権の基本。自然発生的で野蛮な権力を解体して、唯一個人を社会編成の原理として承認するのが近代的な民主主義。共同体の権力を制御する唯一の承認された社会理念は、個人ならざる力が巨大化する現代においてこそその徹底した現実化を求められています。「すべて権力は人民に存し、したがって人民に由来するものである」(前掲「ヴァジニアの権利章典」(2))。やや強引かつ一般的にまとめてみました。

追記:元東京地検特捜部長で中央大学法科大学院教授の宗像紀夫氏による批評にも同感できる点が多くありました。「…虚偽記載の起訴だけで捜査を終えるのなら、見通しのない捜査だったと批判されても仕方ない」(『朝日新聞』2月5日朝刊14版第5面)。関心のある方は目を通してみてください。
by kamiyam_y | 2010-02-04 23:16 | 民主主義と日本社会 | Trackback