さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

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金融グローバリゼーションと「サブプライム」危機(3)

スタンフォードの博士課程を出てるので当然とはいえ、鳩山の英語の演説もなかなかでしたが。

第64回国連総会でオバマ大統領が演説しました。

<米大統領>地球規模の課題は責任分担を 国連総会で初演説 (毎日新聞社) | エキサイトニュース

オバマの演説は、昨晩NHK衛星第一の中継で観たんですが、見事というほかないかんじ。

内容も、「チェンジ」を世界レベルで訴え、国連中心の世界づくりを強調してました。国連の理念的な力と合衆国の実際的力とが結びつくなら、まさに人類社会づくりにとって大きな推進力になろうかと。

「人民の、人民による、人民のための」という言葉も用いられ、私たちが読み取るべきは、民主主義と人権を原理とする姿勢でしょう。「未来への責任」をともに果たしていこうという地球レベルのメッセージとして私は受け取りました。年末にコペンハーゲンで開催される国連COP15(気候変動枠組条約締約国会議)にも言及しており、民主党の25%削減の宣言とともに期待したいところです。国際的合意は社会的生産様式を鍛えあげる規制の役割を果しうるものですから。

オバマは国連ミレニアム開発目標(Millennium Development Goals : MDGs)にも触れていて、世界が人権の実現を課題としているという現在の中心点を理解していると思われました。MDGsとは、2015年までに189の国連全加盟国(2000年当時)が合意した目標。企業中心主義・国益中心主義の幻想性が暴露され、世界は新たな変革の時代に入っています。生きた人間を原理とする世界的変革の世紀に入っていることを国連の人権諸目標は示しているといえます。

ミレニアム開発目標(国連広報センター)

目標1:極度の貧困と飢餓の撲滅
目標2:普遍的な初等教育の達成
目標3:ジェンダーの平等の推進と女性の地位向上
目標4:幼児死亡率の引き下げ
目標5:妊産婦の健康状態の改善
目標6:HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延防止
目標7:環境の持続可能性の確保
目標8:開発のためのグローバル・パートナーシップの構築

人権と民主主義を単なる道徳や思考と捉えるべきではありません。資本主義システムが客観的につくりだしているその推進の条件でもあり、否定の条件でもある社会関係であって、いってみれば現実のなかの関係であり、現実(存在)から切断された頭のなかの「べき」(当為)ではなく、現実の矛盾を形づくる関係です。

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90年代以降急速に展開しているグローバリゼーションにおいて金融化が大きな推進力の1つであったことはいうまでもありません。

これを投機資金のグローバリゼーションとよぶならば、これは、グローバルな形で貨幣が《利子生み資本》として運用され、《架空資本》の蓄積がグローバルに行われることです。

「信用制度は生産力の物質的発展と世界市場の形成とを促進する」(『マルクス・エンゲルス全集25a』大月書店、S.457.)。

資本とは《貨幣→増大した貨幣》という、それ自体を目的にしてしまった貨幣であり、アリストテレスのいう「貨殖術」における貨幣です。貨幣という交換の道具が逆立ちして主人となり、すべてをその増殖の手段にしてしまいます。

この増殖は人々の労働における協同が否定されているがゆえになりたっていますから、これを、利己的な「投機」とよんでもいいかもしれません。ただし、生産的な投資こそが資本主義社会の基礎をなす産業資本の本質であるとすれば、「投機」とよぶのは産業資本ではなく、利子生み資本・架空資本における退廃的現象に限定したほうがいいのですが。産業資本という資本は、生産手段と労働力を買って消費することで価値増殖します。

産業資本の再生産過程が全体として前提されれば、貨幣はいつでも資本になれるもの、潜在的な資本です。資本であるという、価値増殖するものということが、独自の使用価値となった商品が、商品としての資本です。貨幣が独自の商品として価格がつけられ、売買されます。売買は貸付という形をとり、価格は利子となります。利子は資金の需給で変動しますが、もちろんこの価格は、価値なき価格であって、資本という商品は、抽象的労働を実体とする労働生産物である商品とはちがいます。

株式や請求書のように一定の収入を規則的に引きよせる権限は、そこに資本があるものと想像されます。この架空の資本として、これらの紙切れも売買されるようになります。マネーの膨張とは架空資本の蓄積です。

「われわれがこれまで貨幣資本および貨幣財産一般の蓄積の特有な形態を考察しできたかぎりでは、この形態は、結局は労働にたいする所有の請求権の蓄積ということになった。国債という資本の蓄積が意味するものは、すでに明らかにしたように、租税額のうちからある金額を先取りする権利を与えられた国家の債権者という一階級の増大以外のなにものでもない。このような、債務の蓄積でさえも資本の蓄積として現われることがありうるという事実には、信用制度のもとで起きる歪曲の完成が現われている」(『全集25b』S.493-494.)。
「価値表現から見ればその可除部分のそれぞれが一定の元来の名目価値をもっているこの想像的な富は、すでに前述のような理由からも、資本主義的生産の発展の歩みのなかで膨張して行くのである」(同上、S.494-495.)。

他人の労働を請求する所有の権限が蓄積する、債務が蓄積することが資本蓄積として現れるまでに、資本主義的生産は発展。

産業資本に対する貸付は、個別産業資本がその私的所有の狭隘さを超えていくための手段です。貸付を、貨幣の保管をしていたような資本が専門的に行うようになれば銀行業です。銀行は、社会の遊休貨幣をくまなく集めて、潜在的な資本としてその手に集中し、これを産業諸資本に貸し付けて運用するのであり、諸資本のなかの資本です。諸資本とならんで、貨幣―増大した貨幣という運動が形をとっています。

諸資本にとって共通の社会的資本が成立しています。ここにみるべきは、私的所有発展のためには私的所有を廃棄しなければならない、という私的資本の自己矛盾的な姿でしょう。

「信用および銀行制度はこのようにして資本の私的性格を止揚し、資本そのものの止揚をこうして即自的に、しかし即自的にのみ、含んでいる」(MEGA.Ⅱ/4.2, S.661-662.)。

株式とは、基本単位に細分化された株主の地位であり、まあ所有権です。この所有権の売買も、架空のものの蓄積をなしていきます。銀行は株式を集めて財産にします。

「この所有権の価格変動による損得も、鉄道王などの手へのその集中も、事柄の性質上ますます投機の結果になってくるのであって、この投機が労働に代わって資本所有の本来の獲得方法として現われ、また直接的暴力にもとって代わるのである。この種の想像的な貨幣財産が個人の貨幣財産の非常に大きな一部分をなしているだけではなく、また銀行業者資本の大きな部分をもなしているということは、すでに述べたとおりである」(『全集25b』S.495.)。

資本所有の源泉が労働から投機、ギャンブル、マネーゲームに移ってしまうことは、労働の産物(貨幣)が生きた労働を食い物にする逆立ち、疎外された労働が批判の対象として、ごまかしようがないほどにあらわとなることであり、労働にもとづく所有という、蓄積を説明するさいの正当化を近代的産業ブルジョアジーがますます失うことであります。

「いっさいの尺度は、資本主義的生産様式のなかではまだ多かれ少なかれ是認されるいっさいの弁明理由は、ここではなくなってしまう。投機をやる卸売商人が賭けるものは、社会的所有であって、自分の所有ではない。資本の起源は節約だという文句も、同様にばかげたものになる。なぜならば、彼が要求するのは、まさに他人が彼のために節約するべきだということでしかないからである」(『全集25a』S.455.)。

自分の労働を財産として蓄えた資本家が、欲望を抑えてそれを生産のために使った、この立派な節欲に対する報酬が利潤だ、という弁解も消え失せるわけです。投機は社会的資本を賭ける。

「……社会的資本の大きな部分がその所有者ではない人々によって充用されるからである。すなわち、これらの人々は、所有者自身が機能するかぎり自分の私的資本の限界を小心に考えながらやるのとはまったく違ったやり方で仕事に熱中するからである。」(『全集25a』S.457.)。
「成功も失敗も、ここではその結果は同時に諸資本の集中になり、したがってまた最大の規模での収奪になる。収奪はここでは直接生産者から小中の資本家そのものにまで及ぶ。この収奪は資本主義的生産様式の出発点である。この収奪の実行はこの生産様式の目標であり、しかも結局はすべての個人からの生産手段の収奪である。……この収奪は、資本主義体制そのものりなかでは、反対の姿をとって、少数者による社会的所有の取得として現われる。そして、信用はこれらの少数者にますます純粋な山師の性格を与える。所有はここでは株式の形で存在するのだから、その運動や移転はまったくただ取引所投機の結果になるのであって、そこでは小魚は鮫に呑みこまれ、羊は取引所狼に呑みこまれてしまりのである」(『全集25a』S.455-456.)。

資本の役割があらゆる個人から生産手段を取りあげ社会化することにあるとすれば、信用は、山師による社会的資本の収奪としてこの過程を進める。

ぺてんと詐欺が資本の源泉になるということは、生産していない資本による収奪が資本蓄積として現れるということです。

サブプライム危機においてあらためて発見されたのは、世界規模での金融的収奪でした。ブローカー、金融機関が非倫理的な過剰な貸付を行い、元の債権にたどりつけないような組成された証券化商品を売買し、この不透明性を補うべき民間の格付け機関もまた不透明であったという相互無責任の体制でした(高巌「金融危機で問われる企業倫理(経済教室)」『日本経済新聞』2008年11月21日朝刊、29面、参照)。米国の貧しい労働者に対して世界中の不生産的資本が高利貸しとして収奪し、相互に奪い合っているというのがゲームの中身であったといってよい。生きた個人の普遍的な尊厳のために社会的生産を用いることとは正反対の社会的生産の利用法です。

「信用制度が過剰生産や商業での過度な投機の主要な槓杆として現われるとすれば、それは、ただ、その性質上弾力的な再生産過程がここでは極限まで強行されるからである。そして、これが強行されるのは、社会的資本の大きな部分がその所有者ではない人々によって充用されるからである。……信用制度は生産力の物質的発展と世界市場の形成とを促進するのであるが、これらのものを新たな生産形態の物質的基礎としてある程度の高さに達するまでつくり上げるということは、資本主義的生産様式の歴史的任務なのである。それと同時に、信用は、この矛盾の暴力的爆発、恐慌を促進し、したがってまた古い生産様式の解体の諸要素を促進するのである」(『全集25a』S.457.)。

信用制度の発展は、社会的労働力と社会的生産手段、世界市場を資本主義がつくりだすことを促進します。再生産過程の弾力的な性質を媒介しますから。同時に信用制度は過剰生産の梃子となり、恐慌を促進します。

グローバリゼーションがつくりだしているのは社会的な基盤であり、この基盤を制御されない収奪に委ねたままでは持続可能的ではありません。米国の貧しい人々と世界中の金融機関とが不透明なマネーの連鎖によって結びついていることには、グローバルな連鎖が客観的につくられているという進歩性があります。しかし、このグローバルな連鎖がまさに人権に対立して市民社会を犠牲にしているという事実が明るみに出されたのです。

連鎖の暴走は、国際社会に対して協調することを強制しました。足並みの乱れは当然として、国際社会の対応の速さも注目に値します。金融世界市場は放任されるべき自動調整体なのではなく、迅速に国際協調の網を被せて規制して使うべきものだということが、国際社会の対応のなかに宣言されています。米国発の負の連鎖として地球規模での依存関係が貫かれたことが、反作用的に、国際主義的経験の前進を招かざるをえなかったというわけです。

社会的生産を真に社会的なものに、つまり生きた人間の普遍性(人権)に即した形で制御すること。問われていることは、自然成長的で人権に対立的で持続可能でないマネー膨張を抑えるために、資金の流れに対して、その公共性に即して制御するシステムをいかにして手厚く重ねていけるかということでしょう。大きな転換の時代です。人間のためのものではない持続不可能なグローバリゼーションを、人権主体のための持続可能なグローバリゼーションへと、グローバリゼーションの中身を変えていく転換がますますはっきりしてきているのではないでしょうか。「100年に1度」などというおとぎ話のような恐怖感とはまったく正反対の健全な前進が求められていることです。

冒頭に取りあげた失業について一点付け加えます。恐慌ではなくても、資本主義は労働者階級を現役労働者と相対的過剰人口(半失業・失業)とに分断します。産業循環はこの現役人口と過剰人口との割合を変えるだけで、つねに過剰人口がプールされています。この過剰はもちろん資本蓄積にとってという意味。中位の活況から繁栄の局面では、労働力が産業予備軍の貯水池から吸い上げられ、恐慌ではその逆となりますが、資本がみずから過剰人口をという手段をつくりだすことが重要です。

「せいぜいのところ、イギリスの貧困は、自由貿易か保護貿易かにはかかわりなく、沈滞期と好況期との交替につれて増減するということだ。それどころか、自由貿易の1852年でさえ、保護貿易時代の1837年よりも貧民救済費支出額は320,122ポンドもふえている。しかもこの年にはアイルランドの飢饉があり、オーストラリアの金鉱発見があり、また移民がたえず流出しつづけたにもかかわらず、である」(「貧困と自由貿易」『全集8』S.368.)。
「貧民労役所がからになったのは、自由貿易のおかげであり、もし自由貿易がなんの妨げもなしに完全に展開されれば、おそらく貧民労役所などはイギリスの土地からまったく姿を消してしまうだろう、と。ところが残念ながら、『エコノミスト』の統計によると、その証明しようとすることは証明できないのである」(「貧困と自由貿易」『全集8』S.367.)。

19世紀の「自由貿易」論は、今でいう新自由主義みたいなもの。市場原理主義です。新自由主義が不徹底だから失業が生まれるのだ、という立派な説は19世紀にも繰り返されていたのでした。(終り)
by kamiyam_y | 2009-09-24 18:14 | 現代グローバリゼーション | Trackback | Comments(0)

金融グローバリゼーションと「サブプライム」危機(2)

▼ 国連開発計画(UNDP)『人間開発報告書2007/2008』から「教育への公的支出」を見てみました(人間開発指標Table11、二宮正人・秋月弘子監修、阪急コミュニケーションズ、301頁)。GDPに占める割合(2002-05年)と政府支出総額に占める割合(2002-05年)を少しだけ拾ってみます。北欧のノルウェーが、7.7%、16.6%、デンマークが、8.5%、15.3%。日本は、3.6%、9.8%です。北欧に対してだけではなく、英米に比べても低いです。米国 が、5.1%、15.3%、英国が、5.4%、12.1%。ちなみに、ニュージーランドが、6.5%、20.9%、南欧のギリシャが、4.3%、8.5%。教育に対する社会的支援の水準を示すと思われるこの数値ですが、先進国中日本は低いことがあらためてわかります。

教育を受ける権利は権利として平等であり、政府には保障する義務があるはずですが、ここにも官僚による縄張りと上からの産業育成という後進的なありようをうかがえる気がします。個人の人権から政府の義務が演繹されるのではなく、いきなり全体の論理から個人が統治の客体として位置づけられているような。

日本的格差社会の構造も、単なるグローバリゼーションの影響というにとどまらずに、こういうところにかなり大きな要因があるように思えます。企業による安易な賃下げ、首切りも働く人々の権利をどう制度的に保障し支援するかという視点を欠いた無責任体制。無責任は偽装請負をした企業だけでない。竹信三恵子『ルポ 雇用劣化不況』(岩波新書、2009年)はこの安易な対応によって変質した労働の現場を追跡していて、読み応えありました。

労働において労働の主人公である(=社会の主人公である)一人一人が成長する人間らしさ、人としての権利を支えることに、政労使が無関心であるという停滞したありようが、偽装管理職や派遣切りや偽装請負などに端的に示されるような、安易なコスト切り下げのための労働力の使い捨てを許している。

同時に、格差社会がこれだけ争点となったことには、日本の大衆の成熟を実感します。生存権のように、人権は、あらゆる人間に共通ですから(人権は人間の権利!)、様々な「貧困」的現象・企業中心主義的現象によって人権の実現を阻害されている他者の存在は、これを自分の問題として受け止め、怒りを共有することになりますし、労働において人権を侵害された個人は、それに抗議することが働く人々を中心とするすべての人にとって大きな意味をもつことを知っています。ワーキング・プアの存在が、正規雇用労働者にとっての幸福を拡げるなどと思う人がたくさんいた時代は過ぎ去りました。いやそんな時代ないですけど。

▼ フルタイム労働者ベースでも賃金の男女格差日本は大きいんだな。社会実情データ図録図録▽男女賃金格差

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岩井克人という人が金融危機に関連していくつか書いてました。

「(経済危機の行方 世界は)資本主義は本質的に不安定」(『朝日新聞』2008年10月17日朝刊3面)。
「金融危機と世界行方を探る(9)東京大学教授岩井克人氏(経済教室)終」(『日本経済新聞』2008年10月24日朝刊、27面)。
「サバイバビリティ―東大教授岩井克人氏、規制づくりは現実主義で(世界この先)」『日本経済新聞』2009年1月6日朝刊、 5面)。

貨幣が投機の純粋型、新古典派の実験は破綻、というのがだいたいの趣旨のようです。

たしかに貨幣を投機とよぶこともできなくはありません。そもそも資本主義の起点である商品流通は、エゴの衝突であって、結果として社会的生産が成りたつ、それ自体は無計画で無政府的生産ですから。人間が自分たちで協同して自分たちの社会的生産を制御できないのですから。単純商品流通において、売りと買いがばらばらになって、あるいは、生産と消費が一致しなくなって、その一致が人々にとって暴力的な強制的な経済法則になってしまう、ここに、恐慌現象の抽象的な形がすでにあるわけです。「流通は生産物交換の時間的、場所的、個人的制限を破るのであるが、それは、まさに、生産物交換のうちに存する、自分の労働生産物を交換のために引き渡すことと、それとひきかえに他人の労働生産物を受け取ることとの直接的同一性を、流通が売りと買いとの対立に分裂させるということによってである。独立して相対する諸過程が一つの内的な統一をなしていることは、同様にまた、これらの過程の内的な統一が外的な諸対立において運動するということをも意味している。互いに補いあっているために内的には独立していないものの外的な独立化が、ある点まで進めば、統一は暴カ的に貫かれる―恐慌というものによって」(『資本論』第1部、大月書店、S.127-128)。本来一体であるものが通過する暴力的な快復過程が恐慌です。

マネーゲームでいう貨幣は、生産物のなかだちをする単純な貨幣ではなく、はやい話が、投機によって儲けるための貨幣であり、貸付の証書に値段が付けられてそれが膨張しているようなもの。破綻は最初から予定されてます。

今回の金融危機でサミュエルソンが活発に発言してました。健在だったんですね。歴史上の人物かと思ってました。

「(経済危機の行方 世界は)規制緩和と金融工学」(『朝日新聞』2008年10月25日朝刊、3面)。

「大恐慌以来、最悪の危機」であり、「規制緩和をやりすぎた資本主義」の「メルトダウン」と評し、「金融工学のモンスター」が「危機を深刻化させた」と述べています。ブッシュの「億万長者に対して優しい政治」によって「米国の人々の生活は厳しさを増した」とレーガン=ブッシュ路線を強く批判する姿勢にアメリカ民主主義の迫力を感じます。

それ自体としてはばらばらの生産過程や消費過程を、人々の生活を向上するように結びつけるのが金融に期待される役割でしょうから、金融をどう公共的に政策的に制御していくのかが問われるにもかかわらず、社会のお金を「山師」が投機に用いるエゴのテクノロジーにゆだねられていたことが危機を拡大したといえます。破綻がおきてから金融国際協調がそれ自体は迅速に行われたのではありますが。

You TubeでSamuelsonと検索したら、いくつか引っかかりました。

http://www.youtube.com/watch?v=zCudGmRIsfk

蝶ネクタイがすてきです。隣に座ってるのはソローでしょうか。
by kamiyam_y | 2009-09-23 12:44 | 民主主義と日本社会 | Trackback | Comments(0)

金融グローバリゼーションと「サブプライム」危機(1)

現在の世界同時不況、ケインズが大恐慌時代に語ったことを思い出さずにはいられません(私は生まれてないですけど)。

「世界中を覆っている不況、世界中に充足されない欲望が溢れているのに失業が存在しているという最悪の異常事態」(『ケインズ全集9』宮崎義一訳・東洋経済新報社、388頁)。


充足されない欲望がありながら生産がなされないという不合理。

現代の大量失業においても、人々が、自由に労働することによって社会参加するという権利を実態において喪失していることにかわりはありません。人権主体である個人が経済の実態においては、関係に支配される個人になっており、この分裂にもとづいて、関係を制御する努力を諸個人が強制されるのが資本主義時代。実態において、失業という強制的な遊休は、資本のもとでの強制的な過重労働の裏面です。不況はこの対立的なありようを拡大して見せているだけともいえましょう。

2004年には、0.83、2006年に、1.06あったのが、2008年には0.77、2009年1月に、0.67、2月に0.61、3月には0.54、7月には0.41にまで急下降。

有効求人倍率です。
厚生労働省「一般職業紹介状況」2009年7月分

いわゆる不況が悪化するとは資本が利潤を回復するために生産能力をみずから破壊するプロセスです。飢えた人がいても資本が増えなければ生産物が廃棄されます。資本による労働力の購買が減少し、失業が増えます。産業循環を構成する起点は個人の自由な意思ではなく、資本蓄積です。資本の生活過程が産業循環です。

ワーキングプアの世界的な激増も予想されていること。
ILO 1/28

若年層の失業は世界共通の問題。先進諸国の25歳未満の若年失業率を、ILOは16.0~18.7%とみています。
ILO駐日事務所メールマガジン・トピック解説(2009年6月30日付第85号)

アメリカ合衆国発の金融危機が引き金となったこの現在の世界的な大量失業・雇用破壊ですが、すこし振り返ってみましょう。「貧困あるところ金融あり」ってわけで(そんな諺ありませんが)、貧しい労働者にマイホームを、という政策が、返済できそうもない大衆への過剰融資を行う環境づくりに転換し、労働者が労働力の代金を生活手段に変えること、家という生活手段を獲得しようとすることが、マネーの膨張のための道具になっていったところに、「サブプライム」危機の発端を見いだせます。労働で搾取され、消費でも搾取される。「サブプライム」層とは、貸付ける側からすると、返済が滞る危険度が高い層を指します。

最初の2年は金利を低く据えおく形で、サブプライム労働者にローンを組ませて家を買わせ、金利が上がるときに売却させる商売方法(ビジネスモデル)は、住宅価格の上昇を見込んでます。住宅価格上昇が続くということが、大衆から奪い、金融内部で奪い合うゲームが依拠する想定です。日本のバブルのころの土地神話みたいなもん。この想定が崩れるや、金融奪い合いは、損失の押し付け合いに化ける(これも奪い合いですけど)。

膨張を進める道具になった「証券化」という手法では、請求権が細かく分割され再合成されて価格を付けられ、世界中の金融機関に売られ、この証券化商品のなかにサブプライム関連も含まれていたわけです。ローカルな関係を壊して、商品の製造過程も成分も不明することで、商品となった請求権が世界中に分散するという仕掛けですね。

危機の要因はもう1つ、CDS(クレジットデフォルトスワップ)という金融派生商品(デリバティブ)。保険みたいなものです。クレジットデフォルトは債務不履行、スワップは交換。CDSとは、保険料みたいなものを払っておき、債務不履行にあったばあいに、カネをもらう契約です。焦げ付きのリスクをネタにした取引。たとえば、会社イに貸し付けているロは、ハと契約を結び、保険料を払います。会社イが債務不履行に陥ったばあいに、ハが代ってロに保険金を払う、というようなかんじです。CDSを売る者がまたCDSを買います。CDSの連鎖が拡がります。実際に用意されてあるお金以上に売買が膨らんでいきます。AIGの業績悪化の要因がこのCDSでした。

端折りますが、そもそもマネーゲームはその架空性ゆえ膨張できると同時に、破壊的な収縮を運命づけられているもの。

2007年8月にはパリバショック、2008年9月にリーマンショックときて、アメリカの投資銀行(証券会社)が消滅する事態となり、10月にはG7が行動計画を立て、11月にはG20金融サミットが創設されます。

くわしく知りたい人は、私とは立場が異なるものもありますが、以下の文章など。

「独白 金融危機編 サブプライム。実は誰も分かってない」『東京新聞』2009年3月17日朝刊、1面(http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/economic_confe/list/CK2009031702000043.html)。
「(大磯小磯) 債務担保証券のワナ」『日本経済新聞』2008年10月23日朝刊、17面。
「広がる倒産保険CDS市場(上)強まる株価との連動性」『日本経済新聞』2008年6月27日朝刊、16面。
「米コロンビア大教授ジョセフ・スティグリッツ氏に聞く―外貨準備制度見直し必要」『日本経済新聞』2008年10月30日朝刊、8面。
「自由競争主義に欠陥あった グリーンスパンFRB前議長」『朝日新聞』2008年10月25日朝刊、15面。
大橋和彦「CDS、金融危機深めた「落とし穴」(経済教室)」『日本経済新聞』2008年11月14日朝刊、25面。
高巌「金融危機で問われる企業倫理(経済教室)」『日本経済新聞』2008年11月21日朝刊、29面。
「第2特集:基礎からわかる 米国発・世界金融危機」『週刊東洋経済』2008年11月8日号。
宮台真司『日本の難点』幻冬舎、2009年、194-206頁。
日本経済新聞社編『実録 世界金融危機』2009年。
岩橋昭廣「世界金融危機とマルクス経済学」(『経済』2009年5月号)。
春山昇華『サブプライム問題とは何か アメリカ帝国の終焉』宝島社新書、2007年。
浜矩子『グローバル恐慌―金融暴走時代の果てに』岩波新書、2009年。
水野和夫『金融大崩壊―「アメリカ金融帝国」の終焉 』生活人新書、日本放送出版協会、2008年。
林敏彦『大恐慌のアメリカ』岩波新書、1988年。

4月にロンドンで開かれた金融サミットでは、金融安定理事会創設、ヘッジファンドの登録制、タックスヘイブン(租税回避地)の規制強化、などを盛り込んだ共同声明が発表されました。

破壊的な金融グローバリゼーションに対していまや人々の抗議の意思表明もグローバルです。サミットとは、反サミット運動において存立し、グローバリゼーションは反グローバリゼーションにおいて自らを形成する。こんな風にもいえるかと。反グローバリゼーションは敗北しないために、物象のグローバリゼーションに対する、協同する人間のグローバリゼーションに転化せざるをえない。

デモのときの警察による横暴・人権侵害も世界中に公開されてましたね。歩いていたイアン・トムリンソンさんが、警察官による暴行を受けたシーン。

http://www.asahi.com/international/update/0421/TKY200904210083.html
http://www.youtube.com/watch?v=HECMVdl-9SQ
http://www.guardian.co.uk/uk/g20-police-assault-ian-tomlinson

法に反する暴力の行使ですから、警察官も処分されてるようです。ネットの力も処分を促したにちがいありません。
by kamiyam_y | 2009-09-21 20:18 | 現代グローバリゼーション | Trackback | Comments(0)

菌を生かす労働過程の変革

労働過程の3要素は、生きた労働、労働対象、労働手段。労働対象と労働手段をあわせて生産手段とよびます。本源的な生産手段は大地。人間が森に働きかければ、木の実という素材を自然は提供し、さらに、大地は木の実をつぶして粉にするための石も与えてくれる、というように。

発展した生産手段は、労働の積み重ねであることがすぐにわかる。ある朝目覚めたら、背中に携帯電話が生えていたとか、道ばたにケーブルが生育しているとかいうことはありません。天然にみえる動植物も品種改良が加えられている。人類の歴史は労働手段のなかにある。

以上は以下の話のための復習。

『日経産業新聞』にサントリー酒類山崎蒸留所を素材にした記事がありました(「変革の起点」6月25日)。87年から2年かけて改良した工程の、最初の生産物が出荷されたという話でした。加工のプロセスを見直し、労働対象、労働手段の改良を行って、生産方法を変革したんですね。

新しい方法の成果が出るまで20年かかったってことなのかな。生産を始めたときに生まれた赤ん坊も大学生になってます。子育てよりも長い時間をかけて労働生産物を生産する。人間っておもしれ~な。

待つこと10年以上ととなれば、口を切る瞬間も厳かさを感じるのでしょうね。ともあれ、10年単位での労働です。

生産の時間には、人間が労働を加えずに、このように労働対象自身の熟成を待つ時間があります。酒づくりでは、人間が果実を踏みつぶすというような、人間の身体により直接対象を変化させる時間だけではなく、酵母が働く時間のような、労働対象の自然変化にゆだねているこの時間がとても長い。生産時間が建築物より長くなったりするわけです。

山崎の改良は、ステンレスの発酵槽を木製にして、菌類の働きを活かして香りを複雑にするというのがメインだったそうです。

つまり、ミクロフローラ、微生物たちの活躍が労働過程変革のポイントだったのでした。

さて、『もやしもん』8巻(石川雅之、講談社)が先々月に出ましたが、まだ買ってません。3巻までは読んだのですが。

ご存知ない方のために書きますと、菌と仲良しの大学生を主人公にしたマンガ。農業大学のとても自由な、あたかも企業社会から独立した学問都市みたいな空間に、ちょっと日常からかけはなれた教授に出会った学生たちがおりなす物語。

内田樹が大学と学問を語るなかでこの『もやしもん』をとりあげていて(『街場の教育論』ミシマ社、2008年、51ページ以下)、とくに論じませんけど、なかなか参考になりました。

ちなみに『ビッグ・イシュー』120号にも作者石川氏へのインタビューが載ってました。

おもったんですが、お肌をきれいにしたい人は、お肌がきれいな人から皮膚の菌を分けてもらうといいかも。方法はお好きに。

最後は軽いエロでまとめてみました。
by kamiyam_y | 2009-09-06 21:21 | 学問一般 | Trackback | Comments(0)