さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

<   2009年 03月 ( 3 )   > この月の画像一覧

公訴権の独占に対して

貨幣の流れに関して、「公開性」「透明性」を要求する声が高まること自体は、社会のそれなりの陶冶でしょう。とはいえ、恣意的な権力行使をこれは正当化するものではありません。

自民党代議士が西松建設からカネをもらい、その地元で西松が公共事業を受注しているケースがあるにもかかわらず、民主党小沢代表の公設第一秘書だけが政治資金規正法違反容疑で逮捕されたのは、やはり恣意的・裁量的なものといわざるをえず、小沢豪族が立派とはいわないですけど、公正性に欠けます。

横田一「自民から出馬を予定していた元秘書の胡散臭さ」、上杉隆「国会議員にも蔓延する不信感」、青木理「金額も罪状もお粗末」(いずれも『週刊金曜日』743号、3/20号)を読むと、こう評価するほかないように思えますね。また、青木の「リレー連載 新聞の通信簿」(『週刊現代』3/28号)も、日歯連事件や、三井環氏(『告発! 検察「裏ガネ作り』)の逮捕事件に触れ、この問題を論じてます。民主社会において公的権力の恣意的運用を防ぐこと、そのために権力を監視することの重要性をあらためて考えさせられるといいますか。

検察の異例の説明については、郷原信郎「ニュースを斬る 検察は説明責任を果たしたか」(『日経ビジネスオンライン』http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090324/189886/、2009/03/25)が、問題点をしっかり指摘しており、なかなか面白いです。書いてる人は、桐蔭横浜大学法科大学院教授で元東京地検特捜部検事。
by kamiyam_y | 2009-03-25 08:34 | 自由な個人の権利と国家 | Trackback | Comments(0)

企業権力と持続可能性

昨日の日経の社説は、漆間問題を取りあげてましたね。道新も小沢の「説明責任」だけではなく、漆間発言に触れてました。

----------------------------


今騒がれているのは、現行の法律に則してカネの経路を明白にせよ、ということでしょうが、そもそも「政治とカネ」が問題となるのは、「企業の政治献金」が本質的に転倒を含んでいるからです。個々の見返りを求めた明らかな袖の下ではなくても、企業の政治献金は、生きた個人のみを主体とする近代社会の自己納得化様式を無視してます。この主体に包摂されてのみ社会的なもの、組織、関係は正当化されうるという様式から逸脱してます。

生きた個人こそが自由であり、人権をもち、社会契約をする主体であるという理念はいわば近代社会を生みだした理念。この理念を、企業が「企業の人権」という形で奪い取ることは、この理念の中身を押しつぶし空洞化させることにほかならない。

企業は法的には個人が作った道具にすぎません。企業は、労働する諸個人が関係を結ぶ関係の束であり、それを体現する物象です。企業が人権をもつことは、関係が、物象が人権をもつということであって、近代の理念を正反対に裏返すこと。例えば、従業員の精神的自由、思想良心の自由よりも、会社の精神的自由が優位するなんてなったら大変ですよね(それに近い現実はあふれてますけど)。

生きた個人だけが主人公であると認める近代の理念は、実際の経済の編成を、人々が共同で関知できない物象的関係に担わせる、という巧妙な棲み分けによって成立したかに見えた。しかし成立するや、物象的関係は企業という形でたえず暴走する威力となる。飽くなき資本蓄積は際限なき運動です。使用価値目的なら止まりますが、価値目的、価値増殖目的なのですから止まろうなんてしません。資本への愛をあおりたてることに依存したシステムは直接には膨張のための膨張なのですから、持続可能なものではありません。

こうして、生産関係が能動化し、暴走する威力としてあらわれてしまいます。しかしこのことは人権にもとづく社会を成熟させることへの転換そのものです。

なぜなら、経済を編成し統合する力が、人権の実現を止める障壁であるかのように可視化されるからです。可視化され人々がともに調整する対象としてあらわれるからです。

カネは私物の形を取って始まりますけど、始めから関係であって公共的です。公共的なものが暴れてしまうのをいかに抑えていくのか。政治とカネをめぐる制度的工夫の課題はここに帰着します。

制御されざる生産関係が、人権の実現にとって資本主義的限界を与えているが、こうした関係の暴走が、生産関係の運動をうまく調整するように仕向けます。様々な調整の工夫によって、物象が暴走しないようにその行動を和らげ大人しくさせることが持続可能なシステムへの転換であるといえましょう。
by kamiyam_y | 2009-03-10 23:21 | 企業の力と労働する諸個人 | Trackback | Comments(0)

警察権力の脱正統的使用

小沢一郎と民主党について吉本隆明がちょっと述べていることをそのうち紹介・批評しようと思っていたんですが、手元に資料がないです。片づけ苦手なもんで。すみません。たしか吉本は運動家あがりの人と、小沢のような政治のプロとが合流しお互いに学びあう点に民主党に期待できる意義を見いだしたうえで、二党以外の政党が視野から外されるのは面白くねえよ、みたいなことを言ってました。田中角栄をアジア的と評している吉本は小沢にも同じものを見いだしていたのだったかと。地域の共同性を中央にもっていって押し通す政治家。

まあ建設利権は一種の人治主義ともいえなくもない。

田中といえば、アメリカを怒らせてロッキード事件と言われてますが、さいきん小沢の今回の事件でも一部そういう憶測が流れてます。あの脱アメリカ的発言ですね。わかんないです。判断材料ないんですから単なる憶測にとどまります。

専制的王権であっても、複数政党を介さない一党政治であっても、形式的に複数政党制で一党支配が続く場合であっても、一般的に言えば、共同利害は転倒的な形であれ必ず反映されます。現代の成熟した社会ではなおさらのこと民意はどんな形であれ、権力に届かないなんてことはありえません。とはいえ、日本の民主主義の成熟にとっては、政権交代に対する畏れを乗り越えていくこと、政権交代を実現することが1つの重要な経験になりうると判断しているので、政権交代にとってマイナスになりうる要因として今回の事件は進歩の妨げといえるかと思えます。こうなってはここでありうべき前進は、、金返すですまそうとしている自民二階経産相ルートの疑惑を検察に平等に追及させることでしょうか。

http://www.excite.co.jp/News/society/20090307/Kyodo_OT_CO2009030701000806.html

で、今回の西松建設の事件に関連して。

「自民党議員に波及する可能性はないと思う」と西松建設献金事件に関して漆間巌官房副長官が述べました。もちろん大問題発言です。報道では最初「政府筋」なんてあいまいな言い方をされてましたが、自民党内部からの批判の声で暴露されてしまいました。

http://www.excite.co.jp/News/politics/20090308/20090308E10.007.html
http://www.excite.co.jp/News/politics/20090308/Kyodo_OT_CO2009030801000120.html
http://www.excite.co.jp/News/politics/20090308/20090309M10.067.html

この言い方は国策操作を匂わせますし、この人そもそも、警察を法ではなく政治家の意向によって動かしてもよい、政治のための事件づくりは認められる、とする考えをもっているらしいのですから。

そもそもこの人って、浅野史郎宮城県知事による警察裏金問題追及に対して反動的な(権力の自己維持的な)1つの反応パターンを示した人でした。

警察裏金問題といえば、現職やOBによる勇気と誠意ある内部告発によって、道新をはじめとする調査報道、ジャーナリズムの努力によって世論の関心の高まっていた問題。捜査報償費開示を拒否する県警に対して浅野宮城県知事が執行停止措置の決断を行ったことは画期的ですが、このときに上から激しく権力の拒絶反応を示してみせたと評されうるのが、当時警察庁長官であったこの漆間です。

この人について、『世界』3月号に掲載された青木理「ある警察官僚の軌跡」がとても参考になります。

青木氏の短いながら力のこもったルポは、警察庁長官時代には安倍前首相に接近し現官邸に入り込んだ漆間の軌跡を描きだしながら、「自治体警察」という「建前」と「国家警察」という「実態」の乖離など、民主主義を深めるための警察権力の管理のありかたについて考えさせる視点をいくつも提供していて、面白いです。
by kamiyam_y | 2009-03-09 22:50 | 民主主義と日本社会 | Trackback | Comments(0)