さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

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協業と機械-スミス『国富論』とマルクスの《資本の生産力》(7)

「社会的総資本の再生産と流通」というテーマの授業終了後、学生から楽しかったと言われました。一所懸命ノートをとったからのようでしたが、この箇所は面白さを伝えるのがけっこう難しかったりするところ。

流通によって、産業資本が絡みあって全体の再生産をしているのですが、この再生産の条件が、恐慌の条件でもあることがミソです。神のみえざる手が毎年自動的にバランスをとるわけもなく、生産の社会的な統一性が暴力的につっぱしるのが恐慌。

無政府的な自然発生的な生産の限界があらわれるといえましょうが、資本主義的生産はその存続において、自然発生的ではない意識的要因を必要とします。矛盾です。

で、まとめの対比。無秩序な秩序である資本主義では、交換という非社会的な私的な生産が、大工業とそれにもとづく工場法という社会的な生産を自分の手段にしようとしながら、それとぶつかりあって、時代が切り開かれていきます。

まず交換。社会的なものを手段におとしめるという非社会的な孤立した生産のありかたです。

・・・[略]・・・交換取引は社会的な関係の反対物である.(「ジェームズ・ミルに関するノート」(1844年、杉原四郎・重田晃一訳『マルクス 経済学ノート』未来者、1962年、101頁)

われわれの生産は,人間としての人間のためにおこなう,人間の生産ではない.つまり,どうみてもそれは社会的な生産ではない.(同上、112頁。傍点省略以下同様)

・・・[略]・・・私が貴君との間にむすんでいる社会的な関係だとか,貴君の欲求のために働いているのだとかいったたぐいのことは,まるきり仮象であり,われわれの相互の間の補完ということも、これまた同様にまるきり仮象であって、実はわれわれの相互の間の掠奪が,これらの仮象を支える土台になっている.(同上、114頁)


交換が自覚的にみんなのために働いている証だ、という見方は仮象で、人間の類的な本質が手段におとしめられているのが実態だ、というわけ。人間が自己の《類》から疎外されることは、人間自身の自己疎外です。

この交換を介した貨幣の増大という私的形式がまた、社会的な生産力をつくりだします。他人の私的所有物の世界というかたちで。疎外とは、疎外という産出行為といえます。

で、つぎに、大工業。

社会的生産過程の種々雑多な外観上は無間連な骨化した請姿態は、自然科学の意識的に計画的な、それぞれ所期の有用効果に応じて体系的に特殊化された応用に分解された。(『資本論』大月書店版、S.510.)
近代工業の技術的基礎は革命的なのであるが、以前のすべての生産様式の技術的基礎は本質的に保守的だったのである。機械や化学的工程やその他の方法によって、近代工業は、生産の技術的基礎とともに労働者の機能や労働過程の社会的結合をも絶えず変革する。(S.511.)


生産方法の変革によって、資本主義は資本主義になります。封建社会からひきついだ生産用法を廃棄して、労働の合目的な性格、地球と人間とを開発する普遍的性格を解放します。敵対的な形で。

計画的な協働という主体的要因と、機械の利用という客体的要因が発展し、科学を意識的・計画的に適用した大工業的生産が資本にもとづく生産にふさわしい姿になります。

生産の不断の変革は蓄積が求めるとともに、それが科学の適用によって技術的に基礎づけられる、というの興味深い。

・・・・・・労働過程の協業的性格は、今までは、労働手段そのものの性質によって命ぜられた技術的必然となるのである。(S.407.強調は省略。)


機械体系によって協業が必然となり、私的生産の内部に、労働者の社会関係が生まれてきます。

大工業によって、部分的とはいえ生産過程に対する社会的な制御が必然化し、個人の発展の可能性とがもたらされます。

 おそらくイギリス議会の独創性を非難するような人はないであろうが、要するに、この議会は、経験によって、労働日の制限や規制にたいするいわゆる生産上の自然障害はすべて一つの強制法によって簡単に一掃できるという見解に到達したのである。それゆえ、ある産業部門で工場法が施行されるときには、その間に工場主たちの手で技術上の諸障害を除くための六か月から一八か月の期間がおかれるのである。ミラボーの、「不可能?そんなばかなことを言ってくれるな!」・・・・・・という言葉は、近代の技術学にはことによくあてはまる。(S.501.)

 資本主義的生産様式にたいしては最も簡単な清潔保健設備でさえも国家の側から強制法によって押しつけられなければならないということ、これほどよくこの生産様式を特徴づけうるものがあろうか?(S.505.)


現代においてこそすごくよく分かる記述ではないでしょうか。

したがってまた、それ[近代工業-引用者]は社会のなかでの分業をも絶えず変革し、大量の資本と労働者の大群とを一つの生産部門から他の生産部門へと絶えまなく投げ出し投げ入れる。したがって、大工業の本性は、労働の転換、機能の流動、労働者の全面的可動性を必然的にする。他面では、大工業は、その資本主義的形態において、古い分業をその骨化した分枝をつけたままで再生産する。……いまや労働の転換が、ただ圧倒的な自然法則としてのみ、また、至るところで障害にぶつかる自然法則の盲目的な破壊作用を伴ってのみ、実現されるとすれば、大工業は、いろいろな労働の転換、したがってまた労働者のできるだけの多面性を一般的な社会的生産法則として承認し、この法則の正常な実現に諸関係を適合させることを、大工業の破局そのものをつうじて、生死の問題にする。(S.511-512.)

「靴屋は靴以外のことには手を出すな」!……この、手工業的な知恵の頂点……は、時計師ウォットが蒸気機関を、理髪師アークライトが縦糸織機を、宝石細工職人フルトンが汽船を発明した瞬間から、ばかげきった文句になったのである。(S.512-513.)


マニュファクチャーは分業によって人間を固定化し、大工業によって一掃されてしまいますが、大工業は人間を機械の部品として一面的な存在にしてしまう。その反面、労働力をたえずある生産から他の生産に移動をさせねばならず、労働者を多面的な存在にせざるをえない。

アークライトの話は面白いですね。封建制の身分によって固定された職業から、単に法的にではなく、人がじっさいに職業を変える。現在の非正規雇用の強制による職業移動や、職業上の必要による勉強の継続と比べると、発明の話の誇らしさは牧歌的なかんじがしますが、現在でこそ、平凡なふつうの人がさまざまな可能性を開発してると思えます。ほんの数世代さかのぼるだけで、勉強するのは武士の一部であったという時代でした。これに対して、高等教育が短期間にこれだけ普及したことはすごいんじゃないでしょうか。自由時間の最大限の収奪において、人間の発展の可能性がもたらされてるという逆説です。
(了)
by kamiyam_y | 2007-11-22 12:23 | 資本主義System(資本論) | Trackback | Comments(0)

「命がけの飛躍」がふくむ掠奪

昨日ドコモの不当表示を取りあげたのはネットのニュースをチェックしてのことだったんですが、紙媒体の新聞でもけっこう大きな扱いなんですね。

資本は、商品資本から貨幣資本への資本の流通W'-G'を実現しなければならない。そのためには、大量の需要喚起のための策略も辞さない。その大量需要喚起のための空費のなかには、買手に誤認させる活動も含まれていた。こういう流れがまあ不当表示ってやつかと。

この流通W'-G'は、資本の形態転換運動の一部です。資本とは、G-G'ですが、それは生産・・・P・・・を包みこんで、自己を再生産する運動になっています。より多くの価値、剰余価値を目的とする生産が資本です。資本とは、剰余価値を吸収して拡大しながら自己再生産する流通であって、売る時間をゼロにして売る量を最大にしなければならない。この強制は、早く大量に売れ、という資本の相互競争の法則として私たちに対立しています。

とはいえ、詐欺は正常な《流通費》にはあらずですわ。

「大連立」について補足。朝日新聞16日(金)に掲載された小沢へのインタビューをみると、実現できなかった民主党の主張も、権力を取れば簡単に実現できる、というのが彼のかんがえのようです。自民との連立ではなく「最低でも野党連立」と宣言してましたが、それが筋というものでしょう。野中広務の小沢批判を載せた記事(『週刊現代』11/24号、松田賢弥「小沢一郎と消えた湾岸戦費1兆円」)のなかで紹介されている森田実のコメントには、「小沢はアメリカに楯突くことはできない」とあります。どうでしょうかね。

話はかわりますが、レストランで女性トイレの近くに座っていて、ほんの一瞬ですが香ばしい薫りが漂ってきました。便も香水も食材の薫りも違いは紙一重ですから平気ですけど、女の人は便秘を避けるためにも野菜とヨーグルトをたくさん食べ、キシリトールガムを噛むといいとも思います。トイレをかわいくてきれいで楽しい、文化の香りのする、いつも行きたいすてきな場所にするのもよい手です。

トイレの話はおくとして、いま求められているのは、法律のリストラかもしれない。もひとつ朝日からですが、11月15日(木)朝刊14版2面の「ニュースがわからん!」で、管轄省庁ごとに食品生産を規制する似たような法律があることが説明されてました。経済産業省-不正競争防止法、厚生労働省-食品衛生法、公取委-景品表示法、という対応関係をみたら、権力の分散ではなく「縄張り」「ばらばら」という言葉を思い浮かべるのは私だけではないはず。もっとも、法律とは利権である、利権とは共同的必要を手段とする、という命題が法律のリストラによって廃棄されるわけではありませんけれども。

そんな命題あるのかといわれると、いま私が思いついた命題です。
by kamiyam_y | 2007-11-18 23:36 | Trackback | Comments(0)

労働関連と消費者関連ニュース

気になったニュースをいくつか。


ちゃんこ鍋か、ゴルフ券か。

YOMIURI ONLINE(読売新聞)
>内部告発情報漏えい問題 元豊田労基署長ら処分http://chubu.yomiuri.co.jp/news_top/070428_2.htm?from=goo

労基署に会社のスパイがいるなんて怖いですねえ。


男性の育児休業を実現した職場は、労働局の認定を得て「くるみん」ちゃん(厚生労働省:愛称「くるみん」に決定!!)ラベルを使用できます。所定外労働10%削減を自主的に果たした企業を支援するために、「くるみん」ちゃんの輪をひろげましょう(かっこハートマーク)。

琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース
>沖縄労働局 子育て支援に富士通SEなど認定琉球新報http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-28851-storytopic-4.html



病院も労働法違反。医療労働者を大切にしない現場は患者に対してもどうなんでしょうか。

病院・診療所に労基署立ち入り、8割で違法確認 : ニュース : 医療と介護 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

ネット時代に新聞業界もやはり大変ですね。
市民の市民による市民のためのメディア 日本インターネット新聞JanJan暮らし・70人に1人が“いつも死にたい” 新聞労連・組合員意識調査



消費者にとって不利な点を一応は書いてあるがほとんど隠してあるに等しいような広告は、公正取引委員会の「警告」に値する、という判断。

ドコモとKDDIに警告 条件の説明が不十分 | エキサイトニュース
<携帯料金>公取委、2社に警告…解約金などを小さく表示 | エキサイトニュース
公正取引委員会:報道発表資料・景品表示法(違反事件関係)071116.pdf (application/pdf オブジェクト)

「●2年間同一回線の継続利用をお約束いただきます。●契約期間中に割引サービスの廃止、ご契約回線の解約または利用休止の場合は、継続利用期間にかかわらず9,975円の解約金が必要となります(契約満了月の翌月を除く)。」

という記述が、「約5ポイントの文字」であることをもって、誤認させうると判断したわけですが、たしかに5ポイントじゃ、中高年は虫眼鏡が必要です。

不当景品類及び不当表示防止法(不当な表示の禁止)

第4条 事業者は、自己の供給する商品又は役務の取引について、次の各号に掲げる表示をしてはならない。
1.商品又は役務の品質、規格その他の内容について、一般消費者に対し、実際のものよりも著しく優良であると示し、又は事実に相違して当該事業者と競争関係にある他の事業者に係るものよりも著しく優良であると示すことにより、不当に顧客を誘引し、公正な競争を阻害するおそれがあると認められる表示
2.商品又は役務の価格その他の取引条件について、実際のもの又は当該事業者と競争関係にある他の事業者に係るものよりも取引の相手方に著しく有利であると一般消費者に誤認されるため、不当に顧客を誘引し、公正な競争を阻害するおそれがあると認められる表示
3.前2号に掲げるもののほか、商品又は役務の取引に関する事項について一般消費者に誤認されるおそれがある表示であつて、不当に顧客を誘引し、公正な競争を阻害するおそれがあると認めて公正取引委員会が指定するもの

by kamiyam_y | 2007-11-17 23:11 | Trackback | Comments(3)

世界最初の株式会社

はやりの映画をみるという社会参加をとりあえず是として。

『イングリッシュ・ジャーナル・セレクション ハリウッドスターの英語2』(ALC、2007年)を買った。キーラ・ナイトレイ、オーランド・ブルーム、ジョニー・デップのインタビューを読むためとしておきます。

キーラとオーランドは、イギリス系で、ジョニーはアメリカ南部の出身だそうですが、『パイレーツ・オブ・カリビアン2』のDVDを借りてきた見たときは、気づかなかったです。

ジョニー・デップのお姉風な立居振舞というキャラづくり、キーラの男装シーンのエロティシズムから、隠されたテーマはマイノリティ解放か、「n個の性」かと思ったりもしましたけれど、とくにそういう展開はなく。

グログログロな場面なあとにでてくる、CGによるファンタスティックな場面が爽快。

おわりの方で、キーラがジョニーとキスしているのを、キーラの恋人のオーランド・ブルームが見てしまうんですが、3ではどうなっているのでしょうか。どうでもいいことがやや気になってしまいました。

この本では、ジョニー・デップは『チャーリーとチョコレート工場』の話がメイン。

ちなみに、オーランド・ブルームのお父さんは、ネルソン・マンデラの支援をしていた人だそうな。

といわけで、株式会社の話を書くつもりだったんですが、興味のある方はご自分で調べてください(^^;)映画では「東インド貿易会社」とかいう訳で、イギリス帝国主義の特許会社みたいなもんがでてくるのでそこからなにか書こうとおもったのですけれど、おやすみなさい。
by kamiyam_y | 2007-11-15 23:48

働く人間の誇り

けさ朝日新聞の北海道版で、ミートホープを告発した元取締役の話を読みました(11月14日14版北海道総合24頁の記事「偽装の果てに」上)。

赤羽喜六さんは、1年以上も「関係機関」からは「門前払い」を受けていたそうです。朝日の北海道支社に訴え、取材が始り、報道がなされます。このトップ記事があってはじめて農水省も立入検査をしたのですから、社会的な食品管理体制が未熟である半面、報道の影響力は重要だというべきでしょうか。

ひでえな、とおもったのは、赤羽さんに対して「親族」が「絶縁」してきた、って話。そんな親族なんていらない、と言いたいところですが、鬱陶しい「地域」ですねえ。資本主義の破壊作用でこういう古い人間関係は壊れていけばいい。

ブルジョアジーは、支配権をにぎったところではどこでも、封建的、家父長制的、牧歌的な諸関係を、のこらず破壊した。

色とりどりの封建的なきずなを容赦なくひきちぎって、人と人のあいだの赤裸々な利害、無情な「現金勘定」のほかには、どんなきずなも残さなかった。

ブルジョアジーは、家族関係からその感傷的なヴェールをはぎとって、これを純然たる金銭関係に還元した。

『共産党宣言』(『マルクス・エンゲルス全集』第4巻、478頁


新しい真に人間的な社会をつくっていくためには、古い共同体的関係を破壊する半面、疎外の完成態である貨幣の力の諸関係を通過しなければなりません。人間を物にする疎外の純化は不可避です。

同じ記事で、雪印食品の不正を暴いた西宮冷蔵の水谷洋一さんの近況も紹介されてました。ようやく「売上」が「告発前の6割まで持ち直した」そうです。偽装表示で国から騙し取る不正を告発したら、それに対して、契約打切りという資本家的協同復讐を受けて「廃業」に追い込まれてしまったにもかかわらず、よく頑張ったなあと。

関連して、

北海道新聞取材班『検証・「雪印」崩壊―その時、何がおこったか』講談社文庫

も面白い本です
by kamiyam_y | 2007-11-14 23:30 | 消費者の権利と社会的労働 | Comments(0)

人間分断という非人間的状態

あさ旅行代理店に行ってホテルを探したら、23日(金)は横浜東京はどこも満室。連休の行楽日和だったのですね。ちょっとへこむ1日の始まりでした。

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BSNHKで「青い目 茶色い目 教室は目の色で分けられた」(原題 Class was Divided:1985年:制作 WGBH)というドキュメンタリーを昨日たまたま観ました。

エリオット先生は小学三年生に実験的な授業をします。茶色の目の子は優秀だと教師であるエリオット先生が語り、青い目の子には襟巻きをさせて授業を受けさせる、というように、児童に対して教師が目の色をつかって差別的な待遇をします。

驚くべきことに、差別された側の子供たちは、フラストレーションがたまって集中力が落ち、算数の問題を解くのにも時間がかかってしまいます。反対に、優遇された側は、問題を解くのも早い。しかも、「あの子は目の色が青色だからダメなんだ」とか「茶色の目の子は劣っている」というような内容の言葉を発するようになっていくんです。

最後に種明かしをして、児童は実験の意図を理解し、ほっとします。児童は差別に対して心からNoと言い、元通り、元以上に、仲良くなります。この授業で学んだ子供たちは、学力も向上したそうです。もちろん、この授業は子供を傷つける危険性があるので、教師自身もこの授業を受けて理解する必要がある、とエリオット先生は語っています。

リアルだなあと怖かったのは、教室の中に排外的な悪意や憎しみが渦巻いてくる点。大人で同じ授業をしても、青い目、茶色い目などという属性を人間性の目印にする愚かしい分類法が疑われず、決めつけと偏見が生れ、まったく同様な展開になるのがまた衝撃的というか。目の色で差別してしまうのですよ。大の大人が。差別される側も、差別待遇に抵抗しようとする人を見放したり。

非人間的な畜群的な状況になっていくんです。

教師が引いた分断線が、差別社会のミニチュア版を教室に再現したわけです。逆にいえば、この分断線を引くのが国家権力であれば、それは社会規模での排他主義、差別感情の拡大になります。人間が人間の本性に合致した社会をつくりだすことができなければ、人間は非人間的な意識に落とされます。

目の色、皮膚の色、出身地、親の出身地といった属性に違いがあるから差別が生れるのでしょうか。ちがうでしょう。そうした差異は、悪意と排斥の口実にすぎないというべきです。資本主義が先に発展した地域が他の地域に住む人々を奴隷として連れ去った過去をひきついで、資本主義が貧困を再生産しつづけているのであって、差別の再生産の根底にあるのは、目や肌の色への違和感やら、出身地の違いなどではありません。余裕と関心のある方は、マルクスの『賃労働と資本』に「黒人」にかんする文章がありますので、チェックされるといいかもしれません。

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ビックカメラのDVD売り場で『サタデーナイトフィーバー』のパッケージのジョン・トラボルタをしみじみ眺めてしまいました。

ジョン・トラボルタが主人公の母親役で出演している『ヘア・スプレー』を先日観たもので。

ダンスの好きな女の子の話なんですが、差別との闘いをユーモラスかつ痛快に描いていて、面白かったです。
by kamiyam_y | 2007-11-12 21:31 | 民主主義と日本社会 | Comments(0)

協業と機械-スミス『国富論』とマルクスの《資本の生産力》(6)

現代産業は、人間の豊かな成長に土台となるべきものを与える一方、人間の生命を容易に奪うような危険なものとしても存在しています。

ステンレスの原料をつくる八戸の工場で爆発事故がおき、3人が犠牲となりました。現代産業の基盤をなす金属生産の労働現場における大惨事というべきでしょう。もっと報道されていいんではないだろうか。

この会社です。
施設見学ガイド・大平洋金属(株)

ネットのニュースを探してみました。
工場の爆発で2人死亡 青森の大平洋金属 | エキサイトニュース
金属工場で爆発火災、2人死亡1人けが 青森・八戸(朝日新聞) - goo ニュース

場所はここ。
青森県八戸市大字河原木字遠山新田5-2 - Google マップ

日経産業新聞11月7日号の関連記事によると、大平洋金属は、ステンレスの原料となるフェロニッケルの日本最大の生産拠点だそうです。

デーリー東北新聞社 Online Service
主なニュース:今年既に労災6件/村井社長が謝罪(2007/11/07)(http://www.daily-tohoku.co.jp/news/2007/11/07/new0711071101.htm


 …[略]…同社では今年に入り、既に六件の労働災害が発生している。九月二十日には同社で初めての「非常事態宣言」をしたばかりで、安全操業の徹底に力を入れていた直後の惨事だった。…[略]…
 村井社長によると、事故のあった電気炉は高温状態が続いているため、炉内部の詳細調査の開始まで十日ほどかかり、原因や再発防止策の取りまとめは約三週間先になるという。…[略]…
 同社では、一九九〇年に作業員が大やけどで死亡して以来、約十七年間死亡事故が起こっていなかった。しかし今年に入ってからは休業を伴う事故が四件、休業に至らないものが二件と、相次いで労災が発生。三月にはけが人こそなかったが、焼却灰・ホタテ貝殻リサイクル工場で水蒸気爆発事故が起きている。
このため、八戸労働基準監督署から数回、作業上の安全性を向上するよう行政指導を受けていたという。…[略]…


17年死亡事故が起きなかったとはいえ、今年には労災が6件も起きており、労基署からの指導も入り、非常事態宣言をしていた矢先。高温のため調査もできないということですが、真相究明に全力をあげ公開すべきです。電気炉という危険な機械を管理している私的生産者の公共的責任です。

三月のリサイクル工場の水蒸気爆発事故の記事をみてみます。

大平洋金属水蒸気爆発 電気炉の管理に不備(2007/04/14)(http://www.daily-tohoku.co.jp/news/2007/04/14/new0704141103.htm

 青森県八戸市河原木海岸の大平洋金属「焼却灰・ホタテ貝殻リサイクル工場」の廃棄物溶融炉(電気炉)で発生した水蒸気爆発について、同社は十三日、炉の温度を十分確認しなかったことや、決められた期間内に全体補修を実施しないなど管理面で不備があったことを明らかにした。…[略]…
 電極部分周辺には温度測定装置が設置されず、温度管理が不十分だったほか、県への産廃施設設置許可申請で「二、三年に一度行う」としていた全体補修については〇三年の施設設置以降、実施していなかった。…[略]…


全体補修を実施していなかったとか、管理体制に整備されていない点があった、というのですから、今回の事故も起きるべくして起きたのではなかったのか、だれもが疑問におもうはずです。正確な究明が求められます。

Yahoo!電話帳 - 青森県 - 八戸市 - 産業用製品、部品 - 鉄鋼 - 製鋼、製鉄業

安全環境管理室がちゃんとあります。私企業という形で存在している社会的管理とでもいえましょうか。

関連諸法があり、労基署があり、私企業内部には私的な規則やら管理体制が存在しているのです。それは資本主義システムの成熟を示しているといえます。

と同時に、こうした事故は、働く人が犠牲になっていく悲惨な現実を極限的に悲惨な形で垣間見せているのではないでしょうか。

四季の移り変わりにも似た規則正しさでその産業死傷報告を生みだしている密集した機械設備のなかでの生命の危険は別としても、人工的に高められた温度や、原料のくずでいっぱいになった空気や、耳をろうするばかりの騒音などによって、すべての感覚器官は一様に傷つけられる。・・・[略]・・・フリエが工場を「緩和された徒刑場」と呼んでいるのは不当だろうか?(マルクス『資本論』岡崎次郎訳、大月書店、S.448-450.)


資本主義における機械の発展は、「産業死傷報告を生みだしている」ほどの人を犠牲にする形で進行してしまいます。

生命に対して重大な影響を与えうる機械・大工業の発展は、しかしまた、資本主義国家に、労働上の安全に対する規制をつくらせざるをえません。資本に対して社会の立場からの強制が必然化します。科学を応用した大工業の発展は、労働過程に対する社会的管理を求めます。

危険な機械にたいする保護のための法律は有益に作用した。(同上、S.450.)
工場法拡張法が規制するものは、熔鉱炉、製鉄所および製鋼所、鋳造工場、機械製造工場、金属加工工場、グッタペルカゴム工場、製紙工場、ガラス工場、タバコ工場、さらに印刷工場および製本工場、また一般にこの種の工業作業場で年間に少なくとも100日間50人以上を使用するもののすべてである。(同上、S.517.)
要するに、この1867年のイギリスの立法で目につくことは、一面では、資本主義的搾取の行き過ぎにたいしてあのように異常な広汎な処置を原則的に採用する必要が支配階級の議会に強制されたということであり、……。(同上、S.519.)


当時のイギリスの工場主の非人間的な発言。

ここでは工場監督官レナード・ホーナーの公式報告からの引用だけで十分であろう。「私は、いくつかの災害について工場主たちが許しがたい浮薄な態度で語るのを聞いた。たとえば、指をなくすくらいは些細なことだというのである。・・・・・・」
(同上、S.450.)


いまの日本に当てはめれば、「サービス残業で心身が健全でなくなることくらい、たいしたことない」とかげで言う人はいるかもしれない。企業の発展があってこその人間なのだから、犠牲になったっていいじゃないか、誰かが犠牲になるのは仕方ない、とか。

資本主義は犠牲を生みだしますが、犠牲を生むシステムの正統性を批判する関係も存在します。資本主義は、社会を運動する矛盾において存在させています。

印象深い理解のために、マルクスがギリシャの詩人を引っぱってきて、資本主義システムにおける機械の利用の転倒性を皮肉っている箇所を引用しておきます。

また、キケロの時代のギリシアの詩人、アンティパトロスは、穀物をひくための水車の発明を、このすべての生産的な機械の基本形態を、女奴隷の解放者として、また黄金時代の再建者として、たたえた。・・・・・・ことに、彼らには、機械が労働日の延長のための最も確かな手段だということがわからなかった。彼らは、一方の人の奴隷状態を他方の人の十分な人間的発達のための手段として是認したかもしれない。しかし、何人かの粗野な、または半開の成り上がり者を「えらい紡績業者」〔“eminent spinners”〕や「大きなソーセージ業者」〔“extensive sausage makers”]や「有力な靴墨商」[“influential shoe black dealer”〕にするために大衆の奴隷化を説教するためには、・・・・・・(同上、S.430.)


ギリシャでは、水車は奴隷解放の手段にみえ、機械が労働時間を延ばすなんておもいもよらない。ギリシャでは、人間的発達が、他の人間が奴隷となることでもたらされた。現代では、大衆の奴隷化は、粗野な人間を「紡績業者」にするが、もちろん、ギリシャの人々はそれを正統化する言葉をもたない。

機械は人間を解放するようにみえて資本主義的利用においては労働時間を延長させ、労働者を失業させ、労働者の健康を破壊する。労働者は他人の富をつくりだし、自分の貧困をつくりだす。富の産出が人間疎外であるような状態の完成が資本主義です。
by kamiyam_y | 2007-11-09 00:59 | 資本主義System(資本論) | Comments(7)

協業と機械-スミス『国富論』とマルクスの《資本の生産力》(5)

チャップリンの「モダンタイムズ」をなぜかみました。中学生のとき名画座で400円でみて以来です。邦題は「モダンタイムス」らしいんですけど。字幕の訳も変だなあと思うところがあったのですが、ふれないでおきます。

有名な冒頭の工場のシーンだけではなく、貧しい少女(ポーレット・ゴダード)がでてからの方が場面が外になって生き生きした感じを受けました。酒場のシーンとか、やっぱり面白いです。

監視社会、大衆消費社会と貧困、失業といった、疎外された現代社会の要因がほぼでています。思想性がそれほど深いのかと問われると即答はできませんけれども、ともあれ、資本主義批判を素材とした、しつこいくらいのドタバタ喜劇であり、プロレタリア文学のお笑い版であることはたしか。ちゃんと笑わせてくれます。

この映画、機械文明を批判したとよくいわれますよね。それってどうなんでしょう。

この映画が批判しているのは、「機械」や「機械文明」ではないでしょ。そうではなくて資本主義システムでしょう。

「機械」そのものを批判してるわけではありません。ラダイト運動(1810年代のイギリスでおきた機械打ち壊し運動)じゃないんですから。「文明」だって変です。「機械文明」の反対は「道具文明」なのですか(笑)。

機械ではなく、機械という形をとった資本主義システムが問題なのです。機械の資本主義的利用が問題なのです。飽くなき貨幣追求のために機械が利用されるからこそ、それは労働者の健康を破壊し、天然の自然を破壊し、労働者の社会関係を破壊します。

機械そのものが悪だったら機械をなくすか、人間は永遠に不自由だと考えるかってことになってしまいます。資本主義的な生産を太古から続き未来永劫続く永遠の生産とみなすようなもんです。チャップリンがとらえたものの意味は、機械の背後の生産関係にあります。

スミスの「労働の生産力」をみましたが、こんどは、マルクスの「労働の生産力」をみてみましょう。

「・・・[略]・・・労働の社会的生産力、または直接に社会的な、社会化された(共同的な)労働の生産力(ただこのような社会化された労働だけが数学などのような人間の発展の一般的な所産を直接的生産過程に応用することができるのであるが、他方ではまたこれらの科学の発展は物質的生産過程の一定の高さを前提するものである)、このような、個々人の多かれ少なかれ孤立的な労働などに対比しての社会化された労働の生産力の発展、またそれとともに、社会的発展の一般的な所産である科学の直接的生産過程への応用、これらはすべて資本の生産力として現われ、労働の生産力としては現われず、または資本と同じであるかぎりでの労働の生産力として現われるだけであって、・・・[略]・・・。資本関係一般のうちに存在する欺瞞は、今では資本のもとへの労働の単なる形態的包摂の場合にそうだったよりも、また、そうでありえたよりも、はるかに発展する。」(『直接的生産過程の諸結果』岡崎次郎訳、国民文庫、86-87頁。強調は省略。)


チャップリンの風刺は、人間が機械によって支配され、機械に支配される労働者が貧困を強要される転倒を笑っています。

機械の付属物に人間がなってしまうのは、機械文明やら機械そのものという歴史的規定性を欠いた要因によってではなく、資本主義システムだからです。労働の矛盾、すなわち、労働の産物が労働者のものではなく、労働が労働者にとって苦痛であり、労働する関係が労働者を圧迫するような、労働の矛盾があるからです。労働は、人間が協同で生産するという社会的な活動ですから、この社会的活動から人間が疎外されるのは、人間が自分自身を失うことであり、自分の社会的な本質を失うことです。資本主義的機械工業では、人間は社会的本質を、まさに社会的本質の喪失として実現しているのです。

資本主義的な転倒においては、労働者の労働は彼等のものではない力です。労働者はベルトコンベアの横で働きますが、かれらの社会的連続性は、機械システムという形をとって、かれらによっては制御できない法則として存在しています。資本の競争の関係が、人間によって制御できない力になっているのです。

資本主義は労働が孤立しあっている私的生産を前提しますが、この私的生産、私的利益の追求は、《直接に社会化された労働》を存在条件にしてしまう。つまり、私的生産は、私的生産を不要とするような社会的生産に依存する。なんて矛盾でしょう。

直接に社会化された、とは、孤立した個人のあいだを交換が結ぶのではなく、人と人とが直に結びつくことを意味します。実体としての共同労働の成立です。この社会的な労働において科学が適用され、科学の適用がこの社会的労働、機械を共同で用いる労働のいわば本質です。

機械は、労働者の社会的に組織された労働において、科学を応用することによって成りたっている社会的な労働手段です。この機械によって、労働は社会的に組織されてしか作用しないものとなります。

しかしこの《直接に社会化された労働の生産力》は労働者自身のものではなく、資本のものです。労働の社会的生産力は、資本においては、労働者自身の社会的なものとして制御されているわけではありません。それは、《資本の生産力》という転倒した姿をとって発展します。貨幣を増殖する力という逆立ちした力になっています。増殖する貨幣が労働を支配する力となっています。機械の採用は労働者の自由時間を増やす可能性を秘めているが、資本のもとでは逆に作用し、労働者の自由を圧迫するものとして作用します。

チャップリンはこの圧迫をおもしろおかしく誇張したわけです。
by kamiyam_y | 2007-11-04 23:22 | 資本主義System(資本論) | Comments(0)

カビをおさえる桶はなかった(補足2) 企業を渡り歩く「自由」と労働者の社会的責任

農水省の食品表示110番への情報提供が増えているそうです。『朝日新聞』の「食の偽装 発覚止まらず」(10月24日夕刊4版8頁、歌野清一郎・鈴木剛志という署名入り)という記事で知りました。

さっそく確認。

食品表示110番情報

ここにあげられている北海道農政事務所といえば、ミートホープの内部告発を門前払い・放置しておいたことが報道されてましたね。

asahi.com:「疑義特定できず」農政事務所が文書 ミート社内部告発 - 牛ミンチ偽装

ついでに内部告発をあつかう頁。

農林水産省/公益通報の受付窓口

「公益通報の手順について」では、いきなり「公益通報をされる際には、以下の情報が必要になりますのでご注意願います」。なんかエラソーなかんじです。

朝日の記事に戻りますと、同省担当者の分析として、「終身雇用が崩れて、従業員の感覚が『うちの会社』ではから『ここの会社』ではに変化しつつある」という言葉が紹介されています。

もしもかりに非正規雇用の増大が内部告発増大の背景にあるとすれば、非正規雇用化の進展は、企業による分断統治、差別的雇用体系によるコスト節約が、企業の予想しなかった企業批判の増大をもたらした、といえるのでしょうかねえ。

企業とは、人間と人間とを結びつける仲介者が、物=私的所有というかたちで人間から独立して、人間に対する重圧として作用するもの。

個々の企業の資本蓄積(拡大運動)が、それに依存する労働者の生活を大きく支配する。とすれば、正規雇用の従業員よりも、非正規雇用の従業員の方が、告発と企業崩壊とを天秤にかけたばあい、告発をとる可能性が高い。

内部告発する非正規従業員の存在は、労働者が個々の企業に対してより独立性をえているようにみえます。といっても労働者が個々の雇い主を変える「自由」(=強制)は、独立化した私的所有である資本の全体(「企業中心社会」)に対して、労働者がその鉄鎖に縛られているという逆立ちした実態を変えるわけではありませんけど。しかも、非正規雇用化は、資本蓄積が「貧困」の蓄積だという法則そのものですし。
by kamiyam_y | 2007-11-02 23:28 | 消費者の権利と社会的労働

カビをおさえる桶はなかった(補足)

排除命令が22件は少ないのでは、ときのう書きましたが、「注意」が239件あることを思うと、それなりに仕事しているのでしょうね。

消費者をだます企業は、従業員をだます企業でもあります。先日朝日新聞で、ミート社の従業員の声が紹介されていましたが、従業員に対しても横柄で、労働法も守られていなかったよう。

消費者をだます生産者は、生産者をだます生産者でもあります。別の生産者のふりをして生産してるわけですから。

たとえば、S産の雲丹というブランドがあるとして、産地が全く別のHなのに、S産と偽って売るのは、Hの雲丹に対して失礼です。もちろん、S産でもないのにS産とウソとつくことですし、S産の生産者の利益を損なうことになります。

Hにすむ貧しい一家が、このウソ表示のおかげて仕事にありつけ、子供におやつを食べさせることができる、ということもあるかもしれませんが。

あらゆる生産者がこのようにだまそうとするならば、全体の利益は低下します。より一般化していうと、万人による万人の足の引っ張り合いにおいては、社会に媒介された個人の幸福は、引っ張り合いがなければ達成したであろう水準にとどかない。

他人を欺くことは、自分を否定することです。相手を否定することは人間を否定することであり、人間を否定することは自分を否定すること。だれもが相手の否定によって自分の肯定をしようとしたら、だれもが否定しあうことになります。

絆を引き裂かれた人間が、自分のためにすることが、全体として自分たちの首を絞める。これは企業もそうですが、労働者もそう。労働者が給与獲得競争に利己的に邁進すれば、給与は実質切り下げられ、全体の利益が低下する、というように。かといって、公正な給料というのは、公正な搾取というに等しいのですけど。
by kamiyam_y | 2007-11-01 23:57 | 企業の力と労働する諸個人 | Comments(0)