さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

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米国で反戦デモ

米世論、イラク反戦再燃――戦死者母の抗議契機に(日経)
イラク反戦:米首都で15万人デモ 米軍の即時撤退訴える(毎日)
In pictures: Washington protest(BBC)
ブッシュ氏の支持率低迷、59%がイラク戦争誤りと(CNN)

イラク戦争の正当性のなさが米国国内でも認められているということでしょう。
国民の過半数が「間違っていた」と判断しているのですから。
by kamiyam_y | 2005-09-25 21:35 | 自由な個人の権利と国家 | Trackback | Comments(0)

道警裏金問題の解明を求めるネット署名

「道警不正問題を徹底解明し、信頼回復を求める道民の会」が署名活動を開始するそうです。

道民の会道警裏金問題の真相徹底解明を求める署名

「道警裏金で百条委員会要求 『百万人署名』来月から」『北海道新聞』(9月23日朝刊36頁)

同記事によれば、「連合北海道や民主党北海道、共産党道委員会が全面的に協力。社民党など百条委員会設置に賛成する政党や団体にも今後、協力を呼び掛ける」とのこと。

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教科書的かつ啓蒙的に説明しますと、前近代の王権を倒して、人民(大衆・民衆・庶民・市民・個人)が政治的に主体となった社会が、近代社会です。

人民はもはや、支配階級によって恣意的に拘束される存在ではありません。

自らを解放した市民・人民、権利主体としての個人こそが、近代社会の主体です。現代は、個人を主体とする民主主義社会であり、法にもとづく統治がなされる法治国家です。国政は、権利主体である人民に由来するものとして正当化されています。

ところがそれはタテマエであって、たえず市民が現実化しようとしなければならない理念です。教科書公認の理想から現実に目を転じると、主権在民、人権尊重といった理念はくつがえされています。

武力の公共的使用は、つねに市民(人民)の権利を侵害する危険性をもっているのですから、市民によって厳しく監視されなければなりません。主人であるはずの市民が監視の客体に転倒してしまえば、警察による人権侵害も放置されてしまいます。

警察の匙加減で逮捕されたり、されなかったりという曖昧な統治、客観的なルールよりも匙加減がものをいう捜査。そうした現状もこの転倒を助長します。

また、市民が相互に無関心となることが、この転倒を常態化していく条件です。

表現の自由といった基本的人権をなぜ徹底的に擁護しなければならないかということの重要な理由もここにあります。


はじめにやつらは共産主義者に襲いかかったが、私は共産主義者ではなかったから声をあげなかった。

つぎにやつらは社会主義者と労働組合員に襲いかかったが、私はそのどちらでもなかったから声をあげなかった。

つぎにやつらはユダヤ人に襲いかかったが、私はユダヤ人ではなかったから声をあげなかった。

そして、やつらが私に襲いかかったとき、私のために声をあげてくれる人はもう誰もいなかった。


このマルチン・ニーメラーの有名な詩も「共産主義者」を大人向けの「漫画家」やアニメ制作者に入れかえても同じです。この詩のパロディーもネット上にけっこうあるみたい。

警察は市民の下僕であり、雇っているのは市民です。
警察は税金によって市民に雇われている存在のはずなのですが、「捜査上の秘密」を盾に、市民に対する情報公開が大きく制限されてきました。

そうした土壌のうえで、裏金づくりを介した横領がまかりとってきたわけです。
もちろん、ほかの官庁でも裏金が問題となっていますが。

市民がこの現状に対して問題関心を持ち、市民が警察を監視していく動きを高めていくことは、「自由と民主主義」を発展させていくための重要な課題です。
by kamiyam_y | 2005-09-24 01:51 | 自由な個人の権利と国家 | Trackback(1) | Comments(0)

新自由主義(ネオ・リベ)批判の先進性

全くのメモです。でも公開します。

読みにくいと思いますが、参考になることもあるかもしれません。

抽象論としての限界はもちろんあります。

続きを読む
by kamiyam_y | 2005-09-23 01:25 | 資本主義System(資本論) | Trackback | Comments(0)

刑事裁判の民主的原理は死んだ?

今回の「解散」は、憲法の手続きにのっとっていません。

主権在民、三権分立といった近代の理念、「市民革命」の理念を徹底することこそ、「解散」が提起している問題なのかもしれません。その点いくつかのエントリーで問題提起しました。補足です。

安田 裁判官のなかには、裁判所の決定の中身を検察に漏らすような輩もいる。……それくらい、司法権の独立などという意識は、彼らのなかにはじめから存在していないんですよ。
(安田好宏・佐藤優「権力が牙をむくとき」『月刊現代』10月号)


これが現状なのでしょうか。

司法権が執行権をも裁く。そうでなければ、大岡越前の世界です。

司法の独立、立法の至上性こそ法治国家のルール。人民が人権を認めあい、法が普遍的なルールとなることは、法の支配が執行権の専制権力化を押えることをも意味します。

安田氏は、麻原彰晃の主任弁護人を務めた人物。

氏は、8月に出版された『「生きる」という権利』(講談社)で、刑事裁判における市民的な諸原則(推定無罪など)が空洞化している危機を描きだしています

特筆して驚嘆すべきはオウム事件に関することでした。

氏によれば、坂本弁護士一家殺害事件のときに、オウムの信者が神奈川県警に実質自首したにもかかわらず、県警は事件を握りつぶそうとしたのだと。
県警は当時盗聴事件をめぐって共産党と対立していたため、共産党系の坂本弁護士の事件をサボタージュしたというのです。

イラク人質事件のさいに、「政府の方針を批判したら政府の救出を得られなくてよい」とする低劣な感情論がどこからか流されたのを想起しますね。

警察を批判した人物は、殺人事件に巻き込まれても警察は捜査しない。自衛隊派遣に反対した人物は海外で人質事件の被害者となっても放置される。これでは法治国家でもなければ、主権在民でもありません。思想信条の自由を警察が弾圧するのと同じです。

警察といえば、「改革」だのなんだの言う人たちって、警察にはぜったいメスを入れようとしませんね。警察の裏金問題幕引きにしようとしているのは自民党です。

警察の天下りや談合を暴露する報道は、ウェブ上にもいろいろあるとおもいます。更新されていませんが、寺澤有らのThe Incidents など。このブログでまだ紹介していなかったとおもい、付けくわえました。
by kamiyam_y | 2005-09-20 13:39 | 自由な個人の権利と国家 | Trackback | Comments(2)

インリン、めっちゃかっこいい!

そういえば、インリンめっちゃかっこいいです。
 
JOYTOYアルバム「愚民の戀」ももってます。

好きだからです。

かわいいだけでなく、発言も面白くてさ。

ブッシュに対しても小泉に対しても批判してたし。

インリンのブログの記事
S cawaiiから引用させていただきます。みなさん、ぜひ原文みてください。

日本の侵略戦争を否定して美化してる人達が作った歴史教科書を杉並区が採用したんです(>_<)

日本人は過去の過ちを認めて反省して教えて、そしてアジアの国と平和な未来を築くべきだと思います。

今の若者に過去の責任はないけれど、過去の過ちを正しく知る権利と義務があると思います。


もちろん侵略を美化する異様な歴史観が支持されるわけもなく、この教科書の採択率は当然低い。

ホリエモンがなぜ自民党に擦り寄ったのかはわからないけど、靖国は行かないとか、天皇制はめんどうとか、そういう発言はわりと若い人の気分を表わしているのではと思う。

自分を日本国と同一視しちゃうヤツってイタすぎ。

嘘で事実をごまかすのでは、日本人も含めた戦争犠牲者がかわいそう!

嘘の教育をしたら、また、未来の戦争犠牲者と加害者を作るだけです!



だから、女の子がセクシーで目標のある自立した人生を生きる為に、

絶対に守らなければならないこと

それは平和と自由と平等ってことなんですよね☆


自分の考えを言える女性はセクシーだぜ。

「セクシーで目標のある自立した人生」っていいじゃないですか。


私は私だからね!
から;

世の中にはいろんな感じ方考え方があるので、私と違う意見もたくさんあって当たり前、いいと思います。
みんな責任をもって自由に発言すれば良いと思います☆
けど、匿名で、他人を差別したり、他人を傷つけたりする人、嘘を言う人は嫌いです。
私はそんな卑怯な人の意見にはまったく興味ないです。

で、このタイミングに言っておきますけど「私と同じ意見でTBを残した人のブログを荒らす非常識な行為は、世の中の迷惑なのでやめてください!!!!」
とにかく、自分が誰か名乗らずに、他人に迷惑かけるなんてサイテーな人間だと思います。
こういう時いつも思うんです、その人達は自分の考えに自信がなくて、他人を傷つけることで欲求不満をぶっつけてるんだろうな~って。


「そんな卑怯な人の意見にはまったく興味ないです」

そういう連中は腐敗物を食うただの蛆以下です。なんて言ったら生態系でちゃんと役割を果す蛆に対して失礼ですね。

欲求不満を他人への攻撃で解消しようとするネクラな弱い奴ら、コミュニケーション能力のない連中の意見など説得力はゼロ。匿名で差別発言をするような糞みたいなヤツが何を言っても説得力はゼロ。蛆どうしが集まるだけのことです。蛆が集まるのはたしかに気持ち悪いですが、そんなもの蛆を育てるエサの面積によって制限されてます。

参照しました。
インリン様、おつおい(;´Д`):踊る新聞屋-。

◇ 坂本龍一もブログでいろんな発言しているんですね。
 メディア・ファシズム
by kamiyam_y | 2005-09-18 02:29 | 民主主義と日本社会 | Trackback | Comments(3)

白紙委任ではない 3

TBから。

stochinaiさんの記事おもしろかったです。淡々と語られていますが、有権者の行動は本当に自分の意志によるのか?という深い問題です。宿主の行動を支配する寄生虫(小泉さんは選挙民の行動を支配したのか) :5号館のつぶやき


なぜ自民党は敗北したのか?
: ◆木偶の妄言◆

北海道でなぜ自民党が敗北したのか意見を求めています。
TBがたくさん集まっていて参考になります。

解散については、恫喝解散は、憲法典の欠缺の利用か
を書くとき調べ、どう考えても違憲だよな、という感想を持ったのですが、

nqk52550さんからのトラックバックで「解散違憲」訴訟がおこされたことを知りました。「郵政解散は違憲」 選挙無効求め提訴
:釈の記録

dketさんの記事、
選挙の効力に異議がある選挙人は・・・:とくらBlog 
が解散違憲論を紹介しています。やはり正しい議論がブログから発信されています。

この問題について、付け足しです。自分のエントリーに対するコメントでもあります。

-----------------------------------------------------------------
第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
1.憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
2.国会を召集すること。
3.衆議院を解散すること。
4.国会議員の総選挙の施行を公示すること。
5.国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
6.大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
7.栄典を授与すること。
8.批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
9.外国の大使及び公使を接受すること。
10.儀式を行ふこと。
-----------------------------------------------------------------
第69条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。
-----------------------------------------------------------------

これが憲法の規定です。解散=国会の自立解散論もあるくらいで、どう読んでも無限定な解散権を首相が持つとは読めません。  

ここに並べられた天皇の行為には、もちろん天皇独自の実質的政治権、政治的意思はあってはならず、単なる「象徴」による形式にすぎません。

中学校の社会科の教科書では、解散とは、不信任決議に対する解散であると書いてあるはず。

しかも、衆議院の解散は受け身の文章で、衆議院が自分たちで解散するとも読めます。不信任決議を可決したのに内閣が辞職しないなら、議会が自ら解散してやろうではないか、とも読めます。

当然のことながら、今回のような解散を、曇りなき正統な権限の行使として支持するような学説はありません。

解散は、小泉さんの心意気といったくだらない精神論の問題に解消すべきものではなく、全くの税金の無駄遣いであり、資源の浪費であり、社会的正統性というリソースに裏付けられない執行権の肥大です。

まあ、自己相対化できない薄っぺらな信念とやらへの共感で脳みそをいっぱいにしてしまい、本質的な問題から目をそらす人たちには、何を言っても無駄でしょうけどね。

三権分立の理念は、立法権(立法権力)の絶対的優越性と司法権(司法権力)の独立性という原則にあります。ちょっと私とは立場はちがいますが、滝村隆一という人がたしか三権分立はただの相互チェックじゃないんだ、と昔言ってましたが。

執行権(執行権力)の自立化は、人民による国家権力のコントロールという近代の理念を空洞化する現象でしかありません。立法権に制御されず、司法権に制御されない執行権力の存在は、人民による国家権力のコントロールという「市民革命」の理念からの逆行です。

現代企業では株主民主主義が崩壊し「経営者支配」現象があらわれます。

同じように、国家においても立法府の空洞化と行政国家、警察国家、官僚国家といった執行権の独立化がおきます。

ただし、企業のばあいは、経営者権力を民主主義によって正当化するシステムは、世界のどこにも存在していません。社会的生産総体を民主主義が包摂するシステムは、現在の人類の段階では存在していません。

それに比べると、国家権力の民主主義的形態そのものは、その一歩手前の課題として、一応はクリアされた問題。経済活動の自由、私的経済の存立は、国家の封建的生産からの解放としてなりたったので。

いまやまた、それが問題化するのも、経済システム全体の維持、グローバルな連関の維持という公共的なものへの対応によって、国家権力の機動性という形で、執行権が民主主義と衝突しているのです。たぶん。

三権分立の理念が批判の拠点でしょう。形の上では人類史的に解決済みの、すでに主権在民としてシステム化した枠組みを、徹するということ。ここに現代的課題があります。政治的民主主義は徹することで現代に展開する。

とすれば、やっぱり小泉自爆テロ解散批判は、大きな現代的な文脈にあるわけです。

司法権についてみても、誰もが知っているように日本の司法権は、上に行くほど執行権に従属しています。憲法の原則を否定する「企業献金」でさえ、最高裁が破廉恥な形で合法化している(「八幡製鉄事件」)というように。

裁判所は、行政に対して独立した判断を出すことにびびりまくているのか、あほなのか。洗脳されているのか。

この点、人工国家アメリカ合衆国の歴史において、先住民の所有権や奴隷制度といった問題が司法の場を舞台として政治問題化してきた(阿川尚之『憲法で読むアメリカ史」』PHP新書)のとは、対照的にみえます。

憲法は三権分立の理念の制度化をふくんでおり、解散権行使のような統治行為は、憲法の規定に明快かつ絶対的に依拠するべきです。それが法治国家としてまともな在り方です。

憲法への宣誓をするどころか、下僕であるはずなのに憲法の原理を絶対的な基準とせず、抜け道を探ろうとするような姑息な人物が首相として喝采を浴びる。変です。

執行権の私物化に対してなにも思わない人が多い現状をかえることこそ、真の「改革」かと。そうでない「改革」は実質的に何がもたらされようとも常に正統性に疵を伴い、大衆に学習させず、大衆の知的・人間的水準を上げません。

たしか宮台真司が「人民からの国家権力への命令」というような言い方をしていたかと思います(奥平康弘・宮台真司 『憲法対論―転換期を生きぬく力』 平凡社新書)が、近代憲法は、人民を主体とする共同体の統治形態です。国家権力への国民からの絶対的命令です。

拡大解釈によって解散権を振りかざすのは、法治国家原則の空洞化であって、執行権の恣意的拡大であり、事実上ファシズムと同質な領域に一歩足を踏み入れています。

首相が民意などという愚かな言説が流通していますけれど、何なんでしょうね?

首相が民意で、参議院はそれにしたがわないから良識の府ではないなどという驚くべき倒錯が平気で語られたりしてますが。

執行権に対して、無媒介に全体意思の実在を想定するのは、専制への屈服にすぎません。

それに、小泉は立法権に対しては、執行権を表わすが、その実体は官僚制なのですよ。小泉を官僚制から自由な英雄とみなす人には、呆れてものも言う気がしません。

この点、堺屋太一は『月刊現代』10月号で、「官僚主導政権の罪悪」をきちんと指摘しています(「『黄金の10年』へのラストチャンスを逃すな」)。官僚による大臣追い落とし(真紀子!)、官僚に大臣のポストを与えること、など、自民党や国会からの自由は官僚支配と同義です。堺屋は、解散についても、通りにくい法案を通すときは総理が自分が辞めると宣言することはあっても、衆議院を解散するとは言わなかったと述べています。

「参議院で通らなかったら衆議院を解散」した唯一の例が、戦前の大政翼賛会をつくった近衛文麿。「国家総動員法」を通した彼は「国民的人気」と「異常なほどの改革意識」の持ち主。堺屋はこのことを記していました。「改革」なんて言葉に酔わない人の言葉は保守主義者であろうと参考になりますな。今さらですけど、『現代』10月号の総選挙特集、森永卓郎、岩瀬達也などなかなか面白い論考あります。もちろんNHK改変問題へのつっこみもいいですよ。

それから、得票率。選挙制度のバイアスを介さないで、民意を得票率において確認すれば、郵政法案反対が過半数になります。バカどもめ。

ついでに、地域利害の調整から都市型の選挙になったというような言い回しも流行っているようですね。たしかに憲法上国会議員は町やら地域企業の代表ではありません。しかし実態として地域間調整を全体レベルでおこなうこと自体は合理性があります。

つまり地域密着の資金収集機械が不要なら、それこそ小選挙区などという票の詐欺はやめて、全国一区にすればいいのです。都市型云々で止めずにもっと自由にものを考えましょう。

要するに、小泉が民意などという民意は表象された民意、空想された民意にすぎません。

拡大解釈による解散権の乱用に対する批判が今回あまり提起されていないこと自体が、社会契約の未定着を示しているように思えます。事実上のファシズムの領域に権力の支援装置が入り込んでいるのではないか。少なくとも、今回のような暴力的な解散が強行されてしまう事態こそが、この社会風土の、法意識の低さ、憲法意識の低さを示していることはたしか。
民主主義にもとづく正統性を、社会システムの要として理解できない人が多いのでしょう。

憲法のグレーゾーンを利用しても小泉の責任ではないなどと主張する太鼓持ちもいますが、そんなこというヤツは、死んだほうがいいのではなかろうか。保守主義者ですら大好きな「自由と民主主義」は、法の厳格性、客観性、画一性を大前提とするのであって、憲法典に明確な規定のないインチキな解散が定着している日本の現状が、おかしいのです。それを何とも思わない感性こそファシズムの温床です。
誰のための「自由と民主主義」かという論議をする以前の水準の話です。

国家権力による人権侵害に鈍感な感性も、同じ感性です。

グレーゾーンを最大限利用する恣意的な行為は、お上の放埒を放置します。

私は、小泉に対しても、石原に対しても、国民に直接語るスタイルがすばらしいなどとほめることは死んでもしません。それだけなら排外主義的劣情を吸引するファシストの常套手段だからです。事実上のファシズムの感性の広がりだからです。

外国人に対する差別発言を繰り返す人物が都知事だなんて、都民の民度の低さを示すだけのこと。反吐が出そうです。靖国参拝だって同じです。そんないずれ消滅する腐敗物を取り上げる意味もないのでもう書きませんけど。

「改革」はファシストのセリフ。
by kamiyam_y | 2005-09-16 23:58 | 民主主義と日本社会 | Trackback(2) | Comments(3)

白紙委任ではない 2

前回「白紙委任ではない」は、選挙翌朝、新聞各紙一面の「自民歴史的圧勝」の文字のおどろおどろしさに反応して、慌てて書いたものでした。

「白紙委任」ではない!と、世界の大衆による永田町監視の必要性を主張してみました。

主権在民ですからね、政治家諸君は下僕なんですぞ、というつもりも多少はあって。

すこし感想を付けくわえます。

◇ 衆院、3分の2をこえて自民一色になってしまったわけですが、とりあえず記録しておきますと、

  投票率 68%(前回60%)
  比例得票率
自民38%(35) 民主31%(37) 共産7%(8) 社民6%(5) 公明13(15)

小選挙区得票率
自民48%(44) 民主36%(37) 共産7%(8) 社民2%(3 ) 公明1(2)

自民大勝がよかった39%(共同通信)

言いたいのは、小選挙区では、死に票が大量に出るとか、一党圧勝になりやすいとか、わかりきっていることではなく、国会の外側では自民党支持がけっして過半数を超えているわけではない、ってことです。

◇ 今回の解散に何の問題意識も持たなかった多くの人たちって、中学校の社会科忘れてしまったのかな、なんて思います。ついでにいえば、投票率と自民票のアップ分が無党派層とは言いきれないでしょうが、マスコミもそろそろ「無党派層」なんておおざっぱな言葉で、あまり物事を考えない人を持ち上げるのはやめにしたらどうでしょう。

ブログで個人として発言している人のほうが、問題意識をもっている人が多くて、今回の選挙で一番面白かったのは、ブログめぐりだったかも。

北海道は投票率も高く、民主党が第一党。
これは道民として誇らしい。

◇ 予想通り、自民党首脳はさっそく、「争点は郵政以外にもある。自民のマニフェストには書いてあるのですから、郵政以外でも自民党は信任された」と言っていますね。

郵政法案廃案後の政治空白がもたらした損失、郵政なんてことよりもはるかに大きな影響をおよぼす争点で、自民党に法案可決力を与えてしまった損失、こういう損失を、郵政民営化法案の利益とくらべるたら、選択による合理性なんて全く働いてませんな。経済合理性が貫かれていないことは明白です。イラク、靖国、憲法、労働法制、社会保障など重大論点において、可能性としては、自民案がすべて通るのですから。

ふだんは、表現の自由が侵害されようと、警察が人権侵害しようと、社会にも、政治にも他者にも関心のない人たちが、突然選挙のお祭りで大きな影響力を及ぼす。12年後の郵政民営化のためにほかのことまで白紙委任しちゃってさ。正直、言ってなんてこった、と思う。ただこれが「平等な一票」の茶番でもあり、厳粛さでもあるのだと自分を納得させてみようとはしているんですが。

 政見放送なんて、短い時間しかなく、あんなもので比較検討は出来やしない。
 街頭演説などを聞いて、よし、この候補者に入れてみよう、などと考える人は、常軌を逸しているとしか思えない。街頭演説など、その候補者の上っ面しか見えていないと思う。演説のような消えてなくなるものを信用するのはどうかと思う。消えてなくなるのだから、勝手なことはいくらでも言える。

 マスコミは、選挙を面白おかしく取り上げる傾向があるので目に付いてしまうのだろうが、選挙は娯楽や戦争ではない。選挙は有権者の努力(勉強)によって、その精度が上がるのであって、マスコミの選挙の扱いは、勉強にはならないものに日々なっていく。
 人間は闘いを観るのが大好きである。だが、選挙は格闘技のショーではない。ショーに集中した面白い報道が多く、それに乗せられた人間が多く投票所に足を運ぶだろう。今回の選挙は、投票率は高いが、精度の低い選挙になり、不勉強な有権者の選ぶ候補者が沢山当選することだろう。
(ヒキタクニオ「ゴーゴーで行こうぜ 第85回」週刊現代9/24号)


◇ 小泉支持者って、政権交代への恐怖心でもあるのでしょうかね?もちろん、全員がそんなタブーに恐れおののく連中だというつもりはもちろんないんですけど。

個々人が学習して社会的な主体として自分を向上させていくよりも、強い権力に期待する。権力者が「改革」を叫ぶと喝采を浴びせる。変化への期待をもっているのだとしても、今までの自民党政権の負の遺産を顧みることなく、強い権力者にお任せする。

「改革」のプロパガンダをまえに、意見をいうな、反対するな、血祭りに上げるべきは郵政だ、といった権力者への自己同一視の空気がもしもあるとするならば、そんなものは、結局、より大きなものへの無媒介の屈服を他人に要求することでしかないです。

そういう屈服がいままでの人類の進歩であったとしても、それでいいのでしょうか。

「反対意見を……内面化して、ダイナミックに成長していく社会」(ちょっと窮屈じゃないですか?cafemochahotさん)こそ豊かな社会でしょう。
「踏み絵政治」(補足です:同上)なんかよりもね。

「改革」の本体が要するに、競争や貨幣の圧力に従うことだったり、文科省にいち早く従うことだったりするのは、たしかに文化大革命やナチスよりはましでしょうけど。

◇ イラク人質問題のときも小泉の発言が家族バッシングを増幅させましたけど、日本の市民社会の底の浅さ、今回も感じました。ものを言う個人によりも、同じセリフを絶叫する権力者にシンパシーを感じる人って気持ち悪いです。

ちょうど、腐敗臭の拡がりが腐敗物の大きさによって限定されているのと同じように、こういうメンタリティーも現実世界の一部分から発散しているにすぎないとはいえ。

小泉が都市の左派を吸引したとか、都市弱者に依拠した独裁だとか、分析したい人はどんどんしてください。私はだいたい書くべきことは書いてしまったんで。

◇ これまたついでにいえば、共産は予想外に堅調。特定需要に応えて市場の一角を占有しました。

ただし、自民も民主も同じ「オール与党」だというスローガンは、自民と民主が同じなら自民に入れる、という発想と変わらない、と思います。政権交代しても意味ないってこといってるに等しいし、自分たちだけが国民意思を代表しているかのようなニュアンスって、自民党が自分たちこそ全体利益の代表だと自称するのと同じで、何だかなあ、という気分。

社民もがんばったかな。個性的な方が当選したし。

宗男はいけると思いました。喫茶店でも「宗男に入れた?」なんて聞かれちゃいました。

◇ 今後の経験が日本社会の諸個人に貴重な学習をさせてくれることを信じてはいます。

心配するな。焚き火が消えたら、寒くなっていやでも目は覚める。
           (村上春樹「アイロンのある風景」)

by kamiyam_y | 2005-09-15 01:02 | 民主主義と日本社会 | Trackback(5) | Comments(0)

台風14号 義捐金

宮崎県の椎葉村の状況をテレビで見ました。
映像はやはり生々しく被災現場の様子を伝えます。
村に通じる道路が土砂崩れによって激しく崩壊して、村は陸の孤島になっています。
風呂やトイレなど生活の基本部分で苦労していることを残された住民が述べていました。

死者・行方不明者は30人近く。犠牲者の多くは高齢者です。高齢化の進んだ山間地の災害対策、喫緊の課題にすべきなのに、昨年の教訓は生かされていないのでしょうか。
アサヒ・コム:災害で孤立の恐れの2万集落 「食料・水備蓄」5% 

セブンイレブンで義捐金を集めています。レジで募金できるので簡単でした。

郵便局でも災害義援金の無料送金を行っているよう(ゆうちょ災害義援金)。

店頭で義捐金を集めているのは、ヨーカドー・セブンイレブンのグループが全国規模で、イオンが九州で。ローソンも九州。

現代経済は人々を孤立化し分断し受動化しながらも、同時に一人一人の社会的関与の重要性を鮮明にしていきます。

金や企業といった資本主義の装置を公共的な利益のために使うことにためらう必要はないと思います。

細かいおつりを募金箱に入れるのは、財布を軽くしたいという利己的欲求にもとづいているようで不愉快だ。そんなことをいう人もいるようですが、偽善批判もまたひとつの偽善と自己陶酔。利己的欲求を社会的善にかえるのが金に期待される理想でしょう。
人が不幸なときに幸せを味わうなとか、金で解決するより現地に行って助けろとか、そんな道徳的な主張よりも金を使った方がずっといいのです。
by kamiyam_y | 2005-09-12 12:49 | 消費者の権利と社会的労働 | Trackback(1) | Comments(3)

白紙委任ではない

「結果には驚きを通り越していささか恐怖さえ感じる」「有権者はすべての政策課題に白紙で委任したわけではない」と日経ですら一面で田勢康弘が述べていました(「首相は驕らず改革を」9月12日朝刊)。朝日にも「イメージ戦略が教訓であってはならない」「政策中心の政治を高めていく責任を与野党は負っている」(持田周三「『郵政』以外を明確に語れ」)とありました。メディアの自己検証がない点は問わないことにします。白紙委任ではないことなどわかっていたことであり、今さら何を言うか、という批判もありえましょうが、やめておきます。

表現の自由、基本的人権の尊重、外交問題、憲法など、郵政の裏に隠された問題まで白紙委任しているわけではないことこそ、今できうるかぎり共有すべき理解です。
by kamiyam_y | 2005-09-12 12:14 | 民主主義と日本社会 | Trackback(4) | Comments(0)

テレビ世論とネット世論

▽ 今回の恫喝解散において、国家権力と個人との間ではなく、組織と個人との間の人権問題が論じられるべきではと思っているのですが、資料集めも考察もちょっとめんどうです。だれか教えてくれたらうれしいです。私人間の権力関係の問題として党と党員との間の関係もあるはず。小泉に従わないと公認されずじっしつ除名になる。日刊ゲンダイで日垣隆が「議員は所詮コマ、だという発想を暴走させてはならない」と論じているのですが(9月9日)。

▽ 小泉PR戦略のコア・ターゲットは、IQが低い人。TBを頂いた「小泉支持層=バカ決定資料!?」:0 1/2 DATABASE MODE笑えました。元資料

この資料に関わるエントリーいくつかみました。臍で茶が沸く“改革”内閣:踊る新聞屋-など。

▽ ブログの選挙関連記事参考になるもの。
総選挙Blog総まくり…のつもりが:踊る新聞屋-
マニフェストと憲法改定 -民営化よりもっと大事 -:川西情報

▽ 民営化民営化と絶叫するなら皇室から民営化したらいいと書きましたけど()、皇室民営化論を探してみました。
神様、仏様、紀宮様。:ロバノミミ

▽ とりたてて驚くことでもないですが、テレビ視聴時間の長い人ほど小泉支持という傾向。

読売オンライン
9月7日
 第1回調査で聞いたテレビの視聴時間と今回調査との関係では、テレビ視聴時間とインターネット情報の重視度は、はっきり反比例した。
 平日のテレビ視聴時間が1日30分未満では、インターネットの情報を重視する人は42%。一方、3時間以上では、20%に落ち込んだ。

8月28日
 
 平日1日当たりのテレビ視聴時間と、投票したい政党との関係では、視聴時間が長いほど自民党の割合が高い。「3時間以上」の層の57%が自民党と答えた。「30分未満」は、民主党が34%で、自民党の32%を上回った。小泉首相が郵政民営化関連法案に反対した前議員を公認せず、その選挙区に対抗馬を擁立したことは、68%が支持した。テレビ視聴時間が1日「30分未満」の層は支持、不支持が各50%で、「3時間以上」は72%が支持した。長時間視聴者は、自民党の「刺客作戦」がお気に入りのようだ。


アンケートの精度は無視していうと、テレビによる洗脳は、視聴者の側からの需要があるから有効だ。すれば、テレビを一日3時間以上もみる層は、もともと暇人で、物事を考える習慣がない人たち、現存する諸関係を決して超え出ることはない表象の中に安住している人たちなのでしょう。あるいは、テレビがあんまり小泉の宣伝ばかりだからと、批判的な人はテレビを見ない、ということもあるでしょう。

読売のこの調査に言及して、ベンジャミン・フルフォードが最新の週刊現代で、テレビによる小泉支援を戦前の「プロバガンダ」に等しいと断じ、放送利権の存在を指摘していました。

経営者を選ぶときには「真面目すぎる」なんて批判ないでしょ、という趣旨のことを岡田民主党代表が、スポーツ紙で述べていました。人の気をひく面白おかしいパフォーマンスできるかどうかなんてなんて、合理的な企業運営には関係ない。身近な世界とは逆に、国政では絶叫がものをいい、仮想敵をつくって排除するストーリーで無知をひきつける人物が、テレビの中で、薄っぺらな後光を被る。

大言壮語の絶叫を垂れ流すメディアも、薄っぺらな標語と真似啼きする貧弱な精神も、むろん現実的諸関係の貧困さが生みだす表象にすぎません。

▽ 米国で戦死した兵士の親がブッシュに異議申し立てしているそうです。ヤメ蚊がシンディーさんを紹介するエントリーを立てています。
自由の国アメリカも全体主義です。ブッシュに諂う人々も。

(9月9日 修正・加筆しました)
by kamiyam_y | 2005-09-08 20:24 | 民主主義と日本社会 | Trackback | Comments(2)