さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

カテゴリ:現代グローバリゼーション( 31 )

女性の自由

こちら札幌は、まだ桜が満開になるまで1月ちかくありますけど、雪も解けて、自転車が気持ちのいい季節ですよ。

って自転車もってませんが(笑)。

ジンギスカンの肉って、やっぱり野菜といっしょに焼かないと美味しくないです。ただの焼肉です。機会があったら、試してみてください。

▽ 最近のニュースを少し。

<フランス>300万人デモで600人逮捕 一部暴徒化し | Excite エキサイト : ニュース

アメリカでも数十万人規模のデモが起きているし、すげえなと。フランス社会って、グローバル化の矛盾の先端なんじゃないでしょうか。

矛盾のグローバル化も避けられないなら、人権のグローバル化も不可避で、普遍的な意味をもつ。そう私は思ってるんですが、ちょっと関連するというか、こんな記事がありました。

差別に耐えかねて性転換する女性たち サウジアラビア | Excite エキサイト : ニュース

グローバル化の中で、それぞれの地域の文化を尊重しあうことはもちろん大切です。

しかし、【女性差別も伝統文化として尊重されるべき】と主張するなら、やっぱりヘンでしょう。

この記事にあるように女性が抑圧を自覚していくことは、おそらく不可避だと考えられます。

性差による分業のありかた、就業形態のちがいなどは、例は挙げませんけれど、本質的に生産のありかたに依存します。いってみれば、経済の発展によって規定されています。女性を犠牲にする関係を必要とするような経済的関係が消滅すれば、そうした女性差別的関係は、時間はかかっても解消するのです。

誤解を恐れずいえば、資本主義化、市場化がすすむことは、女性を解放する。大工業や知識労働の発展は、女性を労働現場に引きずり込み、労働現場を女性に開放します。

女性が抑圧を自覚することは、抑圧を抑圧として意識するような権利関係(社会的承認)が育っていることを意味しており、そうした意識をもたらすような生産の関係が発展しているわけです。

こう考えてみると、女性差別を近代的なものと見ることはできず、政教分離していないイスラム国家を、厳密な意味での近代的なものとみるもできません。

だとしたら、多元的な文化を尊重しつつも、人権や民主主義を実現する道がとられるべきではないか。「アンシャン・レジーム」的な前近代的なもの、人権や民主主義にそぐわない文化は組み替えられるべきなのではないか。

これは日本でも同じ。ジェンダー・フリー反対論という名の前近代(=古い共同体的関係)への回帰は、人権によって国家(=社会的生産)を制御する《近代》社会(=現代の核心)から後退した道徳国家への感傷でしょう。そうした感傷は、資本主義的な発展がもたらす諸々の犠牲や敵対関係を覆い隠す働きをします。なぜなら、そうした感傷は、諸個人の《自由》や《権利》を犯人に仕立てあげる短絡によって、また、道徳によって社会が変ると考える逆立ちによって、問題の本質を見えなくさせるからです。
by kamiyam_y | 2006-04-05 23:08 | 現代グローバリゼーション | Trackback(1) | Comments(0)