さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

カテゴリ:現代グローバリゼーション( 32 )

新国家資本主義

女性は「産む機械」と言ってしまう柳沢厚生労働大臣は、もっとも厚生労働省にふさわしくない人ですから、女性蔑視発現を忘れないためにもずっといすわってもらいましょう。

ここであえて拡げれば、「人材」という言葉も似たり寄ったりですね。

実態として労働力は材料といっしょにモノとして買われ、生産においてモノとして作用してます。労働力は資本の源泉であり、企業にとってのカネの源泉です。労働者にとって、労働力は生活手段を得るためのモノであり、生活手段もまた労働力をつくるためのモノです。

しかし、人が主人公という近代社会の合意をモニターにしてみると、人はモノ=材料ではないので、「人材」という表現は、転倒した表現であり、実態の追認です。

会社の利益に貢献したかどうかで賃金を決められる制度は、労働者を利益(剰余価値)を「産む機械」としてみてますから、もっとみんな怒ったほうがいいのではないかな。

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日経新聞が「国家資本主義」という言葉をつかったのにはびっくり。

日本経済新聞1月18日(木)朝刊一面に掲載された「新国家資本主義の波-ロシア・中国の台頭-下」です。

記事は、中国共産党政権が外資をも自分の統制下において《監視》を《高度化》していることや、国家の強力な後押しで《中国版メジャー》のような巨大資本がグローバル経済のなかで成長していること、《民主化や人権》を押しつけない中国が《アフリカの指導者たちをひきつけている》ことなど伝えています。この中国のモデルが、地球化する資本主義がこれまで成長させてきたルールに縛られずに「国家」を前面に押し出すことで、不安定化の要因をもたらしうる、ということにも記事は触れています。

とりわけ注目すべきは、この記事が、ロシアと中国に対して、「新国家資本主義」という言葉を用いている点です。しかも記事はこの「新国家資本主義」を「成長モデル」として捉えています。

資本に発展しない市場を希うのは愚かなことだ、「社会主義市場経済」なるものはおよそ存在しないのない観念だ、その実態は「国家資本主義」にほかならない、という理解が日経新聞に使われるくらい常識になったのでしょうか。

もちろん、この記事は、「国家資本主義」概念によって、20世紀の「社会主義」をどう把握するかという理論的実践的問題を論じているわけではありません。20世紀社会主義は、マルクスの述べた資本主義の後の「自由な人間社会」ではなかった、自称社会主義は、マルクスが資本主義の分析のなかでつかんだ未来社会の萌芽が資本主義の衣を突破して展開した姿ではなかった、という理論的な話をしているわけではありません。

あるいは、働くことによって人々を支える人々が主人公となる社会をつくる、という革命の理念、社会のタテマエが、働く人々が搾取され、専制的に支配されている、という実態に転回する、という「社会主義的所有」の矛盾(ブルジョア的所有の変種)を論じているわけでもありません。

しかし、この記事は、「国家資本主義」という言葉を用いて、資本蓄積の国家主義的な姿態を論じている。この構えが面白いわけです。中国を資本主義と呼ぶわけですから、現存社会主義はマルクスの社会主義とは似ても似つかぬものだ、と事実上新聞社の常識が主張している。

中国の「成長」の実態は、専制的な共同体(国家)という重たい鎧をかぶって、世界市場における資本の相互実現に参入している資本の運動(資本主義的な生産)でしょう。あるいは資本の世界的連関が生みだしている「成長経済」。

では、「新国家資本主義」のどこが古い「国家資本主義」とくらべて新しいのでしょうか。それは、記事から離れて、一言でいえば、まさしく古い国家資本主義そのものの死を経たという点、すなわち、ソ連・東欧崩壊後だという点であり、旧社会主義崩壊後の大競争における、グローバル資本主義における国家資本主義であるという点でしょう。強力な国家統制モデルをふくんで世界規模で成熟する「最新の資本主義」が、資本主義を分解する諸成分をどのように生みだしていくのか。とりあえず、この国家主義モデルが世界資本に対して与える衝撃は、このモデル自体に跳ね返って解体的に作用する可能性があるとだけ言っておきます。
by kamiyam_y | 2007-02-04 00:59 | 現代グローバリゼーション | Trackback | Comments(0)

資本の現インド的姿態

『ビッグイシュー日本版』63号(2006.12.15)の「世界短信」欄にちょっと注目。「インド、児童労働法の不十分な施行」という記事です。『ビッグイシュー』はホームレスの仕事づくりを目的とするストリートペーパー。ビッグイシュー日本版

記事は、10月からインドで《14歳未満の子供が使用人として働くことを禁ずる法律》が施行されたが、14歳以上が対象外であることなどから《効力が弱い》と指摘します。使用人として働く子供の《多くが低賃金あるいは無賃金の長時間労働を強いられている。学校に通えず、あらゆる虐待を受けても助けを求められず、解雇された場合は住む場所さえ失う》。

学校教育を受ける権利が奪われ無権利状態にある子供が、さらに解雇されて路上に投げ出される、ということをこの法律は阻止できないということでしょうか。

児童労働禁止法の対象職種に、家事労働と飲食店労働を加えたらしいです。

アーム通信(海外会員インドだより) インドの児童労働法の強化 :3

何百万人もの子供がこうした労働分野で働く状態が事実上定着しているのですから、禁止令だけで解決する問題ではなく、このブログが訴えているように、禁止によって職を失った子供がさらに悪化した生活環境のなかに放り出される危険性は当然あるでしょう。

新児童労働禁止法、取り締まり強化を明言 - インド AFP BB News - BETA -

「世界短信」欄のもう1つの記事「コスタリカ、世界初の平和省設置国に?」も気になりますが、やめておきます。
by kamiyam_y | 2007-01-24 19:42 | 現代グローバリゼーション | Trackback | Comments(4)

資本主義は地球を被って未来を招く

きのう道庁に1万人集まったんですね、駒大苫小牧の報告会。

非正規雇用の若者と話をしていたら、自分は生涯かかってもドラフトの契約金も稼げない、老後のための貯金も無理だ、と言ってました。労働力というモノの貯水池に落とされるという経済の実態が、人を孤立させてます。

関係ないですけど、だれか風邪を一瞬で治す薬くれないかな。


資本主義は地球を被って未来を招く

今週会社を素材にして書いたときに(会社法)、グローバル資本主義の展開を変動要因としてあげました。資本の国際展開は、大企業による小企業の吸収や、大企業の分身の創出を迅速にすることを要求します。

東レが中国に「高機能ポリプロピレン長繊維不織布(PPスパンボンド)およびその高次加工品の生産・販売を行う新会社を設立」すると発表しました。"TORAY"のプレリリースから。

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TORAY | 中国での高機能ポリプロピレン長繊維不織布新会社の設立について

2006年8月23日

中国での高機能ポリプロピレン長繊維不織布新会社の設立について

 東レ(株)はこの度、中国において、高機能ポリプロピレン長繊維不織布(PPスパンボンド)およびその高次加工品の生産・販売を行う新会社を設立することを決定しました。新会社名は「東麗高新聚化(南通)有限公司」(略称 TPN)(仮称)です。中国江蘇省南通市の経済技術開発区内で2006年10月に設立し、2008年2月から操業を開始する予定です。

 東レグループのPPスパンボンド事業は、現在、韓国の子会社である東レセハン(Toray Saehan Inc.(略称TSI))で展開しています。年産49,000t規模の設備を有し、韓国国内はもちろん、日本、中国、ASEANなどアジア各国へ向けて幅広く販売していますが、今後の中国での急速な需要拡大を見込み、この度、中国での生産・販売を開始することとしました。本計画は、東レグループが事業基盤を確立している中国南通地区に生産拠点を持つことによって効率的な投資が可能となり、また輸入品対比で物流コストを削減できることから十分に競争力を発揮できると考えています。

導入する設備は、豊富な実績を持つドイツの不織布設備メーカーの最新鋭マシン(能力:年産18,000t)で、スパンボンドとメルトブローを組み合わせた多層不織布を生産します。〔以下略〕
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韓国と日本と中国をまたがる企業連合が成立するわけです。しかもマシンはドイツ製。面白れえなあ。中国での販売拡張を予想して、生産点も低コストの利点を生かすべく中国につくる。

こんなふうに、国境を越える生産過程のつながりが日々成長しています。

「二重革命」によって近代社会が始まったといいますけれど、資本主義は市民革命と産業革命によって生まれたのではなく、それを日々遂行するシステムです。

市民革命を日々実行するのは現代では賃労働者です。権利の追求と実現の主体は、現代では、労働する諸個人です。市民革命は労働者の権利として地味に日々追求されています。

産業革命は労働過程の不断の変革です。科学を媒介とした計画的な協働が日々追求されています。この社会的労働の発展の現代的局面がまさに《情報化》であり、《知識資本主義》にほかなりません。

資本主義はこの両面から日々革命ですから、この不断の革命によって未来を引き寄せていくといえます。よりていねいにいえば、社会的労働はすべて直接には資本の力として実現しますから、この力との対立によって、権利の実現を鍛え上げていくのが資本主義ともいえます。

プルードン派社会主義は「ブルジョア社会の実在的な姿態と観念的姿態とのあいだの必然的な区別を概念的に把握しない」(Gr.,S.172)。「貨幣システムは事実、平等と自由のシステムなのであるが、このシステムがさらに発展するなかで自由と平等の前に妨害的に立ちはだかるものは、このシステムに内在する妨害要因なのであり、……交換価値が資本に発展しないようにとか、交換価値を生産する労働が賃労働に発展しないようになどというのは、かなわぬ願いであり、ばかげた願いでもある」(Gr.,S.172)。


平等と自由のシステムは、資本という生産関係を屈折して表出する形態として、存在します。ということは、この「観念的姿態」の完結したありようを、資本は、みずから突破する形で、存在します。自由と平等の人権的システムは、その実現のために、自立化した社会的労働の力と対立していく。労働する諸個人が自由と人権を実現する主体となるわけです。

資生堂やトヨタといった巨大資本も、需要喚起・販路獲得に必死です。『フジサンケイ ビジネスアイ(日本工業新聞社)』から。

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FujiSankei Business i. 中国/資生堂、トヨタなど、中国メディアを相次ぎ招待(2006/8/24)

中国が日本企業にとって大きなビジネス市場となる中、中国メディアを招き、自社や日本への理解を深めてもらおうとする日本企業の戦略が本格化してきた。資生堂は今月6~10日、新華社通信や女性ファッション誌などの記者14人を日本に招待。靖国神社参拝問題などで日中関係は政治的に冷え込んでいるが、日本企業はイメージアップに躍起だ。

資生堂は中国全土に約1300店に上る専売店(チェーンストアに相当)を抱え、10月にはこれら店舗に置く中国人女性向けの新ブランドを発売する。今回のメディアツアーは新ブランド広報活動の一環で、記者は東京・銀座の本社や静岡県掛川市の企業資料館などを取材した。〔以下略〕

トヨタ自動車も以前から中国メディアを日本に招待してきた。7月末には人民日報などの記者2人が同社の日本での環境事業を取材した。毎年中国人記者を日本の各都市に招いている全日空北京支店は、同社の航空ネットワークや安全性、サービスを実感してもらい、日本に旅行する中国人観光客をつかむ戦略だ。〔以下略〕(北京=時事)

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化粧品メーカーが1000を超えるチェーンストアを経営しているんですね。おしゃれ産業で世界の人を楽しませてほしい。車も日本は飽和してますから、省エネ・環境対策技術や安全対策、内装、快適さなど追求すると同時に海外展開も至上命題でしょう。観光も日本にとって重要なところだし。

享受の多様化は資本主義の歴史的存在権であり、資本の文明化作用の発現です。

貨幣が狭隘な民族的偏見を超えていくさまを感じます。貨幣は、自立化した交換価値、過去の労働の普遍的な代表、労働の共同体ですから、民族的偏見のような狭隘な衣装を脱ぎ捨てていくわけです。

剰余価値に規定された生産は、空間的時間的制限を縮減するよう作用します。資本のグローバルな展開は資本の本性にあったものです。

「剰余労働の立場からすれば……資本にもとづく生産あるいは資本に照応する生産様式を普及させようとする傾向をもつのである。世界市場をつくりだそうとする傾向は、直接に、資本そのものの概念のうちに与えられている」(Gr.,S.320)。「資本は……交換のあらゆる場所的制限を取り払って、地球全体を自己の市場として獲得しようと努めないではおられず、……時間によって空間を絶滅しようと努め……ここに資本の普遍的傾向が現れる」(Gr.,S.438)。「世界市場。ブルジョア社会が国家をのりこえて押しひろがること」(Gr.,S.187)。


企業は競争の圧力(それは資本の局限された本性が外的な法則となったものだが)に動かされていくわけですが、その意図せざる結果として、孤立していた個々の生産を国境を越えて連結し、生産と消費の循環を地球的な連関においてつくりだします。資本の前提は、私的所有と私的労働という狭い前提ですが、資本の展開は、意図せざる結果として、この前提をくつがえす社会的生産過程を鍛えあげていきます。

「世界市場……の自立化についてこのさいいわせてもらえば、それは貨幣諸関係(交換価値)の発展とともに増大し……世界市場では、すべての人々との個人の連関が、他方では同時にまた諸個人それ自身からのこの連関の独立性が、この連関の形成が同時にそれ自身からの移行の条件をもすでに含んでいるほどの高さにまで発展を遂げている」(Gr.,S.93-94)。


資本の発展は地球的な規模で実現していくことによって、自然と人間との相互交流の発展、分散した過程の社会的過程への発展、人々の相互依存の発展をもたらしていきます。

この巨大な社会的過程は、諸個人から独立した物象的な関係の力として実現します。自然の変革も労働の社会化も、労働する諸個人から分離した力として実現します。

「労働者は……労働価格に対する権利だけを受けとるのであって、この労働の生産物に対する権利も、この労働の生産物につけくわえた価値に対する権利も受けとらない……世界市場の創出……は、労働者を富ませないで、資本を富ませ、従ってただ労働を支配する力を増大させるだけであり、ただ資本の生産力を増大させる」(Gr.,S.227)。


賃労働者は人格化された労働力であり、彼は自分の普遍的な環境である生産諸条件から引き離されています。資本の世界的関係は直接には、諸個人から独立した物象的な関係であり、統御されざる法則です。

あらゆる問題が地球規模での制御を要求する現代は、この力を、諸個人による民主的で協同的な統御によって運転するものに変えていくことを課題としています。労働問題も格差も解決のために国際的な合意が生みだされている時代です。

図式化してしまうとこれに対して、前世紀は国益主義に諸個人が従属させられていた時代。中ソ超大国が、社会の発展を大国の覇権拡大という地政学的問題にすりかえた(山口正之『社会主義の崩壊と資本主義のゆくえ』大月書店、1996年、序章参照)のも、資本主義の発展が辿るなかで現れた歴史的諸条件がとった姿にちがいありません。国益主義という前世紀のマイナスの贈り物を清算していくことも新世紀の課題です。
by kamiyam_y | 2006-08-25 19:24 | 現代グローバリゼーション | Trackback | Comments(0)

会社法

寿司屋でテレビを見ると早実の投手が好きな食べ物だとか、どうでもいいこと放送してました。板さんが「やっぱり全国放送は早実中心だねえ」と笑ってました。

テレビでは早実の監督がインタビューに答えて、スター扱いしないでほしい、という趣旨のことを語ってましたが、そのとおり。ふつうの高校生なのですから、騒ぎ立てるのは、選手としても人間としても成長を妨げることこそあれ、促すことはないはずです。私もこれからハンカチで汗拭こうかな。


会社法

「会社法」という新しい法律が5月から施行されている(会社法)。

99年以降改正を重ねてきた商法から会社の部分を取りだして、他の関連している法律と統合している。企業システムの法形態の変革は、日本だけではなく世界的な流れである。資本市場の国際化と大競争を背景にしているとすれば、会社法もグローバル資本主義のとる1つの顔といってよい。

解説として神田秀樹『会社法入門』(岩波書店、2006年)を読んでみたが、基本的に、この法律の役割として、2つ確認できそうである。1つは、大規模会社の「所有と経営」の分離を進め、監査役や会計監査人をおいて経営に対するチェックを機能させること(62頁)、もう1つは、企業の法的分割・吸収を促進すること、である。

同書は商法改正の歴史をまとめるさいに「ファイナンス」「ガバナンス」「リオーガニゼーション」という3つの分野を示している。『資本論』の言葉から位置づけなおすと、「ファイナンス」はmonied capitalの問題、「ガバナンス」は個別資本の形態としての所有と機能の分離、「リオーガニゼーション」は資本の集中の問題となろうか。

面白いのは同書が「ガバナンス分野は『難解』と言いたい」(26頁)と述べていることだ。同書はこの分野が規制の強化や緩和という言葉ではつかみれず、「不祥事防止」「コンプライアンス」の議論と競争力の議論が混在しているという。

「ファイナンス」と「リオーガニゼーション」が株主や債権者の関係、会社どうしの関係だとすれば、「コーポレート・ガバナンス」は個別資本の「統治形態」である。《経営者権力》として現れる関係をどう制御するのかという古くて新しい問題を、資本としての現代社会はこの場面で提起し続けている。

「所有と経営の分離」は、所有者を社会的生産過程からますます遠ざけることを意味する。あらゆる労働は労働であるかぎり、すべて労働者が行いうる。株式会社はこの所有と労働の分離を制度化している。今回の新法で「機関設計」に監査役設置会社などいくつかのパターンが認められたが、株主総会と取締役は基本の骨組みになっている(同書第2章参照)。多くの株主が存在しつつ、一定の会議体・自然人の意思や行為を、会社の意思や行為として社会的に妥当させるために「機関」を設置する(51頁)。ここでの自然人は生産手段の持主である必要はない(雇われ社長)。

所有は現実の会社では経営を規制できない。経営は社会的労働の生産力を体現した力であり、しかも物象的で制御されない力を体現している。経営の暴走は私的所有者から独立した生産の社会的関係の運動である。ガバナンス問題は資本家から資本が独立した力になっていることを意味している。労働力の私的所有者(労働者)に対して資本が企業として対立しているだけではなく、貨幣の所有者たちと資本が対立している。

サラリーマンにとっては会社といえば「労働法」で、「会社法」はなじみがない(同書1頁参照)。それはそうなのだ。賃金労働者は、労働力の売り手であり、会社は買い手だ。買い手の側がどんな組織をつくろうと労働者にとっては、それは貨幣の所有者の側の話である。サラリーマンの社会的労働の産物が「他人の富」であることにはかわりない。

しかし、この「他人の富」が企業不祥事として現象するなら、それはサラリーマンをも不労所得者をもふくんだ社会の個人全体に対して、社会的生産過程が対立的なものとして現れているのだ。会社は社会的労働の産物なのに私的所有として立てられるという矛盾が会社法の改正を招く。

佐藤卓己『メディア社会』(岩波書店、2006年)」で、メディアの世論製造による公共圏の没落という文脈で「再封建化」という言葉が用いられており(191頁)、私は、マルクスが人格的支配関係を脱した物象的依存関係の時代(資本主義)は、自由な法的人格の関係をたてるだけではなく、再びそれを支配関係に転換すると述べたのを思い出した。

株式会社は自由な人々がつくるけれども、その展開は、生産内部の「再封建化」といってもいい。会社法の改正はこの再封建化の内部までは届かない。
by kamiyam_y | 2006-08-22 23:34 | 現代グローバリゼーション | Trackback | Comments(0)

「格差」のグローバリゼーション

Excite エキサイト : 政治ニュース
<自民総裁選>ポスト小泉が政策論戦 東京ブロック大会で [ 07月28日 22時07分 ]
 ……パネルディスカッションには安倍晋三官房長官、谷垣禎一財務相、与謝野馨金融・経済財政担当相が参加し、マレーシアを訪問中の麻生太郎外相もビデオで出演。安倍氏は憲法改正を主張、谷垣氏は格差是正を唱え、麻生氏は高齢者層との共生を訴えるなど、「ポスト小泉」候補が政策論議を展開した。……【宮下正己】


安倍の支持率が高いといってもそれは、政策的主張に対しての支持ではなく、メディアへの露出度と露出の仕方によって規定されている部分が大きいんじゃなかろうか。占領下で押しつけられた憲法と教基法を変えよという安倍の主張は政策ではなく、イデオロギーないし信心にすぎませんから、それを支持する人がたくさんいるとは、日本社会の成熟を考慮すれば、にわかには信じがたい。もしかすると、穏やかな顔して心の中はタカ派という人が増えているのかもしれませんけど。

支持率も、例えば、政策だけ示して、名前抜きで調査したり、顔写真を入れかえたり、いろいろ実験したら面白い結果が出るんじゃないでしょうか。

主張だけ見れば、どうみても、格差是正と不参拝という谷垣の方がまともです。派閥のため、閣僚に残るためといった個別利害は無視して、また、今までいっていたことや、小泉政権へ反省はないのかといった点も無視しての話ですけど。

総裁選という目先の話から離れて、「格差」について、興味深いデータを見たので若干。Amartya Sen, DEVELOPMENT AS FREEDOM(Mew York:Anchor Books,2000,p.22)に男性の生存率のグラフがあるんですが、中国やインドの平均よりも、合衆国の低所得者層(アフリカ系)の方が、年齢別の生存者の割合が低いんですよ。単純に所得で平均化すればもちろん合衆国は中国よりはるかに豊かなのですが、指標を変えてみると異なる現実が見えてきます。

以下はまったくセンとは関係ない話です。センを解説してる人はたくさんいますし、私はざっと目を通す以外に読んだことはありません。

グローバリゼーションは複合的な出来事です。グローバリゼーションとは、マネーの地球規模での転送、企業の超国籍的な展開、アメリカ的ルールや競争主義(「勝ち組」賛美主義!)のグローバリゼーションであるとともに、国際労働基準の制定であったり、人権のグローバリゼーションであったりもします。あるいは、一国福祉国家に対して解体的な作用を及ぼすとともに、「民営化」の過程には、私的交換経済であった領域に公共的なものを移転し、私企業に公共的責任を移転するという面もあります。公共的なものの私的簒奪ももちろんそれとからんでいるわけですが。

当然グローバリゼーションは、資本主義の対立的な作用のグローバリゼーションでもあり、そのなかには、環境破壊が含まれるだけではなく、地域や共同的なものの解体、諸個人の孤立、いってみれば、「格差」のグローバリゼーションも含まれています。

すでに南南問題がいわれて久しく、北対南という図式が有効である範囲も狭まっています。北の内部に南が入り込み、南に北が入り込んでいます。

先進国内部の資本主義の問題と、国際的な問題とがますます同じ視点でつかむことが現実に可能となっている時代です。

医療に対するアクセスや健康の維持をはじめとして、先進国内部に格差があり、途上国と先進国との間にも格差があります。途上国内部でも、多国籍企業の展開の恩恵に浴する人々がいると同時に、そこから排除され、学校教育からも医療からも排除された貧困層が膨大に存在します。「貧困の蓄積」も「難民」も、途上国が独自に解決すべき途上国の問題なのではありません。

なにしろカトリーナの犠牲者は1000人超えているんですからね。
asahi.com: ハリケーン「カトリーナ」、死者1000人超す-米ハリケーン被害
合衆国の内部がグローバルな格差を体現しているというべきしょう。

人間の等しい権利が、社会の断片化を、格差を照らし出しますが、これは単なる分配や規範の問題ではありません。分配は分配として独立して解決できるものではなく、生産性の配当という主題は、生産に属する問題であり、生産過程の自覚的運営の問題です。

人間の権利のためには「持続可能」な社会を創造し継承していかねばならず、「成長のための成長」を放置しつづけるわけにはいきません。人間の発展(開発development)を支える持続可能性とは、発展の基軸を、前世紀的な成長主義から、生産の自覚的なモメントに転換することです。国際社会のこの合意において、穏健であることがもっとも革命的であるような地平を、単純な反資本主義論も、市場原理主義も、理性への不信も乗り越えているような社会形成の地平を、垣間見ることができます。人間の断片化によって進む発展から、自覚的な発展に転回することが「持続可能性」の意味です。

蛇足。米国追随路線に付随している復古的な言説は、グローバリゼーションがひきおこす共同幻想にすぎません。新世紀は、国益よりも人権が普遍的であり、地域的共同体(国家)に対して人権がグローバルな基準となる時代です。それは、国益を地球規模での生産関係が規制している時代であり、グローバルな依存関係が本格的に形成される時代です。だからこそ、排外主義や、民族主義、歴史修正主義、復古主義といった襤褸を纏った言説や、それによって大衆の貧困を掻き集めるファシズム的な統合/イデオロギー的な収奪がいたる地域で出てくるのだ、と考えられますけれど・・・地球的な社会への陶冶のプロセスがまだ始まったばかりだとしたら、この先、こんな憎しみへの統合がまだまだ噴出してくるのでしょうか。
by kamiyam_y | 2006-08-02 17:41 | 現代グローバリゼーション | Trackback | Comments(0)

子供の権利と外国人労働者

こんどはキッチンシンクの排水口のなかから何かの芽が出てきました。果物か穀物か。これは水を吸っているのでエアプラントとは言えません。まいったな。

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安倍も小泉も参拝すべし

今朝の朝日の一面、旧厚生省による合祀案の記事でした。

asahi.com:靖国合祀、国主導の原案 「神社が決定」に変更-社会

 
……「厚生省が合祀者を決めて神社に通知する」「合祀事務の体系は(靖国神社が国の管理下にあった)終戦前のものに準じる」と記している。新憲法の政教分離原則に触れる疑いが濃く、……


靖国運営が軍の業務であった戦時下の体制を引き継いでいるわけですから、疑いが濃いどころか、明確に戦後憲法と抵触してます。

靖国といえば、総裁戦で谷垣が「消費税引き上げ」「アジア外交重視・靖国参拝停止」を掲げて立候補表明しました。

asahi.com:谷垣氏が立候補表明、麻生氏も意向表明 自民総裁選-政治

消費税はあとからこっそり引き上げるより、最初から明言している方が正直。アジア外交修復も対立軸が鮮明かとは思いますが、どうせ安倍になるなら安倍で、その本性を明かしてもらったほうがいいかとも最近かんじてます。

『月刊現代』8月号の国平修身「政界ディープスロート 『安倍総理』へ」によると、小沢・民主党としては、阿倍のほうが対立軸がハッキリして組みやすい、という意向があるようです。「来年の参院選」で「自公を過半数割れに追い込める」と小沢が語ったよう。わからなくもない。

グローバリゼーションと子供の権利

同『現代』は他にも読んで損のない記事がありましたが、とくに姜誠「『外国人GAKKOUが浮き彫りにする『ご都合主義』」が、海外に国籍のある日本の住民の子どもたちが、教育を受ける権利を実現できないことについて問題提起をしていて、面白かった。現状は放置。外国人の子供に対して教育の機会を制限しているのはまったく時代遅れです。
by kamiyam_y | 2006-07-29 15:23 | 現代グローバリゼーション | Trackback(1) | Comments(0)

「人間の安全保障」

昨日のエントリーに補足です。

アマルティア・セン『人間の安全保障』(集英社新書、ビーケーワン)。

人間の安全保障委員会『安全保障の今日的課題―人間の安全保障委員会報告書』(朝日新聞社、Amazon.co.jp)。

ヌスバウム/セン『クオリティー・オブ・ライフ 豊かさの本質とは』(里文出版、セブンアンドワイ)。
by kamiyam_y | 2006-07-11 17:24 | 現代グローバリゼーション | Trackback | Comments(0)

軍隊のない国・コスタリカ(案内)

 軍隊のない国・コスタリカから学ぼう

日時 2006年7月9日 (日)午後3時~5時
場所 札幌エルプラザ(JR札幌駅北口・北8西3)2F
資料代 500円

講演  カルロス・バルガス (コスタリカ 国際法律大学教授・国際反核法律家協会副会長)

主催 「軍隊のない国・コスタリカから学ぼう」実行委員会
 
 
by kamiyam_y | 2006-07-06 23:59 | 現代グローバリゼーション | Trackback(1) | Comments(0)

国境を越える人権 強制労働に対して

地球経済は確かに断片化し、人権の発展も生産の発展も不均等というほかはないようにみえる。

世界・国際労働機関、強制労働改善を政府に要求(janjan)によると、軍事政権が行っている強制労働に対してILOが「強制労働取り締まり法の制定を求める決議を採択した」という。軍部によるこの徴用は、国家権力による奴隷労働の使用に等しい。人格的自由を否定された強制労働なのだから。

ここで不均等というのは、人格的隷属として、前近代的共同体的関係として階級社会の本質がこのように現れている地方が存在しつつ、他方では、人格的自由を社会のタテマエとしながらも労働が強制連関におかれている発展した資本主義が存在している、という意味を含む。

記事にいう強制労働だけが強制労働なのではないけれども、法律上も強制労働としてあらわれる強制労働は、民主主義以前的な野蛮な生産体制が取る姿であって、発展した資本主義によって解体されるべき関係にほかならない。

紛争地域では、政府軍、反政府軍を問わず、軍隊が、子供を連れ去って兵士にしている現状がある。子供を労働力として、しかも最も非人間的な方法で労働力として使用している現状がある(Amnesty International-wfsection-子ども兵士)。

この紛争地帯に武器を売っているのはどこの資本であろうか。私たちの外にあるかぎり、どんな悲惨な現実も私たちの現実ではないが、地球的な生産の連鎖の中でこの現実があるならば、それは私たちが超えるべき現実である。紛争を再生産する地球的連関を私たちは制御できていない。

子供兵の存在は、人間性に対する犯罪として理解されるだけではなく、今日では、国際的な連帯において問題とされている。その程度には人間社会は未熟ではなく、断片化を乗り越える力が作用していると考えるべきだろう。

他に参照:Amnesty International-ビルマ(ミャンマー):強制労働の使用とそれに抗議する人の処罰を止めよ - 国際事務局 - ニュース
by kamiyam_y | 2006-06-30 21:43 | 現代グローバリゼーション | Trackback | Comments(0)

集団的な迷信より経済を

経済同友会が文書で小泉首相の靖国参拝を批判しています(今後の日中関係への提言-日中両国政府へのメッセージ-:経済同友会)。これに対して、首相が言い放った一言は、「商売と政治は別」(Excite エキサイト : 主要ニュース)。

このフレーズは、「民でできることは民で」という彼の薄っぺらで単純な宣伝文句と矛盾しています。ここでいう「民」の実態は働く大衆ではなく「経済団体」のことですから、彼の政治こそは商売に付属する政治のはずです。

商売から離れた集団幻想に振動するのも、海外には「民のことは民で」といって創りだせる官僚の天下り先がないからなのでしょうか。この幻想に拘って、倒したい派閥があるのでしょうかねえ。こうした集団幻想よりももちろん、地球規模の資本の運動の方に、働く大衆の普遍的なものが逆立ちした形で詰っています。迷信より経済を、経済より大衆をという歴史の方向を見れば、とりあえず同友会の主張の方が(提案すべてに賛同できるわけではないけれど)進歩的。経済の利益以前に参拝は憲法違反なので正当性がないことはいうまでもありません。
by kamiyam_y | 2006-05-11 10:52 | 現代グローバリゼーション | Trackback | Comments(0)