さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

カテゴリ:経済成長と生活( 14 )

脱原発デモ告知

あと十数時間ですが、見物でも来れる人は。

サウンドデモ札幌3.24
by kamiyam_y | 2013-03-23 17:47 | 経済成長と生活

少子化異論

少子高齢化の危機を煽る流れに対する異論を1つ、たまたま見つけました。伊藤元重「少子化への対応」(『静岡新聞』8月30日土曜日朝刊3面「論壇」)なんですけど、なるほどとおわせる数字が紹介されてました。従属年齢人口比という数字で、現在35%だが、じつは、かつて1950年にはそれをこえて40%であったのだそうです。

従属年齢人口比とは、14歳以下と65歳以上が人口中にしめる割合で、伊藤が主張するには「子どもが多いのか高齢者が多いのかの違いはあるが……従属人口が多いことにあまり過度な危機感を持ってはいけない」とのこと。

ふむふむ。

私の言葉にかえていえば、直接的生産に従事する労働者が、本人と家族が消費する労働生産物よりも多くの労働生産物を生産するのが文明の進歩です。

ですから、可能性としては、少子高齢化は危機ではなく、人間が生き生きと長生きできるいいことでしょう。

とはいえ、実際には、労働生産物の流れはグローバルな資本の活動によって規制されてますから、問題はそこをどうするかにあるはず。

医療や年金は現在の制度を前提すればたしかに税率アップの話かなともかんじますけど、取るだけ取って自分たちだけは安泰にしといた官僚が少子高齢化の危機をうったえるのは説得力に欠けます。
by kamiyam_y | 2008-09-08 23:27 | 経済成長と生活 | Comments(0)

市場主義による市場主義の批判

地方に生きる人々の福利増大と活性化のためには、公共的な制御こそが必要、とおととい書きましたが、それに関して少し笑える記事を発見。

「(経済気象台)無意識の計画経済思想」(薫風・朝日新聞5/24(水)12版12頁)という小さなコラムで、ありふれた代物なんですけれど、ちょいとひまつぶしに。

「……名目的成長率を達成すべきノルマのように議論した閣僚らの言動をみていると、計画経済健在の思いを強くする。/このほかにも、為替相場や長期金利について行き過ぎをを懸念する大臣の発言をはじめ、計画経済を想起させる例は枚挙に暇がない」

このコラムは、言ってみりゃあ、政府による景気報告や、改革展望、成長率目標設定などを批判しています。それも、「計画経済」だとしてです。「自由主義経済を信奉していると思っている」人が「無意識の計画経済思想」に侵されているのはどういうことか、けしからん、というわけです。

中川も竹中も裏切り者ってことでしょう。市場信仰からすると、国が経済や生活に実質的に関わることは、誇張して言えば、すべて民主派の策謀になります。天下り禁止も邪悪な計画だから放っておけ、とでもなるはずです(笑)。計画のない人間なんているのかな。政治的支配階級の支配した無計画で前資本主義的な社会を「計画」として非難する前に、日本の企業世界の内部が計画経済に浸蝕されているのを憂うがよろしい。

こういうイデオロギー的主張はその漫画的な徹底性のゆえに、協同的制御(総合的で自覚的な管理)の進展を裏返した形で証明するようなものです。

資本主義は、工場立法を制定した瞬間から、管理通貨制度を導入した瞬間から、生存権を支えるための社会システムを起動した瞬間から、格差是正のための公共的な政策を選択に入れた瞬間から、自分の前提を超える自覚的制御に依存してます。排除しあう原子に社会が解体した暴力的競争の世界とは正反対の公共的世界を形成します。

昨日触れた加藤典洋風に言えば、「公共性」と「私利私欲」との「対立する磁場」(『日本の無思想』221頁)こそ資本主義の破壊的で創造的な運動様式でしょう。私利私欲が計画性を増殖し、計画性は私利私欲に侵される。人々の公共的な世界が復権する。「弁証法だぜ、人生は」(橋本治のパクリ)。弁証法とは徹すること。対象の最も強い部分によって対象を変革するという労働の特徴であって、資本主義の強さが資本主義の解体性だし、議論も相手の重みによって相手を解体すること(かなあ?)。
by kamiyam_y | 2006-05-24 18:09 | 経済成長と生活 | Trackback | Comments(0)

地方を資本にする運動

ガムデンタルリンスを買おうとプライスマート平岸店に入ると法学部の先生がおり、よつば牛乳を買おうとダイエーに入ると2部の学生がいました。狭い世界ですが、これこそ地方都市のコンパクトな空間を実感する醍醐味。

ところで、地域間格差の悪化に対して無関心な小泉=竹中路線的な考え方の1つに、「地方に競争させる」というような合言葉がありましたよね。

いきなりですが、それって、人間の社会的本質の自己疎外的な表現です。

こういう合言葉が述べている本体は、結局、地方とか、自治体、地方公共団体も、民間資本になれ、ということですよね。

だとしたら、市場を賛美することが、民間資本の公共性を認めているわけです。市場主義は、「民」こそが公共的だということを認め、つまり、民のなかに人間の社会的な共同性があることを認めることになっています。

ところが同時に、この承認を、競争が理想状態をもたらすという信仰へと疎外して了解しているのが、イデオロギー的な限界です。民の公共性が私利の敵対的な運動としてもたらされているという現実の1つの顔でしかないのです、竹中なんて。彼は疎外の人格化でしかないのです。公共性の承認は市場主義が自己解体せざるを得ないことを示しています。

彼が理想化する市場とは、企業の集合体です。この企業のなかは、市場とは逆に徹頭徹尾「計画性」の世界であろうとします。「民」に見習え!というのなら、この点、まさにこの計画性を徹せよ、という要求こそ民の真理というべきでしょう。

自治体間競争という考え方自体、憲法の平等な人権という理念と整合性があるのか疑わしいですけれど、ともかく、「地方の時代」というなら、地方に住む人々の幸せに必要なのは、徹底した計画性のはずです。

計画性という言葉に引っかかる方は、きっと、計画性を官僚制と勘違いしています。一部の特権的な人々が支配することと計画性とを混同しているのです。あるいは計画性を、官僚が計算して分配するといった歪んだイメージでつかんでいるのです。

社会的生産の自覚的な制御とは、遊びや偶然を豊かに含むものですし、総合的なもの。

市場を利用するという現実の命令は、市場を制御せよという命令に転化しています。市場の活用と言った瞬間に、じつは私たちは市場を自覚的制御の対象にしています。

人が都市に集中して暮すことは合理的だと思いますが、それは、競争によって効率の悪いところからよいところに人が移動し理想の状態ができるとする単純な話でもなければ、競争させるという名目のもと、地方を切り捨てるという話でもありません。

多少の与太話。2000万人が1カ所に暮すのと、200万人の都市がほどよく分散しているのはどちらが人間的でしょうか。札幌に暮している実感からすると、後者です。

これが人口10万人が広大な土地に分散しているのと、1カ所に集中して暮すのとでは、逆になります。少ない人口でも集中して住めば、飲み屋街だってできるはず。

札幌の狭さという話から、坊ちゃん団子ネタには行かず、地方都市の豊かさを殺さない政策を、という話につなげてみました。
by kamiyam_y | 2006-05-22 22:31 | 経済成長と生活 | Trackback | Comments(0)

量的緩和(という言葉)批判-解除によせて

紙幣をたくさん印刷すれば景気がよくなる。

と考えるのは、小学生ですが、「量的緩和」は、「不良債権処理」をすすめる金融機関が企業向けの貸出を増やすように、という大義名分があり、他に例のない立派な金融政策なのだそうです。

ところが、立派な市民の間でも、「量的緩和」と言われても何のことやらわからん、というのが実感というか実情なのではないでしょうか。それは、こういうあいまいなネーミングをする側にも責任があります。だって何をどう量的緩和するのかちっとも指示していない命名法ですからね。事態を隠す言葉遣いです。この点はこの言葉が使われたときに批判されたところではありますけど。

で、要するに、中央銀行が金利を動かして経済を調整するという、学校の教科書に書かれているような政策と違って、金融機関のつかえるお金の量を増やしましょう、ということです。

端的に言うと、中央銀行である日銀におかれている市中銀行の当座預金を増やしましょう、ってことです。どうやってそうするのかというと、日銀が、市中銀行から国債などを買いとって、その分この預金口座にお金を入れる形にしてそうするんですが。

こういう啓蒙的説明をするのはなんか恥ずかしいので、この先の与党と日銀の綱引き、竹中対与謝野といった話は週刊誌でもご覧になって下さい。

ちなみに、産業資本の蓄積が急速に拡大したり、それが無政府的に行き過ぎて利潤が下がって減退し、利潤を得られない資本が大量に整理されたりする、ということの繰り返しの中で、資本主義は存在してます。経済のサイクルを産業循環というのですが、これは、《資本の生活過程》(資本論)。政策によってなくすことはできませんが、なくそうとする政策をすることが資本にとって必要になります。資本とは、自分の前提を否定して前提を立てる矛盾した運動です。資本の勝手な競争が、産業資本の生命力を支えられる環境づくりを政治に要求するというのも、現代社会が市場原理主義のような1つの単純な関係によって成り立っているのではないことを示しています。
by kamiyam_y | 2006-03-12 22:34 | 経済成長と生活 | Trackback | Comments(0)

所得倍増(続)

▽ 「格差」について書いたり中川秀直政調会長の所得倍増論を批判したりしましたが、その追記です。竹中=中川の「成長」崇拝、甘い見通しと、与謝野らの慎重論、増税論との対立は実はこういうことではないでしょうか。すなわち、自民党政権下の財政赤字の累積を清算するために、国民から名目的成長によって無意識的に収奪するのか、増税によって収奪するのか、という違いではないでしょうか。

そうだとすれば、名目的成長、端的にインフレによる勤労大衆の収奪は、間接的で自覚されにくいですからより狡猾という感じがします。税という制度は政治テーマとして国民的な議論になりえますし、税金を介したほうが国民による政治参加の意識も高まります。増税するのにそれを隠して名目的成長により収奪するのと、はじめから増税をハッキリ出すのとどちらがよいのでしょうかね~。一番いいのは不良債権も、財政赤字も、奨学金の返済も徳政令で解消してリセットしてしまうことです(笑)。

いうまでもなく、名目成長率を長期金利が下回るという竹中が固執する事実は、彼が自分の主張に都合のよいデータだけ取り出しているにすぎないので、本質的な問題ではありません。

▽ UHBのスーパー・ニュースで、1976年の「道庁爆破事件」で30年間無実を主張している死刑囚の母と、獄中結婚20年の妻のインタビューが放送されてました。妻は面会しかできず20年。82歳の一人暮らしの母も感謝しているという。妻は、ダメな男を守ってやりたい気持ちにちかい、みたいなこと言ってました。好きという感情は60億人みんなちがうんですね。

▽ 「外資脅威論」関係への補足。小泉政権・小泉改革の実態が、米国金融業者への日本の勤労大衆の貯金を開放することであるとしたら、それに対する本質的な対置は、単なる郵政民営化反対論ではなく、高度成長に向けて編成されていた(開発独裁的な)国営銀行であった郵貯・簡保、政府系金融機関を真に公共的なものに即してどのように変革していくのかという構想でしょう。それは世界の進むべき方向、展望の対置であり、日本社会の問題の再発見と人間的で豊かな社会に変えていく展望とを対置することでしょう。民営化「法案」反対を抵抗勢力である、とするレッテル貼りに野党が対抗できなかったことは、メディアを通じた操作の問題だけではないはずです。
by kamiyam_y | 2006-02-16 19:42 | 経済成長と生活 | Trackback(1) | Comments(0)

補足

○ 柳原三佳「 ニッポン警察の大罪-死因究明を徹底せよ 変死体の解剖率3.7%は世界最低」(『月刊現代』3月1日号・2月1日発売)を読むと、日本の現状では組織による殺人に対応できていないことがわかります。犯罪組織によって消されたって事件として究明されないってことですよ。

○ 「格差」「成長」について補足。 『世界』3月号の山家悠紀夫「『実感なき景気回復』を読み解く」が、2点面白いことを述べています。まず第一が、現在の景気回復が輸出主導であること。日本経済の動向を規定する大きな要因が、中国とアメリカだということです。日本の経済的諸関係は深く米中経済に依存しています。

第二に、家計部門の回復の遅れです。景気回復が言えるとしてもそれは、家計にとって疎遠な形で進んでいるから、「実感」がないわけです。山家氏が指摘するように、小泉政権4年の間に雇用者報酬が16兆円減少してるんですから。

○ 『世界』3月号はもう一つ、北海道新聞の藤田和恵によるルポ、読まれたらいいなと思います。北海道の郵便労働現場の非人間的な現状を抉り出してます。

○ 靖国について補足。私が以前書いたことはとくに勉強したことなどではなく、単に当り前のことばかりですが、加藤紘一も、山口二郎の対談(「政治がコミュニティーを壊してはならない」、『世界』3月号)で、「靖国参拝」は「サンフランシスコ講和条約に異を唱える……日米問題」であって、ブッシュを靖国に連れて行けるのか、と批判しています。本来の進歩を阻害する歴史の逆行は、アメリカに要求される前に(加藤も言うように)、止めてほしいものです。

○ <天下り>省庁から3987団体に2万2093人 衆院調査 (毎日新聞社):Excite 改革も何もこういう現状を打開しないでどうするっておもいますが。
by kamiyam_y | 2006-02-15 00:47 | 経済成長と生活 | Trackback | Comments(0)

格差社会是正よりも自由

なんて書くと、格差是正策こそ格差を拡げる、自由競争がすすめば格差は縮まると変な理屈を立てて大企業をお上と崇め奉る成長=競争信奉者と間違われそうですが、逆です。自由な個人の実現のためにこそ格差放置に対する批判が必要だ、と言ってみたくて書きます。格差社会是正よりも自由の方が人間にとって本質的で広い概念であって、格差社会是正は自由の実現の中に含まれるのだからです。

自由とは別に縛られないことというような漠然としたことを指すのではありません。規律や規制がないことを指すのでもありません。そうした自由はただのイメージです。

自由とは他者との相互承認において生き生きと振舞うことを意味します。社会的な個人として自己実現している状態であって、当然それは他者との共感や連帯、協同して知恵を出しあい規律やルールをつくりだすことを含んでいます。

単なる恣意や放埒や、私利による他者の否定は、総体として自由を制限してしまうような形だけの自由にすぎません。自由をこの意味に押し込めてしまうことによって、平等や民主主義を自由の否定と受け取るのは誤りです。こうした誤りが一方では、自由のために平等を犠牲にせよという放埒的な自由主義の主張になったり、逆に、自由などというものはブルジョア的な観念だとか、西洋の観念にすぎないから共同のために自由は否定されるべきだと考える右や左の国家主義者のイデオロギーになったりするわけです。

格差社会について少し書いたので(123)気になって、ネットをいろいろ見てみますと、格差が拡がるという見通しが目立ちます。縮まると考える場合も、正社員化が進むからとか、もともと格差社会だったとか、これ以上低所得層は低所得になりようがないとか、底辺もそれなりにおこぼれに与るとか、格差は社会的な問題であって経済的には縮まるとかいったことを理由にしており、市場が自動的に均衡を実現するので国家の介入は百害あって一利だと主張するようなイデオロギー的な市場お任せ主義的論調はあまり見られません。

世界を見ると貧困解消の方向に進んでいるとはいえ、放置していては問題は解決しません。成長の配当は全体を豊かにするので格差は拡がらないという議論は検討すべきでしょうが、少なくとも言いうるのは、協同的な制御なしに問題が解決するわけではないことが最小限の合意となっていることです。政府は貧困を無視できず、国連は貧困撲滅を課題として掲げる時代です。

今の議論はとくに小泉首相の発言をめぐるもので、これは、市場化に対する人々の不安感や悲観もあるのかもしれませんが、それよりも、あたかも政府は要らないといっているに等しいかのような首相の発言に対する不安感や、格差是正政策を捨て去ってしまうのではないか、格差是正が後退するのではないか、という危機感が基調にあって、分配の変更に対する権利の主張として自覚していくべき契機を含んでいるように感じます。しょぼい擬論も多いですけれど。

新たな都市弱者層の形成のような見えにくい貧困の進行が、格差社会化に対する関心の背景にあるとすれば、自覚していくべきは、労働能力獲得の権利、労働市場の整備という公共的な課題でしょう。それはもちろん社会そのものの正常な再生産に関わる重要なテーマです。分配の問題は生産における権利と不可分です。

これからますます悪くなると考えた方が今が楽しくなる、という理屈もありますが、あらゆる個人が自由で豊かに発達でき、それがあらゆる個人の発達の条件になる、そんな社会をめざしますよ、というようなリベラルで明るい構想を、B層に向けて、野党が発信できたら世の中変るんですがね。

それから、おもったのですが、小泉純一郎も、安倍晋三も、中川秀直もみんな二世議員の類で、この人たちが格差是正を議論すること自体笑止ではないでしょうか。二世議員をありがたがる人もいるようですが、そういう人は北朝鮮に行っても立派に適応できるにちがいありません。

格差社会 | Excite エキサイト : 社会ニュース特集
by kamiyam_y | 2006-02-15 00:06 | 経済成長と生活 | Trackback | Comments(0)

革命の輸出と石油利権、アメリカ支配

元CIAの情報分析担当官が、ブッシュ政権が開戦するために情報機関の意向とは無関係に都合のよいデータを集め利用したこと、情報機関側がイラク戦後を民主化が困難で紛争が続く危険性があると予見したのに無視されたことを暴露しています。

「意図的にイラク情報つまみ食い」元情報官が米政権告発(2006年02月11日20時51分,asahi.com)

イラク攻撃で情報機関利用・元CIA当局者が政権を批判(2/10,NIKKEI NET)

真偽は確認できませんが、イラクの戦後において社会が分裂し、民主化が困難となることを情報機関が予見していたということは、民主主義の武力による輸出の効果、戦争によるイラク人民の「解放」に対して、情報機関の分析がすくなくとも短期的視野においては懐疑的であったことを意味します。

ブッシュ政権は始めから戦争ありきだったわけです。

人権は、その現実と矛盾しています。イラクの子供たちの生きる権利が石油の権利の犠牲になる、というように。
by kamiyam_y | 2006-02-12 23:31 | 経済成長と生活 | Trackback | Comments(0)

所得倍増

▽ ドラマは見ないですけど、夜中にテレビをつけてしまったら、田村正和と常盤貴子のあいだが進展してる(って見てるじゃん)ものだから見てしまった。夜のテレビといえば通販、最近真空パック物ですけど、ど~なんでしょうか。私は何年か前に簡易エアベッドを買いましたが、いまだに梱包を解いてもいません(^_^;)

▽ 中川秀直政調会長が4%成長をめざせと言っているようです(msnニュースExcite エキサイト : 経済

インフレ大丈夫なんでしょうかね?もともと竹中平蔵総務相の歳出削減案の前提になっている予想が、高い名目的成長率とそれを下回る低い長期金利。成長で税収増し、低金利で国債の利払い負担を抑えるというわけですが、吉川洋東大教授をはじめとして与野党内外に強い異論反論があります(朝日新聞2006年01月04日)。

中川氏は「所得倍増」の手形も発行しているようで、もし年収300万円の人が600万円になるんだったら、けっこうなことでしょう。しかし、あたりまえですが、銀行券が表す価値を減らすことによって物価を上げるだけなら、豊かさが倍になるわけではなく、賃上げが追いつかなければ実質賃下げになります。物価上昇にもかかわらず金利も上がらないことは一般的に言えば、節約して貯金しても目減りしていくことです。

20年で所得倍増と言われたら、経済学部の学生でなくても疑問が山のように浮かぶのではないでしょうか。高度成長を支えたさまざまの条件のうちの多くは現在消滅しています。同じ労働時間で、獲得する生活手段(個人的消費の材料)が倍増するには、生産力倍増が必要だが、そのためには企業間競争における利潤拡大が必要となる。利潤拡大が賃金抑制によってもたらされるなら、その分個人消費が増えない。海外に販売先を求めることも、海外の生産者とコスト下げ競争することになり、やっぱり賃金は上がらない。あるいは、所得倍増なら格差是正策こそ必要ではないのか。金持ちの資産の海外逃避(要は脱税)を放置していいのか。経済は生き物だから無理な拡大路線は混乱を招くのではないか。日本の成長は財政再建のためにではなく世界経済を牽引するために必要なのではないか。成長ではなく成長の配当こそ問題ではないか。ワークシェアリングと時短の道こそ健全ではないか。等々。田中康夫もこの所得倍増論をからかってますが(「負け組も勝ち組になるかも」だと!? )、話は単純ではないということです。

▽ 日本は海外からの直接投資少ないですから、グローバルなインフラづくり自体は否定すべきではないでしょう。ハゲタカに残飯処理を頼めというわけではなく、成長のためにはアメリカ資本にくっついていろということでもなく、超国民的な貨幣や企業をどう利用するのか考えるべきと思うわけです。

Excite エキサイト : 経済ニュース

コイズミくんはこれを自分の批判者に向けて述べているのでしょうが、そうだとしたらコイズミ批判者も軽くみられているのではないでしょうか。日本の今までの歴史を見るかぎり、外資や外圧なしに根本的な変化はなかったといっても過言ではありませんし、閉鎖経済の主張が、人権・自由と民主主義、社会的公正と連帯といっしょにされたらたまりません。日本のシステムをどう構想していくのか、明快な展望がないと、コイズミくんを凌駕する魅力は出せないんじゃないでしょうか。「郵政」みたいに政局のテーマがしょぼいのもその点にかかわっているように思えます。国連人権委員会の勧告が完全というわけではないにせよ、人権と民主主義では先進国の中の後進国という状態から脱するためにも、時代イメージをきちんともつことが批判する側に必要なのかな、とも思えます。

ちなみに、『週刊文春』(2月16日号)が、皇室典範をめぐって、皇室を改革の対象にする小泉氏を批判しています(「『皇室も改革だ!』小泉首相不敬言行録」)。皇室を政治利用するのは不敬だなどというオカルト右翼に比べれば小泉氏は断然進歩的ですし、小泉劇場は衆愚政治で改革改革と左翼的すぎる、などと批判する右翼に比べればそのとおり、小泉氏は左翼でしょう。正社員とパートの格差はおかしいとまで言われてしまって、小泉氏は機を見るに敏です(皇室改革もNHKの報道見て取り下げてしまうし)。

▽ 居酒屋甲子園というNPOがあって、北海道は札駅の「香香颱風」が代表だったそう。天井に備え付けられた巨大な団扇が好きですけど。
by kamiyam_y | 2006-02-11 20:05 | 経済成長と生活 | Trackback | Comments(0)