さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

カテゴリ:成長主義と環境( 9 )

外皮の死滅

西日本は夏日だったそうですね。こちらも暖房とかつけずに部屋のなかは25度ありました。だるかっただす。冬仕様の体から抜けつつある段階で25度は疲れ、夏仕様になってしまうと25度は寒い。

▲ 10日ほど前だったかなNHK 特ダネ投稿DO画でこれが紹介されてました(NHKブログ | お知らせ | 4月7日(日)放送の動画リストです!)。

Ashlyn's surprise reaction to pregnancy and being a big sister!!!! THE ORIGINAL!!!!!! - YouTube

小さな娘に、母に新しい命が宿ったことを告げるのですが、そのアシュリンちゃんの泣きじゃくって喜ぶ姿がかわいらしい。英語圏だけでなく多くのコメントが寄せられているのが面白かった。

19世紀、20世紀に世界革命を夢見た人々の希望の手段は、今ここに存在しているのではないか。インターネットが諸個人を統合する力のすごさに感動します。

▲ 大学一年生に経済学について尋ねたら、スミス、ケインズ、シュンペーターなどと続いて、「池上彰」の名前が出てきた。ニュース解説で有名ですが、『資本論』についても書いてます。ちゃんと読んだことはないですけど。
Amazon.co.jp: 池上彰の講義の時間 高校生からわかる「資本論」: 池上 彰: 本

『資本論』をリスペクトするという1点のみにおいては彼は先進的インテリゲンツィアの資格とみたしているといえるかも。

そもそも資本主義は人類社会をくるむサナギの皮のようなものであり、資本主義を覆いかくす正当化の外皮も、社会的労働と民主主義の発展によって、干からび裂かれつつあります。シュンペーターは、資本主義はそれを肯定する知識階層をもたないというようなことをかつて述べましたけど、資本主義のダイナミズムというのはまさに分裂にあるのであって、それは資本主義自体を乗り越え役割を終えるもの。資本主義を美化する完結的体系は成立しえない。資本主義という対象の真理は資本主義を美しくみせる呪術を解体しています。

▲ これまたNHK。『バークレー白熱教室』という番組で物理学者のムラーRichard A. Muller が「クリーンエネルギーを検証する」というタイトルで講義していてなかなか参考になった。世界的な省エネが達成されれば、21世紀にやってくる90億への人口増加も大丈夫、という趣旨の発言が印象的でした。省エネのイメージを、消費者が我慢するという道徳主義的なものから、省エネによって豊かな生活が普及するというよう明るいものに転換する必要がありますね。じっさい拡張主義的経済をどうコントロールするかが豊かさの鍵ですから。

学生からムラーさんに出された質問のなかでフクイチ事故後の日本のエネルギー政策について触れているものがありました。教授はたしかさしあたり原発から天然ガスへと答えてました。

それではみなさん、新年度の繁忙期で季節の変わり目でもあります。ご自愛ください。
by kamiyam_y | 2013-04-17 07:19 | 成長主義と環境

再生可能エネルギー

子供も大人も、老いも若きも、愚者も賢者も、紫陽花革命に集う。デモに自由に人々が結集するそのことのなかに社会が実在し、デモを自由におこなうことが社会の変化そのものだ。

7月になり固定価格買取制度が始まりましたね。再生可能エネルギー事業に資本を参入させることは大きな力となります。社会的制御を欠く資本の力が環境を破壊するとともに、現在不可欠の智慧は制度的方向付けにおいてこの力を利用する戦略です。

http://bit.ly/N9wsIm(毎日新聞)

安全な環境をつくるという公共的目的のために、社会的生産の力を集約している私的諸資本を参加させるのです。再生可能エネルギーの政策的な開発は、現在貨幣の力の有意義な発揮を土台にして実現するほかはありません。われわれの共同体は疎外され貨幣として実在するのですから。再生可能エネルギーへのシフトは、安全で安心しうる環境をえようという国民的合意によって生産過程に国民的介入を行う試みであり、諸個人の生活の安全な基盤を計画的につくりだす試みにほかならない。この買取制度もこの人類史的試行錯誤のなかで有意義に作用してほしいものです。

大島堅一がこの制度の肯定的な可能性についてつぶやいてました。紹介しているレポートは読んでないですけど。

http://twitter.com/kenichioshima/statuses/60618432705601536

風やら水やら土やらからエネルギーを得るというと、なにか歴史に逆行しているかのような印象をもたれる人もいるでしょう。けれども、たぶんちがいます。

作業機は……しばしば馬などによって運動させられ、もっとまれには不安定な風力によって運動させられました。しかしだんだん水が利用されるようになりました。けれども、水力の使用もさまざまの不便と結びついていました。こうした不便は蒸気機関の発明によってやっと取り除かれました。そこで工場の所在地はもう、激しい水流という立地に縛られていることがなくなりました。それまで既存の自然事情に依存していた動力の程度が、その後はまったく人間の統制に服せられ、それからは同じ動力機できわめて広範囲にわたる伝導装置ときわめて多数の作業機とを駆動することができるようになりました。
(ヨハン・モスト原著、カール・マルクス加筆・改訂『マルクス自身の手による資本論入門』大谷禎之介訳、大月書店、2009年、90頁)


資本は労働過程を包摂し、協業、分業という労働の社会的組織化を実現します。しかしそれは資本にとって限界となり、変革は労働手段の変革に旋回します。「産業革命」ですね。

発展した機械は、原動機、伝導機構、道具機/作業機という3つの部分からなっていて、産業革命を導いたのは、このうち道具機の発展です。道具機は労働対象を変化させる部分。道具が機構化されて道具機に転化することで、労働手段は「人間の器官の数と規模」から解放され、それが独自の伝導機構とふさわしい原動機を獲得する。

道具機/作業機を運動させるための動力の源としては、気まぐれな馬や、不安定な風ではなく、安定した燃焼を利用した蒸気機関が、安定的に制御できどんな道具機にも適用できる汎用的な原動機をなすものとして定着します。これにより工場が動力のために川の近くになければならないといった場所的制約も資本は解除。

このことは、発展した社会的生産であれば必ず蒸気機関を動力機として用いるものでなければならないとか、蒸気機関による生産を大工業と呼ぶ、という意味ではありません。水力や風力から蒸気機関へと動力の歴史的流れからみると、再生可能エネルギーは過去への復帰にみえますが、それは皮相な見方というもの。

再生可能エネルギーの利用はじつに高度な制御能力を求めるのであり、これも蒸気機関同様に科学の適用による協働という場面のなかでの技術の具体的姿態です。再生可能エネルギーの利用もまた、人間に対して疎遠であった自然が、その潜在的な人間との同一性を科学として顕在化し、技術形態として新たな形態をとることです。
by kamiyam_y | 2012-07-03 03:27 | 成長主義と環境

民主主義対原発資本:民主的協同管理による原発複合体の解体を、民主的社会形成による成長主義からの脱却を

20世紀の《自然=社会=人間》の到達点は、資本主義における世界史的な個人の形成としてまとめることができます。労働する個人は、その個々の人格的な社会的な形態として民主主義と人権の主体となり、その環境世界への延長として社会化された生産手段と労働組織、世界市場を資本のもとで発展させました。人間の「物質代謝」の延長された姿が世界市場であり、ここに資本の自然発生的競争に委ねられた無政府的な社会的分業が成りたっています。

世界市場が直接には経済成長第一主義の力として存在していることによって20世紀の問題群が生まれ、これに対する政策理念の破綻を通して、新たな社会づくりの必要が示されているのが現在です。諸個人は、制御できない成長主義という形をとった自分自身の環境と対峙し、この環境すなわち世界市場を自覚的な管理に吸収するという課題を負って存在しています。

温暖化と労働問題、企業の権力といった地球的問題が20世紀のマイナスの到達点として残されており、これを解決するには、まさに《自然=社会=人間》という存在世界が安定した形を取ること、人類社会の形成により世界市場をコントロールすることが不可欠です。

国際社会と民主主義の発展のなかで原発も問われています。原発利権で儲けた人が死んだ後にも事故の処理が続けられる。

福島原発の廃炉作業に最長100年…英科学誌 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
福島原発の安全性回復には1世紀の時間が必要=英専門家(サーチナ) - livedoor ニュース

斉藤和義も「この国を歩けば 原発が54基」って歌ってますが、この狭い地震列島に54もある。

反原発の曲がネットで話題 斉藤和義さんが歌う動画 - 47NEWS(よんななニュース)
斉藤和義 news / 音楽情報サイト:hotexpress
斉藤和義、原発批判のセルフカバーを公開「ずっとウソだった」 – ロケットニュース24(β)

YouTubeとか動画投稿サイトで検索すれば見れます。歌詞をつけてアップしてる人もいます。

ニュースがわかる・災害:原発が被災、大事故に/3 原発頼りの日本 - 毎日jp(毎日新聞)

福島第一に現れた問題は原発全般を貫いており、地震も津波も電源喪失も「想定外」というのが普通だったのか。多重防護による安全確保のウソ。

東日本大震災:震度6強余震 原発のもろさ再び露呈 - 毎日jp(毎日新聞)
asahi.com(朝日新聞社):国内原発の大半、安全対策に難点 長期電源喪失想定など - 東日本大震災

大半が地震や津波を想定した安全管理システムに欠陥を抱えている。建設先にありきの建設の不合理さが急速に露呈してますね。

放射性物質にしても数万年年もの間それを封じこめておく箱はありえないのに、今の世代の産業活動の廃棄物が危険なままに子孫に渡される。

無政府性の絶頂ともいうべきひどい話ですが、これを問題できるのも曲がりなりにも民主主義と国際社会が形成されているからです。

民主主義と国際社会において地球市民の一員として日本の大衆は東京電力と政府を監視し、情報公開を要求し、少しでも被害を抑えるように努力していかねばなりません。

何といっても市民社会による企業の監視を自覚的に遂行していくことです。世界人民の一員として日本列島の人民は、貨幣の権力の東電的堕落的発現を抑えていかねばならないはずです。

政府は自らの混乱を民衆に投影し怯えています。混乱を避けると称して情報を隠し低い危険評価を重ねた政府に対して情報公開を求め、監視することもまた地球社会における日本の大衆の責務。東電や政府の首脳の安心報道をオウム返しすることで安心しようとする全体主義的感情が残存しているとすればそれは廃棄されねばならず、ましてや事故の影響に恐怖する海外の人々を嘲笑するかのような態度が取られることがあるとすればそれはゴロツキ的な野蛮な恥ずべき反応でしかありません。

16日朝刊の『日経』1面の「電力不足4」という記事に、外務省が経済産業省に「万が一の場合」を質問したところ、「誰がどこでどれだけ電力を使っているのかは、東電しか分からない」と回答されたとありました。河野太郎も計画停電を批判するなかで次のように書いてます。

経産省は、これだけの計画停電を国民に強いておきながら、この需給調整契約は東京電力と契約者の民間契約なので、この契約に基づいた供給抑制については公表できないなどという。/需給調整契約の内容の詳細の説明すら、経産省は民間の契約だからと拒み続ける。/原子力発電関係でもよく見られる「国策」と「民間事業者の商業行為」の使い分けだ。

河野太郎公式サイト | 計画停電でいいのか

公共性を隠れ蓑にして私利追求をしているくせに、社会的生産組織としての情報公開を求められるや、突如「民」と言い出して、私的所有を楯にして隠すのが資本主義企業の常態です。

生産過程を社会的生産過程として社会的に公開させ、生産から発する権力を監視する。日本の市民は国際社会との協調のなかでこれを徹底させていくことが求められています。

国際的であることはまた地域的でなければなりません。地域とは物理的な場所ではなくまさに人間の直接の社会的空間。世界の問題は鋭く地域の問題として現れます。

自分を囲み守っている大気のような地域社会、自分がそこに他者との絆をつくりだしてきた地域社会をフクシマの原発事故が襲い、それに中央政府の中途半端な対応が拍車を掛けた。

飯舘村でも積算線量1万マイクロ・シーベルト超 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

飯舘村周辺放射能汚染調査チーム(今中哲二・遠藤暁・静間清・菅井益郎・小澤祥司)「3 月28 日と29 日にかけて飯舘村周辺において実施した放射線サーベイ活動の暫定報告」2011 年4 月4 日
Greener World : 飯舘村周辺放射能汚染調査暫定報告の発表と対策について
NEWSポストセブン|原発から30km圏外の飯舘村 地形原因で汚染大気集まりやすい
飯館村「人が住めるレベルではない」 京大助教らが現地調査-北海道新聞[道外]

「人災」被害の集中する飯舘村の住民に「直ちに」ではない健康被害が最低限に抑えられるように力を集めねばなりません。

現地で調査した今中さんと正反対なのが生きた原発資本である御用学者共。GEの設計者が欠陥を40年前に指摘していた、という記事が『日刊ゲンダイ』にあり、この隣に掲載されていた次の記事(18日号発売16日2面)。

ゲンダイネット

設計寿命を先月終えた福島原発1号機にあと20年使えると「お墨付き」を与えたのが東大関村教授なのだと。原発ムラの学者は万死に値します。

そんなに「安全」と言うのなら、テレビに出るのではなく原発ムラの科学者たちは現場へ行け! 君たちにも責任があるだろ | 経済の死角 | 現代ビジネス [講談社]

東電から『寄付講座』名目で約10年にわたり合計5億円ほどのカネが流れている。


産学協同という社会的生産の資本主義的形態を媒体として、原発資本が東大教授を自らの操り人形にしている。東電資本が原発教授の口を借りて語っていることよ。政官財学メディア(東電労組を加えてもいい)の原発複合体のカネに学者が群がりこの複合体を推進する倒錯に、原発複合体がそれに群がる原発ムラの成員を手足にしている倒錯。

「現代ビジネス」のこの記事の2で、経産省OBが次のように発言しているのに注目。

彼ら〔原発ムラの中心メンバー(引用者)〕に共通するのは、「日本は核兵器を作る能力を持っている」という自負で、自分たちこそが技術系の最先端だと信じています。…・」


やっぱりそこかよ。原発推進の動機のなかに核兵器生産能力を誇示する願望。

東電のカネに支配された研究者を利用するメディアもまた東電のカネをたんまりと飲んでいる。

青木理が「ASAHI NEWSTAR | 朝日ニュースター」の「ニュース解説 “眼”」で電力会社のカネの権力のすさまじさを伝えています。4/7の回では、青木さんは、原発の危険性を告発する大阪毎日放送のドキュメンタリー(今中さん、小出さんら京大研究者を軸に取材した「なぜ警告を続けるのか 京大原子炉実験所・異端の研究者たち」)を夜中に放映したことに対して関西電力がMBSに行った広告引き上げなどの激しい「恫喝」を暴露してました。

4/6(水) 電力会社と知識人 ニュース解説 “眼”
4/7(木) 電力会社とメディア ニュース解説 “眼”

電力会社が貨幣を配って代弁者をつくる。メディアは偽造された公共性になり、物書きは電力会社からエサをもらう番犬となる。なんという醜悪さ。

社説:震災後 地震国の原発 政策の大転換を図れ - 毎日jp(毎日新聞)

「こうした現実を踏まえ、大災害を転機に、長期的な視点で原発からの脱却を進めたい」
「…原子力による電源に頼らなくても、豊かに暮らすための知恵を絞りたい。/そのためには、温暖化対策で注目された再生可能エネルギーの促進や低エネルギー社会の実現がひとつの鍵となるはずだ。地震国日本に適した電源と、それに基づく暮らし方を、今こそ探っていく時だ」


社説:震災後「低エネ」社会 日本モデルは可能だ - 毎日jp(毎日新聞)

「長期的には太陽光や風力による再生可能エネルギーの拡大だ」
「…3・11の意味をもっと前向きにとらえたい。エネルギー制約を逆手にとって、日本を低エネルギー社会の先進国に転換していく覇気をふるい起こすべきであろう」


『毎日』社説がこのように脱原発と再生可能エネルギーへの転換をとるべき選択肢として打ち出した。このことは、エネルギー政策が技術の問題ではなく民主的社会形成のための総合的政策の一環にほかならないことを3.11の悲惨な経験のなかで人々が知り、成長主義からの脱却という理性的展望を共有しつつあることを意味するように思えます。

14歳アイドルが原発のリスクを語るブログが話題に 孫正義氏も「同意!」とツイート - ネタりか

「今の原子力に頼らない電力の生活に社会全体のシステムを変えればいいのです。変えれますよ」というアイドルの発言は正しい。問題は技術ではなく、新たな社会づくりであり、システムの変革を語るときに、原発利権的現在のシステムを前提にしてその内部で解答しようとするのはまちがいです。
by kamiyam_y | 2011-04-17 23:18 | 成長主義と環境

「・・・収奪される地球・・・」補足

仕事はまったく進まないのになぜか気分は快調です。原因不明の筋肉痛が治ったことと、かゆみ止めの薬を飲み終えたことがたぶん理由です。

一昨日から右足の筋肉に痛みがあって歩く量が減り気分もいまいちでした。布団をかけずに寝てるあいだに冷えたのか、歩きすぎて関節を痛めたのか、わかりませんが、今日はもう治りグッドです。

蒸暑いこの季節(といっても東京のそれとは比べるべくもないのですけど)、体の一部がかゆくなったりして、年に一度皮膚科に行くのですが、もらった抗ヒスタミン剤の効きがよいみたいで寝る前に飲んでも翌朝眠気が続くような感じなのですよ。抗ヒスタミン剤は眠剤ほどじゃないですけど、眠くなります。翌朝もだるく感じたのは気のせいで単に寝過ぎだったのかもしれませんけどね。で昨日で飲むのを止めました。かゆみもステ数回塗ってとれたので、問題なし。

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先週の記事に付け足しです。

今朝の『北海道新聞』をみたら、「論説委員室から 風」で地球環境問題が取りあげられてました(堀野収「温暖化懐疑論の『品格』」朝刊16版第5面)。堀野論説委員は、IPCC(地球温暖化に関する政府間パネル)の報告書をニュートンの晩年の錬金術と同一視することはできないと述べてます。「世界百三十カ国の四百五十人が執筆し、二千五百人の科学者が内容に目を通した」というのですから、科学者の国際的なコミュニティの総意に対して政治と経済のバイアスがかかるとしても、全くのウソ偽りでたらめがまったく淘汰されることもなく報告書を支配するとは考えにくい。

堀野氏は、地球環境問題の対象が「複雑系」であることを強調し、「現象の一部を切り取り、部分的な因果関係を頼りに全体を論じ、温暖化否定に結びつけるような論法」を批判してます。もしかして堀野氏も池内了の本を読んだのかなとも思ったのですが、それはともかく、「怪しげな温暖化対策がまかり通る」からといってそのことが温暖化対策そのものの不要性を証明するわけではないことは確か。

科学者からの警告を国際政治が主題とすることが孕む積極的意味こそが地球環境問題においてつかまれるべき基準でしょう。温暖化による影響の可能性が少ないと思われるようなことに対しても温暖化のせいだと大げさに嘆いてみせるそぶりが温暖化という問題そのものを拡散させる働きがあると思わざるを得ないことが私には多々あるのですけれど、そのことは問題の本質とは関係ない。誤解を恐れず付け足せば、自然という層において資本の自己増殖運動がその限界を露にし社会的生産過程の協同的制御という課題を具体化するということだけがこの問題の中心であり、これは温暖化という現れ方ではないべつの現れ方でもよいのです。
by kamiyam_y | 2008-07-21 22:14 | 成長主義と環境 | Comments(0)

公益通報/児童労働規制

内部告発の人権論的正当性

不当な「報復人事」でした。

愛媛新聞ONLINE 愛媛県警捜査費不正支出問題

内部告発に対する仕返し、と認められたわけです。公益通報者に対する嫌がらせだってことです。

やっぱり大原則は、市民=納税者の権利こそが、組織の掟やら秩序やら権力などというものよりも、優先すべきだってこと。これを実現していくルールづくりは、こういう地道なプロセスの積み重ねなんでしょうね。

仙波さんの講演会では、警官が市民のふりをして監視しているそう(仙波さんを支える会|愛媛県警内部告発|拳銃没収 )で、監視が一人歩きする転倒ですね。こういうくだらない監視がすすむほどに、警察という監視システムを市民が監視することの大切さが、理解されてくると期待するしかないです。人々の権利を発展させる公共性は監視の監視なしにはありえない。

北海道警winny捜査書類流出事件 - 明るい警察を実現する全国ネットワーク

原田さんの傍聴記録によると、当の巡査が「道警」に対して謝ったらしい。どこまで逆さまな世界なんだ??

児童労働反対世界デー

ILOの定めたもので、12日です。世界で2億1800万人の子供が農場や工場で働いているといいます。日本の子供には、成長に役立つ労働体験が足りないけれど、逆に、学校で学ぶ権利を疎外されている子供たちが日本の人口の倍いるわけです。

労働環境は国境を越えて規制すべきもの。しかし、この規制には、子供の権利の拡大という意味だけではなく、資本の世界的な集中を促進する、という意味もあります。規制が先進諸地域の資本に有利に作用する条件にもなるでしょう。途上国では、資本蓄積に対するプラスの条件として児童労働が作用していることも当然ありますから、児童労働に対する規制も、途上国の人々にとってできるだけソフトな形で実現するのが望ましいことはいうまでもありません。児童労働よりも、教育による成長作用を増幅するような条件整備です。
by kamiyam_y | 2006-06-10 18:02 | 成長主義と環境 | Trackback | Comments(0)

公害輸出の正当化

◇ このまえ都留重人(書籍検索|Excite エキサイト ブックス (文学・本・読書))にわずかに触れましたので、彼の本から1つ面白い話を紹介します(『体制変革の展望』新日本出版社・2003年・193頁以下)。サムエルソン(サムエルソン 経済学〈下〉|Excite エキサイト ブックス (文学・本・読書))に宛てて書簡を送る話です。

米財務副長官を務めたサマーズが世界銀行副総裁時代に書いたメモについて、おかしいのではと、手紙を出すのですが(サマーズはサムエルソンの甥)、そのサマーズの主張が笑えるのです。私なりに略しますと、

環境汚染は貧乏人の住む場所に移せば社会的な費用が下がる、

という内容の主張。

最低賃金国に有害廃棄物を投棄するのが、人の値段が一番安いから、経済的に合理的、とか、綺麗なところに住んでいる金持ちにとっての方が、汚染の費用が高い、とかいうことらしい。

こういう言説が力を持ったら笑えないので、あえて笑えると書きましたが、まあ、経済学のイデオロギー的機能と呼びたくなりますわな。どんな政策でも理屈づけ正当化しようとする現代の呪術師みたいです。

とはいえ、もちろんサマーズメモには抗議が殺到(196頁)。ほころびは明快です。

◇ 感想を書く気力はないのですが、ちょっと気になった本。

橋本治『乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない』(集英社新書2005年)。利潤が低下しても拡張していくスーパーマーケットに「限界を超えた」資本主義の膨張的本質を見いだしているのかなあと。飽くなき貨幣追求は、地球や人の容量を超えた、のか。「弁証法だぜ人生は」(194頁)はもちろん「とめてくれるな、おっかさん」を思い出させます。

加藤典洋『日本の無思想』(平凡社新書・1999年)。第3部でマルクスの「ユダヤ人問題によせて」を私利と公共性の対立という文脈から、最も精緻な議論として論じていて、けっこう面白かった。他の箇所はよく読んでいないですけど。加藤が、公共性から私利を否定するのがマルクスではなく、「所有の自由」を否定するのは「凡庸なマルクス主義者」にすぎない、と述べるのは正しい。

言ってみれば、お金を持つってことが市民的自由を掘り下げてたどりつく基底であって、お金は、社会的支配力。つまり、お金を持つってことは、ポケットのなかに王様を持つことです。各人が王様を持つわけですから、本物の王様は必要ない。お金目当てで行動すると生産は何とか成り立つ。王の支配は無意味となります。封建社会では庶民がお金を持つことを禁じられたりもするのは庶民が王になってしまうから。お金こそがフランス革命を導き、庶民を解放するのです。これは話の端緒にすぎないですけどね。

社会的力を貨幣としてつくり、個人が個人として解放されることがすでに1つの矛盾でしょう。私利と社会性との緊張こそ『資本論』の展開場面です。

宮崎義一『現代の資本主義』(岩波新書1967年)。ここで述べられている「前向きのインターナショナリズム」を現在どう評価すべきだろうか。なんて、ちゃんと読んではないんですが、これまた(笑)。
by kamiyam_y | 2006-05-23 22:36 | 成長主義と環境 | Trackback | Comments(5)

環境問題と労働問題をつなぐ筋

朝1講から夜2講まで長い1日でしたが、新学期を実感します。新しい受講生を前にして気分一新。持ち上がりのゼミ生も何か大人になった気がする。

論じきる自信も時間もないですけど、授業で話しながら少し考えたこと。

地球環境問題と、日本社会の「過重労働」問題との同一性です。環境問題は、いわば経済と自然環境との衝突であり、成長主義システムと、人間にとって根源的な環境とが衝突している事態です。

企業社会もじつは同じ問題をその中心に含んでいます。個々の企業における長時間労働は、労働現場という環境と、競争主義経済との衝突です。労働時間を制御する社会的ルールがあるにもかかわらず、それが及ばない実体として社会的労働が存在している。

こうした21世紀的社会問題が、じつは労働の発展です。社会的しくみによって制御できないまでに社会的労働が巨大なものとして、個人や環境を拘束するものとして現れているという点で労働の発展。

さらに、この社会問題が個人の社会的自覚を促す点でも発展。一人一人が主体であることに実質的な重みを与えていくとでも言いましょうか。

21世紀的問題系は、20世紀の負の蓄積を解消するということだと思うんですが。 
by kamiyam_y | 2006-04-18 23:00 | 成長主義と環境 | Trackback | Comments(0)

知床と温暖化


▽ 夏至をすぎて、8時になってもまだ空に明るさが残っているのがうれしい!
夕刻の空のスクリーン色の変化、日が落ちたあとのビルの影を見ていると、ほんとに生きていてよかったと思う。おおげさでなく。

仕事を終えたあとしばらく外が明るいのはとってもすてきなことだ。
といっても、私は、サマータイム導入は反対です。早起きするのじゃ意味がない。
今の日本では、サービス残業廃絶こそ正しい目標でしょう。

時短の強制は働く現場に対する制御ですが、知床の世界遺産認定は、天然の自然を保護するための総合的な制御の道具としてみることができます。ただのお国自慢ではなく。


▽ アスベスト被害者に労災認定がまったく追いついていないのは、現場で働く人々の無知のせいではない。惨事を招いたのは、国の安全対策の遅れである。今朝の日経3面によれば、83 年にはアスベスト全面使用禁止をしている国もあり、アスベストの危険性は70年代にILOによって指摘されていたという。

<アスベスト>厚労省が各労働局に通達「労災認定徹底を」 [ 07月07日 15時00分 ]
毎日新聞社(Excite エキサイト : 社会ニュース)


 アスベスト(石綿)が原因で起こる胸や腹部などのがんの中皮腫の死者数に対し、労災認定数が極端に少ないため、厚生労働省が全国の労働局に、医療機関などへ周知徹底を図るよう、異例の通達を出していたことが分かった。発症まで20~50年かかる中皮腫は最近になって死者が急増し、年間900人近くに達しているが、労災認定は約10分の1にとどまっている。患者支援団体は「通達自体は評価できるが、労働基準監督署の現場に浸透していないところもある」と指摘している。

 人口動態統計によると、中皮腫による死者は95年に500人だったが、02年は810人、03年には95年の約1.8倍の878人に達した。

 中皮腫の多くは、仕事中に石綿を吸い込んだことが原因で発症する。厚労省は03年、専門家らによる検討の結果、危険性の認識がより深まったとして、勤務歴などに関して労災認定基準を緩和した。

 しかし、中皮腫の労災認定数は02年度の55件から、03年度は85件に増えただけだった。このため厚労省は今年2月、都道府県労働局長に、認定基準を的確に運用するよう通達した。それによると、「認定数は増加傾向にあるものの、死亡者数は認定件数を大きく上回る水準で、中皮腫が労災認定の対象であることの社会的認知の不足に起因するものと考えられる」とし、その上で「的確な補償に努め、医療機関や関係団体などへの周知徹底を図ること」としている。【大島秀利】


年間900人の中皮腫による死者数のうち、労災認定数がその1割とはどういういうことなのだろうか。

▽ 『資本論』の「機械と大工業」章に、19世紀イギリスの工場の安全衛生を素材とした記述がある。やや長くなるが引用しておく。

保健条項は、その用語法が資本家のためにその回避を容易にしていることは別としても、まったく貧弱なもので、実際には、壁を白くすることやその他いくつかの清潔維持法や換気や危険な機械にたいする保護などに関する規定に限られている。われわれは第三部で、工場主たちが彼らの「職工」の手足を保護するためのわずかな支出を彼らに課する条項にたいして熱狂的に反抗したということに、立ち帰るであろう。ここでもまた、利害の対立する社会では各人はその私利を追求することによって公益を推進する、という自由貿易の信条が輝かしく示される。

人の知るように、アイルランドでは最近の20年間に亜麻工業が大いに発達し、それにつれてカッチング・ミル(亜麻を打って皮をはぐ工場)が非常にふえてきた。そこには1864年にはこの工場が約1800あった。周期的に秋と冬にはおもに少年と女、つまり近隣の小作人の息子や娘や妻で機械にはまったくなじみのない人々ばかりが、畑仕事から連れ去られて、スカッチング・ミルの圧延機に亜麻を食わせる。その災害は、数から見ても程度から見ても機械の歴史にまったく例がない。

キルディナン(コークのそば)のたった一つのスカッチング・ミルだけでも、1852年から1856年までに6件の死亡と60件の不具になる重傷とがあったが、これらはどれもわずか数シリングのごく簡単な設備で防止できるものだった。ダウンパトリックの諸工場の証明医ドクター・W・ホワイトは、1865年12月16日のある公式報告書のなかで次のように明言している。

「……この国での工場の増加は、もちろん、このような身の毛のよだつ結果を広げるであろう。私は、スカッチング・ミルにたいしては、適切な国家の監督によって、身体生命の大きな犠牲が避けられることを確信する。」

資本主義的生産様式にたいしては最も簡単な清潔保健設備でさえも国家の側から強制法によって押しつけられなければならないということ、これほどよくこの生産様式を特徴づけうるものがあろうか?

「1864年の工場法は、製糖業で200以上の作業場を白くぬらせ清潔にさせたが、それまで20年間も、または完全に、いっさいのこの種の処置が節制されたのであり」(これが資本の「節欲」なのだ)「しかもこれらの作業場では27,878もの労働者が働いているのであって、彼らは、これまでは、過度の昼夜作業のあいだ、またしばしば夜間作業のあいだも、有毒な空気を吸い込んでいて、それが他の点では比較的無害なこの仕事に病気と死とをはらませていたのである。この法律は換気装置を非常に増加させた。」

それと同時に、工場法のこの部分は、資本主義的生産様式はその本質上ある一定の点を越えてはどんな合理的改良をも許さないものだということを、的確に示している。繰り返し述べたように、イギリスの医師たちは、一様に、継続的な作業の場合には一人当たり500立方フィートの空間がどうにか不足のない最小限だといっている。そこで!工場法がそのあらゆる強制手段によって比較的ちいさい作業場の工場への転化を間接に推進し、したがって間接に小資本家の所有権を侵害して大資本家に独占を保証するものだとすれば、作業場でどの労働者にも必要な空間を法律で強制するということは、数千の小資本家を一挙に直接に収奪するものであろう! それは、資本主義的生産様式の根源を、すなわち資本の大小を問わず労働力の「自由な」購入と消費とによる資本の自己増殖を、脅かすものであろう。

それゆえ、この500立方フィートの空気ということになると、工場立法も息切れがしてくるのである。

保険関係当局も、もろもろの産業調査委員会も、工場監督官たちも、500立方フィートの必要を、そしてそれを資本に強要することの不可能を、いくたびとなく繰り返す。こうして、彼らは、実際には、労働者の肺結核やその他の肺病が資本の一つの生活条件であることを宣言しているのである。

工場立法、この、社会がその生産過程の自然発生的な姿に加えた最初の意識的な計画的な反作用、それは、すでに見たように、綿糸や自動機や電信と同様に、大工業の一つの必然的な産物なのである。……

(大月書店版資本論第1部第13章第9節「工場立法(保健・教育条項)」訳文には多少手を入れ、改行したり、段落の順序を入れかえたりしている)


もじっていえば、犠牲者の多さに、労災認定も「息切れがしてくるのである」。
健康に働く権利よりも、産業の目の前の要請が優先したのである。

もちろん今は「スカッチング・ミル」ではない。問題は現在のより高度な技術を前提におきている。しかしこの現在の水準において、噴出している問題性は、19世紀の安全衛生問題にあらわれたシステムの運動様式として同一である。

国家による強制こそが安全にはぜったい必要だ、という事実。この事実が資本主義を特徴づけると、引用文では言われている。しかも、資本主義がこの強制の実現を、この安全の実現を不可能にすることを不断に繰り返す局面において、資本主義システムの亀裂がみえると述べられている。この不断の繰り返しにおいて、【犠牲が資本主義の存立条件だ】ということを、資本主義がみずから告知している。

私利追求という資本主義の前提は、調和的には貫徹しないのであり、私利追求が自動的に安全をもたらすのではなく、逆にそれは対立によって、社会による意識的制御を起動するということだ。

この点をふまえて、念のため確認しておきたいのは、資本主義が調和でないことはいうまでもないが、だからといって「資本主義だから所詮無駄」というあほらしい議論に陥る必要はないということだ。

資本主義は制御を立てざるを得ず、同時に制御をくつがえさざるを得ないのである。資本主義は制御を立てることによって生き、制御を不可能にすることによって生きる、といってもいい。
資本というシステムは、まさに私的放埒による私利の相互衝突と、社会的共同性の要請との間の振動を生きる。制御不可能と、制御との間を呼吸するのが資本であり、この絶え間ない否定運動がもたらす「人間」の陶冶こそが、資本のリアリティだ。リアルとは分裂であり、分裂による形成運動だ。

資本は、自分の姿態である制御に対して、この制御の不可能において、自分を限界として露出する。制御を要請しながら、制御を制約することによって自らの対立性をあらわにする。制御が、資本主義の本質を照射するといえる。

「知床」に見るべきは、漁業権や林業権という私的権利と、環境という共同性との衝突だけではない。そこに見るべきは、「持続可能性」という国際合意の流れだろう。

この合意の意味するところは、資本主義的成長は持続不可能だということ、つまり、持続可能な発展とは資本主義的成長におさまらない社会システムの陶冶をすすめるということである。
工場立法による生産の制御は、いま地球環境問題においてその最前線に推移している。
by kamiyam_y | 2005-07-14 21:44 | 成長主義と環境 | Trackback | Comments(0)

せっかくの京都議定書なのに・・・

米大統領、サミットで京都議定書以降の時代へのシフト呼び掛けへ [ 07月06日 21時54分 ]Excite エキサイト : 国際ニュース

[コペンハーゲン 6日 ロイター] ブッシュ米大統領は、主要国首脳会議(グレンイーグルズ・サミット)に先立ち、 人類が地球規模の気候変動に寄与したことは認めるものの、京都議定書に反対する姿勢は引き続き崩さないと述べた。
……[中略]……
 気候変動はG8サミットの重要な議題の一つ。二酸化炭素排出量世界第一位の米国は、サミットに参加する8カ国の中で唯一、京都議定書を批准していない。
 ブッシュ大統領は、「米国は国家安全保障と経済保障のために、燃料源を化石燃料から多角化する必要がある。われわれはそれを実行するための戦略を打ち出した。G8サミットで他国と分かち合うのが待ちきれない」と語った。


まったくねえ。
ブッシュが京都議定書よりももっといい案を提示してくれるんだろうか。

日本も省エネしてるんだから、同盟国もやってくださいよ。

二酸化炭素の排出量は人口に比例させ世界で平等に。
になんてなったら(ならないけど)、アメリカは根本的にシステムの転換が必要ですよ。

より詳しく
by kamiyam_y | 2005-07-07 00:05 | 成長主義と環境 | Trackback | Comments(0)