さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

カテゴリ:企業の力と労働する諸個人( 42 )

自由な諸個人free Individuals/freie Individuenの民主主義Democracy/Demokuratieの徹底

公園の樹木の枯れ枝にも新緑に育つ小さな芽が見えはじめ、冷気と氷雪に閉じ込められた数ヶ月から脱出したと思っていたら、今朝家を出ると一面の白の世界。吹雪いていて、氷点下6度ですが、とりたてて寒くはない。暖かい建物のなかにずっといれば、少し外に出る程度であれば、そんなん真夏の東京で時々冷房の効きすぎた部屋で寒い思いをするようなもんだ。というのは少し大袈裟かな。

イオンは生ラムがおいてなくて道民仕様になってないなと思っていたんですが、何日か前に鮮魚コーナーでまんまるのゴッコを4匹みました。鱗のないぬめったぶよぶよの姿はインパクトありますけど、唐揚げ美味そう。
函館の冬の味覚、ごっこ汁が味わえる店 | 函館市公式観光情報サイトはこぶら
ごっこ汁・唐揚げ・バター炒めが美味!道南の冬の味覚『ごっこ』とは? | 北海道ファンマガジン
今日見たら、解体されてパック詰めされてました。


喫茶店で何冊か読みました。

吉村武彦『蘇我氏の古代』(岩波書店、2015年)。古代王権による統治を支える社会的分業組織としての「人制」「部民制」の説明に興味をそそられました。つねに大枠しか見ないですけど、自然発生的な人格的依存関係の形態で社会的分業が形成される様をイメージできます。

田中浩『ホッブズ―リヴァイアサンの哲学者―』(岩波書店、2016年)。ホッブズの社会的意味づけはイギリス資本主義の発展が与えたと読みました。「忘れられた思想家」であったホッブズの受容をたどると、労働問題の深刻化など産業革命以降の諸問題によって彼が浮上・再評価されたことが分かる。「自由・平等」という「労働者階級の考え方」の水源は彼の「政治原理」にある(ⅺ頁)。マルクスと同じく、エピクロスに着目していたというのが面白かった(37頁)

大浜啓吉『「法の支配」とは何か―行政法入門―』(岩波書店、2016年)。ホッブズにおいて社会システムの原理を人間に転換した地平の転換を確認したつぎに、「敗戦後70年を経た今日、明治国家の齎した歴史の惨禍から、何を学ばなければならないのか」(ⅳ頁)を問う本書に目を通しました。「『法の支配』の根底にあるのは、『自由で平等な尊厳ある個人』と『社会』の観念」(ⅴ頁)。明治憲法下の「法治国家論」がまだ残存していること、日本の議院内閣制の抱える問題など関心をかきたてられます。

中野晃一/コリン・クラウチ/エイミー・グッドマン『いまこそ民主主義の再生を!― 新しい政治参加への希望 ―』(岩波書店、2015年)。この本のなかで、新自由主義を「企業の力による統治」と捉え、民主主義の復権という深刻な問題を「ポスト・デモクラシー」という言葉のもとに提起しているコリン・クラウチ「私物化される政治と国家」は、政党と社会運動とがお互いを敵視せず連携する必要を訴えて結んでいます(14頁)

この点からしても、北海道5区補選において「市民の会」の働きかけを介して候補統一ができたのは必然的といえましょう。統一の意義を十分に理解しない党員や支持者の無気力・サボり、古い世代の権威主義的人格の残存の影響を懸念していたのですが、野党すべてをまとめるにはいたらず、ベストであるとはいえないまでも、とりあえず、よかった。
北海道5区補選、野党一本化 共産、候補取り下げ池田氏支援 | どうしんウェブ/電子版(政治)

憲法違反勢力の国会支配を止めるには1人区の候補統一が不可欠。
クローズアップ2016:共産1人区取り下げ 参院選、7区で逆転も - 毎日新聞

本書の最後の論考である中野晃一「自由な個人の連帯へ」を読んで、私がとくに紹介したいと思うのは、「自由」概念の再考(52頁以下)という論点です。自由が「巨大企業」の自由に転換し「空疎」になっている(53頁)現状に対して、「個人の尊厳と密接不可分」なものとして再定義する意義を中野氏は政治学的に論じているといえましょう。氏は『経済』3月号のインタビューでも、昨年の安保法反対の運動について、「個人の尊重」を軸とする「多様な連帯」を実現したという新たな一歩を踏み出した点を評価しています(「安保法制廃止の運動と日本の民主主義」『経済』第246号、2016年、20頁)。SASPLのデモに参加したときの「衝撃」(22頁)も興味深い。「若いという凄さ」に素直に感銘を受けています。

中野氏の本からやや離れて、『資本論』に、自由な諸個人の存在諸条件の産出、システム総体の否定性の運動を理論的に表現する人類史的なシステムの自覚の書である『資本論』に敷衍してみましょう。「企業の自由」とは、労働する諸個人の普遍的諸力の客体的自立化が諸個人の意識に出現することであり、「資本の蓄積過程」論における「取得法則の転回」論がつかむ事柄にほかなりません。自然と人間の媒介、人間と人間の媒介を実践する諸個人の社会的労働の力は、そこから諸個人自身を分離・抽象すること(自己の客体的諸条件からの自由と、形式的だが自覚的な社会形成者としての自由である法的自由という二重の意味において自由である労働者の発生)から出発して、いまやグローバルな市場と企業の力として実現しており、ここに発展した社会的労働が、法的にのみ自由であった諸個人に対して、連帯しそれを自己の支えとして再吸収するように求める。真に豊かで自由な人間社会の形成とは、この諸個人とその普遍的諸条件との安定したシステム的統一の実現であり、疎外・矛盾という運動においてこの方向が顕在化する。この把握が「資本の蓄積過程」論であり、それは疎外の極限としての今現在の現代社会をつかんでいます。諸個人自身の個別性と社会性の分裂、社会的労働の個別性と社会性の分裂。この完全な展開、頂点が資本なのでした。他人の所有の領域に実現した生産諸力を、自然的社会的普遍的諸力を自己の延長として「自由な諸個人」が自己のもとに包摂しかえすことが、疎外を疎外する未来の産出なのでした。

社会形成の主体としての個人に定位する民主主義を、他として現れた自己の力である資本に対して徹底していくこと。これしかないのです。

by kamiyam_y | 2016-02-25 01:31 | 企業の力と労働する諸個人

International Civilized People versus Uncivilized Prime Minister 2

労働者派遣法の改悪もクソ安倍愚昧政権は、採決強行しやがりましたね。日経新聞の調べでさえ、派遣社員自身が反対してます。こんなん労働者の豊かな働き方のためでも何でもなく、使い捨て自由な不安定雇用層の増大を求める企業の物質的利益を貫徹させたにすぎないことは、すべての労働者の知るところです。労働者大衆の貧困化によって企業を泳がせようとする阿房アベ政策。

そもそも労働者派遣は、日本においては、労働者を使い殺す労働現場と、そこに労働者を送り込み、ピンハネで儲けようとする寄生虫の存在という、G-G'の運動、労働収奪の、野蛮かつ露骨な形態化があったため、それに対して労働者の人権を守るべく禁止されていたのでした。それが専門職にかぎりという口実によって解禁され、劣悪な条件の労働一般に対象が拡げられてしまったのです。それは、いまや、賃労働の奴隷労働性を端的に示す事象の1つとして、その本質を明らかにしています。戦前の低い人権意識の社会に跋扈したタコ部屋の手配師は、横文字の名前をつけた悪徳派遣会社という奴隷商人に生まれかわり、資本に対する労働力供給を仲介する資本は、人権否定的な威力としての性格を露骨に示しています。

「存立危機事態」という珍妙な言葉のトリックも、そのでたらめさをますます露呈しました。「ホルムズ海峡」の例という説明の中心が崩れたわけで。

全権委任妄想にとりつかれたバカ総理とそれを崇め奉る国家宗教信奉右翼内閣による違憲法案の、違憲手続によるゴリ押しを正当化するものはこの世の中になにもありません。執行権力が法による掣肘を突破したクーデターが昨年7月1日の閣議決定であり、違憲法案を取り下げない自由民主党・公明党は「自由民主主義の敵」という名称がふさわしい。

公述人公募に100人近い応募があり、しかもそれが全員反対意見です。

たしかに京大の声明、いいですね。各国語に翻訳されていて、この問題が日本だけの問題ではなく、インターナショナルな民主主義的諸個人の問題だということが理解されています。学問ってそういうもんです。インターナショナルです。

by kamiyam_y | 2015-09-15 19:55 | 企業の力と労働する諸個人

United Individuals against Sweatshops

労働する諸個人の人権に対する威し。
「たかの友梨」による公益通報者への不利益取り扱い・不当労働行為への抗議の記者会見が多数のメディアに取り上げられました。: エステ・ユニオン
大手エステ内部通報者を詰問か 保護申し立て NHKニュース
たかの友梨:通報者に精神的圧迫 女性社員が保護申告 - 毎日新聞
「組合活動、社長が圧力」 「たかの友梨」巡り申し立て:朝日新聞デジタル

このたかのという人がここで登場するのは、宇宙の元素を私たちとともに共有しあう自然体としてではなく、生産諸関係によって内容を与えられた演技者としてであり、その許されたアドリブが、動物への愛でも優しさでもなく、搾取という内容にストレートだったからです。

この演技者の裏で集合し発動する社会的労働の諸力は、この人物の脳に対してこの人物そのものに癒着して現れ、権力の不当な行使を招いています。資本としての社会的労働の諸力は、結集する労働する諸個人の正当な行為を冒涜であるかのように彼女に語らせることによって、矛盾を表出してます。社会的労働の諸力は、企業においては、社長の単なる延長、社長が自由に処分できるような私物としてではなく、社会的に規制されるべき社会的なものとして形成されているからです。

彼女は労働法を批判することにより労働法に収まらない資本の行動を演じてみせ、社会的生産過程においては社会的理性の法律ではなく彼女自身が国家であると絶対主義をなぞることで、資本という転倒を社会的理性の前に晒してみせています。

「すき家」で第三者委員会の報告書が出たんですね。
「すき家」労働環境改善のための調査報告書受領について | ゼンショー ZENSHO
それでも「すき家」は店を出す | 外食 | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト
「すき家」の労働実態報告/“人間らしく働きたい” 若者の願いに応えるか

もうウィキペディアではこの報告に関する記述が書き加えられています。
ゼンショー - Wikipedia

6割でワンオペ。社会的労働の生産力の発展が利潤のための人間削減として実現する転倒を如実に表しています。正社員が「マネージャー」や「スーパーバイザー」という内部での名称を与えられているのも労働者の自己疎外を象徴しています。ちなみに社長の持ち株比率は現時点でウィキペディアによると2.44%。

社会貢献活動 | 企業情報 | ゼンショー ZENSHO
企業理念 | 企業情報 | ゼンショー ZENSHO
交換価値の私的自己関係(増殖)は、私的所有に排除された労働者を結合し、流通の私的自己関係の内部に社会的生産手段と社会的労働の体系を創出します。一方では、私的利潤追求のためには社会的に貢献している姿を示さねばならず、他方では、内部の社会に対しては労働力というモノの結合と消費として対応し続けています。しかし内部もまた私たちの社会なのであり、社会的に規制されねばなりません。「飢餓と貧困を撲滅する」ことを掲げた民主的企業も資本主義的内実に浸食されていたのでした。
by kamiyam_y | 2014-09-01 20:52 | 企業の力と労働する諸個人

外食産業労働者のレジスタンス

パート・アルバイトの雇用形態で働く1労働者へのインタビュー(秋山理央氏制作)。外食産業でのある企業の業務・店舗運営が語られています。

牛丼チェーン店で働いてる方のお話「君の牛丼は食べれない」 - YouTube

「社員」が流動化しているため、店舗を運営するパート・アルバイトにとって仕事が困難となり、店舗による提供商品の品質にもばらつきが出てしまうこと、マニュアル頼みどころか、マニュアルも守られない店があることなど興味深いですね。過度労働が、社会的に有用なよき労働を成し遂げるために必要な教育を労働者が受ける権利を阻害し(「教育不足」)、労働過程における作業管理、品質管理の正常な進行を妨げてしまう不合理。

もちろん「やめちゃえばいいじゃん」というのは「短絡的」(9:24~)ですわ。ある雇用主のもとに労働力を売ることを(おまえが悪い的に「自己責任論」的に)非難しても根本的な解決にはまったくつながりませんよね。労働の滴を余すことなく搾り取ろうとする価値増殖の無際限な衝動にとって、搾り取るための人間素材は枯渇することなくその貯蔵庫に流入してくるので、一人辞めても、法外な搾取工場はなくなりませんし、労働者諸個人は生産手段をもたないために労働力を売ることを強制されているのであり、今自分を直接搾取している企業を離れ、次の搾取主を見つけることさえ、たやすい話ではありません。批判されるべきは個人ではなく、人間損耗競争・人間圧殺競争に邁進する企業です。死んだ労働・価値の自己目的化、蓄積のための蓄積において人権蹂躙競争・労働力消費競争に走り、商品を貨幣に転化さえすれば「後は野となれ山となれ」とする企業の排他的=利己的な行動様式です。解消すべきは、特定雇用主に労働力を売っていることではなく資本の搾取衝動の暴力的発現であって、人間のための社会組織という本質を実現できない現代企業の実態こそが止揚されるべき仮の現実なのです。

現場の前線の労働者の健全な労働を保証できないことも、消費者に誠実な商品提供をできないこととも、どちらも、資本の価値増殖の、生きた労働に対する激しい渇望がもたらしています。労働者使い捨て、労働力乱費と消費者だまし、詐欺的販売はまったく同根なのだ!

ちなみに言わずもがなですけど、人手不足とは、生産手段に結合すべき労働者が絶対的に少ないなんていうことではまったくなく、今すぐにでも働かざるを得ない人々でもこの企業での労働を絶対に行いたくないということ、ある企業が次の搾取主を待っている労働者にすら忌避されて労働力が入手しがたいということ、企業が内部で労働力の配分を法外に節約しているために、企業が労働力を使い捨てているために自らつけが回ってとうとう労働力が枯渇したということを意味するだけのことですよね。

毎日新聞東海林智先生の記事。The Service Employees International Union(SEIU)の呼びかけに呼応し、ファストフード労働者が職場の労働条件/労働環境の改善を訴え集ったとのことですが、国境を越えた連帯こそが未来を切り開く力であることをあらためて自覚させてくれるニュースです。

ファストフード労働者:賃上げ求め各国で運動 日本でも- 毎日新聞
ファストフード店員:「時給1500円に」待遇改善訴え - 毎日新聞

日本中で突如「すき家」が閉店する現象の謎は、「ワンオペ」を強いられる労働者たちの「鍋」を契機とした反乱にありました。

すき家「鍋の乱」で大量閉店の真相:日経ビジネスオンライン

生産手段を休止することなく24時間労働を吸収しつづけようとする衝動に突き動かされる資本は、労働者がその縮小された再生産に要する睡眠などの最低限の肉体的必要にあてる時間さえ掠めとろうとします。とはいえ、この最小限の時間そのものをなくすことはできないので、資本は交代労働制を導入します。記事によれば、この牛丼チェーンでは、この交代すら許さないことがあるわけです。できうるかぎり労働を搾り取るために過酷な1人作業を労働者に押しつけるのみならず、労働日の純粋に肉体的な制限すら踏み越えて作業を続けさせることさえあると記事は生々しく伝えています。

SNS・Twitterを介してデモやカウンターをする時代、労働者の権利であるストの実行もネット経由で遂行できたらSweat Shopに対する若者の抵抗戦線の快挙ですね(分らない方は調べてください)。私たち倫理的な消費者も29に消費者として連帯できると思います。
by kamiyam_y | 2014-05-25 00:22 | 企業の力と労働する諸個人

Socialized Enteprise for LGBT Actions:Rights of Sexual and Gender Minorities

アムネスティから。リツイート、シェアを。
(1) タイムラインの写真 - アムネスティ・インターナショナル日本

蓮池さんのこれも説得力あります。
(異議あり 特定秘密保護法案)異論言えない「萎縮社会」進む 蓮池透さん:朝日新聞デジタル

Nikeは搾取工場の利用で批判されCSR論においていい素材です(CiNii 論文:赤羽新太郎「21世紀のグローバリゼーションへの対応と課題」『専修大学論集』93巻、2011年喬晋建「CRS活動の世界的な潮流:その理論と実践」『産業経営研究』第29号、2010年3月)が、LGBTの人権保障に対して積極的に取り組んでるんですね。
Nike、今年のLGBTモデルを発表。 | RAINBOW INFO

アメリカ合衆国はやはり日本の先を進んでいます。
朝日新聞デジタル:LGBT働きやすく 会社説明会・研修・規定、徐々に - 社会
by kamiyam_y | 2013-12-06 00:16 | 企業の力と労働する諸個人

労働日の実効的制限を

NHK「ハートネットTV」が、長時間労働・低賃金労働の手段として「みなし労働」という制度が飲食店などで用いられている問題をレポート。12日(木)に放送されてました。『資本論』にも労働日延長・労働強化のさまざまの手口が登場しますけど、まさにその今日版。

http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2013-09/12.html

犠牲を美化するロジックが支配的な「滅私奉公的共同体」としての企業を、真に諸個人の協同性へと転回していくのが現代。利潤が人間を消費する転倒は解体されねばなりません。

再放送は午後1時5分からですけど、19日(木)。
by kamiyam_y | 2013-09-17 17:45 | 企業の力と労働する諸個人

言葉の中身

既得権益を壊せとか、頑張った人が報われるようにとか、その言葉自体はなにやら革新めかして威勢よくみえたり自由平等の表明のように聞こえますけどね、問題は具体的な中身なのだよ。ってことを私たちの多くは知っているはず。

封建的諸権利の位階秩序を破壊する大工業は労働者を封建的共同体窒素から引き離して解放し法的抽象的に自由にしますが、その政治的解放は法的に等価な人々として抽象化して人々を同一化し市民社会の実体から分離した共同体の一員、人権主体にします。社会はみんなのものということが実体から分離して一応成立しました。この実体つまり社会的生産過程こそみんなのものなのですが、まずはこの政治的解放は資本家も労働者も封建的支配階級に対する「みんな」として同一化したうえでの解放、資本家を軸とする市民革命なのでした。しかし、現在は労働する諸個人にもとづく人権の具体化の時代。社会的生産過程の発展が、抽象化された普遍的な人間に実体を与えるからです。

単なる既得権益打倒論は、労働者が勝ち取ってきた人権である社会保障の権利を壊せとか労働者に低賃金をおしつけ「効率的に」利潤増大をしなければならないという資本の主張として用いられ、それは資本の私的所有という既得権益によって労働者をその増大の道具にせよという要求となります。フランス革命の自由の精神が労働者を弾圧する「団結禁止法」に転回したことを想起しますね。

労働者の自由か、企業による搾取の自由かは正反対です。頑張った人がというならそれは賃労働者を中心とする諸個人の人権の実質化、権利拡大・福祉向上・生活向上を意味すべきであって、特定の敵を想定してバッシングし扇動するための言葉として使うのは全体主義の1つのモメントをなすというべきであり、人民主権、人権尊重、平和主義という体制を裏側から全体主義に捻り変えようとする反革命的心情に親和的でしょう。

ブラック企業を頑張ってつくった人が報われるようにとか、労働法を守らない経営努力や搾取する頑張りに多くの報酬を、といえば誰でもそのばかばかしさには気づきます。

政治的解放の中身であった大工業の発展は労働者を世界史的個人にすなわち人類に転化し、労働者の眼前には「ローマの民衆はパンを買うのに必要なものにもこと欠き、ローマの貴族たちはウツボのえさにする奴隷にこと欠かなかったのである」(『哲学の貧困』高木裕一郎訳、国民文庫、89頁)というがごとき「進歩」の「敵対関係」(88頁)という実相があらわに示されつづけているのであります。
by kamiyam_y | 2013-07-19 05:49 | 企業の力と労働する諸個人

マルクスのマネジメント論、ドラッカーのアソシエーション論

また首が痛ぇ。よくわからんだす。

いまさらではあれアマゾンってやはり買いやすいな。今月もずいぶん購入しまして、そのなかから。どれもざっと目を通しただけで精読はしてないですけど。

①園子温『非道に生きる』朝日出版社、2012年。
②豊下楢彦『「尖閣問題」とは何か』岩波書店、2012年。
③重本直利『もしマルクスがドラッカーを読んだら資本主義をどうマネジメントするだろう』かもがわ出版、2012年。

①は原発問題を扱った映画『希望の国』の監督によるもの。田村隆一が選者をしていた雑誌の詩の投稿欄で園さんが常連だったのは私も記憶にあります。飯を食うため三里塚闘争のアジトに入ったらルーティンワークでがっかりしたとか(33頁)、ハリウッド商業映画業界には売れる映画のシナリオ教則本みたいなものがあるとか(87-88頁)、面白いです。

②は、ブログで取りあげている人もけっこういる(こことか)ようなので取りあげるのやめようと思ったのですが、森元総理が日ソ共同宣言を再確認したみたいだし、やっぱりあげておきます。国後・択捉は南千島と呼ばれていたとかまず知っておくべき事実が多く記載されていて有用。なにより「固有の領土」論の愚劣さ、愚かしさ、くだらなさをあらためて考えるいい材料を提供してます。社会的労働の相互依存的諸関連がますます深く有機的に形成されている現代、幻想的な衝突にこだわることは東アジア全人民にとって何の利益もないのです。

③は、ドラッカー経営学をマルクスのアソシエーション論の土俵に導いて新しい社会づくりを語る試み。経営学を制度派的視点から再検討するといってもよさそう。

この本の課題は、マルクスの社会主義、アソシエーションの文脈と結びつけながらドラッカー理論を論じ、そのことによって、新自由主義に対して制度派経営学を対置し「新社会主義」を展望することにあります。「共生と共同を前提とした市民の自発性・主体性を展望」(4頁)する流れにおいてドラッカーを救っています。

著者がドラッカーのマネジメント哲学を10項目にまとめている箇所(コラム2)がとりわけ有益。とくに興味深く感じられたのは「『操作や管理技術を』を上からの支配や統制のために使ってはならない」(97頁)とする「ファシズムの否定」です。

ドラッカーの出発点はそもそもファシズム批判であって、彼の議論のなかに、諸個人の孤立、実質的な承認の不在という物象化された世界をどう乗りこえるのかという問を発見することができましょう。社会的生産過程における諸個人の自由の実現、個性の実現、実質的な相互承認の形成というのがマルクスの社会主義ですから、いかに諸個人に自己実現できる位置づけをあたえるのかというドラッカー的組織論はマルクスの把握する世界の当然内部にあり、批判的に包摂可能。そもそも自由な個人による地球的生産過程の共同管理というマルクスの構想は自由な個人によるマネジメントの有機的体系化の把握ともいえますし。

また著者によれば経営学は「金儲けの学」ではなく「資本主義をマネジメントする」としてとらえられるとのこと。

さしあたり、物象の自己運動(搾取)のための道具として機能するもの(ないしそのように思われているもの)を人間のための道具に転換しようとする意味の逆転という戦略、無意識的発展の意識的発展への転換、資本総体の制御という構想からしても、「資本主義のマネジメント」論は興味深い。マルクスの独自性にこだわればドラッカーとの違いがシビアに浮かびあがるはずですし、マルクス的矛盾論がないため改良主義的ではあるのですが、それよりも指摘すべきは、管理された市場は市場とは正反対のものであり、マネジメントされた資本主義という状態が実現すれば、そこにおいては資本主義を超出した生き生きとした社会的労働そのものという本体をあらわすにちがいないということです。逆にいえば超出点を超えて資本主義は死滅せざるをえないといってもいい。組織運営は社会的労働のモメントですから、その知的手段として組織のありかたの研究もまた社会的労働に包摂されます。
by kamiyam_y | 2013-03-01 22:48 | 企業の力と労働する諸個人

偶然性の支配への民主政治の転化

内田樹のブログに興味深い記事があると大学院生が教えてくれたので、読んでみました。これです。

同一労働最低賃金の法則について(7/26)
http://blog.tatsuru.com/2012/07/26_1559.php

雇用形態の複線化は論理の必然として、「同一労働の場合、それを最低の賃金で達成するものを標準とする」という「同一労働・最低賃金の法則」を導くということに私は導入時点では気づかなかった。
でも、今はわかる。
職場に業務内容が似ており、雇用条件の違う労働者を「ばらけた」かたちに配備しておくと、最終的に雇用条件は最低限まで引き下げることができる。
だから、経営者たちは非正規雇用の拡大に固執したのである。


最低の雇用条件、最低の賃金を基準にするための効果的な布陣が、同じような労働に異なる雇用形態の賃労働者を配置することだった、というわけですね。人間語を喋らない資本が、経済界や大学人の言葉を介してこれを実行してきたのがいってみれば労働法制の新自由主義的解体だったのでした。

・・・労働日の限界があたえられていれば、利潤の最高限は賃金の生理的最低限に照応するということ、また、賃金が一定であれば、利潤の最高限は労働者の体力が許すかぎりでの労働日の延長に照応するということ、・・・。(『賃金、利潤、価格』服部文男訳、新日本出版社、179頁)


利潤の最大化とは労働時間が一定であれば賃金の最低化であり、賃金が一定であれば労働時間の最長化として規定されます。

資本が、同じような労働に異なる労賃の契約を結ぶ賃労働者を配備することは、賃労働者の分断をもたらし、この分断を通して、労働力の価格の基準を下げていくことができます。

もし賃労働者がこの分断を受動的に受容するにとどまらず逆に支援したりするならば「同一労働最低賃金」の法則が徹底して貫かれるほかありません。この分断を政治が助長するならば、政治とはその実態において賃金の最低化をめざす物象の運動に入れかわっています。

自由な人間を建前とする政治が、現実的再生産過程総体においては、利潤を生みだす人間材料を低廉化する手段に転化しています。しかし、政府はまた自然発生的・無政府的・物象的な生産過程に対する社会の関与でもあって、内田さんの言葉でいえば、賃金の最低化を堂々と政治綱領にするというのは、「トリクルダウン」という建前すら捨てた「前代未聞」(!)な運動といってよい。

諸個人の孤立を強力にすることは、諸個人に対立しながら彼等を束ねて使う疎遠な力を強力にすること。資本とは孤立した諸個人の彼等自身に対立する彼等の普遍性、彼等の自然的・社会的諸力であり、経済法則として自立化した生産関係の力です。

非正規雇用増大の起点は賃労働者の自由意思にではなく、賃労働者の分断によって労働力商品の価格を押下げるようとする資本の価値増殖運動にあります。

孤立しあう諸個人が、自らの孤立した振舞を自由な振舞として納得するなら、自立化した物象化した生産関係を透視することはできません。諸個人自身の社会的力、経済法則の力が彼等に対して彼等が制御できない「偶然性」として襲ってくるのを、我慢すべき運命と取り違え、それに跪き、賃労働者同士で労賃引き下げを押しつけあう共食いを行い、ますます「偶然性」に支配されてしまう。他の賃労働者の労賃引き下げを願う一賃労働者の排他的私的振舞は彼自身の労賃引き下げへと反射します。相互的衝突は物象的連関の力を解き放つ。

・・・彼らが労働組合などによって就業者と失業者との計画的協力を組織して、かの資本主義的生産の自然法則が彼らの階級に与える破滅的な結果を克服または緩和しようとするやいなや、資本とその追従者である経済学者とは、「永遠な」いわば「神聖な」需要供給の法則の侵害について叫びたてるのである。・・・(『資本論』岡崎次郎訳、大月書店、S.669-670.)


人民諸個人が物象化された世界の細分化から超出しようと試みること、企業の私的利害の壁を越え、業界の衝突という物象的運動を超えようとすること、国益なる既成態による拘束を解こうとすること、「就業者と失業者」の壁を超える連帯をつくりだすこと、これらなしには、労賃・雇用の「複線化」による賃金最低化と窮乏化を抑えることはできません。

このように、救貧法監督官の報告書には、就業の不安定や不規則、労働中絶の頻発と長期継続、このような相対的過剰人口のいっさいの徴候が、それぞれアイルランドの農業プロレタリアートの苦痛として現われている。……こういうわけで、報告者たちの一様な証言によれば、暗い不満がこの階級の隊列にしみこんでいるということや、この階級が過去をなつかしみ、現在を憎み、未来に絶望し、「扇動家たちの悪い影響に左右され」、ただ、アメリカに移住するという固定観念を抱いているだけだということは、少しも不思議ではないのである。(同上『資本論』S.736.)


「過去をなつかしみ」「暗い不満」「扇動家達の悪い影響」という言葉からは、ファシズム的状況を生成する病的状況を想起します。
by kamiyam_y | 2012-08-25 23:21 | 企業の力と労働する諸個人

《子供の人権》《賃金労働者の人権》vs原発共同体

公衆の人口放射線限度は国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告によって1mSv(ミリシーベルト)です。同委員会の勧告にもとづいて国内法令では放射線作業を行う労働者は5年100mSvが限度。

3 .放射性固体廃棄物埋設処分に係る放射線防護に関する国際的な考え方:文部科学省
ICRP勧告(1990年)による個人の線量限度の考え (09-04-01-08) - ATOMICA -

労働安全衛生法
第二十二条  事業者は、次の健康障害を防止するため必要な措置を講じなければならない。
一  原材料、ガス、蒸気、粉じん、酸素欠乏空気、病原体等による健康障害
二  放射線、高温、低温、超音波、騒音、振動、異常気圧等による健康障害


電離放射線障害防止規則
(管理区域の明示等)
第三条  放射線業務を行う事業の事業者(第六十二条を除き、以下「事業者」という。)は、次の各号のいずれかに該当する区域(以下「管理区域」という。)を標識によつて明示しなければならない。
一  外部放射線による実効線量と空気中の放射性物質による実効線量との合計が三月間につき一・三ミリシーベルトを超えるおそれのある区域

(放射線業務従事者の被ばく限度)
第四条  事業者は、管理区域内において放射線業務に従事する労働者(以下「放射線業務従事者」という。)の受ける実効線量が五年間につき百ミリシーベルトを超えず、かつ、一年間につき五十ミリシーベルトを超えないようにしなければならない。
2  事業者は、前項の規定にかかわらず、女性の放射線業務従事者(妊娠する可能性がないと診断されたもの及び第六条に規定するものを除く。)の受ける実効線量については、三月間につき五ミリシーベルトを超えないようにしなければならない。

医療法施行規則
(濃度限度等)
第三十条の二十六
3  管理区域に係る外部放射線の線量、空気中の放射性同位元素の濃度及び放射性同位元素によつて汚染される物の表面の放射性同位元素の密度は、次のとおりとする。
一  外部放射線の線量については、実効線量が三月間につき一・三ミリシーベルト

(線量限度)
第三十条の二十七  第三十条の十八第一項に規定する放射線診療従事者等に係る実効線量限度は、次のとおりとする。ただし、放射線障害を防止するための緊急を要する作業に従事した放射線診療従事者等(女子については、妊娠する可能性がないと診断された者及び妊娠する意思がない旨を病院又は診療所の管理者に書面で申し出た者に限る。次項において「緊急放射線診療従事者等」という。)に係る実効線量限度は、百ミリシーベルトとする。
一  平成十三年四月一日以後五年ごとに区分した各期間につき百ミリシーベルト
二  四月一日を始期とする一年間につき五十ミリシーベルト
三  女子(妊娠する可能性がないと診断された者、妊娠する意思がない旨を病院又は診療所の管理者に書面で申し出た者及び次号に規定する者を除く。)については、前二号に規定するほか、四月一日、七月一日、十月一日及び一月一日を始期とする各三月間につき五ミリシーベルト
四  妊娠中である女子については、第一号及び第二号に規定するほか、本人の申出等により病院又は診療所の管理者が妊娠の事実を知つた時から出産までの間につき、内部被ばくについて一ミリシーベルト


被曝の人体への影響はさしあたり、皮膚損傷のように閾値となる一定線量を超えた場合に生命体として必ず影響が現れる「確定的影響」と、癌のように閾値がない「確率的影響」とに分類できます。閾値がないからこそ低線量被曝の危険性が考慮されねばなりません。

福島原子力発電所_Q&A
低線量被曝の危険度

低線量被ばくの人体への影響について:近藤誠・慶応大一般社団法人 サイエンス・メディア・センター Science Media Centre of Japan

人口放射線年間限度1mSvというのは、自然被曝や治療以外に積極的に被曝することを推奨するような数値ではもちろんない。事業者が管理区域にしなければならない基準は3ヶ月で1.3mSv、年に直すと5.2mSv。放射線業務従事者の限度は5年で100mSv。低線量被曝は閾値なしに確率的影響を及します。

被曝線量が20mSv/年を下回っている場合でも労災が認定されています。

原発労災認定状況関西労働者安全センター/働く人のSafety&Health

1993.5.6 申請1994.7.27 支給決定
静岡/磐田 中部電浜岡原発 計測装置の点検作業 慢性骨髄性白血病 81.3-89.12の8年10ヶ月で50.63mSv  1991.11死亡

この方はなんと29歳の若さで亡くなってます。

静岡新聞「浜岡原発の選択」

政府は、20mSv/年、1mSv/年の20倍も子供たちに浴びせるつもりなのか、驚きを禁じえません。

福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について:文部科学省
…児童生徒等が学校等に通える地域においては、非常事態収束後の参考レベルの1-20mSv/年を学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的な目安とし、引…


18歳未満では放射線業務は禁止ですよ。

労働基準法
(危険有害業務の就業制限)
第六十二条
○2  使用者は、満十八才に満たない者を、毒劇薬、毒劇物その他有害な原料若しくは材料又は爆発性、発火性若しくは引火性の原料若しくは材料を取り扱う業務、著しくじんあい若しくは粉末を飛散し、若しくは有害ガス若しくは有害放射線を発散する場所又は高温若しくは高圧の場所における業務その他安全、衛生又は福祉に有害な場所における業務に就かせてはならない。


しかも子供は放射線の影響に敏感。汚染されているのも校舎・校庭だけではなく、地域そのもの。子供を過酷な原発労働現場に投入するようなもんです。子供の人権無視も甚だしいなんと残酷な対応でしょうか。私たちの社会がいつそんな選択をしたのか。

なんで東電の事故と政府の隠蔽体質的対応のせいで子供たちがそんな目にあわなきゃならないのか。

Fukushima-Katastrophe: Japanlegt hohe Strahlengrenzwerte fr Kinder fest - SPIEGEL ONLINE - Nachrichten - Wissenschaft
http://www.twitlonger.com/show/a1bk9a

日弁連 - 「福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について」に関する会長声明
従前の基準(公衆については年間1mSv)は、様々な社会的・経済的要因を勘案して、まさに「安全」と「社会的便益の両立を考えて判断」されていたものである。他の場所で教育を受けることが可能であるのに「汚染された学校で教育を受ける便益」と被ばくの危険を衡量することは適切ではない。この基準が、事故時にあたって、このように緩められることは、基準の策定の趣旨に照らして国民の安全を軽視するものであると言わざるを得ない。


子供が勉強できるようにと子供のことを考えているふりをしながら、見捨ててるんじゃねえか、ってことです。子供は大人よりも被爆の影響を受けるのですから、「子どもが被ばくすることはできる限り避けるべきである」。子供の被曝限度引上げによって、国も県も福島の子供たちの健康を真剣に配慮しているのではないことが明白になってます。政官財学メディアの原発利権集団は子供たちに代って被爆すべし。

政府は今ごろになってやっと放射線量のマップを出しましたね。

30キロ圏外でも高い線量 政府、分布マップ初めて公表-北海道新聞[道外]

一目瞭然。放射線量の高い地域は同心円の警戒区域を越えて原発から北西方向に伸びています。記事によると、浪江町の一部では推定年間積算放射線量が235.4mSvという高さ。

チェルノブイリ:因果関係調査なし 放射線障害孫の代まで - 毎日jp(毎日新聞)

共同体の権力は人民から分離して、私的物質的利益に突き動かされることは日本もソ連も同じ。「(当時のソ連)政府は深刻な問題は起きないといっていた」って、この間に同じような国内安全報道の欺瞞に私たちも気づかされたわけです。そんなソ連でも、5mSv/年が「移住義務」の基準だったらしい。

チェルノブイリの避難基準: サロン金曜日@高知

住民が避難する権利を保障する体制をつくる能力・気力が政府にないというだけではなく、政府と東電の責任逃れのためでしょう。人民による東電監視なしには、政府も東電も証拠隠滅と「事故はたいしたことない」キャンペーンに走ります。責任追及は後でなんて言っていたら真相究明もできません。社会的生産過程の公開を否定する企業権力に対して公開を要求するのが日本の民主主義に対して世界が要請していること。

政府や東電という名の疎外された社会力の人間的姿態は、労働者の安全管理を証拠隠滅のためにも否定しているよう。

福島第1原発:「ババ引くのは作業員」嘆く下請け社員 - 毎日jp(毎日新聞)

放射線管理手帳に記載しないなんて、下請作業員を人間として扱わないにもほどがある。すでに原発作業員の250mSvへの上限引き上げ(厚生労働省:(5)原発事故関係)において、作業員個人の健康は否定して彼等を作業の手段として使うという全体主義的な関係が露出していましたけど。

東電の労組は、労働する諸個人の普遍的な結合のメンバーであるならば、賃金労働者階級の一員であるならば、下請け孫請け作業員の労働条件改善、非正規雇用群との連帯を打ち出すべきです。さらに脱原発、情報公開を方針にしたら立派です。それができないのであれば、日本の労働組合のありかたの限界、個別資本の力に(成長主義の力に)吸収されていく企業別組合の限界でしょう。

原発が地域の労働市場や労働者の安全管理をいかに歪めてしまったことか。ポンプ点検会社の労働者が原発復旧作業に駆り出されるんですから。働く人々が自分の専門性を社会的分業に自覚的につなげる(社会的生産において相互承認する)のではなく、日本経済の二重構造において歪んだ労働力供給によってわけの分からん場所に派遣されている。人間が自己の意思を否定された物として消費されるという経済の実態があからさまです。下請会社が仕事を受注するために従業員の累積線量を過少申告するのも、労働者の健康より企業の都合を優先する無政府的開発の敵対性があらわ。原発が非正規雇用労働者によって支えられていることは『ニューヨーク・タイムズ』の記事にもあるとおり。

Day Laborers Brave Risks at Japan’s Nuclear Plants - NYTimes.com
日雇いで放射能に立ち向かう労働者たち - 福島原発事故 海外での報道

原発による地域振興は、地域の産業構造も財政構造もいびつに展開させます。4月24日 の『道新』3面で佐藤栄佐久・前福島県知事が地域の原発依存を「麻薬中毒」と呼んでいるように、一時的に原発マネーを注射しても、地域は産業が原発中心にモノカルチャー化してしまい、健全な形の発展が妨げられる。原発に物言えず「暗さ」(内橋克人『日本の原発、どこで間違えたか』朝日新聞出版、3頁)が漂う。一瞬の事故が街も村も山も川も、思い出も生活も、精神的な絆も、健康も、人々の自己の世界のあらゆる場面を崩壊させる(これほど高コストなものがありましょうか)。

地域の発展はカネの力に翻弄される発展ではなく、自覚的な発展、すなわち民主主義の発展として遂行しなければなりません。

中部電力は旧浜岡町に「財政協力金」と名づけて68億円も渡してます。カネの支出は民主的に管理されず地域コミュニティも混乱。

静岡新聞「浜岡原発の選択」

原発利権による開発は人間を目的とする開発ではなく、無政府的な貨幣のための開発であり、この成長主義の手段となったのが理系の閉鎖的、非社会的・反社会的集団。

記者の目:「原子力ムラ」の閉鎖的体質=日野行介 - 毎日jp(毎日新聞)

一部の理系の研究者の原爆開発能力誇示欲求は、もちろん事故や廃棄物処理や原発のおかれた社会的関係なんて考えない。技術開発は民主主義によって管理されねばなりません。

発電技術も社会システムの問題です。『道新』の社説も脱原発。

東日本大震災 エネルギー計画 「脱原発」の国民論議を(4月20日)-北海道新聞[社説]

原発頼みで発電しているフランスでも、『ル・モンド』誌がチェルノブイリとフクシマを並べて扱い、脱原発を主張。

チェルノブイリの教訓は生かされなかった - 福島原発事故 海外での報道

2007年の記事ですけど、日本はかつては太陽光発電が世界トップだったという話。「強権的な政治意思を背景に原発エネルギー依存体制に針路をとってきたがゆえに、逆にエネルギー選択の多様性が狭められた」(内橋前掲書、2-3頁)。原発利権複合体が、自然エネルギーの開発を阻止しながら他方で「原発がないと困る」と人々を脅してきたわけです。原発依存体制をつくったくせをして自然エネルギー開発に難癖をつけてきたといってもいい。

asahi.com:市民も潤う太陽光発電 脱温暖化社会へ 欧州の挑戦・2 - 地球環境

要は生産過程に対して諸個人が社会的諸個人として民主主義によって理性的に管理することです。市場が自動的に安全を選択するわけではない。政府が安全を成長より重視するわけではない。資本の競争(とその媒介姿態としての国家)に委ねた発展から人間を目的とする人間による民主的発展へ。

原子力ロビー「電気事業連合会」の力と実態 電力会社幹部は3年間で5600万円を自民党政治団体に献金、「味方作り」を推し進めてきた | 経済の死角 | 現代ビジネス [講談社]

電力会社による政治の買収は民主主義の否定です。原発利権複合体は地域を破壊し、自然を破壊し、人間を破壊し、社会を破壊した。人体への破壊行為は民主主義への破壊行為に連結して起きてます。

追記:
今中哲治氏と飯田哲也氏の講演が札幌であるそうです。私は行けないんですが。はんかく祭!
by kamiyam_y | 2011-04-27 22:00 | 企業の力と労働する諸個人