さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

有機化合物入り粉ミルク

メラミンって、プラスチックの食器とかの原料でしょ。小麦粉に茶碗の原料である土を混ぜて売るようなもんですね。タンパク質含有量は窒素で調べるので、薄めた牛乳のタンパク質含有量を高くみせるために、その6割が窒素であるメラミンを混ぜたということのようですが。

毎日jpの次の記事にいうように、この組み合わせは「想定外」。食器製造の原料を食品に混ぜて買手を欺くなんて、たしかに。
http://mainichi.jp/select/opinion/closeup/news/20080921ddm003040169000c.html

ただ、ペットの前例もあったので想定外といいきっていいのかはちょっと疑問が残ります。

商品流通はそもそも共同体の外の他人との交換ですから、他人の生産の現場は共同体の外。このことによって流通は拡がるわけですが、同時に、共同の絆のない相手からだまされる危険性がつねにある。共同の絆がないので買ったモノをあとから調べるしかないのですし。

単純にいえば、商品流通を介した消費者が流通の向こう側の生産者にあらためて接触する必要が出てくるのは、生産物(使用価値)に異常があるときです。買った後でその生産物(使用価値)の異常が感覚的にはわからず、被害が出てからという危険性がつねにあるわけです。

しかし、資本制的大工業においては、資本という生産者は科学を利用して巨大な影響力をもって商品を売る。化学物質は無数にあり、これを消費者個人がチェックすることは不可能です。被害が出てからでは、消費者の健康が破壊されてしまう。そこで、買った個人が商品を確かめるのと同じく、日本という共同体が内部の個人を代表してすでにできた生産物をあとから確かめる。

あとから確かめると書きましたが、共同体の諸機関の対応はこの場合消費者の口に入らないように検査するので、検査は生産流通のあとに行われるとしても、本質的には生産を規制するための予防措置といってよい。大工業の時代には共同体は生産者を外からであったとしても規制を試みなければならない。

牛乳を中国から輸入していたというのも、へえというかんじでした。

1955年の森永ヒ素ミルク事件では、翌年の厚生省発表によると死者131名だったそうで(齋藤憲監修『企業不祥事事典―ケーススタディ150』日外アソシエーツ2007年353頁)規模はちがいますけど、高度成長期に起きた事件として想起されます。

毎日新聞17日朝刊で、「母乳よりも栄養が豊富という宣伝を信じて」という母親の怒りの声が紹介されていました(「『国産飲めぬ』怒る母」)。日本でも当時「人工栄養は丈夫で頭のよい子をつくるなどと信じられることも」あった(同上書352頁)という点も似てますね。

この三鹿集団(サンルーグループSanlu Group)、ちょっと調べてみると、ニュージーランドのフォンテラという会社が提携しているみたいで、問題のグローバルさを象徴しているようです。

http://www.maff.go.jp/kaigai/2005/20051212newzealand54a.htm
http://jp.reuters.com/article/newsOne/idUSSHA33672620080913
http://en.wikipedia.org/wiki/Sanlu_Group
http://en.wikipedia.org/wiki/Fonterra

アサヒビールが中国市場での牛乳販売強化路線を打ち出したそうです(日経20日)が、安全を売りにして日本のメーカーが中国の消費者に向けて販売拡大をしようとするのも、グローバルな市場の広がりにおいては当然でしょうね。
by kamiyam_y | 2008-09-21 21:04 | 民主主義と日本社会