さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

生産者の矜恃

江上剛がその連載(「経済・世相を斬るPART2」日刊ゲンダイ・昨日発行)で今回の三笠フーズ汚染米不正転売事件を取りあげておりなかなか感心しました(「農水省は自主公表・回収を決断した酒造会社を見習え」)。

感心したのは、取りあげられている酒造会社の対応と、それを賞賛すべきものとして紹介し応援を呼びかける江上の態度と熱意と批判精神。事故米を買ってしまった酒造会社が農水省の判断に頼らずに自主的に公表と回収を行ってるんですね。

事故米購入企業名の公表を当初保留した農水省とは対照的に、これらの酒造会社が公表に踏み切ったことを江上は高く評価しています。被害を覚悟の上でそれを最小限にとどめるべく公表した決断を讃えています。「きっちりと公表することで、それ以上の被害の拡大を防ぐことができたと考えるべきだ」と。

江上は「僕は焼酎好きの消費者として薩摩宝山を今まで以上に飲む。また日本酒は美少年を応援しよう」と決意し、「消費者は自らを犠牲にして正直な行動をした企業を応援しようではないか」と呼びかけています。

資本主義経済である以上隠蔽も不正も自然破壊も健康破壊も再生産されましょうが、消費者問題によって企業が淘汰される時代になったといっていいほどには社会はそれなりに成熟してます。

情報公開という公共的利益は私的利益に味方し、というか、私的利益がこの公共的利益なしでは実現しがたくなる、また私的利益に任せることで公共的利益もやっとなりたつ。不正な販売も私的利益に味方しますが、消費者問題として公開された不正な販売は私的利益を否定する、その程度の市場の成熟がなかったらそもそも未来の社会もないでしょう。もちろん、私的利益というのは相互の否定であって、公共的利益が私的利益の闘争の場となってしまうことは、資本主義の不可避の運動方式ですけど。

薩摩宝山の西酒造と美少年酒造は、当事者の意識としては自覚していないかもしれませんが、客観的には、この後予想される市場からの排除を最小化するという私的利益のために、情報公開と回収という公共的利益に則った対策をいちはやく取った、ともいえるわけです。この決断が競争上今回1つの正解であればいいなとおもいます。事実を後から小出しにするよりも、先手を打って公表した方が印象がはるかによくなりますし、この場合は、購入した企業も被害者であり、被害者でありながら害を加える側になることを回避すべく自主的に回収したというのも好印象形成に寄与しますから、よい結果になればとおもいます。消費者が消費者としての投票行動を自覚して取ること(応援のために買うこと)もこれを助けうる可能性をもつかもしれない。

そこまでいわなくても元来、競争上正解といった私的利益を今回実現できないとしても、いまや情報公開は、企業が取るべき模範として、企業の公共的な責任として企業に強制されるべき振る舞いです。社会的責任を自覚した行動をとった薩摩宝山と美少年はおおいに賞賛されていい。

生産物が移動し(移動ももちろん有用な効果だ)、原料になって新たな生産物になり、これがまた移動する、こういう生産物の移動の経路を全人民に公開することを怖れる心理は、社会的生産が私的所有に分断され人々が私的利益にすがって生きるほかない社会である以上切実な根拠があるというべきではあります。公表を怖れる怯懦を恥じよと一方的に責めるわけにもいかない。欺されたあげく風評被害で倒産なんてなったら、市場の冷酷な偶然によって翻弄される個人の無力さを痛感せざるをえませんからね。

しかし、もう1つ、未来に通じる根拠ともいうべき実態があります。情報公開の必然です。情報公開の要請という形であらわれている社会的生産という根拠です。食の安全が問うていることは、生産・流通の経路に被さっているヴェールを剥いで、社会的生産を公開された社会的生産として立ち上げよ、ということ。生産と流通の流れを暗箱にしまいこむ市場経済・資本主義は、暗箱を自ら開いてしまうことを要求している。

他の事故米購入企業についても、消費者に対する情報公開こそがまず第一に優先されるべきであり、それを前提に風評被害に対する対策をセットで用意する。こういう考え方を私たちは主張する権利をもっています。風評被害を怖れて公表しないのも、風評被害対策なしで公表するのもどちらも共同体の行政機関の対応としては駄目駄目です。いうまでもなく、基準値をちょっと上回っただけだという弁解も事の本質を見ず問題をすりかえる最悪の態度でしかない、蛇足ながら。

農水省とは独自に率先して公表し自主回収した酒生産者はまさにこちらの生産の社会化という根拠にのっかって行動したのであり、この酒生産者の勇気をここで讃えることには、単に個人の勇気を褒める以上の大きな意味があります。

流通経路の公開に怯え躊躇うことよりも、消費者に対して、全人民に対して公開することを選んだ生産者の矜恃と勇気、これをここで讃えることは、すなわち、あらためて消費者の権利を確認することでもあるだけではなく、よき有用物を生産する労働者の誇りを賞賛することでもあり、流通において、また流通という形の社会的生産においてつくられた共同性を確認すること、流通と生産の総体が事実上働く人々の共有財産として形成されていることを確認することなのでもあります。
by kamiyam_y | 2008-09-17 21:55 | 消費者の権利と社会的労働 | Comments(0)