さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

「格差」という言葉に潜む競争主義・成長主義への拝跪(3)

▽補足。輸入食品の検疫違反率について前回触れましたが、落ち着いて考える必要があるということで、率だけではわからない点があることはいうまでもありません。日本の食料・食品市場に占める中国産の規模からすれば、他の小さな途上国産とは同列ではないですし。共同体成員のための防御策も、食の安全を求める声も重要であることは前提であり、その実現のためにも社会的生産過程の公開と制御に向かう国際主義です。中国の資本の巨大さとその未熟さは世界の労働者に影響を与えます。厚労省は中国の企業の直接の監督者ではない。中国社会の未成熟は日本の人々の生活にとって制限。もちろん日本のなかでのチェック体制の拡張は当然です。ちなみに「速攻処刑」とも書きましたが、国連総会で死刑執行の停止決議が採択されるこの国際的潮流(12月18日。反対は中国アメリカ合衆国日本)にあって、処刑されても秘密に処理じゃないかなあと不安。となると推論で暗鬱になったり論じたりすることになってしまいますけど。

ギョーザ問題は中国における生産関係の未熟度や、中国の市場文化や食文化もわからないとなんともいえないところもありますが、日本の食の安全のためにもいよいよ諸個人の国際主義しかないという方向性・展望を語っておいたということで。孤立した存在が否定しあうことで相互依存がふかまるという資本の展開は、問題をますます普遍的で世界的なものに拡げていきます。

▽まず国語辞典で冤罪の説明をみて下さい。えんざい ゑん― 0 【▼冤罪】 - goo 辞書

冤罪ではないとは、「罪がないのに疑われた、のではない」ということになります。

こういう発言と謝罪こそもっと報道すべきでしょう、自由で民主的を標榜できる社会をめざすなら。

<鳩山法相発言>志布志事件の元被告ら反発 「謝罪も形式」 | エキサイトニュース
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<鳩山法相発言>鹿児島の元被告ら抗議声明 謝罪求める | エキサイトニュース
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<志位共産委員長>「冤罪」発言問題で鳩山法相の罷免要求 | エキサイトニュース
「冤罪じゃない発言」の鳩山法務大臣に謝罪を迫る - 保坂展人のどこどこ日記
志布志事件国賠訴訟原告団、鳩山大臣に抗議声明 - 保坂展人のどこどこ日記

「検察が常日ごろ言っていることをそのまま言った」らしいのですが、抗議声明にあるように「警察、検察の犯罪」なのであって、警察・検察による権力の濫用を掣肘すべき立場にあるのであれば、権力の犯罪をあいまいにするこのような態度は許されないでしょう。


「格差」という言葉に潜む競争主義・成長主義への拝跪(3)

自由と平等

普通いわれる平等は、働くときに差別がないことがまず第1。これは自由といっても同じです。人間の形式的な社会的行為能力、つまるところは私有物を売買する資格は、生まれや土地に縛られないってことです。これは、労働する諸個人が生産手段・生活手段から遊離してしまい、労働能力を売らないと生存できない、ということをベースにしてなりたつ形式上の平等です。

次にやはりよくいわれる平等は、機会や結果なんですけど、どっちにしても生産物の分配にかんするもの。実質的な平等の主張です。これは、労働者と使用者との対立点をなすとともに、労働力の保全と再生産を確保するという共同的利害でもありますから、共同的装置による修正を招きます。労働の成果の再分配、分配の修正なしに資本主義は維持できません。

「格差社会」論に潜む肯定的契機

山口・宮本の論文でも、この分配変更について、「政策とは分配の変更をもたらすもの」であり、「労働分野の規制緩和を進めて低賃金労働を可能にすることは、労働者から企業への富の再分配をもたらす。・・・[中略]・・・いわば、強者に対する再分配は改革と賞賛されてきた](41頁)と述べています。たしかにそうです。労働法制の規制緩和は分配の変更ですから、労働者が闘うのも当然です。改革の実態が弱者から強者への分配の変更であったことはあきらか。

新自由主義に対する社会民主主義の定着、政治的態度の対立の軸を二大政党という形で鮮明にすることに期待している山口・宮本からは以下離れることにしますが、労働の低コスト化はもちろん、労働者の協働の成果がますます企業なるものに移転して現れることを意味します。

自由のための改革という美しい文句は、資本の自由のために労働者の自由を抑圧することにほかならない。これは労働者大衆が実際的にすでに知っていることです。「格差社会」論が労働環境の悪化に対する批判であるかぎり、それは、このような労働者の批判の意識を反映しているといえます。

さらにいえば、「格差」を問題視する意識には、他者の幸福こそが自分の幸福の条件である、という人間の社会的存在様式がその根底にあるはずです。

また、この問題視を支えているのは、あたかも自然災害のように個人に襲いかかる社会の動向の犠牲になった人々に対して、全体の力に翻弄されて意図せざる貧困に落ちてしまった人々に対して、救いの手をさしのべることがまさしく共同社会の任務である、とする共同性の自覚でしょう。

共同社会が再分配のしくみを整えていくことは、資本主義が延命するために資本主義自身が取りこんでいく環境です。資本は共同体を同化し、かつ共同体によって規制される。社会保障政策のような再分配のしくみは、孤立しあって疎外された労働する大衆諸個人を、この孤立の枠内で(=資本主義のなかで)、乗り越えようとする試みであり、貫徹できない試みにほかなりません。資本の内側にある労働のその外側で労働者を福祉国家の国民として共同化するという資本主義の運動形態は、自己を分解するのだけれどもそれによってなんとか自己を維持するという、資本が資本から遊離する自己解体的な振舞です。(続く)
by kamiyam_y | 2008-02-19 08:44 | 資本主義System(資本論) | Trackback | Comments(0)
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