さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

人間分断という非人間的状態

あさ旅行代理店に行ってホテルを探したら、23日(金)は横浜東京はどこも満室。連休の行楽日和だったのですね。ちょっとへこむ1日の始まりでした。

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BSNHKで「青い目 茶色い目 教室は目の色で分けられた」(原題 Class was Divided:1985年:制作 WGBH)というドキュメンタリーを昨日たまたま観ました。

エリオット先生は小学三年生に実験的な授業をします。茶色の目の子は優秀だと教師であるエリオット先生が語り、青い目の子には襟巻きをさせて授業を受けさせる、というように、児童に対して教師が目の色をつかって差別的な待遇をします。

驚くべきことに、差別された側の子供たちは、フラストレーションがたまって集中力が落ち、算数の問題を解くのにも時間がかかってしまいます。反対に、優遇された側は、問題を解くのも早い。しかも、「あの子は目の色が青色だからダメなんだ」とか「茶色の目の子は劣っている」というような内容の言葉を発するようになっていくんです。

最後に種明かしをして、児童は実験の意図を理解し、ほっとします。児童は差別に対して心からNoと言い、元通り、元以上に、仲良くなります。この授業で学んだ子供たちは、学力も向上したそうです。もちろん、この授業は子供を傷つける危険性があるので、教師自身もこの授業を受けて理解する必要がある、とエリオット先生は語っています。

リアルだなあと怖かったのは、教室の中に排外的な悪意や憎しみが渦巻いてくる点。大人で同じ授業をしても、青い目、茶色い目などという属性を人間性の目印にする愚かしい分類法が疑われず、決めつけと偏見が生れ、まったく同様な展開になるのがまた衝撃的というか。目の色で差別してしまうのですよ。大の大人が。差別される側も、差別待遇に抵抗しようとする人を見放したり。

非人間的な畜群的な状況になっていくんです。

教師が引いた分断線が、差別社会のミニチュア版を教室に再現したわけです。逆にいえば、この分断線を引くのが国家権力であれば、それは社会規模での排他主義、差別感情の拡大になります。人間が人間の本性に合致した社会をつくりだすことができなければ、人間は非人間的な意識に落とされます。

目の色、皮膚の色、出身地、親の出身地といった属性に違いがあるから差別が生れるのでしょうか。ちがうでしょう。そうした差異は、悪意と排斥の口実にすぎないというべきです。資本主義が先に発展した地域が他の地域に住む人々を奴隷として連れ去った過去をひきついで、資本主義が貧困を再生産しつづけているのであって、差別の再生産の根底にあるのは、目や肌の色への違和感やら、出身地の違いなどではありません。余裕と関心のある方は、マルクスの『賃労働と資本』に「黒人」にかんする文章がありますので、チェックされるといいかもしれません。

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ビックカメラのDVD売り場で『サタデーナイトフィーバー』のパッケージのジョン・トラボルタをしみじみ眺めてしまいました。

ジョン・トラボルタが主人公の母親役で出演している『ヘア・スプレー』を先日観たもので。

ダンスの好きな女の子の話なんですが、差別との闘いをユーモラスかつ痛快に描いていて、面白かったです。
by kamiyam_y | 2007-11-12 21:31 | 民主主義と日本社会 | Comments(0)