さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

協業と機械-スミス『国富論』とマルクスの《資本の生産力》(4)

ザ・ボディショップの創業者がなくなったんですね。『ビッグイシュー日本版』(第81号2007/10/15)の追悼記事(「ビジネスは何のために存在する?それを考えさせてくれた」)で知りました。

って知らない人には分からないでしょうが、ザ・ボディショップは「フェア・トレード」で有名。

フェア・トレードとは、経済的に貧困な地域のためにそこから原材料を「公正な価格」で購入する運動です。公式サイトにも、目立たないところにですが、“SUPPORT COMMUNITY TRADE”とか“DEFEND HUMAN RIGHTS”などと書いてあったりします(ここ)。社会的公正のために起業したわけですから、ザ・ボディショップは、社会的企業・社会企業でもあります。

ちなみに、EUは競争戦略としてフェア・トレード的なものをとりこもうとしています。また、ボディショップを日本で展開しているのは、企業の社会的責任(CSR)においてわりと先進的であったりするイオンの系列です(イオンでバイトしてる学生には優しいといえるかは分からないが)。

この記事によると、ザ・ボディショップが大手化粧品企業ロレアルに買収されたさいに、彼女を批判する人もいたそうです。

まあ、こういう社会運動ですから、巨大企業に吸収されることをよしとしないのは分かります。もっというと、推測ですけど、運動を売り渡したとか、堕落した、とみる人もいるんでしょうね。

でも、こういうみかたは期待の裏返しというべきで、社会企業で社会がすべて変わるかもしれない、という願望があるんでしょう。

もともと企業を利用して運動をしていくわけですから、企業の利潤追求原則に従って巨大企業、巨大資本に飲み込まれることも、ありうべきことですよね。

とすれば、問題は巨大資本をどう見るか、に帰結します。市場が社会的公正に使えるとおもうのなら、巨大資本はどうなのさ、って話です。

社会企業を巨大資本が買うということは、巨大資本のなかに、社会企業と同質のものがあるからです。

それは、社会企業のなかにある資本性でしょうし、巨大資本のなかにある社会性でしょう。つまり、矛盾です。巨大資本のなかにある社会性とは、グローバル企業の公共性といってもいいし、私企業がそもそもグローバルだし、それは労働が本来的にグローバル、普遍的で地球的なものだからです。

で、説明しておくことが多くて、話はやや小難しくなります。前回『国富論』の分業をみましたが、やっと『資本論』の分業です。

分業とは労働の生産力の飛躍でした。

労働の生産力の増大は、資本の増殖の条件です。この条件が同時に、資本主義の前提をくつがえします。つまり、孤立しあう私有という状態をくつがえしていきます。私的諸資本のなかに、社会的労働の生産力がつくりだされるのです。矛盾です。

資本は、より多くの貨幣=剰余価値をめざすなかで、私物であるにもかかわらず、私物でなくなります。公共物になります。というのも、資本は、買った労働力を計画的に連結して使うからです。機械を使えば、機械は個人では使えませんから、労働力を買った側の意思のもとに、労働者の共同作業が、実現してしまいます。

そもそも、剰余価値生産=資本の増殖とは、社会的生産を労働者の手からとりあげることが前提だったわけですが、この社会的生産を発展させることで、資本は増大します。

資本の増大とは社会的生産の増大です。

資本は、労働させること(労働力の消費)によって、労働力に支払ったおかね(可変資本価値)を再生産するだけでなく、剰余価値を生産します。労働力の代金は、労働者の生活必需品価値です。この価値を生んでいる時間を必要労働といい、それをこえる部分を剰余労働というわけです。

剰余価値とは、労働時間の絶対的時間の延長ですから、絶対的剰余価値です。しかし、これには限界がありますから、必要労働時間の短縮によって剰余価値をえることになります。必要労働時間の短縮とは、生活必需品価値が下がることであって、それは、生産力の増大によってもたらされます。生産力が増大すれば、1つ1つの生産物にかけるコストが下がるからです。

しかし、この低下は、「みんな、これから生産力をあげましょう」と社会的合意があって計画的にすすむのではなくて、淘汰されたくないという個々の資本の欲求、増大しようとしないと生きていけないという個々の資本の衝動の結果、意図することなく生じてしまうんです。

同じ商品を生産する資本がいくつもあるとしますね。そのうち、標準的な生産力よりも高い生産力をもつ資本は、他の資本よりも商品単位あたりにかける労働がより少ない。ですから、社会的価値よりも、低い個別的価値でこの商品を生産できることになります。

この差額である特別剰余価値を、生産力の高い資本はえるわけです。他方、劣等な生産条件しかもたない資本は、逆に剰余価値を喪失します。

高い生産条件が一般化すれば、この商品の社会的価値そのものが低下し、こうした低下が、必需品を生産する生産手段部門におよべば、労働力価値の低下につながります。

科学が行き渡るのは、労働が地球の開発といえるくらいに発展することです。資本主義時代がこういう労働の普遍的なありかたを開花させるのは、剰余価値生産の意図せざる結果です。剰余価値生産を実現する剰余価値獲得競争のダイナミズムが、資本主義を労働の生産力の発展の諸世紀として特徴づけます。
by kamiyam_y | 2007-10-29 00:53 | 資本主義System(資本論) | Comments(0)