さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

協業と機械-スミス『国富論』とマルクスの《資本の生産力》(3)

スミス『国富論』の第1章のタイトルは、

「第1編 労働の生産力の改良、および労働の生産物が国民のさまざまな階層のあいだに自然に分配される順序について 第1章 分業について」


です。「労働」が生む「生活の必需品」「便益品」として富をとらえるスミスは、その豊かな供給を支える要因を「熟練、腕前、および判断力」に求め、これと「労働の生産力の最大の改良」を「分業の結果」として描きます。

第1章のピンマニュファクチュアの例を読んでみましょう。

 「1人は針金を引き伸ばし、別の1人はそれをまっすぐにし、3人目はそれを切断し、4人目はそれをとがらせ、5人目は頭をつけるためにその先端をけずる。頭をつけるには2つまたは3つの別々の作業が必要であり、頭をつけるのも独自の仕事であるし、ピンを白く磨くのも別の仕事である。ピンを紙に包むことさえ、それだけで1つの職業なのである。ピンをつくるという重要な仕事が、このようにして、約18の別々の作業に分割されているのであり、・・・・・・。私はこの種の小さな製造所をみたことがあるが、そこでは10人しか雇われておらず、したがってまたそのうちの何人かは2つか3つの別々の作業をしていた。しかし、彼らはきわめて貧しく、したがってまた必要な機械もいいかげんにしか備えていなかったのに、精を出して働いたときには、1日に約12ポンドのピンを自分たちで造ることができた。1ポンドで中型のピンが4000本以上ある。それだからこの10人は、自分たちで1日に4万8000本以上のピンを造ることができたわけである」(水田洋監訳・杉山忠平訳『国富論(1)』岩波文庫、2000年、24-25頁)


作業場内分業がなければ、1人「20本」も、「おそらくは1本のピンも」つくれない。自分の見聞として書いているところがなんか論文というよりルポ的ですが、真偽のほどはおくとして、スミスの驚き、私たちが共有すべき驚きは何でしょう。「10人の作業場では・・・・・・1人あたり、4800本」。0 本から4800本とすれば能力の無限大の拡大ですな。

マルクスは単に労働の生産力ではなく、「社会的労働の生産力」として合成された労働者の力をとらえ、分業に先立って協業の効果を詳しく論じています。それに比べてしまうとスミスの把握は素朴すぎてみえますが、スミスの分業に対する驚きをマルクスに引きつけてとらえかえしてみましょう。

労働においては単なる個人の力の平面的足し算ではない人間の社会的能力がつくられます(ちなみに多人数が直接結合された状態ではなく1人でパソコンに向かう仕事であっても一般的には社会的支出)。そうした社会的力がつくられるのはまずは計画的に協働する協業一般においてであり、さらにマニュファクチュアにおける労働の分割と配分ではいっそう緻密な計画性が求められることになります。

スミスの関心は、といっても計画性にあるのではなく、労働の生産力を高める作用に向けられています。この観察のためにスミスが選ぶのは小さな製造業。スミス曰く、大きな製造業では職人を一カ所に集められず分業がよくみえないんじゃ。生産物を消費される姿に仕上げるためには、素材探し、原材料づくり、場所確保、加工、袋詰め、移動など、じつに多くのプロセスが複雑に絡んでいるわけですが、スミスは製造プロセスをごく少数のブロックに区分できるような小さな作業場を対象とし、たしかにそのおかげでシンプルで印象深い話にまとまったようではあります。

スミスはしかしここで、流通を介した社会的分業と作業場内分業という区別されるべき分業を混同してしまっているようにみえます。しかもそれらを交換の性向という、ブルジョア社会が生み出した個人を無自覚に理念化することで説明しており、別の箇所で分業の弊害を述べてはいても、ここではいたって楽観的、調和的。

現代に生きる私たちは、労働の組織化を調和においてのみとらえこれを誉め称えるということはもはやできません。資本主義的大量生産はその環境破壊的本性をあらわにし、職場の権力は人間を鋳型にはめる強制法則として諸個人を抑圧し、貨幣のための貨幣の飽くなき増殖運動は民主政治を空洞化。社会的分業による人間の解放は実現せず、組織的労働の力は、資本の力として、利潤追求と蓄積を求める他人の所有の力として、労働する諸個人に疎遠な対象の力として、自由を奪う鉄鎖として、労働の牢獄として現れます。

資本主義システムにおいては、労働の社会的生産力の形成は民主的合意による制御の解体として実現します。労働の社会的統一体(1人の全体労働者)の形成は、労働する諸個人の自発的な社会力の支出として実現するのではありません。諸個人はその自然的社会的諸力を他人の力として形成し、自由な人格的ふるまいから脱した力として展開し、それゆえにまたその奪還と制御という、現代を超える社会産出へと駆り立てられざるをえません。スミスの物語空間は、マルクスの矛盾の把握によって止揚されることになります(「経済学批判」)。(続)
by kamiyam_y | 2007-10-27 22:11 | 資本主義System(資本論)