さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

9.29沖縄雑感

民主党が御手洗経団連会長に対して偽装請負を追求する構え。ぜひやってもらいたい。

asahi.com:御手洗会長の招致要求 民主、国会で追及へ 偽装請負 - 政治(http://www.asahi.com/politics/update/1002/TKY200710010403.html)

偽装請負という違法行為に対して厚労省も立ち入り調査と指導を増やしてます。
asahi.com:偽装請負で文書指導、06年度急増2646件 厚労省 - 社会(http://www.asahi.com/national/update/1003/TKY200710030341.html)

御手洗招致は半年以上前から野党が主張してました。参議院を制覇した勢いをもって、野党は力を分散しないで対決してもらいたいものです。
しんぶん赤旗3/31(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-03-01/2007030102_03_0.html)

参議院の首相(民主党:【参院本会議】過半数を獲得で小沢代表が首相指名に)が、前安倍政権のイデオロギーが検定で削ったと実質的に述べています。軍の関与を否定するのは、安倍的「歴史認識」といえるかもしれません。誰がじっさいに検定で削除したのかとは別に、です。イデオロギーのかたちが同じってことです。(誰が削除を求めたのか明らかにしながら、検定問題を論じているのは、世界の片隅でニュースを読む : 教科書改竄の「黒幕」。沖縄戦の学問的通説について 教科書検定の徹底検証を)。

民主党 web-site米軍等への給油は戦争そのもので憲法違反 小沢代表が会見でhttp://www.dpj.or.jp/news/dpjnews.cgi?indication=dp&num=11911



で、11万人はすごいですね。
沖縄県民大会に11万人 「集団自決」削除検定に抗議  | エキサイトニュース
「知恵出す」と文科相 沖縄知事ら検定意見撤回を要請 | エキサイトニュース

沖縄の思い。戦争という国家の巨大な力の前に尊い命を絶つことを余儀なくされた民衆の無念さがいまなお沖縄の人々を動かしている。語り継ぐべきものを隠すことはできない。

日高六郎が、保坂展人(http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/)との対談で、興味深い話を披露しています(「戦後の憲法感覚が問われるとき『世界』10月号」)。

親泊中佐という軍人が、敗戦直後に殉死したさいにしたためた遺書のなかで、大戦中の日本軍による残虐な蛮行を「最大の恥」と記しているのだそうです。遺書では、残虐行為に走った皇軍を皇族軍人が批判していたことも書かれているそうで、この皇族軍人の1人は日高によると、東久邇宮(ひがしくにのみや)。陸軍大将で敗戦直後の総理をした人ですが、パリ留学時代にマルクスのような世界思想に触れ世界について「開眼」したらしい(40頁)。

戦前の日本は、下の方では産業革命を経て資本主義的生産様式が進んでいきながら、上の方では、幕府という政権を暴力で転覆した支配層が封建制的状態から軍事的に(かつ宗教的に)統一国家を形成しようとしていた時期。

この日本の軍事的統一を素晴らしいとは言わないが、親泊中佐や東久邇をこの理念的中枢とみたてるならば、それに対して、強行された戦争の実際の非人間的な現場では、兵士の非人間的行為が暴走していきます。言うまでもなく沖縄における自決用手榴弾配布も親泊の言葉を借りれば「恥」というべき蛮行にほかなりません。

世代を経ると劣化するのは二世・三世の政治家も同じでしょうか。同じ対談で、保坂が、舛添要一から聞いた話として、自民党憲法草案をまとめる際に「“青年将校”がいて大変だった・・・・・・日本帝国憲法に戻せと言う力が強かった」と紹介してます(44頁)。

驚くべき無進歩ぶり、退廃ぶりです。自民党民主党の一部分に教育勅語礼賛的扇動的反応が残っていることはよく知られた事実であるとはいえ、呆れます。歴史は繰り返す、2度目は何とやら、3度目は何とやら、ですね。政治思想の品質劣化です。

国民が権力を縛る現代憲法から、国家が国民に命令する明治憲法へと原理を全面的に逆回転するなんて不可能なのに。生きた個人一人一人の主人公性と人類の同胞精神の宣言を、局地的な転倒した支配体制に戻すことなどできないのに。

敗戦という日本の現代化の端緒(革命)を通過してなお、戦争の愚劣さと野蛮な全体主義を信奉する理由があるのか、謎と言っておきます。これでは、諸国の支配層に正統性を昂揚する契機を与え国際秩序を安定させるという国際協力を意図して演技しているにちがいない、などと妄想したくなる人もいるかもしれませんね(笑)。

幕府崩壊から敗戦までの近代産出のための通過点を通り終えてなお、前近代的国家主義的観念にしがみつく人がいる理由は、どこにあるのか。利権と集票という物質的欲望以外に、また、企業や国家を通さないと自己確認できない倒錯した観念の存在以外に、古い共同性に回帰しようとする戦前美化的国家崇拝が存続しつづけている理由は、謎であると言っておきます。

あるいは、ほんの60年では支配層に巣くっていた古い虚偽意識は精算できず、むしろよくここまで短期間で近代化・現代化したと思うべきなのでしょうか、とも思ったりします。
by kamiyam_y | 2007-10-04 22:34 | 民主主義と日本社会 | Trackback
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