さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

資本を売買する資本4 襲来するファンドと、国内産業資本との対立か

増配要求業や乗っ取り業も、皮相な見解では経営者支配に対する株主原理からの闘争のように描かれましょうが、ちがいます。外資という会社が主体となっているのであって、株主と経営陣の闘争ではなく、国境をまたがっての資本内部の収奪競争です。主体は外資ですらなく、グローバルに展開する資本です。個々の投機的当事者の背後では、マネーという形の資本が活性化することで資本市場のグローバルな形成運動がすすんでいます。

日本の産業資本にとって、海外のマネー資本が自分以上の不作法者にみえるために、それを追い出す必要に駆られて、相互持ち合いを復活させ、安定株主化工作に走ることもありましょう。

まっとうな産業労働を外資の投機のおもちゃにしてはならない、という発言を、産業資本の利害として宣伝することもあるかもしれません。「外資は短期的株価しか指標にしないから激しい賃下をねらう、外資は解雇も厭わない、日本の優れた雇用慣行が破壊される。大変だぞ」というぐあいに。

日本の産業資本の利潤追求とそのおこぼれに群がる人たちが、労働者のための会社防衛を主張することもありえましょう。自分たちもバブル期に投機に血道をあげていた過去を忘れ、いつもは自分の労働者の搾取強化に邁進していることも忘れて、ですね。

産業資本は、遊休貨幣の配分に参加しなければならない、しかし、投機屋たちに翻弄されるのはまっぴらごめんというわけです。葛藤するのであるよ、資本は。

この悩める産業資本が皮相でない思考に対して告知するのは2点です。

第1に、投機マネーによる産業資本からの収奪において、労働からの収奪が透けてしまう点。

《…資本主義的生産様式のなかではまだ多少なりとも正当なものとされている弁明の根拠が、ここでは消滅してしまう》(『資本論』第3部MEGA.Ⅱ/4.2,S.503)


資本がもしも、投機において、産業労働の産物を取得する自己の存在説明を失っている、のだとしたら、それは資本一般においても、産業的生産を行う資本においても、弁明の根拠を失っていることを意味します。他人の労働を、労働によらずして取得するのですから。

そこで労働者は気づくのです。投機的金融資本が産業資本による収奪を促進すること。諸資本が国境を越えて労働法制の弱体化をすすめること。貨幣資本が外から流入してくること自体が1つの必然的な流れであること。そして、日本の産業資本が市場開放の利益を望んでいること。

第2に、投機による不安定さが公共的利益に反すると認知されれば、それに対する規制を資本自らが求めざるを得ない点。翻弄される産業資本は、翻弄を避けるべく、公共的な規制を要求するはずです。
by kamiyam_y | 2007-08-09 22:38 | 現代グローバリゼーション | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://kamiyamay.exblog.jp/tb/6676026
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]