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資本を売買する資本1 会社を売買する投機的マネービジネス

昼から蒸し暑くなりましたね。ビアガーデンもこれくらいなら寒くないでしょうが、私はバーでアジアカップをみてました。疲れるほどの暑さではないのでまあいいかなと。


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「乱用的」ってなんなんだい?

スティールは「乱用的買収者」 防衛策発動が乱発の恐れ | エキサイトニュース

米国のファンドは「乱用的買収者」。ブルドックソースによる買収防衛策の発動は正しい。こう東京高裁は認定したわけです。

「乱用」の基準がこの記事だけだとわかりませんが、「市場関係者」とかいう人たちがファンドの行為一般が「乱用」の範囲内になってしまうのではと不安がっているようです。質的な線引きをできるのかどうか不安になりますよね、確かに。

とりあえずこの記事だけからいいたいことをいっておきます。メーカーは買収防衛の承認をもらい、防衛策をやめろとするファンドの側の仮処分申請の抗告は棄却。

「市場関係者」とかいう人たちは面白くないでしょう。たぶん彼らが欲しているのは、《私利追求こそが公共的なのだ》というお墨付きであり、これを拡げることなのですから。

じっさいここで高裁は、交換価値の差額追求という私的排他的存在の純粋なありかたそのものに対して、私利最優先そのものの純粋な存在形態に対して、制限を加えるべきと主張してます。高裁は、今回の私利追求による転売行為を正当性に欠けるものとして、認定してます。対する会社資産防衛という私的主体の権利を支援してます。

地裁が株主民主主義の手続きを根拠に会社防衛策を支持しただけなのに対し、高裁の判断はたんなる合法性にはとどまらないところに立ち位置をすえているようにみえますね。私利追求そのものは違法ではなく、「乱用的買収者」に対する会社防衛の権利を認めているのですから。2つの権利のぶつかりあいに対して、公益を代表して高裁はこう判断したのでしょう。

あえて拡げてみると、高裁はファンドの私利追求に対して、会社資産の防衛という敵対する私利の側に社会的利益を見いだしています。「乱用的買収」は公共的利益に合致しないのだ、というわけです。

物づくりの会社の側の自己防衛の方に公共的な意義がある、と宣言してます。

とはいえ、市場や私利を否定しているのではなく、私利追求の公共性、市場の正当性を担保するためには、私利追求の純粋な現れは制御しなければならない、という資本の要請を宣言している、ともいえましょう。

高裁の判断に対してあげられている「懸念の声」、グローバル化のなかで脱落してしまう、という不安は、我こそは資本主義の必然的な発展なのだ、と無自覚に語っています。避けられないグローバル化のなかで競争しなければならないという不安。あるいは、これがもたらす私利をじゃまするなという焦り。

この競争信仰は、貨幣資本の日本への流入と、日本企業の買収とが進むことに、自分の私利の実現を見いだす立場です。国境をまたがる企業の分解と再結合に、マネーの移動に社会的利益を見いだすともいえます。この信仰は、剰余価値の再分配、貨幣の再分配、自分の私利の実現のための社会的利益の実現を、他者を収奪する社会的利益の実現を見いだす。対立的な社会的利益の実現を見いだす。

私利こそ社会的という市場主義的弁護論を与える代わりに、高裁は、「乱用的買収者」という言葉によって投資ファンドの存在そのものを脱正当化してしまいました。しかし外資によるM&Aを止めることはできません。高裁は、資本主義の発展を前提にしながら資本主義を批判してるわけです。たんなる合法性の問題を越えた社会意識としての批判といいますか。

(続く)
by kamiyam_y | 2007-07-26 00:34 | 資本主義System(資本論) | Trackback | Comments(0)
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