さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

卒業祝賀会

立食形式の飲み会で、卒業生は着飾って、学生生活最後の時を惜しむように教師を交えて記念撮影してました。人生も、今日という日も一度限りであることを自覚するがゆえに、人は人との結びあいを自分の核心にしていくのだし、写真も撮る。いいことですね。

人は社会に出ることで、陶冶されていきます。たぶん、学生時代というのはいろんな濃密な経験をしますがまだ、自分の根拠から浮いていて、自分のなすべきことを限定していない抽象的な存在です。

学生時代に学んだことの意味は卒業してから初めて了解できるようになります。社会の問題を自分の問題として意識し、自分の問題を地球の反対側に住む人々や未来の人々に連続させて考えることがリアルにできるようになるのも、卒業してからのことでしょう。

それは、自分の個別的な職業のなかで社会と対話することが、学生時代に学んだことを引き出していくはずであるから、というだけではありません。学問を学ぶことが、目先の経験から離れて普遍的な視野を獲得する解放である、ということを、日々自分を仕事ですり減らすなかで実感として分ってくるようになるからです。いったん仕事から解放されて勉強することの意味を、卒業したあとになって知るために、私たちは学業の門をくぐったんですね。
by kamiyam_y | 2007-03-23 18:03 | 学問一般