さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

新国家資本主義

女性は「産む機械」と言ってしまう柳沢厚生労働大臣は、もっとも厚生労働省にふさわしくない人ですから、女性蔑視発現を忘れないためにもずっといすわってもらいましょう。

ここであえて拡げれば、「人材」という言葉も似たり寄ったりですね。

実態として労働力は材料といっしょにモノとして買われ、生産においてモノとして作用してます。労働力は資本の源泉であり、企業にとってのカネの源泉です。労働者にとって、労働力は生活手段を得るためのモノであり、生活手段もまた労働力をつくるためのモノです。

しかし、人が主人公という近代社会の合意をモニターにしてみると、人はモノ=材料ではないので、「人材」という表現は、転倒した表現であり、実態の追認です。

会社の利益に貢献したかどうかで賃金を決められる制度は、労働者を利益(剰余価値)を「産む機械」としてみてますから、もっとみんな怒ったほうがいいのではないかな。

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日経新聞が「国家資本主義」という言葉をつかったのにはびっくり。

日本経済新聞1月18日(木)朝刊一面に掲載された「新国家資本主義の波-ロシア・中国の台頭-下」です。

記事は、中国共産党政権が外資をも自分の統制下において《監視》を《高度化》していることや、国家の強力な後押しで《中国版メジャー》のような巨大資本がグローバル経済のなかで成長していること、《民主化や人権》を押しつけない中国が《アフリカの指導者たちをひきつけている》ことなど伝えています。この中国のモデルが、地球化する資本主義がこれまで成長させてきたルールに縛られずに「国家」を前面に押し出すことで、不安定化の要因をもたらしうる、ということにも記事は触れています。

とりわけ注目すべきは、この記事が、ロシアと中国に対して、「新国家資本主義」という言葉を用いている点です。しかも記事はこの「新国家資本主義」を「成長モデル」として捉えています。

資本に発展しない市場を希うのは愚かなことだ、「社会主義市場経済」なるものはおよそ存在しないのない観念だ、その実態は「国家資本主義」にほかならない、という理解が日経新聞に使われるくらい常識になったのでしょうか。

もちろん、この記事は、「国家資本主義」概念によって、20世紀の「社会主義」をどう把握するかという理論的実践的問題を論じているわけではありません。20世紀社会主義は、マルクスの述べた資本主義の後の「自由な人間社会」ではなかった、自称社会主義は、マルクスが資本主義の分析のなかでつかんだ未来社会の萌芽が資本主義の衣を突破して展開した姿ではなかった、という理論的な話をしているわけではありません。

あるいは、働くことによって人々を支える人々が主人公となる社会をつくる、という革命の理念、社会のタテマエが、働く人々が搾取され、専制的に支配されている、という実態に転回する、という「社会主義的所有」の矛盾(ブルジョア的所有の変種)を論じているわけでもありません。

しかし、この記事は、「国家資本主義」という言葉を用いて、資本蓄積の国家主義的な姿態を論じている。この構えが面白いわけです。中国を資本主義と呼ぶわけですから、現存社会主義はマルクスの社会主義とは似ても似つかぬものだ、と事実上新聞社の常識が主張している。

中国の「成長」の実態は、専制的な共同体(国家)という重たい鎧をかぶって、世界市場における資本の相互実現に参入している資本の運動(資本主義的な生産)でしょう。あるいは資本の世界的連関が生みだしている「成長経済」。

では、「新国家資本主義」のどこが古い「国家資本主義」とくらべて新しいのでしょうか。それは、記事から離れて、一言でいえば、まさしく古い国家資本主義そのものの死を経たという点、すなわち、ソ連・東欧崩壊後だという点であり、旧社会主義崩壊後の大競争における、グローバル資本主義における国家資本主義であるという点でしょう。強力な国家統制モデルをふくんで世界規模で成熟する「最新の資本主義」が、資本主義を分解する諸成分をどのように生みだしていくのか。とりあえず、この国家主義モデルが世界資本に対して与える衝撃は、このモデル自体に跳ね返って解体的に作用する可能性があるとだけ言っておきます。
by kamiyam_y | 2007-02-04 00:59 | 現代グローバリゼーション | Trackback | Comments(0)
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