さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

自己の時間の他人の時間化(1)

相変わらずの搾取ぶりです。厚労省の2日の発表。

厚生労働省:監督指導による賃金不払い残業の是正結果― 平成17年度は約233億円 ―

06年3月末までの1年間で、労基署から、賃金不払残業(所定外労働の割増賃金不払)の是正指導をうけて、100万円以上の支払いをした企業は、1524社。支払われた割増賃金総額は、232億9,500万円。

これは誰の目にも明らかな《自由時間》の窃盗です。

労働する大衆の労働の果実が彼等の所有から離脱するのを、この不払はあまりにも明白に示します。

私たちはここにとどまることなく、所定内労働の内部に、この労働者の所有否定を発見することはできないでしょうか。

労働する時間は労働者のものではなく、その果実も直接には他人の富の増殖にある。結果における所有否定は過程における時間収奪です。

生産の発展は潜在的な自由時間の創出である。にもかかかわらず、なぜ自由時間が自由時間として顕在化しないのか。働く人々の自由時間の潜在的創出がなぜ、競争を介して時間の収奪として実現するのか。

このように問を普遍化してみると、今のシステムの特徴=限界をこうした問題が垣間見せているように思えます。

搾取することが開発すること(Exploitation)です。自由な個人が発展する基礎を潜在的につくりだすことが、労働の自己収奪としてしか成り立たないこと。価値増殖が《文明化》であるということ。このような人間の否定的な自己産出が現代を貫きます。日々の事実のなかのあるものは、このことを告知する現象として選択的に抽出することが可能です。社会をつくりだす変動する時間は隠されてはいません。
by kamiyam_y | 2006-10-02 21:48 | 資本主義System(資本論)