さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

国際主義の存在権利 -「現代」から「要綱」の「基本的矛盾」へ- 3

MONGOL800と10-FEETをiPodに落としたので聴くと、すぐに電池切れ。何時間も充電してるのに。

阿波踊りとエイサーを見ました。エイサーは女性の手踊りの柔らかな線が優美。琉球でソーキソバ食べながら休養したいです。

「黒い太陽」観たら酒井若菜がかわいそすぎて眠れませんでした(笑)。


国際主義の存在権利 -「現代」から「要綱」の「基本的矛盾」へ- 3

国際主義の存在権利-「現代」から「要綱」の「基本的矛盾」へ-
1 「自由な人間社会」の形成は、資本の生きた運動の地球的規模での展開を前提する
  1.1 グローバリゼーションが定義する人間解放
  1.2 矛盾としての世界的労働が定義する人間解放
  1.3 資本による世界的労働の創出とその破壊的現実性
  1.4  20世紀社会主義「国家」と《自由な個人の諸アソシエーション》

1.3 資本による世界的労働の創出とその破壊的現実性

諸個人の国際主義は労働による世界産出によって根拠づけられている。存在の外の規範ではなく、存在する運動として国際主義は存在世界の自覚的な姿である。資本の世界的展開の破壊的現実性と、この破壊性そのものに内在する創造的な意味を確認しておくことが、新世紀を展望する座標軸を形成する。

資本の世界的展開は、市場経済なるものが世界的に拡がった調和的な関連ではない。あくまでも世界的展開は資本の世界的な姿であり、資本が自己の運動を貫く自己形態である。だからそこには資本に内在する不調和が、展開された姿で現出する。地球環境問題、地球労働問題、民主主義と企業世界、など世界の最先端の矛盾は資本の矛盾の噴出なのであり、現代の矛盾は資本の矛盾である。

d「自由貿易が一国の内部に発生させるいっさいの破壊的現象は、もっと巨大な規模で全世界の市場に再現する」(「自由貿易問題についての演説」MEW.Bd.4,S.456)。

e「労働者は……労働価格に対する権利だけを受けとるのであって、この労働の生産物に対する権利も、この労働の生産物につけくわえた価値に対する権利も受けとらない……世界市場の創出……は、労働者を富ませないで、資本を富ませ、従ってただ労働を支配する力を増大させるだけであり、ただ資本の生産力を増大させる」(Gr.,S.227)。

dにいう自由貿易の破壊は、市場原理主義がもたらす自然・社会・人間に対する破壊的現象である。新自由主義的思考の市場信仰は、資本主義の表層として存在する。「自由貿易」にいう「自由」とは、個人の封建社会からの解放という素朴な意味を喪失して、諸資本が外的規制を解体して競争することである。競争とは資本の内面的な法則である剰余価値生産を資本が相互に押しつけあって外的な法則としていること。「自由」が「格差社会」をつくる自由に転換することも当然この転換には含まれている。

eは世界市場が資本の生産力という転倒の展開であることを述べている。この転倒が敵対性の根源にある。労働者は労働力の再生産費用だけを受けとる。労働の産物自体は他者のものであり、自己の対象も、活動も、関係もすべて、他者のものとして独立化している。この独立化は、労働が、自己の対象世界から分離した労働として振舞うことによってたえず現実的である。

労働者と資本家の「自由」で対等な契約が現実の生産として実現するとその帰結は、資本の側での富の増殖と、反対の極での、労働の絶対的貧困、自己の本質的対象から分離しているという絶対的な貧困である。自由は搾取の自由と脱所有の自由とに分裂している。

労働の社会的生産力は非労働の生産力として実現している。世界市場はこの資本の生産力という転倒を維持する条件である。世界市場において資本の内面的な不調和が発現する。

では資本の内面的な矛盾、運動する矛盾とは何であろうか。「普遍的なものを孤立的なものとしていってみれば暴力的に展開する矛盾の運動である」と前回書いたが、よりていねいには、こういえよう。まず資本を成り立たせている賃労働者の労働。

「資本の制限とは……生産諸力、一般的富等々、知識等々をつくりだすが、労働する個人自身が自分を外在化させるという形で、すなわち彼が自分のなかからつくりだした〔こうした普遍的対象〕に対して……他人の富の諸条件に対する様態で関わるという形で現れる、ということなのである」(Gr.,S.439-440)。

自己の労働を他者の労働として実現し、労働の外在化として、対象世界が形成される。労働は疎外において対象を形成する。つくりだした普遍的対象は他人の富の諸条件である。労働は脱所有に帰結する。労働は、自己の客体的諸条件から自己自身が遊離しているという関係を再生産する自己対立的な労働である。これが現代というシステムの中心にある矛盾である。

この矛盾によって現実化している物象の支配は、それ自体矛盾である。

「物象的依存関係は、仮象的には独立した諸個人に自立的に対立する社会的な諸関連にほかならない、すなわち、諸個人自身に対立して自立化した相互的な生産諸関連にほかならない」(Gr.,S.96)。「交換価値においては、人格と人格との社会的関連は物象と物象との1つの社会的関係行為に転化しており……」(Gr.,S.90)。

物象は人格の客体であるが、人格を脱して自立化しているという矛盾を含んでいる。この矛盾は、諸個人の人権と、それに対する正統化されざる力(自立化した経済、自立化した企業世界)との対立こそが、現代をして物象による支配を廃棄するところまですすませる。物象的支配の止揚として解消される矛盾である。

物象の展開は私的労働が社会的労働であるという矛盾によってすすめられると表現できる。商品から資本へ、資本の諸姿態へという価値・使用価値の展開は「交換価値に照応する社会の生産様式にふくまれている基本的矛盾」(Gr.,S.162)である。

資本とは交換価値が自己再生産的に交換価値として現実にあること。現実的な貨幣、他の形を介して過程として存立する貨幣、過程する貨幣である。私たちが賃金として手にする貨幣は、それ自体去っていく物体であって、単なる未来の生活手段(消費するための有用物)にすぎず、過程する貨幣ではなく、私たちの労働力の分割された姿にすぎない。自立的なものとして現れた交換価値は、自身を止揚するところまですすむ矛盾である。

商品生産としての資本主義は、社会的労働が直接には孤立しあう私的諸労働である、という矛盾を含む。この矛盾が資本を展開する。この矛盾からすれば、社会主義(資本主義が生みだす自由な人類社会)は、この矛盾が解消して、個人の労働が社会的媒介によって社会的労働として理性的に(調和的に)実現することである。

私的諸労働は商品が依拠する前提であるが、これは協業を含んで直接に社会的労働を実現する。資本の展開はすべてこの社会的で私的な労働という矛盾に貫かれている。

労働する個人は、自己を支えるべき普遍的な環境をつくりだしていくが、これは他人の所有総体にあるものとしてなのである。この矛盾がシステムの存在の仕方である。この資本の運動において、諸個人は労働の疎外として、人格の疎外として、資本の疎外として、自己の発展を支えるべき普遍的な土台をつくりだしている。このつくりだした土台を自己の土台として諸個人が包摂することが、この疎外の廃棄である。

ここから資本主義時代の「成果」をマルクスが強調する意味が理解できる。

「歴史のブルジョア時代は、新世界の物質的基礎をつくりださなければならない。一方では、人類の相互依存にもとづく世界的交通とこの交通の手段……。……偉大な社会革命が、このブルジョア時代の成果である世界市場と近代的生産力とをわがものとし……」(「イギリスのインド支配の将来の結果」MEW,Bd.9,S.226)。
f「資本主義的生産の主要事実。生産手段の集積……。社会的労働としての労働そのものの組織……。この両面から、資本主義的生産様式は私的所有および私的労働を、なお対立的諸形態においてであるとはいえ、止揚する。世界市場の形成」(D.K.Ⅲ,MEGA,Ⅱ/4・2,S.339)。
「社会的労働の生産力の発展が、資本の歴史的な使命であり、存在権利(Berechtigung正当性・存在理由)である」(D.K,Ⅲ,MEGA,Ⅱ/4.2,S.333)。「資本は……生産諸力の普遍的な発展につとめ……新生産様式の前提となる」(Gr.,S.438)。
「生産諸力が土台として、この形態の傾向と可能性から見て、一般的に発展すること、同じくまた、土台としての交通の普遍性、それゆえ世界市場」(Gr.,S.440)。

これらの引用はすべて、資本の否定的な運動が生みだす肯定的な産物が、労働の社会的諸力の形成であり、世界的な交通にあることを述べている。「新世界の物質的基礎」は資本主義時代が産出する。資本は、私的労働と私的所有という自己の前提を、直接に社会的労働において実現する矛盾した運動である(f)。矛盾の展開が矛盾の成果をつくりだす。

この「資本の使命=労働の社会的生産力の発展」論は、物象的依存関係=世界市場を通じた科学の発展、欲求の開発、人間の社会的発展、偏見の解体、文明化作用、といった議論としても理解できる。

「諸物の新たな有用的属性を発見するための全自然の探究……地球の全面的な探究、したがって自然科学の最高度までの発展。……社会的人間のあらゆる属性の開発と、可能なかぎり豊富な属性・連関をもつがゆえに可能なかぎり豊富な欲求をもつものとしての、社会的人間の生産……これも同様に、資本にもとづく生産の条件なのである」(Gr.,S.321-322)。

「資本がはじめて……社会の成員による自然および社会的関連それ自体の普遍的取得を、つくりだすのである。ここから資本の偉大な文明化作用が生じ……資本は、このような自己の傾向に従って、……もろもろの民族的な制限および偏見を乗り越え、既存の諸欲求の、一定の限界内に自足的に閉じこめられていた、伝来の充足と、古い生活様式の再生産とを乗り越えて突き進む。資本は、これらいっさいに対して破壊的であり、たえず革命をもたらすものであり、生産諸力の発展、諸欲求の拡大、生産の多様性、自然諸力と精神諸力の開発利用ならびに交換を妨げるような、いっさいの制限を取り払っていくものである」(Gr.,S.322)。「個人の普遍的発展」(Gr.,S.440)。

まさにマルクスがここで生き生きと描いているこの資本のつくりだす普遍的な関連こそが、物象的依存関係の時代を超えて、より高い人格的な諸関係による生産の包摂が実現していくための大前提なのである。

マルクスの自由な諸個人のアソシエーション(社会主義)は、諸個人と彼等の普遍的諸力とが社会的に媒介された調和的システムであって、資本主義が潜在的に生みだすものを顕在化することにほかならない。けっして、資本主義の外側に存在するとか、理論の前提としてあるユートピアとして構想される、といったものではないのである。(続く)
by kamiyam_y | 2006-09-09 23:22 | 資本主義System(資本論)