さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

情報化と労働

ワインを勉強中の人から「神の雫(モ-ニングKC)」 (オキモトシュウ/亜樹直、講談社)が役立つと言われました。ワシにはワインはまだまだ分からないのだが、読んでみっかな。


情報化と労働

「この社会的労働の発展の現代的局面がまさに《情報化》であり、《知識資本主義》にほかなりません」とさっき書いたことに補足。

「脱工業化社会である情報化社会の夢とて、マルクスが見た工業化社会の夢とほとんど変わらない」

と佐藤卓己が書いています(『メディア社会』岩波新書、2006年、18頁)。

社会システムの原理として、工業化と情報化との間には断絶はなく、情報化は工業化を徹した姿です。工業化は知識を資本のインフラとすることですし、孤立した労働を、社会的に交通する諸個人の労働に変えていくことですから。

情報化を工業化との断絶において捉えるのが正しいのではなく、資本主義的工業化が、資本主義の前提である孤立した労働を否定するという否定性において、情報化も捉えていくことが正しい。資本主義は世界化することによって脱資本主義を内包する。情報化は完成した脱資本主義でもなければ、資本主義の段階でもなく、独占資本の支配の道具一般でもない。

「知識社会は資本主義的形態での労働の社会化のおそらくは最終段階である」(山口正之『社会主義の崩壊と資本主義のゆくえ』大月書店、1996年、353頁)。

資本主義の自己否定的自己実現において「知識社会」は着目すべき現象というべきでしょう。それは直接的生産過程における直接的な労働からの諸個人の解放を含むとともに、その実現の姿は、資本の生産力として、新たな労働災害(「メンタル」崩壊系)の増大という形で現れています。産業革命が労働災害をもたらし、社会による制御を発展させてきた歴史が、資本主義の最高度の発展においても再現します。
by kamiyam_y | 2006-08-26 00:01 | 資本主義System(資本論)