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「格差」のグローバリゼーション

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<自民総裁選>ポスト小泉が政策論戦 東京ブロック大会で [ 07月28日 22時07分 ]
 ……パネルディスカッションには安倍晋三官房長官、谷垣禎一財務相、与謝野馨金融・経済財政担当相が参加し、マレーシアを訪問中の麻生太郎外相もビデオで出演。安倍氏は憲法改正を主張、谷垣氏は格差是正を唱え、麻生氏は高齢者層との共生を訴えるなど、「ポスト小泉」候補が政策論議を展開した。……【宮下正己】


安倍の支持率が高いといってもそれは、政策的主張に対しての支持ではなく、メディアへの露出度と露出の仕方によって規定されている部分が大きいんじゃなかろうか。占領下で押しつけられた憲法と教基法を変えよという安倍の主張は政策ではなく、イデオロギーないし信心にすぎませんから、それを支持する人がたくさんいるとは、日本社会の成熟を考慮すれば、にわかには信じがたい。もしかすると、穏やかな顔して心の中はタカ派という人が増えているのかもしれませんけど。

支持率も、例えば、政策だけ示して、名前抜きで調査したり、顔写真を入れかえたり、いろいろ実験したら面白い結果が出るんじゃないでしょうか。

主張だけ見れば、どうみても、格差是正と不参拝という谷垣の方がまともです。派閥のため、閣僚に残るためといった個別利害は無視して、また、今までいっていたことや、小泉政権へ反省はないのかといった点も無視しての話ですけど。

総裁選という目先の話から離れて、「格差」について、興味深いデータを見たので若干。Amartya Sen, DEVELOPMENT AS FREEDOM(Mew York:Anchor Books,2000,p.22)に男性の生存率のグラフがあるんですが、中国やインドの平均よりも、合衆国の低所得者層(アフリカ系)の方が、年齢別の生存者の割合が低いんですよ。単純に所得で平均化すればもちろん合衆国は中国よりはるかに豊かなのですが、指標を変えてみると異なる現実が見えてきます。

以下はまったくセンとは関係ない話です。センを解説してる人はたくさんいますし、私はざっと目を通す以外に読んだことはありません。

グローバリゼーションは複合的な出来事です。グローバリゼーションとは、マネーの地球規模での転送、企業の超国籍的な展開、アメリカ的ルールや競争主義(「勝ち組」賛美主義!)のグローバリゼーションであるとともに、国際労働基準の制定であったり、人権のグローバリゼーションであったりもします。あるいは、一国福祉国家に対して解体的な作用を及ぼすとともに、「民営化」の過程には、私的交換経済であった領域に公共的なものを移転し、私企業に公共的責任を移転するという面もあります。公共的なものの私的簒奪ももちろんそれとからんでいるわけですが。

当然グローバリゼーションは、資本主義の対立的な作用のグローバリゼーションでもあり、そのなかには、環境破壊が含まれるだけではなく、地域や共同的なものの解体、諸個人の孤立、いってみれば、「格差」のグローバリゼーションも含まれています。

すでに南南問題がいわれて久しく、北対南という図式が有効である範囲も狭まっています。北の内部に南が入り込み、南に北が入り込んでいます。

先進国内部の資本主義の問題と、国際的な問題とがますます同じ視点でつかむことが現実に可能となっている時代です。

医療に対するアクセスや健康の維持をはじめとして、先進国内部に格差があり、途上国と先進国との間にも格差があります。途上国内部でも、多国籍企業の展開の恩恵に浴する人々がいると同時に、そこから排除され、学校教育からも医療からも排除された貧困層が膨大に存在します。「貧困の蓄積」も「難民」も、途上国が独自に解決すべき途上国の問題なのではありません。

なにしろカトリーナの犠牲者は1000人超えているんですからね。
asahi.com: ハリケーン「カトリーナ」、死者1000人超す-米ハリケーン被害
合衆国の内部がグローバルな格差を体現しているというべきしょう。

人間の等しい権利が、社会の断片化を、格差を照らし出しますが、これは単なる分配や規範の問題ではありません。分配は分配として独立して解決できるものではなく、生産性の配当という主題は、生産に属する問題であり、生産過程の自覚的運営の問題です。

人間の権利のためには「持続可能」な社会を創造し継承していかねばならず、「成長のための成長」を放置しつづけるわけにはいきません。人間の発展(開発development)を支える持続可能性とは、発展の基軸を、前世紀的な成長主義から、生産の自覚的なモメントに転換することです。国際社会のこの合意において、穏健であることがもっとも革命的であるような地平を、単純な反資本主義論も、市場原理主義も、理性への不信も乗り越えているような社会形成の地平を、垣間見ることができます。人間の断片化によって進む発展から、自覚的な発展に転回することが「持続可能性」の意味です。

蛇足。米国追随路線に付随している復古的な言説は、グローバリゼーションがひきおこす共同幻想にすぎません。新世紀は、国益よりも人権が普遍的であり、地域的共同体(国家)に対して人権がグローバルな基準となる時代です。それは、国益を地球規模での生産関係が規制している時代であり、グローバルな依存関係が本格的に形成される時代です。だからこそ、排外主義や、民族主義、歴史修正主義、復古主義といった襤褸を纏った言説や、それによって大衆の貧困を掻き集めるファシズム的な統合/イデオロギー的な収奪がいたる地域で出てくるのだ、と考えられますけれど・・・地球的な社会への陶冶のプロセスがまだ始まったばかりだとしたら、この先、こんな憎しみへの統合がまだまだ噴出してくるのでしょうか。
by kamiyam_y | 2006-08-02 17:41 | 現代グローバリゼーション | Trackback | Comments(0)
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