さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

International Civilized People versus Uncivilized Prime Minister

道立近代美術館の特別展観てきました。戦前の日本と朝鮮の美術交流がテーマです。

北海中学美術部「団栗会」の創設メンバーであった佐藤九二男という美術家、はじめて知りました。北海美術部は今でもちゃんと続いています。

気に入ったのは、李惟台(이유태 Lee Yoo-Tae)「探究」という作品。民族服の上に白衣を着た自然科学研究者の女性を描いたものです。この人の「和音」という作品も展示されてますが、修復して綺麗になってるんですね。国立現代美術館 -韓国画

今開催中のオータムフェストって、ビヤガーデンよりも客の回転がいいらしい。静かな秋空を見上げて、立ち飲みでワインを飲むため。今年は行くか分らんですけど。

先週、弁護士会と大学教員による駅前署名活動に参加してきました。大学教員は、北海学園が一番多く来てました。今日は「安保関連法案に反対するママの会@北海道」のデモに行きたかったんですが、参加者から話を聞けたのでいいや。

北星は教職員有志だけでなく、法人も声明を出しました。声明にあるように安保法案の押しつけ、無理押しは、「憲法と民主主義」の「危機」です。
安保法案:北星学園が批判する声明 広報に掲載 - 毎日新聞

あらためて、9条を読めば、安保法案が違憲であることは明快。
第9条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
話は単純です。自民党・公明党が違憲法案を出してきたから、引っ込めろ、バカ、ってことです。

憲法学者全員が違憲って言ったら、違憲に決っているにもかかわらず、つべこべ言い訳して押し通そうとしているために、権力にしがみついている野蛮人という本性を自ら露呈してしまった反知性主義者の集団、法にもとづく統治のなかに法にもとづかない統治を拡大しようとする病原体が安倍自民公明党政権。


「集団的自衛権」行使とは、端的にいえば、日本が武力攻撃を受けていないのに、米軍に自衛隊を提供することですから、明白な憲法違反であり、日本国民の命を守るのではなく、より危険にさらすことを意味します*1。そもそも集団的自衛権は概念として成立しませんし、あらゆる侵略戦争が「自衛」と称して行われてきたのは誰もが知る歴史の事実。米国の大義なき戦争の当事者になることが自衛のわけがありません。隣国からの脅威が高まったというありふれた脅し(日米中の経済的依存が深まっている世界で東アジアの国家間戦争が勃発することはない)も、「集団的自衛権」とは何の関係もなく、「集団的自衛権」は国際貢献も関係ない。日本とアジアの平和的経済発展を支えてきた、日本の防衛上の・国際貢献*2上の最大の武器である9条を、安倍は堂々と議論して替えることが不可能なので、9条が集団的自衛権を認めているというウソをつくほかなくなってしまったわけです。

第98条  この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない

安保関連法改悪部分は憲法上無効。「違憲立法は国政選挙を何度重ねても、永久に違憲のまま」(小西洋之『日本を戦争をする国にしてはいけない』WAVE出版、84頁)

第99条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ

自由な商品生産にとって、個人に疎遠で個人を抑圧する共同体は、障害物です。資本制的生産は、商品という大前提の普遍化において、絶対王政を破壊し、人民を政治的に解放することによって、はじめて自らを現実世界の支配的要因として解放します。人民諸個人のみを国家権力の根拠とみなす、ジョン・ロックに表現された、人民主権(主権在民/国民主権)は、当然立憲主義Constitutionalismと一体です。諸個人が社会の構成Constitution(憲法)の実体であり、彼等の共同性の対象化・実在化としての国権は彼等諸個人の制御のもとにおかれねばなりません。為政者に従わせる規範が憲法典なのです。

ですから、安保関連法案が憲法違反であるだけではありません。違憲法案を合憲とウソをついて通そうとする政治家はそれ自体違憲的存在、不当な存在です。違憲立法を通そうとする自民・公明議員、国家主義宗教右翼内閣*3安倍以下*4は、永久に、違憲のブタ、違憲野郎と蔑まれるべきであり、侮蔑の対象として永久に罵倒されつづけるべきです*5

憲法の修正も人民に由来する以外にないのであって、為政者の勝手な判断で変えようとするのは、クーデターです。この記事の見出しにならって「ハイジャック」といってもいいです。

昨年7月1日の閣議決定は、ゆえに、正しく、クーデターと呼ばれます。

昭和47年答弁が集団的自衛権を主張していたとする横畠内閣法制局長官=安倍のクソのトンデモ大発見については、民主党の小西洋行が追及しています。
国会も集団的自衛権の行使が違憲である確認をずっとしつづけており、政府も同じであって、安倍自身も官房長官の時にそのような答弁をしている(69-70頁)というのですから、安倍は嘘つきか、バカか、その両方でしょう。

こちらは、昨年7月に出版されていますが、読んでおきたい。

新しいものとしては、これが便利。

自民党支持者でも狡猾で卑怯な裏口改憲は批判するはず。安倍の地元で、反安保法案の集会に多くが集まったそうです。

身分制の亡霊は宮中を夢見て、庶民から離れた疎遠な共同性「殿上」に昇天してしまったようです。

世襲政治家が総理をしていること自体、特定の「家」を共同性の媒体とする古い社会の、封建社会にあったモメントの残存であり、大きくいえば、土地所有が人を支配する前近代の物象的世界の古い道具立てを、資本制的生産が日本において成立/展開するなかで受け継いで再利用しただけのことにすぎません。おそらく、このちっぽけな道具にすぎない大将の頭のなかでは、転倒しているのは、安保法制を「理解」できない無知な人民であり、まともな感性も、悟性も、論理も、理性も、恐怖の対象です。人民の同意が得られないのは、人民が非現実だからであり、自分こそが正しい未来の実存だとみなす倒錯。「第1次世界大戦の敗北によって、ドイツは民主主義を押しつけられ、ユダヤ人とマルクス主義者が牛耳る偽の世界となった」とするナチスの反ヴァイマルイデオロギーと安倍の反戦後民主主義のイデオロギー=「戦後レジームからの脱却」という反動スローガン(戦前の天皇制ファシズム・天皇制絶対主義・天皇制軍事体制の亡霊の叫び*6)は相似形を描いていますが、しかし、現代日本で安倍が導き出したのは、Occupy Wall Streetに連なるインターナショナルな個人の覚醒であり、安倍を乗り越えようとする人々の闘いという安倍的世界の止揚の運動にほかなりません。「人権、民主主義は西洋の価値観であり、それが日本をダメにした」というような妄想にとらわれたタリバンもどきの反動家どもの汚れたアイコンにすぎないアベ将軍の没落とともに、日本社会に民主主義の新たな芽が美しく伸びはじめたと後世の人々は記憶するにちがいありません。

*1 「密接な関係にある他国」(改悪「自衛隊法」案第76条二)は米国を念頭においています。自民党やメディアは平気で「日米同盟」なんて言葉を使うようになりましたが、法律上日米軍事同盟はないことになっているので、法律には書けません。それで、こんな表現を用いるので、「密接な国って何よ」、バニラ豆の輸入先であるマダガスカルか、日本人が憧れるブータンかってつっこめるわけです。文章だけ読めば、日本の最大の貿易相手国である中国でも、力士の故郷モンゴルでも、隣の親友韓国でも、何とでも読めます。ま、バニラが食えなくても「明白な危険」じゃないですけど。だいたい「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」(改悪「自衛隊法」案第76条二)なんて曖昧すぎ。海外で何があっても根底からなんて覆されないです。強引に合憲とみせかけるために無理を重ねたクズ法案。集団的自衛権は違憲というその1点ですべて丸ごと葬り去ればいいのです。
*2 貢献とは、企業の社会的責任に見られるように、その公共性を証すことです。現代世界の展開原理である建前と実態の分離は、国家と多国籍企業の関係に現れますが、国連と多国籍軍の関係にも再現するといってよく、いずれにせよ、実体的な公共性を人民が管理することが現代の課題です。
*4 安倍のもとにその力を疎外している自民党議員において、安倍に具現する安倍的本性が存在しています。
*5 デモのコールを「ヘイト」と呼んで笑いものとなった産経新聞産経新聞に「ヘイトスピーチ」の意味を理解する能力は無いことが判明、国会前デモをデマで攻撃も | BUZZAP!(バザップ!)産経新聞のSEALDs嘲笑記事に批判殺到「産経はバカ以前のチラシ以下」と津田大介氏 - NAVER まとめ)が犬の糞拭き紙にもならないクソペーパーであり、その口まねをするゼロリテラシーのオウムじじいどもが終っていることは、まともな人間には明らかなことです。中立ぶって実際にはこういう連中と同じことしているのに自覚できないやつ、反省できないやつも、消えるべき存在です。最表層しかとらえられないことを反省できない社会的雑音。理論と理知と、真摯な思惟と正しい思考は、デモという直接性において自由に感性的な姿をとるのであり、人民諸個人が為政者という自らの公共物をボロクソにいうこと、あるいは為政者という自らの公共物が自らの公共物ではない偽の公共物と化しているためにこれをボロクソにこきおろすことは、自己の矛盾の解消であり、正しい権利の行使です。権力者に対してはあらゆる批判の表現が解放されるべきであって、民主主義社会の主権者たるものは、この表現の自粛を要請することがどんなに危険か理解しなければなりません。正しい怒りを表出するところにこそ(私たちの民主主義的)理性が実在するのです。
*6 神道政治連盟という右翼集団のサイトを見ると、自民党議員の多くがその応援部隊ですhttp://www.sinseiren.org/ouenshiteimasu/ouensimasu.htm)。ちなみに、最新ニュース」という頁がすべて「バカ以前のチラシ以下」(津田大介、津田大介(@tsuda)さん | Twitter)の切り抜きなのが笑えます。日本の政治は大きく資本主義の発展度合いに規定されていますから、自民党の政策のすべてを復古主義と位置づける必要がないのは知性のあるあらゆる人が理解していることですし、個々の議員としては議席という直接的物質的利害のために名前を出しているだけという人もいるかもしれませんが、これを見れば、自民党議員の頭のなかは戦前で、自民党も石橋湛山のようなリベラルな流れが絶えバカウヨクラスタ、バカウヨの塊に落ちぶれたと痛感させられます(これを支える公明党も反戦よりも物質的利害をとった堕落分子)。どうりで民主主義が理解できないわけです。また、幕藩体制を崩壊させて成立した軍事的体制の軸としてつくられた国家神道のヒエラルキーなんて、日本の伝統でも何でもないことは、高校の社会科をちゃんと勉強した人なら、誰でも知っていることです。





by kamiyam_y | 2015-09-13 23:48 | 民主主義と日本社会