さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

Right to live in Peace

イスラエル/被占領パレスチナ地域/パレスチナ自治政府:ガザでの持続的停戦の鍵は3つの基本的人権 : アムネスティ日本 AMNESTY

つねに人権に立ち戻ることが社会づくりには欠かせません。人権は社会システムの産出過程の途上の最後である現システムにおける公認の原理であり、非公認の公認の原理である(資本のもとでの)社会的生産過程との対立において社会づくりの最大の武器として機能します。人権と民主主義の社会的現実(生産過程)への貫徹以外の選択肢を示すことは誰にもできないはず。

労働問題は諸個人の人権の深化であるし、平和の獲得もまた人権を原理にすることが重要であると思います。

土地所有を変革し賃労働を包摂する資本の成立(本源的蓄積)は、労働する諸個人が「二重の意味で自由な労働者」という規定を受け取ることでした。二重の意味で自由とは、1つは法的な自由人、自由な人格としての自由、もう1つは生産諸手段からの自由、すなわち自己の対象的世界の完成した喪失でした。自己の対象もそれにかかわる自己も、かかわることもすべて非自己。「疎外された労働論」をマルクスは物象化論に進化したので捨てたとか、物象化が疎外された労働よりも根本であって物象化によって疎外された労働が起きるとか、自分の頭のよさを示すそうとするためのくだらない解釈です。法的に自由な人格は、資本主義的社会の個別的な主体の形態であり、これに疎遠に社会的生産という彼らの普遍性が形成されていきます。自由な諸個人と、資本の生産力としての社会的労働の生産力との疎外された統一が資本主義的社会ですから、諸個人の社会的行為能力と実態としての社会的生産力の行為とが矛盾することが、「ブルジョア社会の自己批判」として現代を特徴づけています。

人格的自由を単なる物象の仮面にすぎないと単純化しないことが大切。現代において労働者を軸とする発展した人権主体がブルジョア社会を乗り越えて社会的な生産を包摂することが変革。

商品が商品所持者に対してじつは能動的であることは、資本において資本家という生きた人格に対しても資本が自立的に現われるというように発展します(現代株式会社現象)

マルクスが「ブルジョア民主主義」という言葉を用いているのは、『要綱』での次の1カ所(MEGA,Ⅱ/1.1, S.164-165)

単純につかまれた貨幣諸関係のなかでは、ブルジョア社会の内在的対立がすべて消し去られたようにみえ、またこの面からして、ブルジョア経済学者によって現存の経済的諸関係を弁護するための逃げ場とされる以上に(かれらはこのばあい少なくとも首尾一貫していて、交換価値と交換という、貨幣関係以上に単純な関係にさかのぼる)、ブルジョア民主主義によって、この貨幣関係がふたたび逃げ場に使われる。(資本論草稿集翻訳委員会訳『マルクス 資本論草稿集』①、大月書店)


単純流通は、等価交換として「平等」という法的規定を生み、異なる使用価値を得る「自由」の観念も、私的利害の追求という人間を手段とする転倒的な目的意識とともに、もたらします。資本主義的社会が諸個人に現存の生産の対立性を忘れさせるのは、そこでは、社会的な流れと拡がりから切り離されたものとして交換の諸観念が現れるからです。これをブルジョア的限界とみるのであって、民主主義一般をあざ笑うことは「ブルジョア民主主義」の裏返しにすぎず、社会変革の原動力には断じてなりえません。「人権」を人権派とか戦後民主主義などと揶揄する左派の一部は、まさにブルジョア的限界にとどまるのであって保守派と同質です。人権と民主主義の徹底という路線を認めない左派なるものは、ポル・ポトからソ連までの20世紀の自称社会主義の人権抑圧的専制諸国家を批判する資格はまったくなしと考えます。
by kamiyam_y | 2014-09-04 04:42 | 資本主義System(資本論)