さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

商品と貨幣と資本 ごく簡単に

商品論的世界は、近代社会の基本構図です。資本主義の大前提です。

講義のレジュメに入れた図を2つアップしておきます。

テキストやレジュメがないと理解しにくいかもしれませんが、ポイントだけ指摘しておきます。

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1 商品

商品論は難解です。マルクス自身はじめが一番難しいとか、価値形態論だけは資本論のなかで難しいとか、述べてます。具体的現象だと分かった気になりやすいですが、基本的要素の研究は難しいです。

近代社会の大きな枠組として、商品論をイメージすればわかりやすいように思います。

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資本主義社会は、まず、商品交換のシステムとしてあらわれる。

それ以前の社会は、村落やら王権やらといった自然発生的な共同体によって、個人個人の労働がそのまま共同体全体の労働の一部分だった。個人が土地に縛られ、職業も固定化されている状態は、自然発生的な共同体という形をとった生産のシステムである。

これに対して、近代社会は、商品交換を介して、個人個人の労働が社会全体の労働の一部分としての意味を実現する。ここでは、労働はまったく孤立的である。つまり、同じ共同労働のなかに組織されていない。他の労働とのつながりはない。
労働は、自分のためだけに行なわれる。と同時に、この労働(私的労働)は、他人の消費を当て込んで、他人向けの「使用価値」として生産物を生産する。「使用価値」とは、五感で感じとれる自然な現物形態としてある有用性だ。自然物を変化させる目的的な労働の産物。
同時に、この労働は、生産物を「交換価値」として生産する。生産者は、「交換価値」が等しい他の生産物を得るために、生産する。たとえば、小麦1俵は、毛皮3枚と交換できる、という「交換価値」があるとすれば、それは、両者に同じ量の価値が含まれていることを意味する。
異なる労働の産物なのに、2つの生産物は、ここでまったく同じものでしかない。ということは、異なる労働もじつは、ここでは、同じものとして妥当している。同じ労働の産物として、両者は交換されうる。
使用価値をつくる側面を具体的労働と呼び、価値をつくる側面を抽象的労働という。価値とは、対象化された抽象的労働だ。

資本主義社会では、富(労働生産物)は、商品大量という形をとっている。この商品こそが、資本主義の本質的な要素である。ちょうど、生命体が、環境の諸元素を吸い込み、吐き出しながら、1つの循環運動をなしているように、資本は、商品を吸い込み、それを吐き出しながら、1つの運動体だ。資本は、形を変えながら生き延びる商品価値だ。それは、自己増殖する価値として、商品価値という形をとった労働の関係が独立化したものだ。
大量生産されている商品1つ1つが、生きた細胞であり、資本はそれらをまとめる循環といってもいい。
商品1つ1つが、「私的労働」の社会的側面を担う一種の運動体である。
たまたま値段がついたようなものではなく、一物一価で大量生産されている商品の1つが「平均見本」として出発点になる。

2 貨幣

現代は管理通貨制度が発展し、不換銀行券が流通しているから、「金」貨幣といわれるとぴんとこないかもしれない。しかし、貨幣は独特の商品「金」として発生したことを理解することが、現代経済において、労働する個人が犠牲になりながら資本が増殖する転倒を解き明かすための鍵になる。また、「管理」が密輸入されている現代の市場経済においても、貨幣の諸機能は貨幣の諸機能として妥当している。

2・1 貨幣はどのように生まれたのか(価値形態論) 商品の価値形態の完成として

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ⅹ量のa商品がふくむ価値は、他のb商品y量で示される。これを、a商品の価値形態もしくはa商品の交換価値とよぶ。a商品の価値を、b商品の使用価値量が表す。a商品は直接には使用価値であり、b商品はA商品の価値を示す等価物として妥当する。

この価値形態の発展によって、貨幣が生み出された。貨幣とは、一般的等価物の役目を独占した商品であり、他のどんな商品の価値をも表す。過去の労働の一般的な代表で、対象化された抽象的労働が独立した姿である。

2.2 貨幣はなぜ生まれたのか(物神性論) 私的諸労働の媒介として

(1) 私的労働がその社会的性格を貨幣の力にするから。〈私的諸労働〉の社会的労働としての性質が、商品価値にもとづく商品交換によって、実現している。
(2) 生産関係の物象化のため。諸労働の人格としてのつながりは、私的労働では否定されている。私的諸主体の私的諸労働をむすぶ生産関係は、人格的関係から分離して、商品という物象(物件)の関係として妥当している。人と人との生産の関係は、人ではない物象の関係(無政府的関係)に転換される。
(3) 物神崇拝として。自分たちの生みだした生産関係なのに、それをモノに備わる力として、商品所持者が崇拝する。これをフェティシズムとか、物神崇拝という。商品・貨幣の転倒した力を、人の知覚は、物そのものに生まれながらにして備わる力として、神秘化して受容する。
(4) 商品生産システムにおける転換構造。人の感覚と、労働の世界・物象の関係とが分離している。この主客分離は独自の統一である。商品の側に、価値と他人のための使用価値を実現するために交換必然性があり、商品が人間を動かし、人間を自分の姿にするという裏世界(客体)における一致がある。他方、人は、モノの力を崇拝するという表の世界における一致がある。

2・3 貨幣は何によって生まれたのか(交換過程論)

酒の生産者は、毛皮を欲求し、毛皮の生産者は塩を欲求し……というように、全面的な交換は実現しようとすると困難に陥る。これを解くのが、一般的等価物としての金を実際に使うことである。同価値の金といったん交換することで、この直接的交換可能性である金で、特定のものを手に入れればよい。

2・4 自由な私的所有(相互承認)と物象の人格化

近代社会は、理念的には自由な市民の契約であり、実態的には無政府的生産である。市民社会と経済法則の分離が特徴である。

商品交換においては、生産物を交換する者は、その私的所有者として認められなければならない。交換において、商品所持者はお互いを「自由な私的所有者」として相互承認する。人は、ここで、形式的に自由な法的人格である。近代の「人権」主体としての自由な個人もここに根拠がある。

商品交換の圏域では、交換される生産物は、交換者の自分の労働の産物として妥当する。交換者は、自分の労働の産物と同じ価値の産物を交換によって手に入れる。与えるがゆえに頂く「等価交換」以外は認められない。

契約は従うべき法であり、人々は「自覚的」な社会的主体である。

【補論:近代システムの構図としての商品論的世界】

社会的生産の物象的(無政府性的)発展と、それを制御すべき「人権」との対抗関係に、未来をきりひらく現代の発展の基本線・途が潜んでいる。この対抗関係の客体と主体を、資本主義の基本的な対抗軸を定義するのが、商品論的な世界である。客体は独立化した社会的生産である貨幣の力であり、主体は、「人権」主体としてあらわれる、社会の実体となった個人、自由な個人である。


2・5 貨幣そのものの3形態(価値尺度・流通手段・貨幣としての貨幣)

A 価値尺度。
 表象された金の量という形で、貨幣は、諸商品の一般的な価値の基準として働く。金が実体として存在しているだけ。計算の単位として役立つ。
金の量で示された商品価値を「価格」という。

価格という現象から、われわれは、類推して、価格をつけるから物が商品になる、と思いこむ。逆様である。

また、「価格」は価値からずれる。需給関係により価格がきまるという私たちの常識も、価値を説明するものではなく、価格の変動を説明するだけだ。

B  流通手段。
貨幣は、第二に流通を媒介する流通手段。実際の金でなくても、流通手段として形だけとればいい。一時的な金なので、無価値物に置換えられる。秤量貨幣として実際に計られた金ではなく、安い金属に、そして紙に置き換えられる。
実体を欠く、価値の標章として、売買を仲立ちする。

C 貨幣としての貨幣。
貨幣は、実体的な価値として実際に独立化する。ひらた~くいえば、使用価値を離れて、価値を保存しているもの。
貨幣が、過程の目的、過程の結果として、そこに存在する。ここでは、諸商品の価値の姿が独立しており、貨幣は、富一般の代表、過去の労働の代表である。

(1) 蓄蔵貨幣が果す諸機能において貨幣は目的。流通の結果、その外で貯められる。
かつては王侯が財宝を貯めた。今は銀行だが。商品を買うための準備金などとして役立つ。
(2) 支払手段。掛け売買において、最後に支払われる貨幣は、まさに価値そのものの代表として、過程を終了させる。
(3) 世界貨幣。
国際的な差額決済や、国際的購買手段は、過程の終りにくる価値そのものである。価値の単位でも、一時的な価値の代わりでもなく、まさに維持され、目的とされた価値である。

D 現代
不換銀行券の流通(管理通貨制度)で、金が流通・貯蔵されていなくても、商品は日々、貨幣の力を生みだしている。だが、金なしの関係とは、すでにそこに、政府という形での、人間の理性的規制が密輸入されており、むしろ無政府的生産を否定する契機も含まれている。

王様が、貨幣の力を生みだすのではない。彼は、貨幣の単位を決め、発行権を握るけれど、それは経済が要請する条件整備であり、人々が労働をいっせいにやめれば、王がどんな力をもってしても、貨幣もなくなる。

3 資本

以下記号 W:商品 G:貨幣 P:生産

(1) 単純流通

生産された商品を、貨幣によって他の商品に変える運動において、貨幣を見てきた。

生産 W→G→W 消費

同じ価値が現物形態を変えるが、目的は使用価値である。買うために売る、である。貨幣としての貨幣も所詮は、流通に対しての価値保存でしかなく、価値の増殖という目的化ではない。

(2) 資本

これに対して、資本の一般的定式は、

G-W-G’(ゲー・ヴェー・ゲーダッシュ)

である。短くすると、より多くのカネを求めるカネ G……G’となる。

使用価値ではなくて、この運動では、価値が目的である。同時にそれは、出発点でもある。循環しているわけで、まさに生きたシステムになった貨幣だ。

流通とはいってもじつは、資本が主導してはじめて社会全体を覆うのである。
流通から生産の現場へ。資本主義システムの秘密をわれわれは見ていくことになる。
私的生産者の私的所有の内側の世界こそが、じつは、社会的生産の力の発生源であり、働く人々が労働によって世界をきりひらく現場である。

この定式のうちに、現代の限界線、 生産のための生産、価値のための価値、蓄積のための蓄積がみいだされる。
というのは、Gは、ダッシュの分(剰余価値)を得てこそ意味のある運動だから。

交換は等価交換しかないから、どこで価値が増えるのか?というと、生産手段と労働力を買ってきて、それで生産する。と、労働力が、その価値以上に剰余価値を商品に加えるから、ということになる。それ以外にはない。

産業資本としての貨幣は、商品を買ってきて、それをつかってべつの商品を生産して売る。売るために買う、である。

G→W…P…W’→G’

P:買ってきた商品の消費
     =別の商品の生産
 (資本の投下・生産・回収)

価値増殖は労働力に投下された部分だけにおきる。

原料と労働力とを、商品として買ってきて、それを消費して新しい商品をつくるわけだが、それぞれの役割を見てみよう。機械や建物など耐用施設は無視し、布生産者を例にとってみよう。

原料糸x㍍(=5万円)を買ってくる。この部分は、商品布y㍍に現物形態(使用価値)が変わる。
しかし、糸x㍍の価値(糸を生産するのに必要な社会的労働時間)は、糸が布に変わっても、同じだ。布の原料として役立った糸の価値5万円は、布y㍍の価値のなかに計上されている。
つまり、この部分は価値は増えない。旧価値の保存。

労働力z本(=1万円)を買ってくる。これを消費することが、労働することだが、労働は具体的労働として糸→布に変え、抽象的労働として 新価値2万円を上乗せするとしよう。

商品  布y㍍

その価値は、 7万円  うちわけは、
     5万円の旧価値
1万円 → 労働力の価値
1万円 → 剰余価値

価値の源は労働だが、この価値を生む労働をその性質にしているような商品、つまり、労働力商品を買って、その値段以上に新しい価値を生めば価値が増える。
価値を生みだす商品である労働力を買って、たくさん使うことが剰余価値を増やす。労働者に即してみれば、彼らの「必要労働」をこえる「剰余労働」が、商品価値のうち「剰余価値」を生みだしている。

私たちのありふれたものの見方だと、「後から値段をつり上げるから、価値が増えた」とか、「売ることによって価値が増えた」とみている。これは全くの個人的体験からみえる見方にすぎない。
売買は同じ価値のものを交換するだけなので、増えない。

では、みんなが価値よりもを高く売ってるのか?しかしそれだと、みんなが騙しあっているから、何も価値が増えていないことになる。

あるいは、原料を特別に安く買ったとか、他の売り手が売れないように邪魔して自分だけ売ったとか、そうした事情が価値を増やすと思うかもしれない。確かに、個々の資本家は競争のなかでそうやってより多くの価値を手に入れる。

しかしこれは、剰余価値を生みだしたのではない。競争で劣った資本家が、自分の労働者が生んだ剰余価値を貨幣に変えることができず(売れず=実現できず)、他方、競争で優位の資本家が、自分の商品を実際の価値よりも高く売ることによって、劣った資本家が手に入れるはずの剰余価値の分だけ、特別に多く手に入れることができる。要するに、剰余価値を資本家同士が、価格の変動を通じて奪いあっているにすぎない。

こういう超過利潤からみると、資本家が競争でうまくやることが儲けることだ、という平凡な見方になる。
しかし、剰余価値を生むのは唯一、労働者の労働だけである。労働から見ると剰余価値を理解できるが、売買の個人的視野(個々の資本家の立場)から見ると剰余価値の源泉はわからない。
by kamiyam_y | 2005-07-03 22:01 | 資本主義System(資本論) | Trackback | Comments(0)
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