さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

相対的剰余価値の生産 Die Produktion des relativen Mehrwerts

1 理解の前提となる知識

1)価値と資本

ある商品の1単位(使用価値としての基準の大きさ、例えば1個)がふくむ価値の大きさ、商品価値の大きさ、もっと短くこれを「価値」という言葉で包含すれば、商品の価値とはその商品を生産するのに社会的平均的な生産諸条件・労働の強度と熟練度のもとで必要な人間労働力の支出の量、抽象的人間的労働によって規定されます。これが社会的必要労働時間による価値の規定です。この点は後で述べる個別的価値と社会的価値の差としての特別剰余価値を理解するうえで欠かせない前提です。

資本というのは、価値の独立した形である貨幣が社会的に集積していることを前提し、貨幣と商品の相互転換からなりたつ全体、価値の商品と貨幣への形態化・発散と統一・収斂、生産を取りこんだ生きた流通として運動します。企業も国民経済も、空間的に店頭の商品の部分や工場の原材料の部分、積立金などに分かれながら統一され、時間的に各部分が貨幣と商品からなる流通と、生産とを循環していく。こんなイメージですね。

2)労働力と労働

鍵になるのが労働力という商品。労働力は生きた人格内にあって、特定の使用価値の生産において運動する身体的精神的諸能力の総体です。私たちは労働力を商品としてとらえずに、労働そのものと賃金を交換しているとして契約し、金銭関係と契約のヴェールが剰余価値を見えなくしてます。

生きた労働が対象化する価値は、労働力の価値の等価よりも大きい。これが剰余価値の理解のポイント。労働力と労働とは異なる。

労働力は、1日ごとに使われ消耗し、1日ごとにまた働ける状態に戻ります。すぐれて1日が単位です。ですから労働力の日価値が問題。労働力の日価値は、労働力の消費すなわち生きた労働とは無関係に規定されます。労働力の日価値が、その使用価値=使用において実現する有用性と関係ないことが理解を確実にするポイントです。

労働力の価値を規定するのは必須労働時間、すなわち社会的平均的に労働者とその子が消費する必須生活手段を生産するのに必要な社会的必要労働時間です。なぜなら、労働力の再生産とは、非労働時間における必須生活手段の個人的消費だからです。

3)不変資本と可変資本

労働力を購入した資本はそれを消費し、労働過程を自らに取りこみます。労働過程は生産手段という客体的要因と活動しつつある労働力(生きた労働)という主体的要因からなります。生産物価値形成において両者が演じる役割が異なることが次のポイントでしょう。

合目的的な使用価値形成である具体的有用的労働は、生産手段を生産的に消費し新たな使用価値に変えます。それによって生産手段は価値としては消費されず、価値が生産物に移転・保存されることになります。原材料は労働過程に全体としては入らない(一部が屑になるなど)が、機械など労働手段は現物形態としては全体として労働過程にとどまりながら、価値としては部分的に生産物に価値移転し、耐用年数全体を通して全価値を生産物に移転する固定資本です。両者あわせて不変資本。

労働力は生産過程で価値としても消費されてしまいますが、同時に使用価値としての消費である生きた労働が、新価値を付加する。新価値は労働力価値の等価と剰余価値です。労働者がうみだす前者は、労働力に投下される資本部分である可変資本です。資本家がもっていた可変資本は再生産されるわけです(といっても資本家は後払いの約束だけでも賃金支払いをできますし、流れのなかでみれば、労働者は自分の産物に雇われてるだけです。つまり、いってみれば自分たちが再生産した可変資本が自分たちを買うだけ)。

生産物価値の形成でのこのような労働過程の客体的要因・生産手段と主体的要因・活動している労働力の役割の違いは、資本の価値増殖過程における資本の2つの成分が果す機能の違いとなります。生産手段に投下される不変資本cは古い価値が保存されるだけであり、労働力に投下される可変資本vは可変資本を再生産するだけでなく剰余価値mをも再生産する、というように。価値を生みだすのは労働力の消費なので、新価値部分(価値生産物)において不変資本cを無視し、可変資本vに対する剰余価値mの割合に着目し、資本の真の増殖率として剰余価値率m=m/vが導かれます。生産手段も労働力も一緒くたにしてしまわないことですね。

4)労働日の法律的制限

1日の労働時間である1労働日の労働は、必須労働時間+剰余労働時間です。1労働日は必須労働時間を最小限とし、最大限を睡眠食事のような身体的制限と教養・娯楽のような社会的制限によって劃されています。資本家が労働日を延長する権利を立てるのに対して、労働者は、健康に必要な時間や人間としての精神的・社会的発展のための時間を得られるように、自由時間を確保できるように、労働日を制限する権利を主張します。労働力の社会的再生産という共同利害は労働運動に促された政府の介入によって維持されることになります。これが標準労働日の制定です。

2 相対的剰余価値の生産

1)絶対的剰余価値の生産

労働日の延長による剰余価値生産を絶対的剰余価値生産といいます。剰余価値生産は必須労働時間に対して剰余労働時間を確保すべく労働日を延長することで成立しますから、そもそもそれは絶対的剰余価値生産。

2)相対的剰余価値の生産

労働日は標準労働日、労働日の限界の法律的規定によってその延長を制限されるようになります。労働日延長による剰余労働時間の増大の制限に対して、もう1つ剰余労時間の増大があります。それは必須労働時間の減少によるものです。必須労働時間の剰余労働時間への置き換えを相対的剰余価値の生産とよびます。必須労働時間の減少は労働力価値の低下であって、可変資本の減少になりますから、労働が生産した新価値のうち剰余価値が増大することになります。

労働日の絶対的延長による剰余価値増大に対して、労働日を一定としてそのなかでの必須労働と剰余労働の割合の変化による剰余価値増大が区別されます。

例えば、中世の封建制で農奴たちの保有地が25ヘクタールで領主の直営地が10ヘクタールだとしましょう。農奴は両方で耕作を行います。このときに領主が直営地を15ヘクタールに拡大したとすれば、これは耕作地の絶対的な拡大です。労働地代が1.5倍に増えます。

40ヘクタールのうち農奴が25ヘクタール、領主が15ヘクタール。このあと、農奴たちの農業生産力が上昇し、生産高を上昇させたとしましょう。農奴の暮らしを維持するには以前より少ない耕作地で可能。そこで、40ヘクタールの内訳が農民保有地20ヘクタール、領主直営地20ヘクタール。これは割合の変化ですから、剰余生産物生産の相対的増大です。

わかりやすいっすね。貨幣関係が入りこまないので。まあ前資本主義では価値増殖が目的の生産ではありませんから以下で書くような生産力の強制的発展の動因が働かず、同じ生産が続くことが支配体制の維持なわけですけど、ここでは絶対的と相対的のイメージさえつけばいいです。

春子と冬子がルームシェアをしているとし、春子が4畳半、冬子が4畳半だとします。冬子は彫刻家で家で仕事するのでもっと面積がほしい。ここで冬子がキッチンも自分の部屋にするとこれは絶対的拡大。これに対して、春子が「あたし寝るだけだから2畳でいいよ」と間仕切りを移動させます。これは春子の空間が冬子の空間に置き換わることで冬子の空間が増えることで、相対的。しつこく絶対的と相対的の説明でした。

では必須労働時間の短縮は何によってもたらされるのでしょうか。労働生産力の増大によってです。労働生産力の増大が、必須生活手段生産部門向けの生産手段の生産で価値低下を招き、必須生活手段生産部門で価値低下が起き、必須生活手段価値が低下するのです。

3)特別剰余価値

ではそのような労働生産力の増大はどのように生じるのでしょうか。資本家階級が一致団結して意図して行うのでしょうか。そんなことはありえません。これは特別剰余価値を目指す個別諸資本の相互否定、競争を通じて意図せざる結果としてもたらされます。

特別剰余価値ってのはこういうことです。商品価値の大きさは、標準的平均的な生産諸条件(生産設備など)、および平均的な労働の強度と熟練度のもとで要する社会的必要労働時間によって規定されるのでした。ここで社会的必要労働時間の対象化である価値を社会的価値と、個別諸資本における必要労働時間を個別的必要労働時間、その対象化を個別的価値と言い表しますと、標準的な生産諸条件より優位の条件のもとで生産する場合、商品1単位あたりに要する個別的必要労働時間は社会的必要労働時間よりも短くなりますよね。優位の生産諸条件を擁する資本における必要労働時間は社会的必要労働時間よりも小さく、したがってこの場合の商品1単位の個別的価値(個別的必要労働時間の対象化)も社会的価値よりも小さくなります。社会的価値で販売されれば手に入るこの差額を特別剰余価値とよびます。

中位の生産諸条件よりも劣った生産諸条件で生産された場合は、逆に個別的価値が社会的価値を上回ってしまいます。にもかかわらず、個別的価値で販売することはできませんから、剰余価値をすべてそのまま実現することはできなくなります。

例えば、商品A1個の社会的価値が100円であるのに対して、優位の生産諸条件をもつ資本群は商品Aを90円という個別的価値で生産し、中位の群は100円で個別的価値が社会的価値と等しく、劣位の生産諸条件の群が生産する商品Aの個別的価値は110円で社会的価値より10円高い。優位群が200個、中位群が600個、劣位群が200個で、全体で1000個が正常な生産量だとすると、優位群は全体として2000円の特別剰余価値を得、劣位群は同じだけ失います。優位群はシェア拡大のために95円で売ってもいい。それでも5円という超過利潤を得ることになります。

話はここで止まらない。やがて標準的平均的生産諸条件の資本群が優位の生産諸条件を獲得したり、また劣位の生産諸条件の資本が消滅したりして、優位の生産諸条件がA商品の生産分野で標準的平均的になれば、この商品の社会的価値も90円に低下していきます。

4)生産力の発展

生産諸条件のたえざる革命が必須生活手段の価値を低下させ、労働力価値が低下し、労働日が一定であれば、それまで必須労働時間であった部分が剰余労働時間に転化し、剰余価値率が上昇するというわけです。

総資本における相対的剰余価値の生産は、直接にはその個別的姿態である特別剰余価値の追求を個別諸資本が相互に強制しあう個別諸資本の相互圧力、個別資本に対する連関の圧力において結果的に実現します。剰余価値生産の増大は個別諸資本の相互の反発、特別剰余価値追求の相互強制を通じて実現するのです。

剰余価値という規定的目的は、資本の連関による個別資本への圧力として、特別剰余価値の獲得を強制しあうこととして現れます。剰余価値生産は、ここではより優れた生産諸条件の導入の強制として、個別的価値の引き下げの強制として作用します。

ですから自由競争とは剰余価値追求を相互に押しつけあうことを自由にするという不自由、強制法則にほかなりません(資本家個人が劣位の生産諸条件に固執するなどあったとしても偶然であり、劣位の生産諸条件を廃棄させる必然が貫きます)。俗物的見解において個人の自由な自発的発展と混同される「自由市場の効率性」と称されるものの実態は諸個人から疎外された諸関係による支配なのです。同時にまた資本家階級の意思というようなものから出発するのもこうした俗物的幻想にすぎません。ここでも労働に即して資本の運動から把握することだけが肝要です。

剰余価値を規定的動因とする生産は、こうして生産方法の不断の革新を、労働過程の絶えざる変革を資本が相互に強制しあうこととして作用します。

資本のもとでのこのような対立的形態における労働の生産力の社会的生産力としての発展が、資本主義を超克する基礎をつくりだしていくことになります。相対的剰余価値の生産において、資本による労働過程の変革は、多数の労働者が計画的に協働する労働形態すなわち協業という労働者の社会的組織の形成を基礎として、道具の機械への転化による社会的生産手段の形成を軸として進行し、大工業の発展として実現します。

相対的剰余価値生産の方法は資本蓄積の方法でもあります。飽くなき剰余価値追求が蓄積する資本のもとで社会的労働力と社会的生産手段を、生産の社会的総体の世界市場としての実現を結果的に導きます。人類史上における資本主義の存在理由はまさに社会的労働の生産力の発展を対立的に疎外として無慈悲に諸個人に強制することにあり、資本主義はこのことを通して諸個人を自らの社会的生産力を管理すべき主体に転化させ、生産共同体から分離して抽象的に法的に自由となった諸個人を(資本の生みだす世界的な社会的生産をその土台として)世界的に連帯する社会的に自由な個人として鍛えあげ、1つの自由な人類社会を産みおとし使命を終え永遠の眠りにつきます。人類史においてこのようなものとして資本主義は必然的な通過点なのです。資本主義は労働発展の必然として意味をもつ通過点なのです。
by kamiyam_y | 2013-11-20 21:15 | 資本主義System(資本論)