さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

「経済表Tableau Économique」(ケネーQuesnay):ケネーとリカードQuesnay and Ricardo

このまえ「経済表」について書いたもの(フィジオクラシーphysiocracy)に補足をしておきます。

「経済表の範式」に描かれた世界について、需給関係をまとめるだけでなく、剰余価値率や利潤率を考えるのも一興かと。「経済表」が単純再生産であるのも、当時の生産諸関係のありようか。もし拡大再生産ならどうでしょう。ケネーがアンシャンレジュームにおける重商主義政策による農民の貧窮という問題を解決しようとしたのであるならば、彼にあって農業における蓄積、拡大再生産は肯定すべき事態。

リカードであれば、耕作地の拡大はより劣等な耕作地への拡大であり、生産力の最も低い最劣等地における農生産物がこの農生産物の価格を規定し、より優等な耕作地では超過利潤、差額地代が発生することになります。資本主義発展とともに耕作地が拡大することは、リカード的には、地代の増大を意味し、地代・賃金に対して利潤率は低下することになります。蓄積にともなう利潤率の低下って現代のグローバル化を考える上でも重要。

ケネー『経済表』(戸田正雄・増井健一訳、岩波書店、1933年)の範式をワープロソフトの描画機能をもちい手でうつしてから、それに書込みをして画像ファイルに変換してみました。「経済表」の雰囲気をそこはかと残しつつも緑と赤の彩りあざやかな作品です。

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フィジオクラシーの把握基準は、生産物から始まる商品資本循環。生産物の流れの絡みあいを想定する商品資本循環をイメージして経済表を振り返ると、こんな感じ。50の価値の生産物(30の費用+20の剰余価値)がどのように持ち手変換し、生産資本の補填を導くのかを「経済表」は示します。あくまでも自然から生産物を得る農業だけが生産的というのがミソです。

生産階級(借地農民)による社会的総生産物50。この生産には、用具など固定資本100の価値移転分10(原前払の利子)と、種子や食糧など流動資本20(年前払)が投下されています。言いかえれば、用具や種子など生産手段に20(不変資本)、農民が消費する食糧(可変資本)10です。

他方、地主、主権者及び10分の1税徴収者が収入として前年得た20の貨幣を、商業・手工業に従事する不生産的階級が10の貨幣を前払として購買準備にあてています。

課題は、生産物50が流通と徴税、不生産的階級による消費(加工)を介して、農民に30の生産資本、支配階級の消費ファンド20の貨幣と不生産的階級の貨幣資本10に、価値的、使用価値的(素材的)に補填される流れの確定です。

剰余価値20を支配階級が取得しつづけると単純再生産が繰り返されます。剰余価値のすべてが消費ファンドに消えるのが単純再生産。

これに対して、表式からすれば、拡大再生産による富の増大は支配階級に向けていた剰余価値を、生産階級による生産的投下に振り向けることを意味しましょう。絶対主義の重商主義政策のもと地代と税に苦しむ農民を解放するという実践的帰結を、絶対王政の足下で彼ケネーは密かに正当化していたのです。働く平凡な人間が社会を再生産においてまとめあげるのであり、消費だけする階級がじつは非自立的存在であるという把握がすでに発生しているというべきでしょう。

市民革命、産業革命へといたって生誕した現代システムは、アンシャン・レジーム(旧体制)のうちにすでに最愛王ルイ15世の寵姫ポンパドゥールが机上においた『百科全書』のうちに萌芽として存在しています。むろん古い社会は十分に発達しなければ新たな社会に移行できない。しかしまた、その絶頂にまで達した古い社会は、その胎内に新しい社会をすでに妊んでいます。蛹のなかに蝶が準備されているように。
by kamiyam_y | 2013-06-17 01:10 | 資本主義System(資本論)