さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する

グローバル銭湯

人民の意向は脱原発で確定。

http://www.asahi.com/politics/update/0827/TKY201208270101.html
http://www.asahi.com/politics/update/0825/TKY201208240650.html

「パブコメや世論調査から浮かぶのは政府に対する国民の怒りで、安全性を求める意見が多い」という小林傳司教授のコメントは適切。これだけの事故を起しておきながらの原発推進は人類への暴力でしょ。

つい先日の話。展望風呂に行くため乗ったエレベーターで、観光客の家族といっしょになりました。父と小学生くらいの息子、母と娘で仲のよい雰囲気で中国語で何か話してます。中国語ができれば話できたのにな。

エレベータ-から出ると左に男湯、右に女湯があります。親子より先に暖簾をくぐりました。

父子が入ってきて体をシャワーで洗い、湯船に。一足先に浸かっていた私は、ふだんはそんなことしないのに、日本の銭湯の入り方をレクチャーしたかったのか、変な日本を演じたかったのか、変な習慣に歓んでほしかったのか、まちがった日本の習慣を覚えてほしいという悪戯心か、なぜか、頭に手拭いをのせてました。

ところが父と息子はすぐに脱衣場に戻ってしまいました。あれれ。長湯の習慣は日本にしかないんだっけな。と思いきや、二人は単に(頭にのせる)手拭いを取りに行っただけででした。

この旅でいい想い出をたくさんつくってほしいと思いながら、またも先に、風呂から上がりました。私の方がカラスの行水。そういえば私はここ数年風呂桶にお湯を貯めずにほとんど朝夕シャワーですませてます。浴槽も使わないと汚れます。労働の炎によって生産物は生き生きと輝く。

その帰りにではないんですけど、中国から留学に来て日本で就職した卒業生にばったり会いました。世界中から多くの人々が日本に旅したり学んだり働いたりしてくれることは嬉しく誇らしい。

なにかの番組でニュースキャスターとかいう人が「固有の領土」とかいきなり言ってました。マスメディアが国益にとらわれず報道する日がいつ来るのだろうかとあきれるほかなかったです。資本主義が国民単位でシステム化するうえでそうした幻想が形成されるのだということまで述べよとは期待しないが、少なくともできるかぎり客観的に各国の主張を紹介するとか歴史的事実を伝えるとかいう姿勢のないメディアは危うい。カネで島を買おうとする試みが報道されてもいますが、経済的土地所有権と国家的領有権は違うよ、ということは無視しても、この試みが語るのは、これまでの歴史が生産手段の軍事的・人格的、経済的な奪い取りであったということにすぎません。

28日に「ワールドビジネスサテライト」のなかのニュースで、韓国からの観光客を手配・サポートしている旅行代理店では韓国からの観光客は減っていない、と放送されていました。

http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/wbs/newsl/post_26018/

観光客へのインタビューで、一般の人には関係ない、と答えていたのが興味深く、また、大韓貿易投資振興公社KOTRAの人が「経済面での結びつきが以前より強くなったことで政治に左右されなくなった」と言っていたのもちょっと印象的でした。

日本と東アジア諸国との政治上の対立が経済的には何の利益ももたらさないとビジネス界が考えるのも、資本が国境を越え、経済的依存関係がますます緊密となり拡大しているからこそです。物象的依存関係の発展は、国家間の幻想的・政治的な軋轢の影響を抑えるよう作用します。

労働がそのグローバルな本性を発揮して国家を超えて展開しているという客観的条件の生成において、偏狭な国家主義・排外主義による内的諸矛盾の隠蔽に一部の疎外された人々が吸収されるのもグローバリゼーションが引き起こす軋みであって、国家権力どうしの振舞いに民衆の一部分が同調し(疎外された・幻想的な共同体に自己同一性を虚構し)いがみあうような非文明的・野蛮状態は、人類史的に進歩的な方向性の正反対。資本の文明化作用のもと諸個人が世界史的諸個人として陶冶されるのが資本主義時代です。

朝テレビつけたらたまたま横浜の鶴見が紹介されてました(「とくダネ!」)。

http://blog.fujitv.co.jp/tokudane/E20120831002.html

鶴見に沖縄料理や南米料理が集る地域があるって知らなかったんですけど、インタビューされてたペルーの人が美人でした。ペルー料理食べに飛んでいきたい。

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註記的覚書(9月8日)

脱原発について。もしもフクシマを忘却して原発推進に向かうなら、自由な人格の尊重が、物象的な剰余価値の運動に敗北したということであり、平たくいえば人間の論理が利潤の論理に敗北したということです。逆にいえば、誰の目にも、人間の生存こそが第一であり安全を第一に考えねばならないということが公開されており、民主的成熟がみられること。

グローバリゼーションがもたらす軋轢について。それが私たちに語っていることには、諸人民が各々の国家権力を相対化し平和と相互尊重のための共同の戦線を張らねばならないという人民的共同の客観的要請、国際協調のシステムの陶冶の必然性が含まれています。社会保障という人権の発展にとっても、生態系の保全にとっても、「ディーセントワーク」の実現にとっても、「社会的包摂」の実現にとっても、万国の自由な諸個人の連帯が不可欠の鍵となります。地域的・国家的・世界的な諸関係を連結する資本の運動をいかに私たちが制御していくのか。「持続可能な発展」Nachhaltige Entwicklung / Sustainable Development を国際スローガンにするまでに国際的公共性が深化している現代において、事柄の本体は、生産手段の非人間的・非人格的な集中によって推し進められてきたこれまでの対立的な発展のありかたを、グローバルな民主制による地球的生産過程の制御にもとづく、調和的に媒介された発展のありかたへと、人権がグローバルな内実を獲得した、対立性を止揚した発展のありかたへと転回していく、労働の人類史的な転換運動にほかなりません。疎外された労働は資本を介して、人間は資本という対立的自己によって、国家という統合を超えグローバルな類的本質を形態化しつつあります。

追記(9月26日)

続き書きました。グローバル銭湯 2
by kamiyam_y | 2012-09-01 03:32 | 現代グローバリゼーション